表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
第二楽章 ふわふわゆらゆら

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/27

02-10.


グラスを口元に寄せると、思わず顔が綻ぶようなレモンの香りが漂ってくる。

印象的な爽やかな香りと共にカクテルグラスを口に運ぶと、まずは縁についている砂糖のざらざらを唇に感じる。

そしてグラスを傾けていくと、この砂糖の甘さとさっぱりとしたレモン、そしてブランデーの芳醇な味が混ざり合って、絶妙なマリアージュを生む。


「わぁ……美味しい……」


思わずはみ出た声に、ナオもあの人の弟もクスッと笑っていた。

お酒なんてビールくらいしか飲まなくて、カクテルがこんなに美味しいものだなんて知らなかった。


「ナツミ、少しずつ、ゆっくり飲むんだよ」

「うん。でも飲みやすくて何杯でもゴクゴク飲めそう」

「ナツミってお酒強いの?」

「わかんない」

「俺もわかんない。……ねぇ久我さん、これアルコール何パーセント?」

「30パーセントちょっとですね」

「おー、高いね」


そうなの? あまり飲まないからわからない。


「ねぇ弟、ビールってどのくらいなの?」

「銘柄にもよりますが……だいたい5パーセントほどのものが多いです」

「えーっ!? じゃあこのカクテル、すごく度数が高いじゃない」


ベロンベロンに酔っ払いそうだわ……。


そう思った5分後には、何となくふわふわする感覚になってきて、体がゆらゆらと揺れる。

美味しいけど危険な予感。

でも美味しいから飲んじゃう。

酔っ払ってわけがわからなくなってきた。

でもそんな欲求のまま進んでいく時間が心地よい。


15分後。


(わー、何これぇぇ……すごくふわふわするぅぅ……)


えへへ、と無意味に頬が緩むのは酔っている証拠なのだろう。

そんなぼんやりする頭で思い起こす。

今日はジャズバーと居酒屋でグラスビールを一杯ずつ飲んだだけ。

ジョッキではなくグラスビールだ。

でも普段あまり飲酒をしない体質が災いしてか、異常に酔っ払っている感覚。

ふわふわ~、ゆらゆら~。

これもある意味トロイメライのよう。

そしてグラスを見ると、液体の中でレモンピールも、ふわふわ~、ゆらゆら~と揺れ動いていた。


(やだぁ……何だか私みたい)


酔っ払った自分。

そして……想い人に翻弄されて揺れ動く自分を見ているみたいだった。


(このレモンピールって、時間が経つと……どうなるの……?)


そう思った途端に嘲笑が漏れた。

どうなるのか、なんてわかりきっている。

きっと私と同じだ。

包まれている間はゆらゆらと幸せな時間。

でもそんなのはほんの一時で、私の気持ちなんて関係無しに、独り取り残されていく。

私の気持ちが追いつかないまま、あっという間にヒリヒリするくらいの寒空に晒されて、寒くて、痛くて、苦しくて、そして――


「――ミ? ナツミ、大丈夫?」


ナオの優しい声で、ハッと我に返る。

あぁ、また重暗いものに支配されそうだった……。


「……えっ、何が?」


とぼけた返事をしたわりに視界はじわりと滲んでいて、私は慌てて顔を背ける。

ナオは私の涙に気付いただろうか。


「だってナツミ、すごく……眠そう」


眠そう。よかった。眠そうに見えたなら幸いだ。


「別に平気よ」

「カクテルはストップ」


そう言って、ナオの大きな手が、グラスを持つ私の手をやんわりと止める。


「いーの。美味しいから、まだ飲む」


ナオの手を躱し、グイッとカクテルを口に含むと、「あーもう」とナオの声。

ナオはふわふわしたかわいい雰囲気から一変、憂うような表情で私を見つめている。


「ナツミは……頑張りすぎる人だよね」

「えっ?」

「いいのに……弛めても、俺は困らないよ」


基本的には子犬ちゃんみたいなのに、急に大人の男性に見える時がある。

一体何を考えていて、どういう人なんだろう。

よくわからない。

……知るつもりもないけど。


残り四分の一ほどまでカクテルを飲み進めていくと、グラスの中のレモンピールは案の定、次第にその姿を晒されていく。

ここからどんどん周りを包むものがなくなって、きっと最後にはこの狭い空間に独り取り残されるのだろう。

そう思うと、カクテルを全て飲み切ることに躊躇いが生まれた。


「ねぇナオ……このレモンピール、かわいそうだわ。せっかくお酒と結婚(マリアージュ)してたのに……独りぼっちでグラスの中に取り残されるのね。そんなのあんまりよ。寂しくて……きっと今は、息の仕方もわからないくらい苦しいわ」


カウンターに突っ伏して、グラスの側面からレモンピールに指でコツンと触れる。

すると少しだけ無言でいたナオが、私を穏やかな声で呼ぶ。


「ナツミ、こっちを見て」


突っ伏したままナオの方に視線だけ向けると、ナオは飲み終えた自分のグラスの縁に指で触れる。

そして縁に付いている砂糖を、サラサラとレモンピールに落としていく。


「ほら、これなら寂しくないよ」

「あ……」

「違うところに目を向けてみると、ほかの何かがあるのかも」


でもすぐに、レモンピールに落ちた砂糖は、ジュワッと滲んで溶けて見えなくなってしまった。


「あっ……どこかに行っちゃった……」


寂しさが湧いて声を上げると、ナオは微笑みながら私を見つめる。


「どこにも行ってないよ。レモンに溶けて一緒にいるんだ」

「一緒に?」

「うん。見えなくても一緒にいるよ。だってその証拠に、レモンピールは元の味より甘いはずだからね」


そう言って優しく微笑んで、ナオは私を見つめる。

細まった双眸から覗く、色素の薄い瞳が綺麗だからだろうか。

胸が波打って仕方がない。


「……そ、そうね」


甘くなったレモンピールは何を思うのだろう。

それでも元々自分を包んでいたものを恋しく思い続ける? 

『ずっと包まれていたかった』と泣き続ける? 

それとも――


「ねぇナツミ、人もそうかもしれないよ」

「……何が?」

「違うところに目を向けてみれば、周りに『そばにいたい』って思ってる人がいるかもしれないよ、っていうこと。もちろん、ナツミのそばにもね」


それとも、甘く降り注いだものに救いを求める? 

甘えて、泣き叫んで、身を委ねて、そして愛を注いでもらう? 


「そっ……そんな人、いるわけがないわ」

「どうして? そんなことないよ。きっと……いるよ?」


そう言ってふわりと笑みを浮かべるナオに見つめられると、不意に胸がキュンと鳴った。


(……え? キュンって何?)


自分の気持ちに戸惑って、ナオから勢いよく顔を背けた。

ただでさえ酔っ払って熱を持った顔が、さらに沸騰しそうなほど熱くなる。

困惑して顔をしかめながら、もう一度チラリとナオを見ると、ナオはちょっとビックリした顔をしていた。


(それはそうよ! 私だってビックリしてるもの!)


焦れば焦るほど、顔がボボボッと熱くなる。

何だこれは……。

ナオはただ酔っ払ってる私を宥めてくれてるだけだ。

それなのにドキドキなんてされたら、ナオにとっては大迷惑な話だろう。

それにちょっと優しいことを言われただけで、出会ったばかりの5歳も年下の子犬ちゃんにときめくなんて……。


「わ、私……帰りたい……」

「ずいぶん急だね」

「帰る!」


私は席を立ってバッグから財布を取り出すと、カウンターに代金をトンッと置いて店の出口に向かった。

ただ心が弱ってるだけ。

吊り橋効果みたいなものよ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ