9.例えるならコンビニの人
程なく歩くと、広い湖にたどり着いた。
「おぉ、めっちゃ綺麗だな……」
現代に居た頃には見たこと無かった景色だ。
澄んだ空気。周りにはほど良く緑が生い茂り、居るだけで気分が良くなってくる。
「目的地に行く前に、ちょっくらここで道草だよ~」
「ふうん? まあでもこういう場所なら、どんどん寄ってもらって構わないぞ」
柔らかな風が肌を撫で、春になりたてのような穏やかさを感じる。まるで心地の良い森林浴にでもきたみたいだ。
「そいつは良かった~。とりあえず、ちょっとゆっくりしてて~」
言うとトライオンは、泉の近くにある石に指で何かを刻む。僅かに光ったということは、おそらく女神関連の何かなのだろう。俺が知ったところで仕方のないことなのかもしれないが、勇者が事象の蚊帳の外すぎるのもどうなんだと思う。
「あ~大丈夫大丈夫~。そのうち説明するからね~」
えへらとゆるく笑い、戻って来て近くの手ごろな石に座るトライオン。
何だかここだけ切り取ったら、仲の良い友達や恋人とピクニックにでも来たみたいだ。道中があまりにも苛烈すぎたからそう思えないのと、そもそも友達も恋人もいなかったので、想像の域を出ないから実感しづらいのだが。
「……悲しくなってきたぜ」
「大丈夫~? おっぱい触る~?」
「いやいい……、い、いや、やっぱ触……、いや、いい……」
「そう~?」
一瞬……というか、何度も意志が揺らぎそうになったが断っておいた。
「……? 揺らぐくらいなら触っちゃえばよかったのに~」
「いや、一度触っちゃうと、そのまま理性が吹っ飛んでしまいそうでさ……」
「理性飛んでも別に良いのに~」
「ぶふッ……!」
無防備すぎる発言に、思わずむせた。
カムワロも若干その気があったが、トライオンはあまりにも貞操観念が薄すぎる。
「あはは。誰にでもこんなんじゃないよ~。ユ~スケにしか言わない言わない~」
「破壊力が余計に増したァ!」
何だそのデレ方。余計に特別視されてるじゃねーか。
軽いっつーかユルいっつーか。どこまで本気なのか、彼女の場合本気でわかんないな……。
いつでも本気だけどね~と、彼女はにこやかに笑う。
そしてこれもカムワロと共通項なのだが、身体を揺らしながら笑わないで欲しい。小刻みに上体が動くことで、それと連動して巨大なおっぱいも同じように動くのだ。どうしても目が行ってしまうし、意識が持っていかれる。
「おっぱいの描写だけやたら濃いユ~スケなのであった~」
「……煩悩退散ッ!」
俺は残った理性をフル動員し、話題を戻すことにした。
「そ……それでトライオン。どうして俺をここに連れて来たんだ? どうやら、何かの『場』が整ってから説明したかったみたいだけど」
俺の質問にトライオンは「あ~うん」とゆるやかに頷いた。
垂れた目はじっとこちらを見ていて、目じりが少しだけ動く。
「ここでね~、ユ~スケもレベルアップしてもらおうかな~って思ってね~」
「え? 俺も?」
「そ~」
言うと彼女は石から立ち上がり、ぽてぽてとこちらへ身を寄せる。
うぐっ……! この距離の近さは、恋人のソレなんだよなあ……!
身長差は、頭一個分くらいである。ゆるめの服装だから、横にぴたりと並ぶと、上から胸の谷間ががっつりと見える。
「見て見て~」
「見てませんよ⁉」
「いやいいから、見てってば~」
くいくいと袖を引っ張られる。
どうやら彼女が見てと言っていたのは、自身の胸の谷間では無く、彼女が描き出したステータスウィンドウだったようだ。
「まずは強さの説明からかな~」
「強さ……。あぁ、ステータス数値の話か」
「そそ~。今のユ~スケと歴代勇者たちの差をさ~、先に説明しておけば分かりやすいじゃん~?」
「そういうことかよ……」
どれどれと俺は、彼女が中空に表示させる画面を見やる。するとそこには、複数名の能力値が表示されていた。
「まずはこれが~、歴代の勇者たちの強さ……を、ステータスって概念に落とし込んだ数値だよ~」
「おぉ~……」
「……アタシも数値化するのは初めてだけど~、確かにこの概念分かりやすいね~」
そうして、揃って数字を目で追って行く。
ふむふむなるほど、やっぱ勇者はすげえんだな……。うお、この人とか、腕力10000超えてんじゃねえか! 山であったグレートドラゴンも腕力が7000だったから、単純な力比べだけでも、あのバケモノよりも上ということになる。
「ニンゲンで~、何かの数値が10000超えたら、超人よりも更に上だね~」
「なるほど……」
「グレートドラゴンの腕力7000で、そっちの世界のコンクリートが破壊できるくらいだからね~。それよりももっと高い数値ってことは、そういうことだよ~」
人間体なのに、純粋な腕力だけでコンクリを粉砕出来るってことか。そりゃ確かに、超人どころかニンゲン辞めてるわ。
「そのほかにも、スピード15000超え、魔力20000近くとか……、やっぱすげえのはいるなあ」
感心しつつデータに目を通していると、トライオンはそのまま、再び手ごろな岩に腰掛け「そうだね~」と笑って言った。
「世界を救おうとしたニンゲンだしね~」
「確かにな」
「まぁ全員失敗しちゃったワケだけど~」
「……確かにな」
あはは~と軽く笑うトライオンさんだったとさ。……うん、めっちゃドライですね。
「…………」
しかしトライオン。
カムワロと違って、なんだかニンゲンにあんまり興味が無いように見える。そこはどうしてなんだろうか。
そんな疑問を軽く投げると、トライオンは「ああ~」と軽く相槌を打つ。
「それはアタシが~、元・人間だからだね~」
「元・人間⁉ え、マジでか⁉」
「そっちの世界出身じゃなくて、この世界の人間、だけどね~」
そうだったのだよ~とユルやかにダブルピースをするトライオン。
「そうなのかぁ……。えっと、人間から、神や女神になれるもんなんだな……」
俺がそんな疑問を抱くと、トライオンは「う~ん……」と腕組みをした。
「今はユ~スケのレベルアップの話をしたかったんだけど~……。まぁでも、まだ『場』も温まってなさそうだし~、雑談程度にはいいかもね~」
「そ、そうか……? なんかすまん」
「いいよ~。……あ、丁度いいからさ~。『アタシの話を聞く』ってのを、経験値にしちゃおっか~」
「は? どういうこと?」
首を傾げる俺に、トライオンはてきとーな木の枝を「はい♪」と渡してきた。
「それ、ず~っとこっちに向けてて~。建前的に、今ユ~スケは~、『アタシという女神を脅して~、過去の秘密を暴いている~』…………って設定にしてるから~」
「どういうことだよ⁉」
「あはは~♪ 経験値のためだよ~」
「経験値?」
「そうすることで、ユ~スケはアタシに『攻撃』してることになる~。つまり~、アタシが秘密を話し終えたら、きみに負けたってことになるわけで~。勝利したきみには、戦闘分の経験値が入るってわけ~」
「そのための木の枝か……」
「せっかく時間使うんだもん~。できれば効率よくいきたいしね~」
「俺の初のレベルアップイベントが、そんなことでいいのか……」
ともかく。
木の枝をぷらぷらさせながら、俺はトライオンに質問する。
「話を戻すけど……。トライオンは元・人間で、女神に成ったんだな?」
彼女は「いい質問だね~」と頷いて続ける。
「女神にも色々いるんだけど~。とにかく~。
ユ~スケの言う通り。アタシはその昔、戦って戦って戦い抜いた一兵士だったんだ~」
俺の木の枝をつんつんとつつきながら、少しだけ遠い目をする彼女。
「だけど~、勝つのにも守るのにも、生きるのにも飽きちゃってね~。そんなとき――――カムワロに、女神になってみないか~って誘われたんだよ~」
「は、はぁ……」
「丁度募集してたんだって~」
そんなバイトみたいな。
「あはは~。あながち間違ってないかもね~。
まぁそんな感じで、アタシは元ニンゲン種だからさ~。あんまりニンゲンに興味津々じゃないの。もうニンゲンの事は、ニンゲン時代に知っちゃってるから~」
「なるほど……?」
「逆にカムワロがニンゲンに興味があるのは、ニンゲンのことを理解できないからだね~」
理解できないから興味がある。知ってみたいと思う。守りたいとも思う。
「そ~だね~……。ユ~スケは、コンビニってところで働いてたんでしょ~?」
「ああ。まぁバイトだけど」
「例えるならさ~。アタシとユ~スケは、生きるためとか、存在のために、コンビニでお仕事をしているって感じなんだけど~、カムワロは違う。
カムワロは~、生まれながらにコンビニの人なんだよ~。だから、コンビニで働くしか選択肢が無いの」
「コンビニ……そこでしか」
働かない。働くしか選択肢がない。
「辞めるとか辞めないとか、好きとか嫌いとかよりももっと上。
そういうものだからそうしてるだけ。人類のためとか、神々のためとか、世界のためとかでもなくて~、『現象として』、コンビニに務めてる人って感じなんだよね~」
そこにいる。
意味はなく、本人の意志すらも関係なく、そこに居る存在。
レジを打ち、検品をして、品出しをして、什器の掃除とかして、休憩も取りつつ、だらだらしたり適度にさぼりつつも、常にコンビニに居続ける。そういう存在。
このとき少しだけ、トライオンの瞳に何かの意志を感じた。けれど、それがどんな感情だったのかは分からなかった。
「…………」
少しだけの沈黙。
木の枝の先に蝶が止まり、そして再び羽ばたいていく。
それを見送ったあと、俺は先ほどまでと同じような口調で、トライオンに告げた。
「まぁ……何にせよ。カムワロの事が知れて良かったよ」
「お~……? あはは~。そいつは良かった~」
「実はというか何と言うか。カムワロとは、ほとんどこういった会話はしなかったしなぁ」
白い空間で巨大な状態の彼女と出会って、そのまま街に出たかと思うとスルーして山に入って、そのまま戦闘。
……ほとんどというか。バイオレンスな話題と、ちょっとえっちな内容しか話してない気がしなくもない。
「なぁトライオン。カムワロに身体代われるか?」
「ん~? いや、今は無理~。条件満たしてないから~」
「条件?」
ってことはもしかして、自由に意識をチェンジできるワケじゃ無いのか。
「まぁ簡単に言うと~……、」
俺の疑問を感じたのか、トライオンが口を開いた――――そのときだった。
上空に、複数の影。
しかもそれは、一つ一つがとてもでかい。
湖を中心に、どこまでも続くほどの広い草原。そんな地平を埋め尽くすかのように、それらは次々と飛来し、俺たちの上を旋回していた。
「なん――――」
見上げた先には。
イナーサーの山で見たグレートドラゴンよりも、遥かにバカでかい巨体が、翼をはためかせ飛来してきていた。
全身からは淡いプリズム光を発しており、身体のところどころが硬質化しているようにも見えた。
「あっ、そ、そうだ! ステータス!」
慌てて画面を確認すると……、そこには、とんでもない数値が映し出されている。
クリスタルドラゴン
身長 800cm 体重 1500kg
レベル 248
体力 25698 腕力 18900 速度 20040
知力 3126 魔力 9533 運 6549
思わず息を飲む。
「アレも、魔王軍なのか……? でも、ジェルジェンナの話じゃあ、魔王軍は極力俺らの道中には出ないようにするって」
「ど~やら、直接魔王が動いたっぽいね~」
「直接……?」
「四天王とかナントカ将軍とかとは、違う魔王軍。というか、魔王のペットに近いかな~」
「ペット? アレが……?」
上手い例えが出来ないのか、「なんて言えばいかな~」とトライオンは首を傾げる。しかしそのあと、「まぁ細かいことは置いておいてさ」と続けた。
「倒せば全部一緒だよ~」
「はい……?」
「ど~せ魔王も倒すんだからさ~。手間が一つ二つ増えるのも、大して変わらないっていうか、ね~」
音符がつくほど気楽な口調だった。
けれどその裏で。闘気は膨れ上がる。
「うぉっ……!」
イナーサーの山で見た、カムワロから放たれる暴風にも似た魔力。
それと酷似したエネルギーを身体から放出させ、彼女は臨戦態勢を取った。
「これ、は……!」
最初の真っ白い空間で見たとき以来の、女神モードの姿。
額から伸びる二本角と、頭部横から生える枝分かれした角。
装束も合わせて変化する。以前カムワロの言っていた通り、彼女よりもよりいっそう布面積の少ない服装へと変貌していた。
「というか、布面積少ないっつーか……」
所謂、眼帯ビキニ姿である。布の部分も紐の部分も、そのむちむちの身体にしっかりと食い込んでいて、どこから見ても目を奪われてしまう。それほどに過激だ。
けれど。
そんな、性欲の全てを支配してしまいそうな、強烈なダイナマイトボディよりも、更に目を引く箇所がある。
それが――――彼女の、禍々しいまでの四肢である。
「なん……、だ?」
眼帯ビキニから見える白い肌。胸の谷間や腹、尻、太腿、上腕。それは透き通るほど瑞々しく美しい、白い肌だった。
けれど、そこから先。
肘から先、膝から先。その四部位が、あまりにもどす黒く、そして、獣のように変化している。
どくんどくんと脈打つ四肢は、まるで違う生き物のような外見だった。
先ほどの小双角獣などではない。山で大量に蹴散らされていた、様々なモンスターよりも、どこか凶悪。
脳裏に一つの、苛烈で強烈な単語が浮かぶ。
「魔獣……」
魔物でも、獣でもなく、魔なる獣。
「おりょ、なかなか勘がするどいね~」
俺の呟きに対して、先ほどと何ら変わらない返事をするトライオン。
そしていつの間にやら、俺の身体には防御魔法と思われる魔法膜が張られていた。
「それ、一歩も動かなければ、気配自体を消せる魔法だから~。安心して見てていいよ~」
「は、はぁ……」
そう言えばカムワロもこういう配慮してくれてたなぁ……。もしかして、思った以上に俺の事考えてくれてる?
そう質問しようとも思ったが、トライオンは既に、前だけを見つめていた。
「それじゃ~そこで、待っててね~」
超速で迫り来る光の竜。
しかし彼女は、クラウチングスタートのように両手をついて、尻を上げる。
「ちょ~っと、運動してくるから~」
そして。
竜よりも早く、その地面から発射されていった。
まるでカムワロのように――――彼女も、戦いたくて仕方がないと、謂わんばかりに。