なろう批判はダメじゃない……が。
結論を言えば「客観的で建設的な批判」であるならば本来は新しい視点が得られる感想なら普通に嬉しいんですよ。
客観的で建設的な批判が受け入れられない場合は、その理由は別にあります。
ってか、批判や感想をするときは前提の「自分の意見が相手に分かりやすく伝わるように書いているか」ぐらいは考えて書いて欲しい。
ってか……例A、Bって分けるようなエッセイの書き方や癖のある書き方ってどっかで見たような気がする(こんな風に話題がとぶ感想や論点が多すぎる長文感想があまりにも多すぎる)
・批判は何故嫌われるのか?
「役に立たない」か「すでに分かっている」程度の中身のない批判。
「感想欄」にすでに書いてある内容のコピペみたいな意味のない文章。
マウントとり的な挑発的な間や言葉が多い文章。
単純に「だから?」っていう内容の批判をすれば、そりゃダメ出しされるよなって思います。
または「言葉を省いたのはわざと」とか「長文でしか感想が書けない」といいながら論点をそらしながら感想を送るネットでは論破王的なコメの熟練者の紳士・淑女もいます。
「結局どうして欲しいの?何いいたいの?」ってもモヤモヤする感想をマジで「客観的で建設的な批判」といいはる方います。
個人的には何を言いたいのか、感想を書く事で何をしたいのか明確にしない感想を送る人間はブロックとミュート対象だと思っています。
リアルでそんな同級生や同僚いたら相手にしないですよね?
※感想を送る人と送られた人がお互い楽しんでいるなら別ですよ。ぼっちの私も意味のないやり取りでキャッキャウフフしていた事ありますもの。
・ガチなリアルで考えてみてください。
ど素人の批判を受け入れる「プロ」もしくは「プロ志望」って気持ち悪くないですか?
サッカーの三苫さんが「ファンがドリブルばかりじゃなくてヘッドしろっていうからポジションどりを変えました」
なんてありえないですが、三苫さんにファンの客観的で建設的な意見を取り入れてプレーをしていたって言ったらどう思いますか?
嫌ですよね。
もし「僕がこういう建設的な批判をしたおかげで三苫が活躍できているんだ」って言うネット民がいたらどう思いますか?
叩きたくなるぐらい嫌ですよね。
「アイドル」「配信系」「ラジオ」や配信系で言えば、ファンと一緒になって作り上げるってパターンだと、ありなんですかね?
この辺りの感覚はちょっと分からないんですが、ラジオや配信だと皆で作り上げたってパターンは確かにある気がします。
そして主もリスナーも幸せそうな気はします。
にじさんやラジオ局がで待ちするなとかで警察ざたになったって話も聞いた事あるし、この辺りはよく分からないのでなんとなくですけどね。
どちらにしろ「本当に建設的な意見」であれば、主観だろうか客観的であろうが、好意的でも批判的でもダメ出しされることなんてないはずないんですよね。
たまにニュースになる迷惑系のファンの人たちも自分は「客観的で建設的な」ファンだと思ってそうですしね。
・最後に「なろうになれていない作家の皆様へ」
基本的に炎上エッセイを書くときは、件の作者のように投稿はエッセイのみ、評価0のアカウントでしましょう。
『複垢は規約違反の即バンなので私は物書き志望の方がエッセイを書くのはオススメしません。』
相互グループに参加して幹部からエッセイを書くように勧められても、小説を書いている方は本音でエッセイを書くのは控えましょうね。(私はTwitterをやっていないのでそんな事があるのかはしりません。Twitterが運営に認められる前の大昔のネタです。)
有名なエッセイ書きも小説がポイントついてきたらエッセイを書かなくなるでしょ?
書かなくてはダメな雰囲気で書く事になったらほのぼの系を書きましょう。
ポイントが付きやすくても決して戦う系スタンス系を見習ってはダメですよ。戦う時はギャグセンスと精神力が必要になりますからね。
そして戦って得られるものは、ほぼないです。
仲間のためにと苦労しても後ろから刺されますしね、