決別
2人は地上に降りて、校舎の脇の日陰に移っていた。いつの間にか空は晴れていて、雲間から差し込む日差しが眩しい。
リュウは日陰に寝かされて、非常用電源に繋いだファンから冷たい風を浴びていた。リュウの傍らに医療スタッフの歩美がしゃがみ込み、カズマは数歩離れた場所に立って、校舎の上階と歩美の背中を交互に眺めていた。
歩美は「ちょっと脱がすよ」と声をかけてリュウの服をまくり、体に傷がないか確かめながら腰の無線機を外した。既にカズマから回収したものと合わせて2台。
「手錠かけなくていいのは楽だね。拘束するのって好きじゃないから」
諦めたように身を委ねるリュウに、そんなことを言った。鞄から道具を取り出して、一通り様子を観察して「よし」とうなずく。
「目立った傷はない。心臓はちゃんと動いてるし、血圧も異常なし。体温もさっきより下がってる」
「……撃ちまくったから、熱くて死にそうだった」
「そっか。機械とか銃にもオーバーヒートって現象があるから、君の場合も似たようなものかな」
歩美からスポーツドリンクを渡されて、リュウは座って蓋を開けてゆっくりと飲んだ。飲むのが次第に早くなっていく。生きている、と思った。教室の光景が溶けて、日常が戻ってくる。
自分で開けて飲めるなら大丈夫、と歩美は笑顔を見せた。
ユイはまだ居るのか尋ねると、歩美は「ううん」と答えた。
「病院に移されてる。大きい怪我や問題はないから、心と身体を診てもらうためだよ」
「そう」
──結局会えなかったな。
リュウは少し残念に思ったが、無事ならいいかと考え直した。人質として連れ込まれた場所に長く留まる理由もないだろう。
歩美は無線機の音声ファイルを再生して、教室での会話を早送りで聴いていた。奇跡に触れたように目を輝かせる。
「二人とも頑張ったね。てか船坂君」
名前を呼ばれたカズマが振り返ると、歩美は質問を浴びせた。
「銃で撃たれたの? もう治ってる? ちょっと見せて」
カズマが戸惑ったように「はい」と答えたところで、背後から笹倉が現れて、歩美の手から無線機をもぎ取った。
「勝手に聴くな。回収して俺に預けろって言っただろう」
腕は良くても好奇心が強すぎる、と笹倉はため息交じりに付け足した。
「ユイが出てくる前に校舎で何かを砕くような音がしたんだが、そっちの音声には入ってないか」
「あの音は入ってないと思います。もう一回聴きますか?」
歩美が無線機を操作したとき、校舎の玄関から人の姿が現れた。足取りは頼りなく、壁に手をつくようにして歩いている。黒一色の服を着て、肩に何か光るものを提げていた。
軍の数名が駆け寄って「誰だ」と声をあげ、笹倉も警戒する視線を向けた。
リュウは歩美の制止も聞かず、ふらつく足で立ち上がって走り出す。
──ヒロがそこにいた。
黒いパーカーとズボンは埃にまみれて破れていた。
うつむいてシャベルを引きずっている少女の姿を見て、リュウは咄嗟に口を開いた。
「ヒロに何か飲ませて。一番甘いやつ」
*
ヒロは校舎の陰に座って、缶の飲み物を少しずつ飲んでいた。笹倉が「知ってる人なのか」と不思議がりながら、リュウの言葉に応じて車から調達してくれたのだった。ヒロは笹倉に小さく頭を下げて受け取った。
リュウがヒロを見下ろして口を開こうとすると、ヒロは視線を反らして「見ないで」と返した。
弱った猫のように姿を隠そうとする。敵に簡単に捕まらないように、目に付きにくいところに身を潜めて回復を待つ生き物を連想させた。
リュウはうなずいて、壁が直角に曲がるところに寄り掛かって座った。互いの姿は見えず視線は交わらないが、ぽつぽつと言葉が届く。言葉を拾い集めて、リュウは自分が教室に入ってからの出来事を知った。
リュウとカズマが教室に入ったとき、ヒロは見張りとして廊下に残るよう指示された。
ヒロはユイが用具庫にいるのを知っていた。サリーの能力は教室の内と外を遮断するもので、用具庫と廊下を隔てるのは単なる壁だった。ヒロは自身の筋力と早さを一時的に強化できて、廊下側の壁を壊してユイが出られるようにした。
「私はいろいろ中途半端だから。コンクリートはなかなか砕けなかったし、ユイが出ていった後に動けなくなった」
ヒロの言葉を聞いて、状況を頭に浮かべる。ユイに「階段を降りて玄関から逃げて」と声をかけた後、廊下で倒れていて、時間が経って動けるようになってから玄関に向かったんだろう。
リュウはひとつの風景を見た。ヒロが肩で息をしながら、何度も何度も壁に向かっていく。
俺とおんなじことやってる、と思った。
形容できない感情が胸を衝いて、リュウはしばらく黙り込んだ。
それにしても、最初に出くわしたときの動きだと、ヒロはサリーに味方していたはずだ。どうしてユイを助けたのかと問われて、ヒロは少し考えて答えた。
「勝ち目がなかったから」
リュウを気絶させて教室に連れていこうとして、揉み合いになった。能力については予め聞かされていたけど、手が心臓のあたりに当たったとき、近距離で撃たれたら死ぬんだと理解してしまった。死にたくないからリュウと対峙するのをやめて逃げて、階段の途中で追いつかれた。
「勝ち目なかったし、本当にユイを助けるために来たって分かったから。わざわざ気絶させなくても行くところだ、って言ってたよね」
そりゃな、とリュウは短く答える。そのために施設を出てきた。
しばらくの沈黙の後、ヒロは「ありがとう」と口にした。
「いや。こっちこそ。ユイを、助けてくれて」
「……私はサリーの共犯なのに」
礼を言われる意味がわからない、と言いたげな返答だった。
*
言葉も少なく座っている2人の前に、笹倉が現れた。3階の教室から犯人が見つかった、と告げる。
生きているかと問うヒロに、笹倉は首を横に振った。
ユイが玄関から逃げて、リュウとカズマが窓から飛び降りた後、軍の関係者が校舎内の捜査に入った。301教室で発見されたとき、彼女は既に息をしていなかった。
笹倉の示すほうに目をやると、軍の人間が数人で担架を運び出していた。サリーの片腕が担架からはみ出して揺れている。
リュウとヒロは立ち上がって、沈黙した。
カズマは静かに頭を下げ、笹倉と歩美も黙って担架を見送った。
担架が視界から消えて、ヒロがふっと口を開いた。
「これから軍のひとに事情を訊かれる」
そこで全部話すよ、と付け加える。
サリーとの関係も、自らの能力についても、全てを話して軍の判断に委ねるつもりなんだろう。
手を伸ばせば届きそうな距離で、ヒロがリュウの目をまっすぐ見ていた。2人の視線が交わる。
「……もしかしたら施設に入るかもしれない」
「そのときは自販機でジュース飲もうぜ」
ヒロは微かにうなずくと、パーカーのフードを被って踵を返し、オリーブグリーンの集団のほうへ歩いていった。




