10.トライオン
無数の巨体が、中空よりを飛来する。
立ち向かうのは、一筋の流星。
漆黒を纏い大地より発射されるのは。トライオンという、人間にしても小さいサイズの女である。
徒手空拳。
しかし。彼女は今この場に置いて、誰よりも破壊力を秘めている。
まるでその部位だけが違う生物であるかのように肥大化した、魔獣の拳。
それを軽く握りしめ、無造作に――――まるで幼い子供がヒーローごっこをするかのように、対象へと打ち付けた。
「えいや~!」
間の抜けた声とその衝撃の、何とミスマッチなことか。
穏やかな空気とは裏腹に、拳を受けたクリスタルドラゴンは粉々に砕け散っていった。
「す、すげえ……!」
山でカムワロの無双シーンを見たときと、似て非なる感情が湧いてくる。
カムワロは、分かりやすく暴力的だ。
攻撃的で侵略的で好戦的な、どこからでもヤバさがあふれ出ている。そんな存在。
しかし一方トライオンは、どこか静かだ。
女神モードの、とても目立つ外見とは裏腹に、必要最低限の力だけで、並みいる敵を倒していっている。
思い返してみれば、道中でもそうだ。
食事の説明をしたときに捕獲したモンスターも、話を聞きながら倒していったときも、無駄な動きや派手な動きは無かったように思える。
そしてそれは、今もそう。
最低限度の破壊力。効率的な攻撃方法。
俺の動体視力と思考力でも、ギリギリ捉えられるくらいのアクションなのは、それ以上の馬力を出す必要が無いからなのだろう。
どういう原理かは分からないが、獣の足で中空の壁を蹴り、方向転換を細かく行っている。それによって、多方向からのドラゴンの噛みつきを回避しているのだ。
「これで終わり……おっとと!」
「なっ……!」
楽勝ムードが漂っていた、そのときだった。
俺も、トライオンすらも予想していなかった攻撃が、繰り広げられる。
ギリギリ彼女の視野に入っていたから大丈夫だったのだろうが、死角からであれば、もしかしたら当たっていた可能性がある。
まぁ一発当たったところでダメージは通らないのかもしれないが、何があるかは分からないからな……。
「これは……、意外と大変かも~?」
間の抜けたままの声ではあるが、トーンは少しだけ落ちている。
それもそのはず。俺も『ステータス』で見てみたのだが、トライオンに攻撃してきたのは、生物ではないのだ。
いや、本来ならば生物なのだろうが、その認定が成されていない。ステータス表示画面は、名前や攻撃力などの数値、全てが無表示だった。
「首や、爪が……!」
トライオンに攻撃を仕掛けたもの。
それは、彼女が粉砕したはずの、クリスタルドラゴンの欠片だった。
爪や頭部そのものもあれば、砕け散って岩と変わらないものもある。
「なるほど、だから認知出来ないのか」
俺のステータスで表示できるのは、あくまでも生物だけだ。無機物の状態を測ることは出来ない。
そしてそれは、トライオンの戦闘にも影響するようで。
「う~ん……、よっと……!」
まだ破壊していない、生きているドラゴンからの攻撃は悠々と回避できているのに、岩々となった方は、紙一重で捌いていた。
「もしかしてトライオンは、これまでも気配を先読みして回避していたのか……?」
だとすると、無機物となったドラゴンの部位を感じ取ることは、難しいだろう。
あのパーツの一つ一つが意思を持っているのかは分からないが、資格外から自分へ迫る物体を、何のヒントも無く回避し続けなければならないのだから。
「うく……、う~ん……、いて~っ……」
可愛らしいリアクションだが、少しずつパーツはヒットをし始める。
一撃一撃は本当に些細なもの。しかし、いつまで続くか分からない乱打を耐えるのは、精神的にもきついだろう。
「ここ、は……」
俺が。
俺が、何かやるしかないのか?
無意識に握りしめた木の枝が、ぱきりと音を立てて砕け散る。
「俺は……。俺だって……っ」
じり、と、僅かに足を前に踏み出す。
今あのドラゴンたちはトライオンに集中しているが、それが少しでもこちらへ向けばアウトだ。俺は成すすべなく破壊し尽くされるだろう。
『それ、一歩も動かなければ、気配自体を消せる魔法だから~。安心して見てていいよ~』
「……っ!」
前に、出る。それ自体は容易なことだ。
けれど、防御魔法の先は嵐である。
目に飛び込んでくる以上の衝撃と恐怖が、俺を苛むことだろう。
「でも、ここには俺しかいないから――――」
足を踏み出そうとした。けれど、そんなとき。
嵐の先から声が聞こえる。
「そこに居て~!」
「えっ……」
「いいからそこで見てて~。大丈夫だから~」
「け、けど……!」
トライオンの声に、俺は戸惑いつつも反論しようとした。けれど、彼女はにこりと笑い、こちらを見る。
回避よりも、俺の方を見て。
意思を伝える方を、優先する。
「『楽』してて、いいから~」
「……!」
それは、カムワロとの会話内容を伝えたときに、出た話題だ。
『いや別に。構わんじゃろ。ぬしだけが楽に生きても』
『人生って、楽でいいのか?』
『うむ。人生は、楽でいい』
「ユ~スケ~。楽に。もっと気楽に考えて~」
「――――、」
一瞬その言葉が、嫌味なのではないかと頭をよぎる。けれど、頭を振って思い返す。そんな嫌味な思考とは、全然別の次元にいるのが、こいつら女神だったじゃないかと。
だからきっと、「楽をしていろ」というのは本音だ。
本音だし、本心から、俺に楽をしていていいと伝えているのだ。
「トライオン」
「大丈夫だよ~。負けないから~」
ちょっと不格好だけどねと彼女は笑い、再び嵐と対面する。
そんな彼女を見て俺は、堂々と情けないことを口にした。
「……あぁ、楽させてもらう!」
カムワロから伝えられた言葉。
トライオンからもらえた言葉。
その二つを持ってして、俺は堂々とこの場で構えておく。それが、戦ってくれているアイツらに対する、恩義だ。
「俺の分も頑張ってくれ、トライオン!」
「おっけ~。……信仰じゃない声援って、意外と心に染みるものがあるね~」
エモいエモいと彼女は呟き、大きくその身を輝かせる。
「撒いた種を、そろそろ回収するときだね~」
パチンと指を鳴らす。それを合図に、空間そのものに電流のようなものが走った。
「な、なんだ⁉」
「――――『返る』」
ぼそりと、切り裂くような声がきこえた。
彼女の魔力が宙を伝う。
バリバリと稲妻のような衝撃が彼女の身体から溢れ、宙を舞うドラゴン一体一体へ。そして無機物認定だった細々したパーツにまで、走っていく。
「『厄災は、――――その身へ返る』」
「ゴァァァァァァッ!」
彼女の詠唱完了と共に、無数の叫びがこだまする。
雷撃を受け、ドラゴンは次々と墜落していく。本体も、パーツも、その雷撃に包まれたモノは、満遍なく黒い霧へと変わっていった。
トライオンという女神へ攻撃した者は、例外なく、その攻撃が自分へと返ってくる。
カムワロとは異なる。違うベクトルの、絶対的な力。
「……勝った?」
雷と、残骸が、粉雪のように散り舞う中。
彼女は変わらず、のんびりと笑いながら、まるでカムワロのような口ぶりで言った。
「へへ~。強いでしょ、アタシ~」
にへらと屈託なく笑う顔に、俺は苦笑しながら応えた。
「はは……。知ってたよ」
いやはやしかしながら。一面焼け野原だ。
女神って、戦闘するたび地形を変えなきゃいけないルールでもあるのかよ?