02-01.
「ヨーシヨシヨシ、いい子」
フワフワとしたゴールドの毛並みのゴールデンレトリバー。
触り心地が良くて、幼い私はくしゃくしゃになるまで撫で回す。
体が大きいから、私がギュッと抱きついてもビクともしない。
その体温はホッとする温かさだ。
シュッと伸びた鼻が美しくて、イケメンならぬイケ犬。
そのかっこいいご尊顔を、今日も存分に楽しもう。
そう思って顔を見ると、私の目に映ったのは……妙に伸びた鼻に、真っ白な毛並み、金のたてがみ。
「嘘!? 馬!?」
ハッと目を覚ますと、チュンチュン、とスズメの鳴き声。
カーテンの向こうに見える外が明るい。
夢だった……。
幼い頃に飼っていた愛犬が馬面になった夢を見るなんて……。
驚いたけど、思い返せば笑える夢だ。
そしてどう考えても白馬君のせいだ。
私はベッドから起き上がってクイッと左肩を回す。
触ると相変わらず痛みはあるけれど、仕事にも差し障りなさそうだ。
そして同時に夕方からの予定も決定。病院ではなくジャズバーへ行く。
暇な時間はなるべく作りたくないから、一日の予定が半分ほど埋まってホッとする。
ただ、昨日からの自分を思い出すと思わずフッと笑みが零れる。
(私、何やってるんだろう)
大して知りもしない面々と2日連続で行動を共にする。
随分思い切ったことをしているなと思う。
ずっと仕事ばかりしていたから、あんなふうに出会って、行き当たりばったりで過ごす経験は初めてだ。
でもそうやって流されるように過ごす一日が、今の自分に合っているのだと思う。
ジャズという未知の領域に触れ、行ったことのない場所で刺激的に過ごしたおかげで、昨日はあまり暗く考え込まずに済んだ。
眠れたこともあってか、昨朝よりは少し気持ちが軽い。
それでも一度想い人のことを考え始めれば、あっという間に崖下まで急落下しそうな感覚がある。
だから今は考えずに過ごせる環境が、身を守る術なのだと思える。
(そうよ……考えないようにしていれば、そのうち忘れるわ。あんな私を見てくれない男なんて、もうどうでも……)
私は目を閉じて、胸に当てた手をグッと握りしめる。
痛みも苦しみも、箱の中に封じ込めて見ないようにする。
そうすればいずれ消えていくはず……。
目を開くと、身支度を整えて外に出た。
夕方までは何をして過ごそうか。何か予定で埋めたいところだ。少しくらいジャズのことでも学んでみようか。
そう考えながらカフェで朝食をとっていると、スマホにメッセージが届く。
白馬君こと “ナオ” からだ。
“調子はどう?”
調子、か……。
私はクスッと笑ってメッセージを返す。
“気味悪い白馬が夢に出てきたせいで、あまり眠れなかったわ”
そう送ってすぐに、電話がかかってきた。
思いのほかレスポンスが早くてびっくり。
電話に出ると、スマホに繋いだイヤホンからは白馬君の慌てふためいた様子の声が届いた。
『ナツミごめん、俺のせいだよね? 体の調子悪い? 病院行く? どこにいるか教えて! 家どこ?』
ジョークが過ぎたみたいだ。
思いのほかパニックになっている様子に、申し訳なさと笑いたい気持ちの両方が湧く。
「冗談よ。いつもより眠れたわ」
『……えっ?』
「そんなに慌てなくてもいいじゃない」
するとイヤホンからは、白馬君がハァァッと安堵の息を漏らすのが聞こえる。
『慌てるよ……。あー、もう、なんだ……びっくりした。よかった~』
そもそもちょっと眠れなかったくらいでそんなに気にすることないのに。
結構心配性な人らしい。
「ごめんって。すぐに『冗談よ』って送ろうとしたら、その前に電話が来てびっくりしたの」
『そっか。本当に大丈夫なの? 肩は痛くない?』
「うーん、触るとちょっと痛いけど、問題ない程度」
『それって痛いってことだよね!? よし、病院行こう』
なるほど、過度な心配性らしい。
「平気だってば。それに今日は日曜でしょ? 救急外来くらいしか開いてないもの。こんな軽い症状で行ったら大迷惑よ」
『そうなの? でも我慢はダメだよ? 病院が無理ならマサヤのところに連れて行くから』
「ありがとう。本当に大丈夫よ」
再びイヤホンから白馬君がハァァッと息を吐き出すのが聞こえた。
びっくりさせたのは申し訳ないと思いつつ、事故的にぶつかっただけの私をそんなに心配してくれるなんて思ってもみなかった。
白馬君は、とても優しい人らしい。
「昨日は倒れないように支えてくれてありがとう。おかげでほかのところをぶつけずに済んだわ」
『……壁にぶつかる前ならもっと良かったんだけどね。俺、ダサい』
「そんなことはないわ。凄く感謝してるし助かった。ありがとう」
そう伝えると、白馬君がフフッと小さく息を漏らす音が聞こえた。
喜んでる……かな?
きっと昨日見たような、ふわっとした柔らかな顔でかわいらしく笑っているのだろう。
見てるだけで癒やされそうだ。
『ナツミは……何だろう。カチャカチャ聞こえる。お皿とカトラリーかな? それと人の声。今、何してるの?』
イヤホンから聞こえる白馬君の声は澄んでいて、ゆったりとした口調は不思議な心地よさがある。
「カフェで朝食の最中なの」
『あぁ、そういう感じの音だね。何食べてるの?』
「今朝は、スモークサーモンとアボカドのクロワッサンサンド、それと枝豆のポタージュと……コーヒー」
『んー、いいね。俺も何か食べたくなってきた。俺、まだコーヒーしか飲んでない。腹ぺこだよ』
腹ぺこ。
姿の見えない電話で白馬君と話していると、まるで小学校高学年くらいの男の子と話しているかのようだ。
「そう。たくさん食べてね」
『うん。ねぇナツミは、コーヒーどうやって飲むの? 苦いの? 甘いの?』
ドキッ!
「そ、それは……ブラックよ。苦いやつ」
動揺しながらコーヒーカップを見つめる。
透明な黒ではなく、ベージュ色の飲み物が目に映る。
いつもの癖で嘘を言ってしまった……。
実際飲んでいるのは、ミルクを大増量して、たっぷりと蜂蜜を足したもの。
もはやミルクと蜂蜜が主役のコーヒー風味飲料だ。
ブラックコーヒーは想い人が好きな飲み物。
彼の隣に並びたい私は、同じものを好きでいたかった。
でも――
(結局全然好きにはなれなかったな……)
でももう、そんな涙ぐましい努力も必要ないわけで……。
あぁそっか、必要ないんだ……。
心に暗い影が差し込んだところでハッとする。
話を変えよう。
「そっちは……何してるの?」
すると数秒沈黙した後で、イヤホンから白馬君の声が聞こえた。
『ナオ』
「うん?」
『そっち、じゃなくて、名前で呼んで?』
「えっ……うん。じゃあ、ナオ君」
『君は要らないよ』
大して仲も良くない人を呼び捨てで呼ぶのはちょっと抵抗があるのだけれど……。
でも、そもそも『ナオ』って名前なのだろうか。
高校生の時、『直野』という名字の人が『ナオ』と呼ばれていたことを思い出す。
そしてそう考えれば、大して深い付き合いをするわけでも無し、別に本人の望むようにに呼べばいいかと思えてきた。
「えっと、じゃあ……ナオ……は、何してるの?」
そう呼ぶと、フッと小さく笑う声が聞こえて答えてくれる。
『考え事をしていたんだ』
「考え事?」
『うん。いろいろ思い出して……大切な人のことを考えてた』
大切な人。
好きな人のことかな、なんて勝手に想像する。
私のことを詮索されたくないから、ナオのことも深く詮索するつもりはない。
どうせ今日までの短い付き合いだから。




