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幕間:人類の希望

笹倉の朝は早い。

宿直室のベッドで目を覚まし、朝食と身支度を済ませて一日が始まる。一応は職員用の宿舎を借りているが、シャワーを浴びたり着替えを取りに戻ったりする程度で、宿直室で眠ることが多かった。職員か入所者かの違いはあれど、彼もまた施設で暮らしているようなものだ。


軍で支給されたオリーブグリーンのシャツを着用して、鍵の束と催涙スプレーと拳銃を持って上の階に行く。階段の先には立ち入りを制限する標示があった。


二重扉の向こうは第3類の超越者の居室だった。能力の性質や本人の心身の状態を考えたとき、自身や周りへの影響が大きいため、外との交流のないエリアに隔離されている。


能力を自覚し制御することができなかったり、発動する条件が不安定だったり。言葉を選ばなければ「危なくて外に出せない」とされる者。


笹倉は生活や学習の指導を担当しているが、第3類のエリアは鎮静剤を投与されて眠っている者が多い。言葉を発さず、こちらの声が届いているか分からなくても「おはよう」と声をかける。


笹倉が行うのは朝夕の見回りぐらいで、後のことは医療スタッフが担っていた。


第1類は、家庭で暮らして学校に通いながら、定期的に施設に通って能力の調査や観察を受ける者。


第2類は、施設で生活し、日中に敷地内を歩いたり他の職員と話したりすることが認められている者。この施設ではカズマとリュウの2名だった。


体育の授業と称して運動に付き添い、自習の様子を見守りながらパソコンでメールを確認し、外部に送る書類を作成し、連絡や交渉を担う。


仕事熱心な笹倉は少年たちから信頼され──その真面目さがときに命取りになった。


リュウが施設に加わったのと同じ頃、笹倉に一通の電子メールが届いた。


船坂カズマのモニタリングについて。ここ数回は拒否的な態度を示しており、適切なデータの収集が難航している。安全性を確保しながら能力を正確に評価するため、担当職員の笹倉に同行をお願いする。当日はカズマが協力するように声をかけてサポートしてほしい、とのことだった。


機密情報を含むため第三者への転送・公開は固くお断りいたします、という注釈があった。


カズマのモニタリングは笹倉の管轄ではなく、付いていくのは初めてだった。仕事は機密事項が多いうえ、カズマの能力は「傷が早く治ること」だという。


見せてと言われてすぐ披露できるものでもなく、普段の生活は一般の子どもと変わらない。笹倉自身もカズマの能力を実際に目にしたことはなかった。


なぜ自分が呼ばれたのか考えつつ、笹倉はカズマと一緒に車に乗って軍の医療施設に向かった。後部座席で隣に座ったカズマは、車内のラジオを聴きながら目を閉じていた。


F(仮名)

年齢:12歳

深い傷に対する自己修復能力を詳細に調査し、その特性と回復速度を把握することを目的とする。現在のところ、Fの回復速度は本人の精神状態に左右されると考えられる。


端末に転送された資料を確認して、笹倉は胸騒ぎを覚えた。この少年は怪我などしていない。


医療スタッフに案内されて、笹倉は「処置室」と標示のある部屋に入った。

白い照明の下。数人のスタッフが帽子とガウンと手袋を身につけて、測定に使う機器を用意していた。


カズマは背もたれのついた椅子に座っていた。準備は整いました、との言葉に「はい」と答える。背もたれが後ろに倒された。


「今から腕の骨を折って、回復するまで様子を見せてもらうね」

「すみません、やっぱり……、やめて」


「この実験ができれば、みんなを助けるための大切なデータが得られるんだ。それに、君の力はすごいんだよ。他の人たちが君みたいな能力を持っていたら、こんな実験をしなくても済むかもしれない」


医療スタッフとカズマのやり取りを耳にしながら、笹倉は言葉に詰まった。

……これは正気なのか、と。


「動かないで」


嫌だと繰り返して上体を起こしたカズマを、スタッフが数人で椅子に固定した。笹倉は目を反らすこともできず、実験を遮ることもできず、一部始終をただ見つめていた。

頑張れ、早く終わらせて帰ろう、と呟きながら。


データ収集が一段落して休憩を取ることになり、リーダー格の男と笹倉は2人で廊下に出た。少年の叫び声がまだ耳に残っている。


「なかなか面白い能力だろう。調べたいことは山ほどある」

「率直にお聞かせください。船坂のことをどういう存在だと思っていますか」


笹倉の問いに、男はゆっくりと笑みを浮かべた。

「人類の希望。可能性だよ」

「人類の希望である前に一人の子どもです」


こんな実験を受け入れろというほうが無茶だろう。


男は顔色を変えずに話し始めた。言いたいことは分かっている、という態度だった。


「世の中には怪我で長いこと苦しんだり、不慮の事故や病で手足を失ったりする人が大勢いる。君も軍人なら知ってるだろう。彼の力を解明することで、多くの人々が助かるかもしれないんだ。そこまでは分かったか」

「……はい」


「変に肩入れして“痛がってるから調査をやめてやれ”というようでは、職員としての適性を疑ってしまう。君の役目は彼の力を引き出すことだろう? 私は君に期待しているのだから、協力を頼む」


「それならせめて麻酔を使ってください」

「まあ一理ある話だが、麻酔を使うと回復が遅れることが分かっている。本人が危険を知覚するのが引き金になっているようでね。他に言いたいことはあるか?」


「いえ」と笹倉は答えた。失礼しました、と告げて踵を返す。


その足で自販機に向かい、苛立ちまぎれに缶コーヒーを購入した。普段は飲まないブラックコーヒーを一気に飲み干すと、苦味で吐き気を催した。缶を握り潰してゴミ箱に捨てる。


モニタリングは昼頃に始まり、傷が完全に治ったのは夕方だった。感嘆する医療スタッフを前に、カズマは戸惑った様子で腕を回していた。


──研究は続行されます。ご協力に感謝し、その能力が人類の福祉に寄与する可能性を期待しております。担当チームより


端末に届いた文章を読んで、笹倉はため息をつくのだった。

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