15.正常な歯車
「まずね~」
トライオンは静かに歩みを進めながらも、しっかりと言葉を紡いでいく。
「アタシはそもそも、カムワロに救われて、女神になったんだよね~」
「女神に、なった……。救われた?」
「そ~。まぁ、掬われたと言ってもいいかも~」
そこにどんな違いがあるのかは分からなかったが、ともかく。
トライオンはどうやら、カムワロに恩義を感じているということらしかった。
「だよ~。だからアタシはカムワロに、どうにかして幸せになって欲しいわけよ~」
「そうなのか……」
「恩返しってところかな~」
そう言って空を見るトライオンは、どこか遠い目をしていた。
だから俺は、それが『良い感情』から来ているのだと思って、確認を取ってみる。
「トライオン、あのさ……? 聞いていいか?」
「ん? なに~?」
「カムワロを女神の座から引きずり下ろすっていうことなんだけど」
「あぁうん」
「もしかして……、イイ意味で捉えていいのか?」
「あ~……、そっかそっか。勘違いさせちゃうよね~。ごめんごめん~」
あはは~と呑気に笑い、彼女は屈託のない笑顔を見せる。
「もちろんだよ~。アタシは~、カムワロを自由にさせてあげたいんだ~」
「そ、そうなのか……」
ほっと胸を撫でおろす。
何せ『引きずり下ろす』なんて強い単語を使うものだから、良からぬことを考えていたんじゃないかと、きな臭く感じてしまったのだ。
「そもそもアタシは~……あ、」
「……ん? ど、どうした?」
会話が途中でぴたりと止まる。
いや、止まったのは会話ではなく、『音』か? まるでトライオンからの声が、いきなりぷつりと聞こえなくなってしまったような。そんな感じだった。
「あ~、あ~、」
まるで発声練習をするかのように、トライオンは中空に向かって声を出し続ける。そして一しきり出したあと、「なるほど~」と納得していた。
「どうしたんだ?」
喋れなくなったというわけではなさそうなので一安心だが、何かの不調だったらそれはそれで心配だ。
「いや~、アタシはアタシで、女神セ~フティ~がかかってるみたい~。厄介だよね~」
「そっちにもセーフティーが? どういうカンジのものなんだ?」
俺の曖昧な質問に、彼女は「うん~」と頷いて答える。
「ど~やら、自分の心情や秘密を探られる、または話すっていうことを、『弱点の吐露』に取られてるみたいでね~?」
「はぁ……」
「ど~したもんかと」
「どーしたもんかと言われてもな……」
女神は、自ら弱点を晒せないってことなのかな?
いやでも、前にカムワロのステータスを見たときには、そこに弱点が写ってたな。
「じゃあステータスを見てみて、そこに書いてないか調べてみるか?」
しかしそんな複雑な、しかも感情的な部分の弱点なんて記載されているか?
俺がステータスを発動して見てみると、彼女から「そうか~」と声がかかる。
「なるほど~。それだユ~スケ~」
「ん? どれだ?」
「弱点、だよ~♪ それ使おう~」
トライオンは気分が良くなったのか、陽気なボーズを取りながら人差し指でステータス画面をさす。売れないラッパーみたい(偏見)で可愛かった。
「そこに~、アタシの弱点部位が書いてあると思うんだよね~」
「ん? お、おう……。えー……、んん……! 、み、『耳の裏』、と、『首筋』……デスネ」
「よしよし~。それじゃあ、こっち来てこっち」
「ん?」
手招きされたのでそのまま近づいてみる。ほど良い切り株に「座って座って」と指示されたのでそこへ腰を下ろすと、「よっと」と、更に上から座られた。
「おう⁉」
トライオンのむち尻の感触が、俺の出っ張った腹と太腿を支配する。
背中をどしりと預けてきたので、彼女の顔と、後方上部から見下ろす形になった。巨大な胸が、嫌でも目についてしまう。
深い谷間が俺の目を誘ってくる。……正直目が離せない。
「……でも~、攻めて欲しいのはソコじゃあないんだよね~」
「はっ⁉ い、いや、見てませんよ⁉」
いたずらっぽく「いひひ~」と笑うトライオン。
まぁこれに関しては、心を読める女神でなくとも分かっちゃうか……。
「せ、攻めるって……。じゃあどこをどうすればいいんだ?」
「うん~。やって欲しいのは~、首筋~」
「くび、すじ……」
カムワロと違って、彼女はショートカットだ。だからこそ普段から胸もよく見えるし、後ろに回れば首筋も、耳の裏も見える。……ちょっと尖ってるんだな、耳。女神だからか?
「そこに~、息を吹きかけて~」
「こ、こう……?」
ふぅ~っと静かに息を吐くと、トライオンは「くひゅぅ……⁉」っと小さな息を漏らし、ビクンと身体を震わせた。
「ちょっ⁉ だ、大丈夫か⁉」
「だ、だいじょぶ、だいじょぶ~……。
ふ~……、久しぶりに攻められると、やっぱ弱いなぁ~……」
首をすぼめて身を小さくしているトライオンの、なんと可愛らしい事か。
普段そこまでSっ気が無い俺でも、嗜虐心が芽生えてしまう。昨日ドラゴン相手に無双していたやつとは思えないほどに、か弱くて可憐に映っていた。
「そ、そのまま、攻めてて~……」
「攻めててと言われても、攻めてる気は無いんだが……」
「きゃふっ……! ひ~……、ゾクゾクする~……」
クセになる~と呟きながら身をすぼめる彼女。いやクセになったらダメじゃないか?
「と~、とにかく~……、アタシが弱点を攻められることによって~、『これはもう弱みを話していても仕方ないよね』っていう言い訳が成り立つんだよ~。……ひゃふっ」
「へ………………、へぇ…………」
カムワロが魔王を倒しに行くための、『反撃だからイイよね?』理論と同じか。
女神は何か行動するときも、何かしらの言い訳が無いと動けなくなるときがあるのか。なんか会社の重役や社長が、簡単に身動きができないような状況に似ている(会社員じゃないから細かくは分からないけれど)。
「あ、あ~ソレだね~……。ん……、その、偉い立場だから自由に動けないっていうのに~、ちょっと似てるか、も、んっ……!」
「お、おう……。なるほど?」
「あふ……、だ、か、らぁ~……、魔王を倒せば、カムワロは大丈夫になりゅのよね~……? だ、だかりゃ、あぅっ、アタシ、も、アイツと一緒についてイッて、一緒に、あっ、一緒に、イこうって……!」
「ちょ、ストップストップ! 乱れすぎて言っている意味が分からなくなってきてるから!」
「イ、イッってないって~……」
熱い吐息は、もう俺の理性を削りに削る。
これ以上は双方にとってデメリットしかないだろう。それに、ここまでやればトライオンも、十分に弱点の吐露をするに値するダメージを受けたことになるのではなかろうか。
……とのやり取りがあり。
「お、いけるいける~! もう話せるよ~」
「切り替えはやっ!」
「うへへ……。いや~、やばかったのは事実だけどね~。興奮しすぎて腕増えるところだった」
「神様こわっ」
基準が分からなかった。というか、時々魔法の腕とか生やしてるけど、アレ興奮してのことだったの? 実腕が増えるのとはまた違うのだろうか。
「さてさてそれじゃあ、まとめてみようかね~」
「これまでの興奮パートとはいったい……」
まぁ。必要な儀式だったということで一つ。
簡単にまとめてみると。
トライオンは元々人間であり、女神・カムワロに誘われて、女神の座に上ったのだという。
その頃のトライオンには、生きる意味も分かっていなくて、これ以上強くなる理由も無くて、とにかく人生に意味を見いだせなかったのだと言う。
『だったら人を辞めてみよ。ついでにわしの手伝いをしてくれ』
そんな、突拍子もない破天荒さに、彼女は救われたと言った。
人の世を捨て、自分の生を捨て、女神という生き方を取ったトライオン。
それは想像よりもはるかに面白く、そして飽きない毎日だったという。
「けれどその中で、色々と見えてきたんだよね~。……カムワロのことが、さ~」
カムワロは、生まれながらにしての女神だ。
この世に悪が蔓延ったとき、それを退治すると言う役割を背負った、力ある女神。
世界に対してのセーフティ機能みたいなものなのだという。
しかしながら、神代の時代から数百年。
人間と神との境界があまりにも離れすぎたこの時代には、女神は直接人間とは関われなくなってしまった。
「人間社会が『成立』しちゃってるからね~。下手に女神が手を出したら、色んなバランスが崩壊しちゃう。だから今回みたいに、力づくでも『言い訳』を探さないといけなかったんだ~」
「なるほど」
先ほど例に挙げた会社の社長みたいな立ち位置。
これも、会社が小さかったり、取引先が少ないなら、フットワーク軽めに動くことが出来る。
けれど何百社と繋がり、管理する人員も多くなってくると……どんどん足取りは重くなる。
「偉い人の一言一言には、責任も付随してくる……みたいなことか」
「それです」
会社が成長したが故のがんじがらめ。
それは人間社会だけではなく、神様連中も同じらしい。
「神はこの時代に置いて、強すぎるんだよ~。だから間接的に、勇者に魔王を討ってもらうしか無かった~」
「人間界のことは人間だけで処理しなければならない、かぁ……。けど、それはうまくいかなかったんだろ?」
「そ~なんだけど~。他の神々の手前、示しがつかないからね~」
「そんなもんなのか」
「色々大変なんだよね~、女神も」
珍しくため息をつくトライオンだった。
しかし、ここまでがっつり神々の事情を聴くことになるとは思わなかったなあ。人間の身で理解して良い話なのだろうか。
「女神にも色々事情があるんだな……」
「そだよ~。ほらそっちの世界でもさ~、くたびれたOLとか、ナンパのねらい目じゃん~? 『お姉さん疲れてんね~? 遊んで行かない?』的なこと言っておけば、ストレス発散でほいほいついてくるって寸法だよ~」
「おかしいな……。俺の知ってる現代日本とはかけ離れているみたいだ……」
「……そんなんだから童貞なんだよユ~スケは」
「トライオンが急に辛辣! いやいや、そんなにか⁉ そんなに性に飢えているのか? その相手はチャラいイケメンじゃないんだぞ⁉ 小太りのオッサンだぞ⁉」
「必死過ぎワロリ~」
「外見関係無いとはいえ、ちょっと節操無さすぎじゃないか?」
俺の言葉に、しかしトライオンは「あはは~」と笑った。
「ユ~スケを好きになった理由は……、まぁ、本人から聞いてよ~。ちなみに先に言っておくと、偶然が九十%だよ~♪」
「じゃあもう誰でも良かったんじゃねえか⁉」
「そうとも言えるかな~。……でも、カムワロは、きみを好きになった」
「…………」
再びトライオンは指をさす。
先ほどと同じように、茶化しながらだ。だけど、視線は真っすぐに、俺の目を見据えていた。
「だからカムワロ、今めっちゃ楽しいんじゃないかな~」
「楽しい……か」
恋に恋する……とは、また違うのだろうけれど。
何かを愛おしく思う感覚を、精一杯楽しんでいるのかもしれなかった。
「『導きの女神』になってからは、一回もそういうこと無いからね~カムワロは。『そういうコト』以前に、ナニカに好意を寄せることすらも禁止されてたから」
「そっか……。世界に必要な存在だから……」
「そ~。世界の法則外のことをしちゃダメなの。……だからアタシは、自由にしてあげたいんだよね~」
「トライオン……」
「だからアタシは、ユ~スケの童貞を奪って欲しいんだよね~」
「言い方がよぉ……」
「あはは~。ここらで台無しにしとかないとね~」
「なんつーバランス感覚だよ」
ともかく。
まぁ俺も。異性を抱きたいという気持ちはとても強く理解できる。それはもう、強く強く。何せこちとら一度もそういう経験が無いからな。分かってやれるぞカムワロ。
「二十代前半から後半くらいの性欲だよ~。まさしくピーク」
「……それ、女神だから年齢関係ないだろ?」
「だね~。つまり、万年発情期だよ~」
「女性ってその年齢が発情期なのか?」
「そうだよ~!」
「……なんかルビで重要なこと言わなかった?」
なんにせよ、トライオンがカムワロに抱く感情は分かった。
世界に対するトラブル――――この場合は魔王を倒して、早いところ自由にしてやりたいということ。そして自由になったカムワロに、何百年だか何千年だかの恋を、かなえて欲しいということだ。
「そ~。一分一秒でも早く、神の座から降りてもらいたいの~」
なるほどなぁ。だから効率よく行動していたのか。
カムワロとトライオン。両者ともに微妙に冒険へのスタンスが違っているなぁとは思ってはいたが、そういう事情があったワケか。
「じゃあこの後も、だらだらしてる余裕はないな?」
俺の質問に彼女は、「だね~」と頷いた。
「予定よりだ~~~~~~~~~いぶ巻く展開になるけどね」
トライオンはそこで言葉を切って、遠くの空を見上げた。
「もう行っちゃおうか、魔王城」
それは、速いけど待ち合わせ場所に行っちゃおうか。みたいな。
めちゃくちゃ軽いノリだった。