21.振り絞る勇気
「待でぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ‼」
「ひわぁぁぁぁぁぁっぁぁッッッ‼」
状況は既にラストランだ。
俺も魔王も、目を血走らせ、涎を垂れ流し、恥も外聞も無く瓦礫の山を駆け巡る――――飛び回っていた。
駆けは、跳ねるに代わり、跳躍に変わる。
そして魔王の反撃も、いつか、明確な攻撃へと切り替わっていた。
三分を過ぎたあたりからか。悲壮な顔つきではあるものの、こちらを向く時間が増えてきた。
こちらを見れるということ。
それはつまり、恐怖の対象であるという認識が薄れてきている証拠でもあった。
魔弾は次第に大きくなる。力を込める時間と、心的余裕が生まれてきているということ。
それを俺はどうにか掻い潜りながらも、距離を詰めていく。
急がなければならない。が、焦りは禁物だ。
こちらはどんな攻撃であれ、聖剣による一撃さえ当てれば勝利出来る。そのことを忘れてはならない。――――けれど、その一撃が果てしなく遠い。
能力では勝っているはずなのに。
それでも埋まらない戦闘経験の差が、ここに来て痛い程響いていた。
「それ、でも……!」
当てないと。
勝たないと。
俺は、こんなところで『不能』になるわけにはいかない。
「あぁぁぁぁぁぁ――――、……ッ⁉」
剣を振るおうとした直後だった。
こちらのアクションに対し、完全にカウンターとなる魔法が起動する。
「宵闇の――――」
「……、」
「不意打ちッ……!」
一瞬の間。息を飲む。
縛りが頭にちらついた、刹那にも満たない隙。それを、相手は読み取った。
トライオンが白い空間で放っていたような魔法の槍が、こちらへと向かってくるのが分かる。
「ぁ」
と、音のような、息のような、呼吸が漏れる。
ここが分岐点だった。
勇者ユウスケが、生き残れるか、ここで死ぬか。
踏み込むか踏み込めないか。この一刹那に、全ての命運がかかっている。
向上した身体能力の副産物。動体視力の上昇効果で、一瞬がとてもスローに思えた。
その、一刹那にも満たない一瞬時間。
俺は、決意する。
「――――、」
これは勇気の話。
相手の魔法に対して、立ち向かうか、退くか。
これまで出したことも無いような勇気を振り絞れるか否か。そんな経験が果たして、こんな俺にあるのかどうか。
これまでと言えるものが無い俺に対して、ソレを要求するのは、なんと酷なことか。
いや、けれど。
俊山 勇助の『これまで』のページに。
勇気という折り目を強烈に残していった女がいる。
それは。
ここに来る、つい直前の話だ。
時は遡って、カムワロと二人の会話中。
トライオンが抱える感情の内訳を聞いて、カムワロを女神から引きずり下ろすという計画を、彼女に伝えたときの話である。
ありていに言うと。カムワロが俺に、『愛の告白をした』と言ったときのエピソードである。
「――――と、いうことなんだけど」
「……フム」
かくかくしかじか。
こういうことがありましてと、俺は彼女に、トライオンの気持ちと作戦を伝えた。勿論、俺の分かっている範囲でだ。
トライオンはカムワロを、女神と言う歯車から脱してやりたい。
おそらくは、自由に生きて欲しいという願いの元からきているのだろう。
「方法としては至極簡単なんだよな……。俺が魔王を倒せば、それでお前の『導きの女神』としての役目は終わる」
討伐できるかは後で考えるとして。
もしも無事に討伐できたとき。カムワロは無事、女神ではなくなるのだ。
それはつまり重責から解放されるということ。自由に生きていけるということだ。……ニンゲンになるのかどうかは、不明だけれど。
「それを『成立』させちまって、良いのかって話だ。……どうだ?」
「……そうじゃのう」
カムワロは静かに目を閉じる。
平穏な草原に吹く風は、彼女の長い髪を優しく撫でた。
風が通り過ぎ、また凪に戻った頃。彼女は再び目を開いた。
切れ長の目の中にある、ぎょろりとした瞳が。
俺を優しくとらえた。
「――――わしが、ぬしに惚れた理由はな」
「は、はい⁉」
突然のカミングアウトに、俺は一瞬飛びのいてしまう。
だってそうだろう。「『成立』させちゃっていいですか?」の問いだ。イエスかノーでくると思うじゃん。いきなり俺に対しての、のろけ話になるとは思わないじゃん。
「聞いておくれ、ニンゲン」
「カム、ワロ……?」
「頼む」
「……」
ギャグな空気は一瞬のもので。俺は気持ちを切り替えて、彼女に向き合う。
俺が静かに首を縦に振ると、カムワロは少し微笑みながら、話し始めた。
「むかしむかし――――」
むかし むかし。
それはもう むかし の 五年ほど むかし。
ひとり の ニンゲン が おった そうな。
不器用 な ニンゲン が おった そうな。
その ニンゲン は とても こうりつ が わるく。また のうりょく も ひくかった。
どんくさく しごとができず みらいもなく いきさきも無い。
かなえる ゆめ も なにも もっていない。 そんな ニンゲン だった。
けれど。
そのニンゲン は いつも 一生懸命 だった。
しごと は できない。 けれど ては ぬかない。
いつも つね に ぜんりょく で しごと を する。
生きている。
そんな わいしょうな そんざい を みて。
ひとつ の 女神 は おもいました。
――――ああ、 みなければ よかった と。
「……終わり」
「え、終わり⁉」
ちょっと待って! そこで終わったら、完全にバッドエンドなんだけども! というか、ただの悪口を言っただけで終わりになっちゃうけどよろしいか⁉
「終わりじゃよ、この話はこれで」
「えぇ……? み、見なきゃよかったって……」
「フフ……」
うろたえる俺を、しかしどこか優しい目で見て。カムワロは口を続けた。
「一生懸命、情熱を持って働くぬしの姿を、たまたま目撃してしもうた。
じゃから――――、久々にそんなイキモノを見たわしは、不覚にも惚れてしもうた。以上じゃ」
「え、えぇ……」
それって、たまたまってこと?
「最初にも言うたじゃろ? ぬしを見つけたのはたまたまじゃと。死期の近いヤツを適当に見繕っておったとき、たまたま目に入っただけじゃと」
「そうだけど……」
「そう。それだけじゃ」
カムワロは言うと、すっとこちらへ手を伸ばす。大きな手。けれど細長い指が、俺の頬をつうっとなぞった。
「偶然でたまたまの、宝くじのような産物じゃ。けれど、――――惚れてしもうたのじゃから、仕方なかろう?」
「……っ」
破壊力がすごい。
美人なだけではなく、これまでのアッパーなテンションからの、落差がすさまじかった。どうしてこんなにも湿度が高いんだ。ずるいぞカムワロ。
「……じゃあもしかしたら、俺意外を選んでいた可能性もあるってことか?」
「そうじゃな。一生懸命働いておったニンゲンなら、誰にでも突き動かされたかもしれん」
「……そうかぁ」
「そうじゃ」
どこか煮え切らない気持ちに、一度心が支配されそうになる。
けれどそのとき、脳内に先ほどの言葉がちらついた。――――見なければ良かったという、魔性のつぶやきが。
「見なければ、か……。むしろ、見たからこそ……、」
「そうじゃ。見てしまって、気になってしまったものはもう仕方ないわい。
それから先、ぬしを召喚できるようになるまで、ずーっと見ておった」
カムワロは、どこか恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに。恋文を綴る少女のように、目を潤ませて続けた。
「寒い日。ぬしはなかなかコタツから出られなんだ。可愛い」
彼女は、語る。
俊山 勇助の、生きた日々を。
「晴れの日。ぬしは気分がいいときには、ちょっと遠くを見ながら歩く。凛々しい。
雨の日。ずぶ濡れで帰ったときにも、玄関にタオルを置いておる。賢い。
夏の日。何ヵ所も蚊に食われてイライラしておっても、客の前で姿勢は崩さん。尊い」
それはあまりにも凡人すぎる生活風景。
誰もが経験したことがあり、誰もが通り過ぎる日常だ。
「涼しい日。窓の外から虫が入ってきてビビる。愛らしい。
あくる日。捨てられた空き缶をゴミ箱へ持っていく。偉い。
とある日。買ってきたえっちな本が被って凹む。可笑しい」
けれどそんな、何でもない時間を――――見ている。
「日々、毎日。どんなときでも、あくせく働く姿が、輝かしい」
彼女は。どんな思いで、俺にこれを伝えたのだろう。
惚れてしまったという後悔か。盗み見ていたという贖罪か。
それとも。
「……普通のことばっかりだな」
「そうじゃ。けどれ、そんな普通の営みを、全力で生き抜くぬしの姿が、美しく映った」
カムワロは言って、俺の手をそっと取った。
彼女にチェンジは起きない。これは、性欲でないから。
俺にもチェンジは必要ない。これは、愛情だから。
「そんな――――積み重なる日々を、わしも一緒に過ごしてみたいと。思ってしもうたんじゃよなぁ……」
「……………………お前」
ずるいぞ。
自分の言いたいことだけ言って、しかもずっと前から見ていたとか。そんなの卑怯すぎるだろ。
「そんなこと言われて、童貞で女っ気も一切なかった三十のオッサンが、落ちないワケないだろうが!」
「フハハ。陥落か。それで十分じゃとも」
……このまま。
誘惑や快楽に身をゆだねて、彼女の甘い声と共に、そのままなあなあで恋仲になるルートも、もしかしたらあったのかもしれない。
というか、間違いなくそれが『楽』だ。けれど、それを俺は、選ばない。
「まだだ、カムワロ」
「ん?」
「お前は俺の、中身に惚れた。惚れてくれた。
けど俺は残念ながら、まだ、お前の外見にしか惚れてない」
えっちだなと思うし、抱きたいとも思う。……もしかしたら抱かれるのは俺の方かもしれないけれど、それはさておき。
「俺も、お前みたいに。人の中身を見て、ソイツ自身に惚れ込みたい」
カムワロはそんな俺を見て、目を見開く。
自信も無く、それでも俺は、おずおずと彼女の顔を見上げ続けていた。
「だから。さっさと魔王倒して、この世界平和にして、女神の責務から解放されてさ」
一息入れて、俺は言う。
「この世界で一緒に生きて、お前の生き様を見せてくれ」
「フ――――ハハハハッ」
……うん。間違いなく、俺の人生における、最大の山場はここだった。
ありったけの。吹けば飛ぶほどの。か細い。絞り出した――――勇気。
女の人に告白され、そしてそれに返答をするだけの行動。
それに、これほどのエネルギーが必要だったのかと、改めて実感する。
大変で疲れる。照れるし暑いし動悸がする。けど、そうなることは分かっていただろう。
目を見つめ返すという、十秒だけの地獄。
その後天国にすり替わることが分かっていても、この勇気は、慣れない。
けど。そんなものに比べれば。
「――――比べればッ!」
「……ッ!」
そんな、走馬灯が脳を駆ける。
目の前には魔王の魔槍。
王手。チェックメイト。詰めの一手。決定打。トドメの一撃。――――クリティカル。
ここで踏み込むことこそが必死。
ここでとどまることこそが悪手。
だから勇気を振り絞る。
踏み込む一歩は、何よりも重かった。
ボクシングのクロスカウンターのように、駆け抜ける暗黒の魔槍をミリ単位で回避し、覆いかぶさるように全体重を乗せて、聖剣を力任せに突き刺す。
「あぁぁぁぁぁぁああっっ!」
「――――ぐぅぅぅッッ!」
踏み込みの勢いに任せた俺の身体は、体重をそのまま聖剣に乗せ、魔王の身体を中央から貫いていく。
俺の数ミリ横を通り抜けた魔王の一撃は、遠くで何かを消し飛ばす音を響かせた。
「…………カッ、……ハッ!」
「は……、は……、はっ……、」
動悸がする。息が荒い。傷は負っていないはずなのに、身体に限界が訪れていた。
「――――は」
息を静かに吐いて。黒い靄と共に消滅していく、泣き顔のままの魔王を見送る。
嘘のように響き渡っていたギャン泣きの声は、今は一切聞こえなくなっている。
「……………………勝った」
静かにつぶやいた後、俺は脱力してその場に仰向けになった。
ずしりと音。そして影。
覆いかぶさるように、巨大で強大な女神が、嬉しそうに顔を覗き込んでくる。
「うむ。やはり勇者は、愛の力で勝たんとのう」
「思ってたのと……、なんか違うけどな……」
絵面だけで見れば、泣きわめく女の人をひたすら追い回す三十代男性というものだったしな……。
「じゃが、殺らなければ殺られておった。そういう死合じゃったじゃろ?」
「まぁ……な」
「出会って二日で女神を落とした経験を持つ、ぬしの勝利じゃ」
愛の力かぁ……。
確かに。カムワロへの告白を経験していなければ、俺は負けていた。最後の最後で勇気が出せず、トドメの一撃を放てなかっただろう。
想いの力とかくさいことを言いたくはないが……、これも全て、彼女たちのお陰なのだ。そうに違いない。そう思い俺は、二人の肉●隷となることを誓い、今すぐ全ての服を脱ぎ捨てようと思ったのだった。
「……って、ナレーションへの横入りじゃなく、本気で考えてる⁉」
「あぁうん~。せっかくカムワロと想いが通じ合ったっぽいからね~。手っ取り早く肉体関係に出来るように、精神操作してみたよ~」
「さらっと怖い事すんなトライオン⁉ ……って、あぁ! なんか俺、身体がアツぅい⁉ めっちゃ服脱ぎたくなってるゥ⁉」
「お、魔王を倒した場所でおっぱじめるか。神代の英雄みたいじゃの~」
「豪胆だね~」
「いやお前のせいだろ⁉」
「仕方ないのう。わしも今覚悟をキメるから待っておれ。……よしキまった。ヤるぞい」
「はやっ⁉ い、いやいや! 俺はこんなところで始めたくないんだが⁉ でも服を脱ぐ手は止まらねぇ⁉ おいトライオン! どうにかしろ!」
「え、どうして~?」
「何でお前は既に準備完了してんだよ⁉ なんだそのほッッッッッッそい下着は⁉ 下着の意味あるのかそれ⁉」
「まぁまぁ~……」
「わしが言うのもなんじゃが。このシチュエーション、絶対性癖捻じ曲がるよのう」
「言えてる~」
「分かってんならこの精神操作やめろやぁぁぁぁぁッ‼」
その後。
生き残った魔王軍により、魔界にも天界にも、そして人界にも、新たなる勇者伝説は広まった。
バケモノを二体引き連れ、山を抉り毒をまき散らし、魔王を討伐したその地で――――こう、一発アレしたとか、なんとか。
いや、やってないですけどね……。
こうして俺は。
世界と、自分の息子の『元気』と、そして大事な貞操を、守り抜いたのだった。