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漬物石、蜂蜜沼に溺れる。~輝きを失った外科医と、光を見失ったピアニストが奏でる再生のコンチェルト~  作者: 暁 美雲(あかつき・みくも)
第二楽章 ふわふわゆらゆら

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02-07.


閉店後ジャズバーをあとにすると、バンドメンバーたちと個室になっている居酒屋へと場所を移した。

私は皆から少し離れたところで、マサヤ君に左肩を再度診てもらうことになった。

するとタカノ君とナオが話し始める。


「おいナオ、昨日の朝までは『全然やる気が出ない』って言ってたのによ……どうなってんだよ。馬もヤンキーも目立ちすぎだろ。俺たちが霞んだじゃねぇか」

「えー、タカノがああいうのを被ったらいいって言ったから……」

「そうだけど、くっそムカつく! まぁ演奏も別の意味で目立ってたけどな。昨日のソロの最初の音、何だありゃ。リズムもコードも無視かよ」

「……もういいでしょ」

「余所見してっからだぞ。大いに詫びろ」

「うん、ごめん」


へーえー、ナオ、余所見してたんだ。どこを見ていたのだろう。

するとベースのシンタニ君がナオに告げる。


「すぐに持ち直したし、今日は最初から良かったよ」

「ありがとう」

「でも昨日の最初は残念だったから……もちろん、これで終わりってことはないはずだよね?」


何だかシンタニ君の言葉に圧を感じる。

ナオが黙り込むと、ミキさんが会話に参加した。


「まぁまぁ、いいじゃない。楽しかったんだし。ナオ、急遽参戦してくれてありがとう」

「うん。俺も楽しかったよ。……マスター怒ってなかった?」

「大丈夫。大爆笑してた。『リカバリーはさすがだったね』って」

「そっか、それならよかった」

「本当にいい演奏だったよ。昨日の最初以外は、だけどね。マスターも『きっと次はブーイングなんて起きないって信じてる。またイベントの時に来てくれれば許す』って言ってた」


何だかミキさんの言葉にも圧を感じるわ……。

ミキさんがクスクス笑うと、ナオが深い溜息をついた。


「ねー、それってどう考えてもマスター怒ってるよね?」

「怒ってない怒ってない。でも次がないなら……もう作ってくれないかもね~」

「えーっ、嫌だよ! 俺、マスターが作ってくれるやつが一番好きなんだ」


マスターが作ってくれるやつ……って何かしら。

たぶんナオの好物か何かよね。


「あぁもう……わかったよ。また次ね」


そんなナオの言葉に、ミキさんは目を輝かせた。


「えっ、本当に!? いいの!?」

「うん」

「やったぁ! じゃあ予定が決まったら知らせるね! ……忙しかったら無理しないで」

「ありがとう」


皆が「やった!」「すっげぇ楽しみ」と過剰なほどに喜びに湧く中、私だけがポカーン。

ナオってそんなに喜ばれるほど上手な演奏者ってことかしら? それなら――


「ナオも、ミキさんみたいにプロになったらいいのに」


私がマサヤ君に向かってポツリと呟くと、マサヤ君は困ったような顔で、うんともいいえとも言わずに笑う。

……私、何か変なこと言ったかしら? 

でもまぁいい。深入りするつもりはないし。


「肩の動きは問題なさそうだね」

「ええ。皮下出血のおかげで見た目は酷いけど、炎症は治まってるわ」

「あー……そう……だよね。どう? 朝起きて、肩とか首とか痛まなかった?」

「触ると少し痛い程度よ」

「それならよかった。じゃあじきに治っていくと思うよ」

「きっとすぐに処置してくれたからこれで済んだのだと思うわ。昨日今日と、診てくれてありがとう」

「あー……うん」


するとまたマサヤ君が私をじっと見つめていることに気付く。

昨日も同じような感じだった。


「えっと……何か言いたいことでも……?」

「あぁ、いいや……」


顎に手を当てて考え込むマサヤ君を、不可解に思いながら私も見つめる。

何だろう。

ただ、これだけはわかる。

『見つめられている』と言っても、好意的な目というより、こちらを探るような、訝しむような、そんな目だ。

するとミキさんがフフンと楽しげに笑った。


「も~う、マサヤったら~。そんなにナツミさんを見つめてばかいりいたら、奥さんが悲しむぞ~」

「あー……違う。そういうことじゃなくて……」


私も大いにマサヤ君に同意したい気分だ。そういう感じじゃないのよ。


「なになに? ナツミさんのことを知りたいって? ナツミさんに興味津々だね、マサヤ」

「……知りたくないわけじゃないけど、そういうのじゃない。興味津々なのはミキだろう?」

「あ、バレた~」


それにしても、今さら気付く。よく見ると、マサヤ君の左手薬指に結婚指輪が光っていた。


「マサヤ君、結婚してるのね」

「あぁ、うん。ここにいるメンバーは、ナオ以外、既婚者だね。ナグとミキは夫婦だし」

「えっ、そうなんだ」

「みんなそれなりの年だしね」


そこで浮かんだ疑問を、私はビール片手に率直に口にした。


「みんな同級生だって言ってたけど、何歳なの?」

「あぁ、33歳だよ」

「へー、そうなんだ」


5つ年下か。

まぁおおよそ予想通りね、なんて思っていると、ミキさんが私に興味を向ける。


「ナツミさんは? 雰囲気は大人っぽいけど、お肌のツルツル具合がちょっと年下っぽさを物語ってるんだよね~。めっちゃ綺麗なんだもん。総合して、私たちと同じくらいかなっていう予想だけど、どう? 合ってる?」


目を爛々と輝かせるミキさん。

私は絶句した。

同じくらい、か……。

そう思われてるから、ナオはいきなり名前も呼び捨てで、みんなの話し方も気安かったのかもしれない。

肌は確かにお手入れしている。

でもそろそろ仕事では貫禄もほしい年頃。

皺を増やしたいわけではない。それ相応のオーラがほしいのだ。

複雑な気持ちを抱えて私はミキさんに告げる。


「……全然、同じじゃないわよ。5歳も上だもの」


するとミキさんが目をまん丸くして私を見つめる。


「本当に!? ナツミさん、全然30代後半に見えないね」

「そ、そう? あ、ありがとう……」

「本気で驚いた。ナツミさん、めっちゃ美人。……好みだわ」


え? 今、好みって言った? どういうこと?


「ナツミさん、結婚は?」

「あ、あぁ……未婚よ」

「そうなんだ。ふぅん……えへへ」

「……え?」

「ううん、何でもない」


含みがあるかのように笑みを見せるミキさん。

ナグさんと夫婦なのだから、私に恋愛感情云々ということではないと思う。でもどこか不思議な人だ。朗らかな印象の人物だけれど、急に意味深に見える時がある。

先ほどのマサヤ君といい、ナオといい、ミキさんといい、妙に不思議な人たちばかりだ。

謎多きジャズバンドメンバー。

……深入りするつもりはないけど。


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