02-05.
その破壊力のあるご尊顔のナオが、私の顔の一点を見つめる。
「ナツミは……お面の跡がちょっとだけついてるけど、汗はかいてないね。よかった」
そんな指摘に、私は手で顔のあちこちに忙しなく触れる。
「えっ、跡? 恥ずかしい。どこ?」
「ん? 左だよ」
「えっ、左?」
慌てて左の頬を手で隠すと、ナオがフッと笑う。
「そこじゃなくて――」
するとナオの右腕が伸ばされ、人差し指が私の左頬の5センチほど手前で止まる。
「ナツミ、触って平気?」
「えっ……う、うん」
するとナオの指先が、私の頬に優しく触れる。
「ここだよ。……わぁ、プニプニ。それにすごく肌が綺麗だね」
「あぁ、それは――……」
好きな人のために綺麗でいようと頑張っていた成果……なんて思い出すと一気に気持ちが落ち込む。
いつ会ってもいいように、気を抜かず、手を抜かず。
急患が続けばメイクを直す時間がないから、基本的にノーファンデで過ごしていた。
メイク崩れをした顔で想い人に会いたくなかったから、素肌を綺麗に保ち、いつだってみっともない姿を見られないようにしていた。
アメリカに渡ってからは、年に数回あるかないかという想い人との対面のためだけに、長年私はただひたすら綺麗な肌を保っていた。
よく考えたらバカみたいだ。
そんなことをしたところで、彼は私の肌なんて気にして見ることなんてないのに……。
そしてもう、そんなことで頑張る必要はなくなって――
「――い? ナツミ?」
「……へっ?」
「いい?」
想い人のことを考えていて聞いていなかったけれど……いいって何が?
返事を迷っている間にも、フッと笑みを向けるナオの顔が、私のすぐ目の前に迫った。
「近づいて見ても綺麗だね。ツルツル」
皮肉なものだ。
想い人に気づいてほしかったことを、ナオはあっさりと言うのだから。
すると頬の辺りを彷徨っていたナオの視線が、次に私の目へと移る。
(ナオの睫、長いわ……瞳の色素が薄い……)
ナオの瞳は透き通っていて吸い込まれそうなほど美しく、色白の陶器肌。私より肌が綺麗な気がする……とボーッと見入っていてハッと気付く。
(ちっ、ちちち近いっ!)
慌てて一歩下がると、ナオに腕を掴まれた。
「後ろ、壁にぶつかるよ? また怪我をしたら大変」
腕を掴むナオの右手はやっぱり大きくて力も強い。
そして拒絶すればいいのに、なぜかドキドキする私。
何をこんな子犬ちゃん相手にドキドキしているのだろう。
「あっ……ご、ごめん……あり……がと……」
恥ずかしい。背中に変な汗をかいてきた。声が震えて動揺してるのが丸わかりだ。
壁にぶつからないように助けてくれただけなのに過剰反応なんてされたら、ナオだってさぞかし迷惑がることだろう。
落ち着け……落ち着け……相手は犬、犬、子犬、ゴールデンレトリバーの子犬。
すると不意にナオが目を伏せる。
瞳にかかった睫が影を成し、より一層長く見えて美しい。
そしてナオの手が、私の左手にそっと触れる。
キュッと握って持ち上げられた私の手は、ナオの視線に捕えられていた。
「ナツミは、ここにリングをしていないよね」
そう言ってナオは私の左手薬指を示す。
「あ……あぁ、うん。独身だし、仕事柄、あまりつける習慣はないかなぁ」
動揺を隠したいのに、ウロウロと彷徨う視線。赤い顔。全然隠せていない気がする。
私は何をこんなに動揺しているのだろう。
そうよ、さっさと手を放してもらわなくちゃ、と口を開きかけたところで、掴まれたままだった手がさらにキュッと握られる。
そしてナオの長い指が、私の指を捕えるように絡む。
「ねぇナツミ、恋人はいるの?」
「えっ?」
「恋人。付き合ってる人」
「恋……人……」
その言葉を皮切りに、頭の中が想い人と過ごした日々で隙間なく埋め尽くされた。
光に照らされるような幸せな時間は、ほんの一時。
でもその一時の幸せが、中毒性をもって私を虜にした。
幸せな一瞬が頭から離れなくて、霞んで見えない中で必死に手繰り寄せようと踠いてばかりだった。
彼のそばにいたくて、誰よりも近くにいられるようになりたくて、追い求めて、踠いて、踠いて、踠いて……
それなのにもう、そんな幸せは二度と私の元には戻らない。
もう叶わない――
「嫌……ッ……」
自分の手をグイッと引き戻して、ナオの手から逃れる。
これ以上思い知りたくない。
空っぽになった自分を見るのが怖い。
熱をもっていた顔も、動揺していた心も、一気に冷えるのを感じた。
「ナツミ?」
「……いらない。私、恋人なんていらないの」
笑わなくちゃ。
必死に砂を固めて作ったかのような私の心は、ともすればあっという間に脆く崩れ去ってしまう。
だからそれよりも早く笑顔を作った。
「ねぇナオ、私、喉が渇いたわ。カフェに行きましょう?」
そう伝えても、ナオは何も言わずに私をじっと見つめる。
ナオの憂うような顔を、私は見て見ぬ振りをして歩き出した。
ハンカチのお礼をしたいと言うナオが、カフェでフルーツタルトとブラックコーヒーをごちそうしてくれる。
苦いブラックコーヒーはこういう気分の時に最適だ。
苦さに耐えることでいっぱいになって、ほかのことを考えずに済む。
「ナツミに新しいハンカチを贈りたいのにな」
「たくさん持ってるから必要ないって言ったでしょ?」
「じゃあ、もっとケーキ食べる?」
「そんなに食べられないわ」
「えー……ナツミは全然お礼をさせてくれないね」
「タルトとコーヒーをいただいてるわ。それで充分」
「これだけだと足りないよ」
「いいの」
ナオの口調はゆったりとしていて心地いい。
優しくてふわふわした雰囲気だから、一緒に過ごすうちに自然と癒やされていく。
とげとげしい私の言葉にも、ふわりと包んだ返事をしてくれる。
勝手に苦しみをぶつけて勝手に甘えさせてもらっている私は、どこまでも愚かで身勝手だ。
「ナツミ、そろそろ行こうか」
「そうね。……ねぇナオ……ごめんね」
勝手に罪悪感を抱いて、自分の気持ちを軽くするために謝罪する。
本当に身勝手だ。
「ん? ぜーんぜん。いいよ」
そう言って、ナオは私に優しい笑みを向ける。
ナオはどこまでわかっていて返事をしているのだろうか。
それでもナオの優しさと笑顔に救われたことは確かだ。




