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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある脇役貴族の世界の呪い方

作者: 柳瀬あさと

 多分、この世界はラノベ『発明令嬢は公爵閣下に溺愛される?!』の世界だ。

 だって特徴的な世界観だし、名前だし、外見だし。

 そして私、モデナ侯爵家のルクレツィアは、作中で敵役、いわゆる悪役令嬢だった……。


 え~~~~~~?? これって異世界転生ってやつだよね~~~~~~???? やだ~~~~~~~~~!!!!!!


 前世の事はぼんやり覚えている。だが『発明令嬢は公爵閣下に溺愛される?!』は完全にばっちり覚えている。何故か? 友達が主催のアンソロジーに寄稿で二次創作書き上げたからだよ公爵閣下×王太子殿下でッ!! うあ思い出した酷い風邪ひきながら書き上げたんだった、くっそ、さてはアレただの風邪じゃなかったな?! インフルか?! コロナか?! 肺炎起こしてたか?! 最後の記憶が「あ゛~……ひっさびさにBL書いたぁ……喉と胸痛ぇ……」ってもうちょっと、もうちょっとこう、ねぇ……ッ?!

 ていうか何故よりにもよって?! 異世界恋愛ものでもあるじゃん、私の好みってのがさぁ! 友人が好きな作品って! ねぇ?! どうせなら私の好きなラノベ世界に入り込みたかったなぁ!! 例えば『悪役令嬢の外の人』とかさぁ! 『自称悪役王子な婚約者の観察日記。』とかさぁ!


「お嬢様? どうかされましたか?」

「いいえ、大丈夫よ。少し疲れているのかしら」


 いくら前世で愛飲してた紅茶と同じ味だったからって、紅茶を飲んで記憶を取り戻すってレア過ぎでは? なんて物語性の無い展開。とりあえずこの茶葉は買い続けるように言いましょう。


「ねぇ、今日は特に予定はなかった筈よね?」

「はい。強いて申し上げますと明日赴かれます茶会の支度程度かと」

「茶会、うん、そうね、うん……それならば準備は出来ているから、今日は読み損ねていた本でも読もうかしら。うん、そうしましょう。部屋へ戻るわ」

「はい」


 そんなこんなで食堂から自室に戻れば、即座に紙と羽根ペンに飛びついた。

 書き留めろ! 覚えている限りのすべてを!!


 簡単に言ってしまえば、ドアマットヒロインからの溺愛コースなよくある話に、オーパーツとスチームパンク要素がぶち込まれて個性が出てた。


 魔法の世界が良かったよ~~~!! スチパンも好きだけどやっぱ魔法だよ~~~!! オーパーツ周辺の話はほとんど魔法みたいなもんだったけど~~~!! 最後の方なんてタイムマシン的なのまで出てきてたし~~~!! ええそうです、二次創作的にはご都合主義アイテムがボロボロあったのでとても捗りました、ありがとう。


 で、登場人物も結構正義と悪がはっきりしてたんだよねぇ。

 そして私はパキッと悪の御令嬢……ヒロインは今頃幼少期編で家の中で義母と義妹にいじめられてるのかな……そこを脱出して学園編になったら私がいじめます……。

 だってこちとら子供の頃から天才的発明家扱いされてて、学園にもどえらい発明品を掲げて首席入学目指したら、ほぼほぼ平民の主人公がもっとどえらい発明品を引っ提げて首席入学ですもん……貴族令嬢としてプライドズタズタだし周りの人たちも手のひらクルーしてきたし……そりゃ目の敵にしますわ……。


 しかしその後に待っているのはあれやこれやで最終的に空中バイクから主人公を落とそうとして失敗して主人公と一緒に落下、主人公はヒーローに間一髪助けられ、私は冷たい目で見捨てられてジ・エンドである。嫌だ若い身空で死にとうない。


 では主人公と仲良くするか? ……無理~~~~~!! 前世を思い出しても私は私~~~!! ほぼほぼ平民で自分より才能ありの主人公と仲良くとかプライド的に無いわ~~~~~!!

 しかし死にたくはないし、周りの連中が手のひらクルーするのも許せん。となれば、今のうちに確固たる地位を築いて関わらないのが一番。

 それって可能なのか? ……無理~~~、じゃ、ないか、も???


 あれ、待って、話的に主人公が腹黒スパダリヒーローと出会うのも仲深めるのも私関係ないよね? 恋愛の障害は義母と義妹と婚約者だった。私は地位確立の障害だった、と、いうことは……。


 私、いなくても、問題ないな?


 家的にどうだ?! 現状問題の無い侯爵家で優秀な兄上いる! かわいい妹居る! よし!!

 国的にどうだ?! 私が発明する予定のものは別に侯爵家経由だろうと学園経由だろうとはたまた商会経由だろうと問題なく広がる! よし!!

 よし! よし!! 私いなくても現実的にも話的にも問題なし!! となればどこへ行くのが一番だ?!

 出来れば貴族のまま、研究も出来て何なら手のひらクルーしない信頼できる人達にちやほやされて、学園に通う必要のないほどの功績を立てやすい場所と発明ジャンルは?!






「さっさと俺と結婚すればいいだけなのでは?」

「そうじゃないのよ! 嫌なのよ! 社交界であのムカつく女が注目の的になってるのを見るなんて御免だわ!」

「……会った事もない御令嬢への敵愾心がすごい」


 定期的に行われる婚約者とのお茶会。そこで婚約者相手に私はいつも色々ぶちまけていた。


「じゃあ何よ、平民が自分より上の立場になったにもかかわらず卑下するわ褒めてくるわの状況を受け入れられるの?! 公爵閣下に溺愛されて少し見ただけで睨まれるわ牽制されるわの未来が欲しいの?!」

「不快でしかないな」

「でしょう?! でもあの女の発明は確かに国に必要なのよ、社交性なしの公爵家にも必要な嫁なのよ、けど私はそんな女と笑顔で仲良くなんて無理なの!!」

「お前の言い分を信用するならまぁそうだが……腹芸は貴族の嗜みだが……別に交流なんて持たなくてもいい。俺が表に出るから、お前は引き籠っていればいいだろう」

「駄目なのよ、あの女、発明家の皆さんとお話とかしたいです、とか言うのよ、公爵閣下に、筆頭公爵家の傲岸不遜の王家のお気に入りのクソ男に」

「公爵閣下への敵愾心もすごい」

「あの女の希望なら何でも叶えるのよ、強制的にあの女と話をする場を作られるわ、最悪よ、そこで私はずっとあの女に『さすがです』『知りませんでしたわ』『素晴らしい着眼点で』『センスもおありなのね』『尊敬いたしますわ』って言わなきゃいけないのよ、冗談じゃないわ!!」


 婚約者のセルギウスには私の記憶の事を伝えてある。伝えてあるが、半信半疑だ。

 この世界において前世というものは、まぁもしかしたらあるかもね、という位の感覚なのだ。私の発明は前世の記憶をもとにしているので、そういう点では信頼されているのだが、この世界がお話の世界だったという事は信じてもらえなかった。


 なんせ、現状と未来の齟齬がすごい。


 現在少年公爵として有名な彼は、大人顔負けの優秀さで四角四面なルール至上主義で誰に対しても冷淡で王太子殿下にも辛辣。そんな彼がほぼ平民の少女にべた惚れで蕩ける様な笑顔を向けて権力を使って暴挙に出るのだ。信じてもらえない。

 現在国は王室を掲げる王太子派と貴族主体を目指す王族公爵派と自領主義な中立派に分かれている。それが王太子の婚約者に王族公爵家の御令嬢がおさまったり王太子と公爵が説得してまわったりで王太子派で一致団結して強い国になるのだ。信じてもらえない。


「別に言わなくてもいいだろう、というか……安心しろ、俺がお前をそんな場へは出さない」


 だから、この発言は意外だった。

 もっと『諦めろ』とか『頑張れ』とか、とにかく私に発破をかける返しをされるとばかり思っていたのだ。


「ちょっとぉ、公爵閣下みたいなこと言わないでよ……とにかく、あの女を不快にした時点で公爵閣下につぶされるわ」

「そこまでお変わりになるのなら、やはり、関わらないの一択だな」

「だからぁ!」

「聞け。お前の言う通りの未来になるのなら、そんな無法を押し通すというのなら、それが事前にわかっているのなら、俺達はそんな場所から逃げるべきだ。付き合う必要なんてない。避けて避けて、逃げまくればいい」

「無理でしょ」

「無理じゃない。そうだな、まずは物理的に不可能な場所を作ろう。呼ばれても時間がかかり過ぎて難しいと断れるような。もしくは他領の人間と話せない規則を有する組織に所属するとか……ちょっと待ってろ、場所を探す。出来るだけ辺境となるとやはりうちの領地だな、そこに研究所、かな。そもそも研究は別名義でしろ。お前との繋がりや痕跡を残すな。研究者としては一目を置かれてもその正体は誰も知らない、といった形にしよう。とにかくお前は貴族として貴ばれて、かつ、好きに研究が出来て認められもして、だが表舞台には出ないで済む。そんな環境がいいんだろう? 待ってろ、何としてでも作り出す。何だったら最終的には国から独立したって構わない」


 真面目な顔でまずはどれから手をつけるべきか、と真剣に考えている。本当に意外だった。


「……信じてくれるの?」

「当たり前だ。仮にそんな未来が来なかったとしても、そういう好きに出来る安全地帯があるのはいい事だ」

「確かに」

「だろう? 作るぞ、ここではない別の世界を」

「…………ねぇ、もしかして貴方、私の事結構好き?」

「そりゃまぁ」


 当たり前のように肯定されて手を握られる。その笑顔は本当に嬉しそうな笑顔で、さらには赤くなった顔を隠すように俯いて。

 マジかよ、知らなかった。

 つられるように私も顔が熱くなって、頭が茹りそうで、そんな状態だからセルギウスが小さく何か言っていたけど良く聞こえなかった。






 その後のセルギウスは有言実行だった。

 おかげで私の人生は順調だった。

 家族とセルギウスの協力で完全に身元を隠しても発明は認められ普及し、セルギウスに空中バイクを贈ってほくほくされた。


 友人関係は正直ほとんど形成しなかった。誰がどんな人間か調べるのが面倒くさくなったのだ。研究仲間はいるけれど、あくまで『さる有名発明家の助手』という立場で交流していたから、対等というよりは話の分かる優秀な弟子、みたいに可愛がられていた。ほんのりと不服ぅ。でも仕方なしぃ。

 家庭教師にもついてもらって学園入学前にすべての学問を修め、花嫁修業だからという名目で早々にセルギウスの領地である辺境へ移動し、中央の高位貴族とも学園とも一切関わらずに済む生活を手に入れた。

 予想通り公爵閣下から交流会のお誘いがあったが、それはすべて私とセルギウスが作り上げた実在しない『さる有名発明家』宛だったので、セルギウスは代理人としてそちらへの対応に大変だったみたいだけど、私個人は関わらずに済んだ。


 唯一罪悪感を覚えたのが、私の代わりと言わんばかりに、主人公の義母と義妹と元婚約者が主人公を害したり発明を盗んだりとかしちゃったらしい。それを解決したのが公爵閣下と王太子と王族公爵の御令嬢らしく、結局物語と同じように国は一つに強くまとまっていった。まぁ主人公の家はお話の上でも没落だったし……現実では処刑になっちゃったけど……でも悪い事しなければよかった話なので……うん、でもまぁごめんなさい。


 物語と違うのは私が完全に表舞台から消えた事。そしてセルギウスが設立した国からも独立した技術研究発明機関が作られた事…まぁ、今はまだ完全独立ではなく色々しがらみはあるようだし、技術発明の為なら色々許されてほぼ干渉されない特区みたいなものだけど。それ位だ。

 それ位だけど、それこそを私は求めていた。


「色々と、杞憂に終わったわねぇ」

「どうだ、逃げ切ってやったぞ」

「お見事です」


 生まれたばかりの娘を胸に抱いて私は夫となったセルギウスと微笑みあう。

 結婚も、子供も、物語の中では得られなかったもので。今の私には何よりも大切なもので。

 ああ、この子の為にも沢山の役立つ発明をしよう。幸せになる様に。

 私の人生は、今までもこれからも順調だ。











  □  □  □











「さっさと俺と結婚すればいいだけなのでは?」

「そうじゃないのよ! 嫌なのよ! 社交界であのムカつく女が注目の的になってるのを見るなんて御免だわ!」

「会った事もない御令嬢への敵愾心がすごい」

「じゃあ何よ、平民が自分より上の立場になったにもかかわらず卑下するわ褒めてくるわの状況を受け入れられるの?! 公爵閣下に溺愛されて少し見ただけで睨まれるわ牽制されるわの未来が欲しいの?!」

「不快でしかないな」

「でしょう?! でもあの女の発明は確かに国に必要なのよ、社交性なしの公爵家にも必要な嫁なのよ、けど私はそんな女と笑顔で仲良くなんて無理なの!!」


 婚約者のルクレツィアには前世の記憶がある。記憶がある、という事は信じているが、その内容に関しては半信半疑だ。


 前世というものは、まぁもしかしたらあるかもな、という位の感覚なのだ。加えて、彼女の発明が前世の記憶をもとにしている、という事から、ここより発達した世界の記憶がある事自体は信じられる。が、この世界がお話の世界だったという事は信じられなかった。


 なんせ、現状と彼女が語る未来の齟齬がすごい。


 現在少年公爵として有名な彼、ダニエル・カルローネ公爵は、大人顔負けの優秀さで四角四面なルール至上主義で誰に対しても冷淡で王太子殿下にも辛辣。そんな彼がほぼ平民の少女にべた惚れで蕩ける様な笑顔を向けて権力を使って暴挙に出るらしい。信じられない。

 現在国は王室を掲げる王太子派と貴族主体を目指す王族公爵派と自領主義な中立派に分かれている。それが王太子の婚約者に王族公爵家の御令嬢がおさまったり王太子と公爵が説得してまわったりで王太子派で一致団結して強い国になるらしい。信じられない。

 何より、彼女が物語の主人公とやらを目の敵にして最終的に公爵に見殺しにされる、というのが、とてもとても信じられない。


「お前の言い分を信用するならまぁそうだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「駄目なのよ、あの女、発明家の皆さんとお話とかしたいです、とか言うのよ、公爵閣下に、筆頭公爵家の傲岸不遜の王家のお気に入りのクソ男に」

「公爵閣下への敵愾心もすごい」

「あの女の希望なら何でも叶えるのよ、強制的にあの女と話をする場を作られるわ、最悪よ、そこで私はずっとあの女に『さすがです』『知りませんでしたわ』『素晴らしい着眼点で』『センスもおありなのね』『尊敬いたしますわ』って言わなきゃいけないのよ、冗談じゃないわ!!」

「別に言わなくてもいいだろう」

「あの女を不快にした時点で公爵閣下につぶされるわ」

「そこまでお変わりになるのか。とてもではないが信じられないな」

「まぁそうでしょうね!」


 何度も何度も同じ話を言い聞かされているから、大分飽きて疲れたような溜息をついてしまうのは許してもらいたい。


「で、お前の希望は何なんだ?」

「貴族の地位を維持したままガッツリ研究してあの女にも公爵閣下にも関わらず名声を得たい。発明家としての地位を確立して学園に通わないようにしておきたい。そして友人関係も綺麗にしておきたい」

「色々と無茶を言う」


 正直な感想を言えば彼女は頭を抱えた。自覚しているらしい。

 半信半疑どころかかなり信じられない話ではあるが、彼女が真剣に考えているので助け舟を出す。


「まぁ、貴族の地位は問題ないだろう。発明家としての地位は、そうだな、お前の発明はさっさと発表した方が世の為だ。家経由かどこかの商会経由かそれ以外か、そこを決めれば俺も協力は出来る」

「私の婚約者が有能!」

「友人関係は頑張れ。ただ、中立派閥ばかりじゃなくてこっちの派閥とも絡め」

「私の婚約者が打算的!」

「学園は……これは微妙だな。発明家としての地位を確立すれば学生じゃなく指導側で呼ばれるかもしれない」

「うぐぅ、そんな罠が……!」

「だが、断れるだろう。学生と年齢が近すぎる、研究に没頭したい、他の学問は門外漢、ここら辺で押し切れるだろう」

「学園に行かなければあの女とも関わらないですむわ! そしたらあとは公爵閣下……!」

「それは諦めろ」

「私の婚約者が無情!」

「貴族の地位を維持したいんだろう? それなら公爵家と事を荒立てるな。ただでさえ俺達の婚約は派閥間調整の為のものなんだから」

「でもその結果あの女と絡むことになるのぉ! 嫌ぁ!!」


 なんだかすごく気の置けない仲になってはいるが、元々ルクレツィアとの婚約は完全なる政略である。

 噂の公爵閣下がトップに立っている王太子派閥である我が家と、中立派閥のルクレツィアのモデナ家。父に婚約の話を聞いた時はもっと素っ気ない関係になると思っていたので、今のこの状況はまぁ幸いな方なのだろう。


「うーん、呼ばれたらいい返事をして、それで急病かな」

「やっぱりそれかぁ」

「そこから暫く休養か難病発覚でのらりくらりと逃げる位しか今は思いつかない。得意だろう、のらりくらりは」

「得意なのはお父様たちよ。でもまぁそれを目指すとして、まずはとっとと発明家の地位を確立しますか」

「頑張れ。そして早く俺に空中バイクを贈ってくれ」

「私の婚約者がやっぱり打算的ぃ!」


 傍から見て、ルクレツィアの人生は順調だった。

 家族や俺が協力した結果、彼女の発明は認められ普及し、ついでに俺も空中バイクを貰ってほくほくだ。

 友人関係は知っている限りほとんど形成されなかったと思う。とはいえそれは令嬢としての友人で、研究仲間はいるから別に問題ないと思う。幸い王太子派閥の研究者もいたから、俺の顔も立ててくれた。

 家庭教師にもついてもらって学園入学前にすべての学問を修めていた。


「是非、指導研究側として学園へ!」

「いやぁ、同年代が学んでいる傍らで研究は何となく気まずいのでぇ、やっぱり集中したいですしぃ」


 俺の読みは当たって学園へは指導研究員として誘われて、予定通り断っていた。

 ただ、講演と研究発表を一回だけやってほしいと言われたので、まぁそれくらいなら、と引き受けていた。


 ルクレツィアの人生は順調だった。


 たった一回の学園訪問で、すべてが覆るまでは。






  ※ ※






 公爵閣下があの女を抱えたまま私を冷たい目で見降ろしている。

 ああ、これ、あのシーンだわ。

 私があの女を空中から落とそうとして、結局公爵閣下が女を助けて、私は見捨てられて……。


 でも変えた。私頑張った。

 あの女を空中から落とそうとなんてしてなくて、現実に起こったのは完全なる事故。私が作った空中バイクが暴走して、ていうかあの女が運転ミスして振り落とされたけど、私が身を挺して落下位置を安全な場所へ移動させたし、そもそもバイクの浮遊設定を地面近くにしてたから死ぬことは無い。身を挺した結果私も落ちて頭打って怪我してるけど、でも治療してもらって、後でもう一回あの女を気遣うふりをすれば、きっと大丈夫……。


「下らない嫉妬でよくも……」


 嫉妬? 何の話?


「私の婚約者に手を出したのだ、覚悟はあるのだろう」


 手を出した? どういう事? だって私、落ちそうになった彼女を庇って……。


「連れていけ!」


 公爵閣下の鋭い声に、武装した人達が近寄ってきて無理矢理私を立たせた。


「いッ……ぐ……!」

「不愉快だ、口を塞がせろ」


 痛みに漏れた声に対して、公爵閣下は冷たく言った。そして乱暴に何かの布を口に詰め込まれた。

 何? 何で? だって私、一応あの女を助けて……痛い、やばい、頭がぼんやりする。怪我が。

 何が起きているの? 何で私が悪い人みたいに扱われてるの? おかしいでしょ?

 だって私、悪い事なんてやってない。あの女にだって関わってこなかった。今だってあの女を助けたのに。何で。どうして。


 どうして。


 全てが覆った。

 私は治療なんてされずに牢に放り込まれた。頭の血がようやく止まった時、公爵閣下がやってきた。


「お前は彼女の発明を盗んだ」

「…………は?」

「あれも、これも、特に今日の空中バイクも、すべて彼女のメモ書きで見たことがある。もう何年も前に」

「……え? でも、私も、子供の時から、考えて……」

「いいや、違う。お前が盗んだんだ」


 口の端を歪めるだけの笑み。それを見て、わかった。

 私は終わったのだと。






 何がいけなかったんだろう。

 講演と研究発表の数日前、婚約者と喧嘩してしまった。

 原因は些細な事で正直いつもの良くある軽口だったけど、人前でしてしまって、更には大げさに仲裁をしてくれたのが王族公爵家のサミュエル様で、婚約者にとっては敵対陣営のトップの息子だから、何だか余計に気まずくなって。

 そんな事がいけなかったのかな。

 だけど絶対に私は何もやっていない。犯罪行為なんてやっていない。

 それでももう、真実がどうかなんて話ではない。

 私が悪い事をした。私が彼女を傷つけた。そういう事実を作り上げたいのだ。


「……わた、私、が、やりまし、た……」


 声は枯れていた。

 爪を剥がれる度に泣き叫んでいたせいだろう。水も貰えないし。

 どうすれば楽に死ねるんだろう。

 頭の怪我のせいなのか、栄養が足りないせいなのか、精神的なもののせいなのか、もうあまり何も見えない。

 少し前に両親の声が聞こえた気がしたけれど、自供以外を口にする事が許されていないので、呼ぶ事すらできなかった。


「私、私が……私……」


 謝罪も口にしてはいけない。お前は反省などしていないよな、と頭を押さえつけられるから、私は悪い事をして反省もしない犯罪者としてしか存在できない。


「お前の処刑が決まった」


 公爵閣下の声が響く。


「もう決定は覆らないし、流石に哀れだから正直に言おう。実はお前でなくともよかった」


 公爵閣下の声が響く、が。もう私の耳なのか脳なのかはあまり機能していなくて、何か喋っているという事しかわからなかった。


「発明のアイデアが被る事なんてある。中立派閥の中でも目立つ人間は他にもいる。特にお前はセルギウスと婚約していたから最初は対象外だった」


 何を喋っているんだろう。罵っているんだろうか。そこまでなのか。何もしていないのに、何もかもの罪を着せるほどに憎まれていたのか。


「だが、サミュエルが、お前を欲しがった」


 それともこれが物語の強制力って奴だろうか。


「だからお前が選ばれた。中立派と公爵派を潰すのに目立つ生贄に。どちらも黙らざるを得ない状況にするために悪人に仕立てた。……哀れだな、セルギウスとも上手くいっているようだったのに、あんな男に好かれたばっかりに……まぁ、彼女のライバルを消しておきたい気持ちも否定できないが」


 こんな事ならやっぱり貴族の立場も発明の機会も何もかも捨てればよかった。

 家出して、発明なんて知らないって顔して、神様に祈るのはなんか嫌だから、農民とか商人とか、そういうのを目指せばよかった。そんな中で労働が楽になる発明を細々と……ああ、駄目だ、やっぱり私は発明が好きだ。それともこれも物語の強制力何だろうか。ルクレツィアは発明から逃げられない、という。わからない。わからないし、もう、どうだっていい。


「……感謝する。お前とお前の家の命を使い、膿を出し切って邪魔を消して従わせて、そしてこの国は強くなる」


 どうだっていい。もういい。疲れた。苦しい。辛い。助けてほしい。はやく、ころしてほしい。


「私と殿下は違えず覚えていよう。お前を、お前達を、国の礎となった尊い犠牲だと」




 ――あ。セルギウスと、仲直り出来なかっ






  ※ ※






 そうしてお前は殺された。

 俺は何も出来なかった。


『どうして、私、どうして……』


 豊かな黒髪は真っ白に、落下事故で出来た頭と顔の怪我は治療もされずそのままに、薄紅の小さな貝殻のようだった爪はすべて剝がされ、力強く通る美しい声は悲鳴と嘔吐の結果しわがれた。

 変わり果てた娘の姿に、父親の侯爵は泣き叫び、母親の侯爵夫人は気絶してそのまま気狂いとなった。せめて侯爵夫人は休ませねばといったん領地へ帰ろうとすれば、不幸な馬車の事故が、馬車も馬も御者も傷一つつかなかったが両親だけが首を切られるという不思議で不幸な事故で二人とも落命した。

 兄のジョバンニは妹の助命と末の妹ベアトリーチェの未来の為に血の涙を流しながら王家と公爵家に謝罪と改めての忠誠を誓い、その結果、ベアトリーチェは公爵家の縁戚の年老いた男爵の後妻へと押し込められた。

 そうして空になった侯爵、いや、子爵家となった家に処刑後返された彼女はほとんど骨と皮で、そこからあれほど明るかったジョバンニは感情を凍らせて誰も信じなくなった。


『どうして……』


 処刑当日、家族に止められながらも無理に会いに行けば、彼女は虚ろな目で俺を見ずに呟いていた。はっきりと覚えている。どうやったって忘れられるはずがない。

 喧嘩をした時にあった、講演会。

 いつもだったらどこに行くにも付き添っていたのに、あの日だけは、たった一日だけは彼女の傍を離れた。それだけでこうなった。


「君は悪くない。だが君の顔も見たくない」


 両親と妹の葬儀の場で、ジョバンニは俺にそう言った。ジョバンニに寄り添っていたベアトリーチェは、葬儀が終わるとだらしない体の年嵩の男に髪を掴まれて引き摺られていった。


「……あの男を処分しましょうか」


 引き摺られていったベアトリーチェの泣き顔が彼女に見えて、俺は思わず口にしていた。多分俺も大分おかしくなっていた。


「処分して、そして次はもっと酷い場所へ嫁がされるのを見ていろというのか」


 下手をしたらまた不思議な事故が起こるだろう。そう言うジョバンニに何も言えなくなって、爪が食い込むほど手を強く握り込んだ。


「……俺が、当家が迎え入れ……!」


 一つだけ思い浮かんだ案を口にしたが、最後まで言えなかった。ジョバンニに強く胸ぐらをつかまれて呼吸すらできなくなったからだ。


「聞こえなかったか。君の顔も見たくないんだ」


 全身全霊の、純粋なる拒絶。


「ルクレツィアを助けられなかった人間にベアトリーチェを託す? そこまで正気を失っちゃいない。俺も妹も、もう誰も信じていない。君も、君の家も、王家も、この国も」

「……ッ! い、いけません、誰が、聞いているか……!」

「明日、一族が集まって王宮査問会の元、当主交代が行われる」

「!!」

「どちらにしろ明日までの命だ。その後はきっと不思議な事故が起こるんだろうよ」

「そんな……そこまでやったら、流石に他の貴族達を抑えられません!」

「表向きは事故なんて起きないさ。きっと君と会った事もない、妹の事なんて見た事もない、そんな俺が領地の片隅に引き籠もるんだろう。彼は悔やんでいるそうですよって新しい当主がすべてご存じの王太子に進言して、それならば許そう、とお優しい言葉をくださって、それで手打ちだ。それで当家の醜聞は雪がれカルローネ公爵の留飲も下がる事になる」

「……そん、嘘だ……そんな、そこまで……?!」

「カルローネ公爵のお怒りはそれほどまでなんだとさ」


 吐き捨てるように言って、そしてジョバンニは壊れた笑みを浮かべ、体全体を揺する様に嗤い始めた。


「――ッは! アッハハッハッ! ……ッ何が恋だ、何が愛だ!! くだらない!! そんなものの為に我が家は潰されるというのか!! そんなものの為に、両親は、妹は……ッ!」


 泣き嗤いで叫んでいるジョバンニに、馬鹿にしたような笑みを張り付けた男たちが近づいてきて「おやおや、子爵殿はお疲れのようだ」「休まれてはどうかな」と何処かへ連れて行こうとする。


「待……ッ」


 止める手は届かない。色々な人間に遮られ、そもそも本人に拒絶され、俺の手は彼女だけでなく彼女の家族も救えない。


「――呪いあれ、王国よ。この命尽きるまで、いや、尽きようとも、すべての怨敵に呪いあれ」


 ジョバンニの姿を見たのは、それが最後だった。






「お前はもう忘れろ」

「……は?」


 葬儀の帰り道、馬車の中で父が俺を見ないままぽつりと言った。


「もうどうしようもない。実際のところは恋でも愛でもない。いや、多少はそれもあったのだろうが。モデナ家は見せしめとして選ばれて事はすべて終わった。我々にできるのは忘れずに教訓とするか、忘れて平穏をとるかだ」

「忘れる、なんて……!」

「……忘れろ。お前が生きていくなら、モデナ家はあまりにも重く大きすぎる」

「忘れるなんて! 出来ない!!」

「ならば一生向き合うがいい!!」


 俺の叫びを消すように、父もまた叫んだ。


「何故お前たちの婚約が結ばれたかわかっていたのか? こういう事態を防ぐためだ! 陛下は貴族の統制を図って若き頃より準備していた、そして王太子殿下は優秀で苛烈、お前たち次代は間違いなくまとめ上げられる、どのような過程であろうともな。それがわかっていたからこその派閥の調整だ、その過程が血に塗れない様にという保身と配慮だ、それなのに……!」


 ぎしり、と歯噛みした父が、ようやく俺の顔を見る。その顔は怒りと悲しみと諦めが混ざって歪んでいた。


「何故あの状況で彼女の傍から離れた?! お前の行動が最後の一押しだ! そうだとも、見せしめは他の家でもよかった! だがモデナ家が、ルクレツィアが選ばれた! 中立派閥の中では目立っていた事もあるだろう、カルローネ公爵に睨まれたこともあるだろう、それでも王太子派閥のお前が否と言い切れば、必ず首輪をつけると主張していれば他が選ばれた! お前だ! お前がよりにもよってサミュエル・コルデロの前で隙を見せた! コルデロの人間が言い寄る余地を与えた! 恐らくそれが最後の決め手だ! 当家では無理だと見做されたのだ! そうしてすべての条件がそろってあの家が選ばれた!」

「俺は! でも……お、俺、が……ッ」


 俺はルクレツィアの講演会の時に付き添えなかった。

 あの男、ルクレツィアとのくだらない口喧嘩の時、見張っていたかのように何処からともなく現れて仲裁をした、王族公爵派閥の頂点コルデロ公爵家、その嫡男サミュエル。

 発明家としてのし上がった侯爵令嬢のルクレツィアは、カルローネ公爵の最愛と並んで時の人だった。近づきたい人間は腐るほどいたからこそ、出かける時はいつだって付き添っていたのに。

 モデナ家へ向かう馬車が脱輪した。御者が震えながら「坊ちゃま、すみません……ッ」と俯いたまま言った。


『おや、大変だ。お前達、助けてあげなさい』


 近づいてきた豪奢な馬車から顔を出したサミュエルは、嗤い交じりの声でそう言った。護衛らしき男たちが下りてきて、馬車を横倒しにした。


『何を……ッ!』

『ああ、うちの者がすまないね、助けようとしたのに手が滑ったらしい。だがこれでは馬車は使えまい。大丈夫だ、我が家の馬車を使うといい』


 そう言って、豪奢な馬車のすぐ後ろについてきていたもう一台、辻馬車にも見える質素な馬車に押し込められた。


『馬車の事故など滅多にない。驚いただろう。心を休めるために街を一周するといい。私は謝罪代わりに君の用事をこなそうじゃないか』

『降ろせ!』

『何、一日だけモデナ嬢をエスコートしたいだけだよ。喧嘩の後だ、気まずくもあるだろう? 仲裁してあげたのは誰だったか忘れたのかね? 公爵家の心遣いがわからないほど馬鹿ではないだろう』


 仲裁も何も、本当にくだらないいつもの軽口だったのだ。それを深刻な顔をしてルクレツィアを庇うように、俺が悪いかのように大げさな身振り手振りで周りに広める形で俺達を黙らせただけのくせに。

 それでも多勢に無勢。さらには家の御者も裏切っていて。明らかに鍛えられた男達に押さえつけられては馬車から降りることも出来ない。

 一日だけだ。

 この一日だけ我慢して、そうしたらもう、明日にでもルクレツィアに結婚を急いだほうがいいと話し合いに行こうと、そう決めて。我慢、して。


 そして『明日』は永遠に来なくなった。


「……わかっている。お前が自ら隙を見せたのでは無いのだろう。お前が自分の意思で離れたのでは無いのだろう。わかっているんだ。だから、どうしようもない。だから、忘れろ。これよりはただただ王家に忠実な家の後継として生きろ。過ちなどと思うな。王家の意思に従ったまでと胸を張れ。それでも様々な目がお前を見るが、そうでもしなければ足元を掬われるぞ」

「……俺、が…………父上、は……?」

「……地獄へ落ちるのは、私達だけでよい」


 ああ、つまり。

 父も事前に話を聞き、承諾せざるを得なかったのだ。


 中立派閥は綺麗に王太子派閥へと変わった。ほとんどが王太子を、王家を支持する体制になった。

 見せしめの効果は凄まじく、けれど切り替えた層にきちんと向き合うという後処理もされたゆえに、それはもう表向きはとてもとても平和的に国は統一されていった。


 王太子とそれを支えるカルローネ公爵は間違いなく優秀なのだろう。対面すれば自然と頭が下がるとまで言われるのだ、従いたくなる何かがあるのだろう。

 国はこの先強く大きくなる。俺でさえそんな予感がある。それを今いるほとんどの者が喜んで受け入れている。だから色々のみ込んでもいいかと思わされる。そしてそれゆえにさらに結びつきは強固になる。


 ここに至ってようやく俺は思い知る。彼女が言っていた事はすべて本当だったのだと。


 鉄血の公爵は愛を知り少女を守るために色々と無茶を通している、と見せかけて、かねてより王家が考えていた体制を作るために大鉈を振るっている。そう、彼ですら突き詰めれば駒だ。

 優秀な王と王太子の下に派閥を超えて貴族は一つになっていく、と見せかけて、王制を腐らせていた邪魔者は、王太子派閥に変わらなかった者は処分していった。裏はともかく、結果的には一つにまとまった。


 今の国はきっと強いのだろう。不正を行っていた貴族を粛清し、足並みを揃え、改めて一つの国へと生まれ変わり、民への救済と成長も率先し、ほとんどの者が幸せを享受している。

 誰もが歓迎している。誰もが祝福している。なんて強く美しく正しい国なのか、と。

 平和の世が来たのだと。世はすべて事も無しなのだと。

 けれど、そこに至るまでに踏み台にされた者達は――……。

 貴族をまとめ上げ、民を救うために生贄とされた家は、少女は。

 その少女と一緒になる筈だった、俺は。


 ……俺一人位は、世界を呪い続けたって、いいだろう?






「貴様!!」


 ようやく見つかった超エネルギー物質、考え出した法則、作り上げた機工。全部全部、あいつの残した成果から受け継いだものだったけど。


『物語の最後の方にはね、時を遡ったり進めたりする機械も出てきたのよ。あの仕組みは知りたいわぁ』


 夢のような呟きを覚えていた。覚えて、忘れず、忘れられず、しがみつくように希望にして支えにして唯一の縁にして必死に探して探して探して調べ上げて学んで積み重ねて。

 そうしてようやく辿り着いた、この奇跡の機構。


「……ルクレツィアが見たら、多分怒る出来だろうな」


 暴風を起こしているエネルギー体をため込んだ機械の傍に立つ俺を、カルローネ公爵も兵達も強く睨みつけてくる。だが、その睨みに何の恐れも抱けず、ただルクレツィアならばきっともっと早くうまく作れただろうに、と苦笑した。それでも素人がたった七年でここまで辿り着けたのだ、認めてほしい。


「何をしようとしている?! それで復讐のつもりか?! 下らんことを!!」


 辺境に異変あり、と告げたのは誰だったのか。それとも公爵自身が何かを察したのか。もしかしたら父かもしれない。自分では止められぬと、それでも領主として捨て置けぬと判断した、父と、母が。ああ、二人には申し訳ない。けれど確かに自分は止まれなかったし止まる気もない。


「復讐? 違いますよ、閣下。復讐を企てるとしたら貴方達を呪い続けている今は亡き彼の家の者達でしょう。私はただ彼女を救いたいだけです」


 言って機械にそっと触れれば、険しい顔の公爵と兵達はつぎはぎの機械を化け物でも見るような眼で見た。あからさまに警戒しているのが面白かった。別に兵器ではないのに。凄い音と風が出てるけど。


「救う? もういない人間をどうやって? 力ずくで脅して名誉の回復が出来るとでも?!」

「名誉の回復をしたところで彼女は帰ってこないでしょう。安心してください。きっと貴方方から見ればこれはただの壮大な自殺行為だ」

「何だと……?」

「準備はしたけれど実証実験はしてませんから、まぁ、失敗すればここが酷い惨状になって私の命が消えるだけ。ああ、この場に居続けたら閣下も怪我をするかもしれませんよ、下がられては?」

「貴様……まさか……ッ!!」


 この七年の間に見つかった様々な要因と発表された様々な論文。そして俺自身が隠しもせずに行っていた実験の数々。それらを組み立てれば、わかる人にはわかる。

 この機械が何なのか。俺が何をしようとしているのか。



「時を戻します」



「不可能だ!!」


 叫んだのは公爵で、けれどその顔には怒りよりも焦りが浮かび始めている。この人はわかっているんだろう。この機械の危うさを。


「そうだ、訂正します。彼女を救いたいだけ、と言いましたが、そうでした、私も呪っています」

「やめろ! 時の流れは不可逆だ、それを戻すとなればどんな手段だろうと莫大なエネルギーを使う事になる、わかっているのか?!」

「わかっていますよ」

「十中八九成功すまい、莫大なエネルギーが暴走し爆発する可能性が高いのだぞ! 貴様の下らん感傷で国の危機を作るつもりか?!」


 今までは不可能だと考えられていたのが時間遡行だ。科学者も発明家も、必要とするであろうエネルギー量の膨大さに理論だけを組み立てるにとどめていた事を、俺はひたすらに作り続けてきた。科学者や発明家から警告や忠告だってされた事もある。だけど俺は知っている。時間遡行の機械は出来るのだ。だってルクレツィアが出来ると言っていた。

 誰かが必ず作るのだ。だけど完成が何時になるのかわからない。それなら、と、俺は作り始めた。少しでも早く手に入れるために。


「閣下、私は、彼女が消えた事を良しとするこの世界を、呪っているのです。ですから、こんな世界はいらない」

「ッ……やめろ! 貴様、仮にも侯爵家の後継だろう?! 易々と滅びと死を選ぶ気か!!」

「さて、成功して世界を戻せるか、それとも失敗して死ぬか」


 まぁ、もしも大失敗で世界そのものを壊したら申し訳ない。どっちに転んでも俺はこの世界とはおさらばなので問題ない。








「……嫌なのよ! 社交界であのムカつく女が注目の的になってるのを見るなんて御免だわ!」


 最初に飛び込んできたのは、懐かしき彼女の金切り声。


「……会った事もない御令嬢への敵愾心がすごい」


 反射のようにそう返して、そして今の状況を気取られぬよう探っていく。


「じゃあ何よ、平民が自分より上の立場になったにもかかわらず卑下するわ褒めてくるわの状況を受け入れられるの?! 公爵閣下に溺愛されて少し見ただけで睨まれるわ牽制されるわの未来が欲しいの?!」

「……不快でしかないな」


 ああ、この会話は覚えている。まだ彼女の言う事を半信半疑というかほとんど信じておらず、まぁもしも彼女の言うとおりに事が進んだらその時に考えよう、と。そんな風にのんきに考えていた。


「でしょう?! でもあの女の発明は確かに国に必要なのよ、社交性なしの公爵家にも必要な嫁なのよ、けど私はそんな女と笑顔で仲良くなんて無理なの!!」

「お前の言い分を信用するならまぁそうだが……」


 そうだな、確かに数々の発明は国に必要だった。社交性皆無の公爵家を表舞台に引っ張ってきたのもいい成果だ。

 だってそれで結果世界は平和になった。

 平和になったけれど、そこにお前は、お前たち家族はいなかった。

 だったら、そんな世界はいらなかった。


 いらなかったんだよ。


「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「駄目なのよ、あの女、発明家の皆さんとお話とかしたいです、とか言うのよ、公爵閣下に、筆頭公爵家の傲岸不遜の王家のお気に入りのクソ男に」

「公爵閣下への敵愾心もすごい」


 だけど結局『犯人』と呼べる者は誰だったんだろうな。動いたのは公爵だったが、意思は。王か、王太子か、公爵か、それとも全員か、複数か。

 今となっては誰だっていいしどうだっていい。未来の話ではあるが、今更だ。


「あの女の希望なら何でも叶えるのよ、強制的にあの女と話をする場を作られるわ、最悪よ、そこで私はずっとあの女に『さすがです』『知りませんでしたわ』『素晴らしい着眼点で』『センスもおありなのね』『尊敬いたしますわ』って言わなきゃいけないのよ、冗談じゃないわ!!」

「別に言わなくてもいいだろう、というか……安心しろ、俺がお前をそんな場へは出さない」


 ルクレツィア、お前は俺が守ろう。お前だけは絶対に、何としてでも。


「ちょっとぉ、公爵閣下みたいなこと言わないでよ……とにかく、あの女を不快にした時点で公爵閣下につぶされるわ」

「……そこまでお変わりになるのなら、やはり、関わらないの一択だな」


 世界はきっと主役達が勝手に平和にしてくれるんだろう。だったら、俺達はその舞台から降りればいい。


「だからぁ!」

「聞け」


 舞台なんて降りてやる。だって世界は続いていく。主役の彼らが作っていく。生贄候補なんていくらでもいるし、生贄が必要のない筋道を作るのだったら協力したっていい。

 だが、俺達は美しく整った世界からは抜けさせてもらう。


「お前の言う通りの未来になるのなら、そんな無法を押し通すというのなら、それが事前にわかっているのなら、俺達はそんな場所から逃げるべきだ。付き合う必要なんてない。避けて避けて、逃げまくればいい」


 俺達が生きていける小さな世界を、この祝福された素晴らしい世界の片隅に作らせてもらう。

 お前が嫌がっても、お前が求める以上の場所を作るから、そこへ行こう。そこで誰にも脅かされない幸せを作ろう。


「無理でしょ」

「無理じゃない。そうだな、まずは物理的に不可能な場所を作ろう。呼ばれても時間がかかり過ぎて難しいと断れるような。もしくは他領の人間と話せない規則を有する組織に所属するとか……ちょっと待ってろ、場所を探す。出来るだけ辺境となるとやはりうちの領地だな、そこに研究所、かな。そもそも研究は別名義でしろ。お前との繋がりや痕跡を残すな。研究者としては一目を置かれてもその正体は誰も知らない、といった形にしよう。とにかくお前は貴族として貴ばれて、かつ、好きに研究が出来て認められもして、だが表舞台には出ないで済む。そんな環境がいいんだろう? 待ってろ、何としてでも作り出す。何だったら最終的には国から独立したって構わない」


 何から取り掛かればいいか真剣に考える。もう二度と隙は見せない。ルクレツィアが頭角を現す前に完全に隠しきる。今それが出来るのはきっと俺だけだなのだから。


「……信じてくれるの?」

「当たり前だ。仮にそんな未来が来なかったとしても、そういう好きに出来る安全地帯があるのはいい事だ」

「確かに」

「だろう? 作るぞ、ここではない別の世界を」

「…………ねぇ、もしかして貴方、私の事結構好き?」

「そりゃまぁ」


 今更の問いに手を伸ばす。

 薄紅の小さな貝殻のような爪が付いた、健康的な肉付きで少しも荒れていない、白く美しい手。

 泣きそうになる。ずっと夢を見ていた。ただお前に会える時を、お前を今度こそ守る時を、お前と笑いあえる時を、ずっと夢見ていた。

 この手に触れる喜びを噛みしめ、二度と離さないと誓いながら強く握る。



「お前がいなくなったら、世界を呪う位には」



2025/10/12 誤字修正

2025/10/13 誤字修正

2025/10/16 誤字修正

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― 新着の感想 ―
とても面白かったです…! 余韻が残る素晴らしい物語でした
素晴らしい そしてお見事
おぉ!凄い読後感!! めでたしめでたし、の後の繰り返しは最初コピペの間違いかと思って、あれ?ってなってしまいましたw 随分彼女を世の中から隠す事に必死だなと思っていたらそんな過去が。 彼女が語った物語…
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