既視感と少女
はあ、まただ。またこの感覚。
学校からの帰り道、私は心の中でつぶやいた。いい加減おかしいと感じるのも無理はないと思う。歩くこと30分、私は10回以上デジャブっている。今は商店街の八百屋に置いてある扇風機によって引き起こされた。
デジャブというのはいわゆる既視感のことで、過去に経験したことがないはずなのに、経験したことがあるかのように感じる現象のことだ。私は毎年初夏に入ると置かれるこの扇風機を今年初めて見る。記憶を辿っても、昨日の帰り道でそれを見た覚えはないのだ。扇風機に付けられ風で揺れる吹き流しの動きが、私の動揺を煽っているように思える。
「おっちゃん、この扇風機いつから出してんの?」
私が聞くと八百屋のおっちゃんは、
「おう、今日から出したんだ。いいだろう?涼しいぜ」
と言って嬉しそうに笑った。
やはり昨日は出していないらしい。
おっちゃんに別れを告げて歩き始める。
ああ、まただ、また既視感が。
家路の途中、商店街の八百屋の扇風機を見て私は辟易した。私はピロピロと揺れ動く吹き流しを付けた扇風機をどこかで見た覚えがある。一年以上遡れば去年の初夏に見ているのだけれど、そんなに遠い日のことではなく見たような気がするのだ。しかし見たはずはないのだ。八百屋のおっちゃんが今年初めて出したと言っているのだから。まだボケるような歳ではないはずだしそれに間違いはないのだろう。ただ、不思議なことにそのおっちゃんとのやりとりにも既視感があった。
「前にこんなやりとりしたっけ?」
「いんや、してねえと思うよ」
「そうかなぁ〜、、、」
本当にそうなのかな〜。謎は深まるが、私は家に帰らねばならない。大人しく帰路を辿るのだ。既視感の伴う別れを告げ、私は歩き始めた。
んなぁ〜、まだっ⁉︎まだこれ出るの⁉︎
本日15回目のデジャブに、私は戸惑っていた。商店街の中心であるにも関わらず、愛ならぬ既視感を叫ぶところであった。
それというのも、今日の帰り道においてみるもの全てが既視感に塗れているのだ。上村さん家の花壇の枯れかけの紫陽花、ほんわか広場の噴水が上がる瞬間、行きつけの書店の店頭の人気書籍などなどetc
そして今は八百屋の扇風機である。カラフルな吹き流しをを付けて勢いよく回るそれは、今年初めて設置された物である。それなのに私は昨日より後に、それこそ今日中にどこかで見たような奇妙な感覚に陥ったのだ。そんなはずはないのに。
試しに扇風機で涼んでいる八百屋のおっちゃんに聞いてみた会話すらも一度どこかでしたような感覚があるという始末で、なんだかよくわからない。
私が逃げるように八百屋を離れ、そのまま商店街を抜けると、幅の広い川がある。何を思ったか私は、頭を冷やそうとその河川敷に降りて行った。普段はしないその行いにまだ既視感があるのかと思えば、どうもそうならなかった。今度はそのことに疑問を覚えながらベンチを探していると、白いワンピースのかわいらしい女の子が黄昏ているのが見えた。
私はかわいらしい女の子が好きである。近所の保育園児から小学生までが大体の範囲である。さらにいえば、その少女にも既視感はなかったのである。
前述したあらゆる理由により、私は少女に近づいた。
「ねえ、こんなところで一人、何してるの?」
「お花見てるの。川の向こうにある黄色いお花」
少女が指差す先を見ると、対岸の土手一面に黄色い名称不明のお花が咲いている。
「綺麗だねぇ。私もお花大好き」
「お姉さんも⁉︎やった、嬉しい!」
私も嬉しい‼︎
「でもこんな時間だし、もう日が落ちるよ。お母さんは?お家に帰らないの?」
少女はそれを聞いても目の色を変えずに花を見続ける。
「私あのお花ずっと見てられるの。お日様が沈んじゃってね、まだお花見たいなー、って思ったらね、またすぐにお日様が出てきてお花が見られるようになったんだ!」
女の子はそんなよくわからないことを言った。子供の凄い想像力に感心していると、土手を煌々と照らす日が、山の奥に沈んで行き、少女が言う通り、お花は見えなくなった。
「あーあ、お花まだ見たいな、、、」
はあ、私は八百屋の前でため息をついた。
「どうした、うちの前でそんな辛気臭くしないでくれよな〜」
八百屋のおっちゃんは気さくにそう言うが、こう何度もデジャブったらため息の一つも出る。扇風機に付けられた綺麗な吹き流しを見ながら、私は心の中でつぶやいた。