氷の令嬢は文にて春を知る
「君は本当に冷たい女性だ。もう僕には耐えられない! さようなら」
この台詞を投げつけられるのはもう何度目のことでしょうか。
私は公爵令嬢のリリノア・ローズベルト。社交界でいただいたあだ名を『氷の薔薇姫』と申します。
もちろん、このあだ名は皮肉と嫌味の塊。私は自分のことしか考えていない冷徹な女で、目の前で困っている人がいてもけして手を差し伸べず、表情すらピクリとも変えずにただ黙って目をやるだけ。その瞳は侮蔑の色で染まっていると。冷たい、ただ見た目が美しいだけの女だと。
そのように吹聴されておりますが、実のところ、私はとても小心者なのでした。
目の前で困っている人がいても、私は身体が固まってしまうのです。私が声をかける方が迷惑なのではないのかと。本当は自分の力で解決したいかもしれないのに声をかけて良いのかと。それに、私がその方から嫌われていたとしたら、それなのにわたしに声をかけてこられたらきっと嫌な気持ちにさせてしまう──そんなことを考えてしまうのです。
自分のことしか考えていないと言われてしまうのは、その通りだと思います。私は自分かわいさで、自分が傷つきたくないから、『もしも』を考えて、何もできないのです。
そんな私が嫌われるのは当然のこと。
こんな自分を変えたくて、勇気を出してみた頃にはもう遅くて、私が誰かに声をかければ蛇蝎の如くみなさん嫌がるのです。みなさん揃って愛想笑いを張り付けて、蜘蛛の子を散らすかのように、私の前から去っていくのです。
この勇気は長くは続きませんでした。
すぐに、私は卑怯で、臆病で、自分のことしかかわいくない女に戻ってしまいました。
幸い、私の家族は私のことを愛してくれておりました。このように、どうしようもない娘であっても、家の中では不自由のないように過ごさせてくれました。
私も家族には怯えることもなく、のびのびと甘えて過ごすことができました。
私のようなものを、内弁慶と申すのでしょう。
本来であれば、婚約破棄とはそう気安く行えるものではありません。ですが、この国においてはこの近年、そう珍しいものではなくなってしまいました。
というのも、我が国の王太子殿下が婚約破棄をなされたからです。
国の象徴たるお方がされた行為であるので、国全体としてこの婚約破棄というものに肯定的な雰囲気になりました。
何を隠そう、その王太子殿下に婚約破棄をされた女が私です。
それゆえ、私を相手に婚約を破棄するということは、特に容易いことでありました。何しろ、すでに王族から婚約破棄をされた女というお墨付きですので、免罪符があるのだといいましょうか、私との婚約を破棄することが貴族社会における道理に背く行為であるという図式は成り立たないのです。
私は多くの殿方から婚約破棄をされてまいりました。婚約するたびに破棄され、婚約するたびに破棄されを繰り返し、そのたびに私の価値は下がって参りました。
ですので、私は本当に些細なことで婚約破棄をされるのでした。
ですが、私にとって、幸福なことがいくつかございます。
一つは、家族仲が良いこと。
もう一つは、王太子殿下から婚約破棄をされた際に莫大な慰謝料をいただいたこと。私一人であれば贅沢を望まない限りはゆうに人生3回分は暮らせる金額をいただいております。
最後に、私には妹がいて、彼女が無事に入婿を迎えたこと。私たちは二人姉妹でしたので、公爵家を継ぐ婿が必要でした。私が社交界では最低の評価をいただいておりますので、心配していたのですが、妹はとても優秀で、優しくて、美しい、素晴らしい令嬢でした。素敵な婿殿をお迎えし、我がローズベルト家はこれで安泰でしょう。
私は、そういうわけで、今後のことはなにも心配する必要はないのです。
このまま誰と婚姻することなく、一生この家で慎ましやかに生きて死ぬだけでよいのでした。
しかし、私を愛してくださっている父と母は、どうにか私が結婚できないかと頭を悩まされておいでです。
私が結婚を望んでいないと申しあげても、「かわいそうなリリノア。あなたを理解してくれる相手を見つけるまでは我々は死ねないのだ」と返されてしまいます。
私も父と母を愛しておりますので、両親が必死の思いで繋いでくださった縁談は全てお受けいたしました。
そして、その全てが断られました。
私の家は公爵家ですので、普通ではありえないことなのですが、そう、私の価値はありえないほど低いのです。王太子殿下から婚約破棄された令嬢というのは、そういう烙印を押されるのです。前例がありませんでしたので、存じ上げておりませんでしたが、私は自分の身を持って、それを知りました。
私は耐えました。どんなお相手の御子息にも失礼がないように努めたつもりでした。どんなに向こうが失礼なことをおっしゃっても、反論せず、黙っておりました。
そうしたら、「僕が何を言おうと君は興味がないんだな」と言われてしまいました。
中には私を価値のない、安い女と侮り、強引に身体の関係を迫る男もおりました。私はこれも我慢しました。さすがに身の奥まで暴かれることは許しませんでしたが、唇を奪われる程度ならば我慢しました。
嫌がれば婚約を破棄すると言われたら、拒めませんでした。
私の結婚を望む愛する父と母を思うと、受け入れるしかありませんでした。
しかし、その男は散々私を弄んだ末に婚約を破棄なさいました。
それをきっかけに私は疲れが出てきてしまい、しばらく療養しておりました。
近頃ようやく身体が動くようになってきたので、久しぶりに結んだ縁談だったのですが、また、断られてしまいました。
伏せっていた私を心配してくれるお優しい方と思ったのですが、やはり、私がまことに冷たい女だからなのでしょう。会話で楽しませることができませんでした。
わかっています。ですが、どうしても私は上手に会話ができませんでした。なにしろ、自分から他人に話しかけることができないのですから。
貴族令嬢としてはあるまじきこと。これでは社交の場で役に立ちません。私は妃候補として礼儀作法を叩き込まれ、熟知はしておりましたが、それとその通りに身体が動くかは別でした。最低限のことしか私はできませんでした。
それでも、王太子殿下と婚約関係にいた頃は、もう少し頑張れていたのですが、もう、それも、今の私には厳しいことになってしまいました。
やはり、私は落ちこぼれなのです。性格も悪く、有能ではない女。そもそものきっかけとなった王太子からの婚約破棄も正当でありましょう。
他人に話しかけることが怖い王太子妃など、いるわけがありません。
たまたま公爵家に生まれ落ち、容姿だけは整った臆病者で卑怯者な能無しの女。脆い『氷の薔薇姫』。
このような女が妃になれるわけがないのです。
◆
さて、妹の入婿殿が我が家にいらっしゃいましたので、私は離れを作ってもらい、そこで生活を送ることにいたしました。いかず後家の姉がいつまでも本邸にいては、婿殿もお困りになるでしょう。
とうとう、両親も私のことを諦めてくださいました。両親が私に婚姻を勧めるのが彼らの優しさのゆえとはわかっていても、諦めて下さって正直ホッとしています。
王太子殿下から婚約破棄をされた際に、案件を取りまとめてくださった宰相殿は賢き方でした。王太子殿下から婚約破棄をされるような令嬢というものがどうなるのか、先のことをわかっておいでだったのでしょう。
誰からも求められることのない女、価値のない娘になるのだとわかっていらして、宰相殿は王家から私に、独り身でも不自由なく一生を過ごせる慰謝料をいただけるようにしてくださったのです。
離れはそのお金で作っていただきました。私の身の回りの世話をする者たちの給料も、そのお金から払っています。
一人きりの離れでの暮らしは快適でした。毎日寝て起きての繰り返し。私が自由にできる小さなお庭もいただいて、お花やハーブを育てました。そんなことをするだけの生活でしたが、私の胸にはようやく『平穏』が訪れておりました。
暖かな日差しを浴び、季節の草花を眺める。そんな毎日は、冷たく冷えた私の心をじわりと溶かしていきました。
不自由のない暮らしでしたが、私はふと思いつき、筆を取りました。
匿名で文をやりとりする会員制の文通クラブがあるのです。匿名ですが、貴族階級の人間のみが入会を許されるのでお相手の身分は保障されているので、安心してやりとりができるのです。
手紙のお相手は女性か男性かもわかりません。なんとなく、書かれた文字や内容からご年齢や性別は察せられるので、文を見ながら「どのような方なのかしら」と想像するのは楽しいことでした。
私は、気の利かない冷たい女でしたが、他人という存在を嫌っているわけではありませんでした。匿名での文のやりとりでしたら、私は気兼ねなく、自分の思いを綴ることができました。
むしろ私は、本当は誰かとこうしてお話がしたくてしょうがなかったのです。
ですが、嫌われることが怖くて自分の身かわいさに殻に閉じこもっていたのです。
文の良いところは、一つの言葉を選ぶのにじっくりと時間をかけられることです。自分が伝えたい気持ち、言いたいこと、この言葉を使ったらお相手はどう思うか、この言い方では誤解させてしまうかもしれない、ではこの言い方ならば。ひとつひとつ、考えて文を綴る。この時間が私にはたまらなく幸せでした。
ちゃんと私の気持ちを伝えられること、お相手を私の言葉で喜ばせたり、励ませたりすること。私は文のやりとりで、初めてそれができたのです。
嬉しくて夢中になりました。
色んな方とやりとりをしましたが、不思議とご縁の続く方がいらっしゃいました。
とても文字の美しい方です。綴られるお言葉の一つ一つも。私は名前もわからぬこの方の文が大好きでした。
このお方の文を読んでいると、とても幸せな気持ちになれたのです。
(……どうか、このお方も……。同じことを思ってくださいますように)
私はそう祈りながら、手紙を認めるのでした。
名も知らぬ、顔も知らぬ、性別すらわからないその人に、私は恋心を抱いていたのでした。
◆
さて、今年も私のささやかなお庭には色鮮やかな花が咲きました。春の息吹きを感じます。
「姉様、今年も見事なお庭ですわね」
「あら。ベア」
妹のベアトリクスです。彼女は立派に公爵家の次期女主人として務めあげていて、忙しない日々を過ごしておりました。姉の私がこうして呑気に隠居生活を謳歌しているのが申し訳なくなるくらい。
「ねえ、お姉様。もしよければなのだけど……いくつかお花をいただいてもよいかしら。客間に季節の花を飾りたくて」
「ええ、それはもちろん構わないわ。でも、私のお花でいいのかしら。花屋に頼んだほうが華やかになるんじゃ……」
「ふふ、お姉様の育てたお花がいいの。わたし、お姉様のお育てになったお花が好きだわ。香りが良いの。きっと、お姉様が大事に育てているからね」
「まあ……ありがとう。嬉しいわ」
妹の笑顔に私の頬もほころびます。彼女は結婚後、入婿殿を良く支え夫婦仲も良好でした。彼女のお腹はまだ目立ってはいませんが、ふっくらと丸みを帯び始めています。
忙しい毎日だった彼女ですが、こうして新たな生命を宿してからは穏やかに過ごせる時間を増やしたようでした。私の住む離れにも頻繁に訪れてきてくれて、二人でお話をする機会が増えました。私は行かず後家の姉の影は薄い方がよいだろう、と本邸に赴くのを避けてきていたので、彼女の方からこうしてよく遊びに来てくれることがありがたくもあり……少し申し訳なさも感じていました。
「お姉様、それはなあに?」
離れの家の中に戻り、二人でお茶を楽しんでいたところ、私の作業机の上に置かれた籠に気がついた妹が少し幼げな口調でわたしに問いかけます。
「コレは押し花で作ったしおりよ」
「まあ! こちらはハーブ……ラベンダーかしら?」
「そう、乾燥させて、水糊につけて紙とこうしてくっつけて、紐を結べば……ちょっと素敵じゃない?」
「ええ、とっても素敵! でも、たくさん作るのね」
覗き込んでみようとする妹に、よく見えるように作業机から籠を取り、手渡します。妹は一つ一つを手に取ってよく見てくれました。
「最近こういう工作が楽しくて。お手紙のやりとりをしている方に手紙と一緒にお付けさせていただいているの」
「ふふ、ますます素敵ね。お姉様のそういうところ、わたし好きだわ」
「ありがとう、ベア」
よかったら、と妹ベアトリクスにも選ばせて渡すと、妹は笑顔を輝かせ喜んでくれました。
「ありがとう。きっと、お姉様の手紙を受け取った方々も大喜びでしょうね」
「そうだといいのだけど……」
「きっとそうだわ、だってこんなに素敵なんですもの!」
妹と過ごす穏やかな午後の時間はあっという間に過ぎていきました。
◆
◆
◆
そして、季節は夏、秋と巡り、ハラハラと木々が葉を落とすその頃。私はお父様の口から懐かしいお言葉を聞くことになるのでした。
「……結婚の申し出、ですか……?」
『結婚』。この言葉を聞くのはいつぶりでしょうか。無意識に体が強張るのを感じます。
「ああ。西の辺境伯オリヴァー・アスコット様からだ」
お父様が私に釣書を手渡そうとします。が、私は首を横に振りました。
「お父様。申し訳ありません。私は……もう、結婚は」
「ああ。わかっている。わたしも断ろうとしていたのだ。しかし……実はすでに二度打診をいただき、これが三度目の申し込みなのだ」
「……」
「……お前がもう結婚というものを望んでいないことは、わかる。……だが、私たちは……お前というかわいい娘を愛してくれる人を、どうしても諦められないのだ……」
お父様の声は震えていらっしゃいました。お父様にもいろんな葛藤があるのでしょう。
我が国には三度も申し込みをいただいたのならば、これ以上断るのは失礼だという礼儀があります。お父様の顔を立てるためにも、この打診は受けなくてはならないのでしょう。
そして、婚姻の申し出をされたこの方も……それをご存知で、あえて三度申し出を繰り返されたのですから、その意志はよほど固いのでしょう。三度断ることは失礼である、という前提があるためにほとんどの場合では二度目断られたらそれ以上は申しあげないことがほとんどです。
「今度こそ、このお方ならお前を幸せにしてくれるとわたしは思うのだ。……どうか、一度会うだけでも……」
お父様の瞳は潤んでいました。父の懇願に私はそっと顔を俯かせます。
(……)
この時、私の心に浮かんだのは、顔も知らない、名前も知らない、性別すらもわからない、密かに想いを馳せる文通相手のことでした。
何も始まっていないし、これから始まりようもない恋でしたが……。もしもこれからお会いする方と婚姻をすることになるのであれば、この想いには一区切りをつけなくてはならないでしょう。
胸がちくりと刺されます。
「わかりました。でも、その代わり……条件を出させていただいてもよいでしょうか」
私が出した条件。それは初めての顔合わせの時まで『文でのやりとりをすること』。
……私は、文だけのやりとりで彼の人に恋をしました。
ならば、まだ見ぬ婚約者の方とも……文でやりとりができるのならば、こんな私でも親交を深められるのではないかと、考えたのです。
今までの婚約者の方々とはうまく行かないことばかりだったけれど……。お手紙でなら、私は自分の気持ちを素直にやりとりできるのではと思ったのです。
三度の婚姻の打診を受けた父が彼に感じたという信頼を、私も信じてみようと。この離れに住み出したばかりの頃ではそうは思えなかったでしょう。多くの方と文でのやりとりをして、私は少し前向きになれていたのです。
そして、オリヴァー様から初めての手紙を受け取り、私は驚愕しました。
大切なお手紙をしまっている箱を開き、そこに入っている封筒をいくつか取り出し、そして机の上に並べます。
「……どうして、筆跡が同じなの……?」
私が想いを寄せる、名も知らぬ彼の人。並べて見ても、間違いありません。私に求婚してくださっているオリヴァー様と全く同じ筆跡。使われているインクの色も、インク滲みや文字の払いのクセも全く同じです。
先ほどまで迷いや葛藤でジクジクしていた胸が今度は違う痛みを訴えます。心臓が早鐘を打ち、私は思わずはあ、と大きく息をつきました。
……気付かれたくない。そう思いました。
何度も文のやりとりをしてきた憧れのあの人が、どうかあの文の相手がこの『氷の薔薇姫』、冷徹で傲慢でどうしようもない女、娶る価値もない、対等な相手として扱う必要もない、貴族社会においてなんの価値も持たない女であると気付かれてしまうのは、嫌だと。
オリヴァー・アスコット辺境伯は何らかの思惑で私に求婚しました。三度も繰り返しお父様に打診があったので、それは間違いないでしょう。
きっと、我が公爵家が所有している鉱山が関係しているのだろうと私は踏んでいました。辺境領は国の守りの要。鉄や銅の需要は高いのです。私と婚姻することで、それらを融通しやすくしようというのが狙いでしょう。
あるいは……私が、『価値のない女』であるからこそ、辺境伯には都合が良かったのかもしれません。自由に愛人を囲いたいとか、何らかの事情があって……。
(……いえ、あんなに素敵な言葉を綴ることができる方が、たとえ私のような女相手だったとしてもそんなやましい理由で求婚するなんてことは考えにくいですが……)
……でも、私は怖かった。
手紙の主が私であると知られた時に……彼がどう思うのかが。
「……メリッサ。あなたに代筆をお願いしたいの。この文を写してちょうだい」
「え、か、構いませんが……。でも、お嬢様はいつも、お手紙を書かれるのをとても楽しんでおられたでしょう。よろしいのですか?」
「いいの。ごめんなさいね、面倒なことを頼んで」
悩んだ末に、私は卑怯な手を使うことにしました。
侍女に代筆をさせたのです。これならば、筆跡から『文通相手の主』にはたどり着かないはずです。文面は私が考えましたが……手紙は語るものは言葉だけではありません。肉筆から伝わる感情、その人の人となり。そういったものがあると、私は人一倍わかっているはずですのに、代筆という手段をとりました。
自分から、手紙のやりとりを望んだくせに。
……相変わらず、人一倍の小心者でずるい醜い女だと、私は痛感するのでした。
◆
雪が降りしきる頃、妹は無事に赤子を出産いたしました。妹の産褥期も終わり、温かな小さな生命を私も抱かせていただきましたが、とても儚く、そして愛おしいものでした。
元気な泣き声は離れにいても聞こえてきて、私はいつも微笑ましい気持ちになります。妹や乳母にまじり、あやしているとますます可愛らしく感じました。
小さな生命と過ごしていると毎日が本当にあっという間で、驚くほどでした。儚く思うほど小さかった姪はまさに文字通り、日に日に大きく、たくましく育っていくのでした。
……そして、とうとうオリヴァー様との顔合わせの日を迎えました。
季節は再び春の日を迎えていました。
さて、今日の日までオリヴァー様とは三回ほど文のやりとりをしたでしょうか。オリヴァー様は筆まめでいらして、私の手紙が着くとすぐにお返事をくださるようでした。
オリヴァー様からの手紙も、名も知らぬ文通相手の彼と同じく、とても思いやりに溢れた内容ばかりでした。本人なのだから、当然といえば当然なのですが……それがまた、私の胸を抉るようでした。
オリヴァー様が公爵令嬢である私にどのような打算で婚姻の申し出をされたのかはわかりません。ですが、婚姻のきっかけにどのような打算があろうと、彼は求婚者としてとても誠実であるようでした。
それにひきかえ、私は。
ずっと侍女に代筆をさせていた、本当にひどい女です。
「お初お目にかかる。わたしはオリヴァー・アスコット。西の辺境領を治めております」
「……初めまして。リリノア・ローズベルトです。このたびは長旅でお疲れでしょう。どうぞ、お寛ぎになられてください」
「いえ、長旅には慣れておりますから。お心遣い、感謝いたします」
オリヴァー様は……文章から受ける印象そのままのとても誠実そうな男性でした。キリリとした眉に、短くされた黒髪、防衛の要である辺境領の領主ということだけあり鍛え上げられた肉体をお持ちの方。背も高く、私よりも一回りほど大きい。
澄んだ色のブルーの瞳には力強い輝きがあり、私はつい萎縮してしまいます。
「手紙のやりとりなど……面倒なことをお願いしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいえ、わたしも文のやりとりは好きですから。あなたと手紙のやりとりをするのは心地よい時間でした」
「そんな……」
……やはり、代筆をさせるなど、よくなかったのだと、わかりきったことを私は改めて痛感いたします。彼の爽やかな微笑みは私であって、私ではない人物に送られたものです。
それを望んだのは他でもない私ですが、こうして実際に対面した彼の人の良さに改めて私の胸の罪悪感は杭を打たれていきます。
その後は当たり障りのない会話をして、我が家の庭を歩くことになりました。
公爵家である我が家の庭は広く、大きな庭園がありました。今は薔薇が咲き始めてきたころです。陽射しは柔らかく降り注いでいます。
ふと、彼が庭園の奥にある小さな屋根……私の住む離れを目を凝らしてご覧になられていることに気が付きました。
「……妹が入婿殿を迎えられたので、私は離れを作らせていただき、普段はそこで過ごしております」
私は離れの近くまで彼を案内しました。彼は目を窄め、煉瓦造りの建物を見やり、そしてその傍らの小さな花壇……ささやかな私の庭に目を落としました。
「この花壇もあなたが?」
「は、はい。庭師が手入れをしている庭園に比べれば、お粗末なものですが……」
「大事にお世話されていることが一目見てわかります。あなたの優しい人柄が伝わってくる」
彼はふと切長の瞳を和らげ、しばし花壇を眺めているようでした。
「……リリノア嬢。こうしてお会いして確信いたしました。わたしはあなたと結ばれたい。どうか、わたしと結婚してください」
私に向き合い直り、彼は大きな手のひらを差し出してきました。誠実そうな大きな瞳が私を見つめていました。
私は息を呑み、逡巡したのちに静かに頭を下げました。
「……申し訳ありません。どうか、この話は無かったことにしていただけないでしょうか」
「……リリノア嬢」
「私が社交界にて、どのように言われているのかはご存知でしょう。私は価値のない女です。オリヴァー様がとても誠実な良い方であることは手紙のやりとりと今日こうしてお会いしただけでも、よく伝わってきました。……もしも、ローズベルト家があなたにご協力できることがあれば、父へ口添えいたしましょう。ですので、どうか、婚姻の件は……無かったことに……」
オリヴァー様からのお返事はありません。私はその間、頭を下げ続けます。
どれほどの時間が経ったでしょうか。静かな庭、風が木の葉を揺らす音だけがしばらくの間響いていました。
やがて、オリヴァー様は低い声で囁くように仰いました。
「……不躾なことをお伺いします。リリノア嬢、あなたはとある文通クラブに入っていませんか?」
「……」
「私はあるクラブに長く入会しておりまして。色んな方と文のやりとりを楽しんでいました。どの方との手紙も楽しいものでしたが……その中でも特別ご縁を感じていた方がおりました」
ハッと私は思わず顔を上げます。
優しいブルーの眼差しと目が合いました。オリヴァー様は優しく微笑まれておいででした。
「リリノア嬢。……わたしはあの手紙の主はあなたなのだと思い、そして、あなたに結婚の申し込みをしたのです」
「……そんな。……人違いです」
「いいえ。あなたがわたしにくださった手紙に添えられた花やハーブのしおり。以前鉱山での採取物の件でお伺いした際に、こちらのローズベルト邸の客間でも同じ花が飾られていて、わたしは確信しました。あの人はこの邸にいるのだと。そして、わたしはあなたに行き着いたのです」
私は首を横に振ります。
「よくある花ですわ」
「それでもあなたが手紙でわたしに教えてくださったあなたの生活周りのことと、あなたの妹君……彼女がお話しくださったことの多くが一致しました」
……それでオリヴァー様は私に求婚を……。
合点がいき、納得できたような、信じられないような、不思議な気持ちでした。
「気持ち悪いと思われるかと思い、すぐに申し出ることができず申し訳ありませんでした」
「……そんな」
私は彼の熱心な瞳から逃れるように、目を逸らします。
「私から送らせていただいたお手紙はお読みにならなかったのですか?」
「もちろん、大事に読ませていただきました」
「私と……貴方様が仰る彼女は別人です。私には貴方様のお話がピンと来ませんし、きっと、私からの手紙はその方と字も違ったでしょう」
「ええ、字は別人のものでした」
オリヴァー様は深く頷きます。けれど、すぐさま今度は頭を横に振りました。
「リリノア嬢。わたしは言葉というものを愛しています。綴る字が違おうと、あなたが語った言葉であればそれくらいわたしにはわかります」
「そんな。私は……よくある手紙の指南書を参考に書きました。たまたま、あなたの言う彼女と同じ指南書を参考にしていたのでは?」
「あなたの文を代筆した方はあなたにとても忠実な者なのでしょう。あなたの文章の癖のあるところまで、全て忠実に写していました。センテンスの区切り方、末尾の切り上げ方、こちらの地方の方言、どこをどう読んでも、わたしが文のやりとりをし、焦がれてきた彼女と同じ文でした」
そう言って、オリヴァー様は私に優しく微笑みます。
「わたしはあなたが語る言葉が大好きです。わたしが恋した手紙の主よ、どうかこのわたしと結婚してください」
「……わ、私は……」
うまく切り替えせず、言葉を濁らせる私にオリヴァー様は力強い眼差しと共に続けます。
「……わたしはあなたの気持ちを知っているつもりです。あなたからの手紙には、たくさんのわたしへの想いが詰まっていました。ずばりその言葉が使われていなくても、わかります。……あなたも、そうだったのでは?」
「……!」
私はもう言葉が出てこなくて、代わりに涙が溢れてきてしまいました。
わかります、わかっていました。
手紙のやりとりをしていて、この人はわたしを愛してくれているのだと、そしてわたしの気持ちもこの人には伝わっているのだと。
わかっていて、ずっと手紙を書き続けていました。
けれど、このまま実際にお会いすることはなく、ただ文のやりとりをするだけでわたしは十分だったのです。いいえ、ちがいます。もしも会ってしまったら、きっと幻滅させるから、文のやりとりだけ。これがいいと、そう思っていました。
……もっと言うと、私は、オリヴァー様からいただいた手紙の字を拝見した瞬間「失恋した」と思ったのです。恋焦がれていた手紙の主が手紙をやりとりしていた私ではない、公爵令嬢の方の私に求婚をしてしまったのだと。名も知らぬ文通相手である私は、彼からは振られてしまったのだと。
私は、あの時そう思ったのでした。
「わ、私はつまらない女です。……小心者で、人とお話しするのが、苦手です」
「構いません。わたしも口がうまい方ではない」
「卑怯で狡くて……自己保身の塊で……」
「自信がないだけだ。何があろうとわたしが守ります。そして、変わらぬ愛を誓います」
「……『氷の薔薇姫』と、見た目だけの冷たい女だと言われていて……」
「確かにあなたは美しいな」
くす、とオリヴァー様は笑われて、私に跪いてしまいます。
一度、こぼれ始めた言葉は止まりませんでした。こんなことを誰かに口にして話したことは家族にすらありません。それでも、彼の前で、己の弱さを告白することをなぜか私はやめられなかったのです。
涙声で、お聞き苦しいでしょうし、オリヴァー様はずっとお優しい声音で私の支離滅裂な言葉におつきあいくださいました。
「わ、私、私と結婚をしたら、あなたも悪く言われてしまうかもしれません」
「わたしを心配してくれているのですか? ……なんだ、やはり優しいではないですか」
「そっ、そんな……」
「人の優しさにはいろんな形、いろんな発露があるでしょう。あなたは対人のやりとりは苦手なのかもしれませんが、それであなた自身が生まれ持った優しさの灯火が消え失せるわけではない。それに、わたしは文にてあなたの優しさをすでに知っています」
私はますます慌てて声を上擦らせますが、彼は落ち着いた堂に入った仕草で私に恭しく手を差し伸べてくるのでした。
「……わたしはあなたの語る言葉に恋をしたのです。どうか、わたしと結婚してください」
オリヴァー様は先ほど同じ言葉を繰り返されました。私は口を噤みます。やはり、私は喋って気持ちを伝えるのが苦手なようです。ああ、そういえば、家の外のお方とお話をするのは随分と久しぶりでした。でも、オリヴァー様があの手紙の主と知っていたおかげか、当たり障りのない会話程度ならば思ったよりもすんなり話せていたのだなあ、とこんな時に、今更ながら、思います。
深い海のような色をしたブルーの瞳は情熱を携えて揺らめいていました。
そして私は、寄せては返す波に攫われていくかのように、気づけば頷き、彼の手を取っていたのです。
◆
◆
◆
彼との結婚生活は私にとって、とても温かで、穏やかで、心地の良いものでした。
初めて親元を離れ、彼の住む領地へと移り住んだのですが、不思議と私はちっとも心細くありませんでした。遠い西の地でしたが、彼の文にて綴られてきた景色だからでしょうか。初めて訪れる場所のはずなのに、足を踏み入れたその時から私はこの場所のことを懐かしいとすら思う気持ちがありました。オリヴァー様はお手紙の中で、とても情景豊かにこの地のことをお話ししてくださっていましたから。
オリヴァー様はとてもよくしてくださいますし、両親や妹とも頻繁に文のやりとりをしていたからです。
あんまり実家とたくさんやりとりをしているのは良くないことなのではないかとも思っていましたが、オリヴァー様は「家族の仲が良好であること以上の僥倖はない」と快く受け入れてくださいました。
そんな素晴らしい日々を送る中、私の小さな心にはある一つの願いが強くなっていました。
ある日のことです。
私は辺境伯オリヴァー・アスコットの夫人として、初めて夜会に出ることとなりました。私が社交界で受けている扱いを知っているオリヴァー様は無理はしないでいいと言ってくださいましたが、私は彼の善き妻でありたい、そう願う一心で、彼と共に参加することを決めました。
「……! 『氷の薔薇姫』だ」
「夜会でお見かけするのは何年振りかしら……」
「相変わらずお美しいが……とうとうご結婚なされたというのは本当だったのだな」
「……どうせ政略的なものだろう。西の辺境伯殿のお心が凍らされるのも時間の問題だろうな」
……私は小心者ですが、だからでしょうか。耳が良いのです。久しぶりに夜会に主人と共に現れた私には予想通りのいろんな憶測、揶揄が投げかけられていました。
私はぎゅ、とエスコートをしてくれている夫の腕を密かに強く握りました。
夜会は滞りなく進行していきます。ダンスタイムが終わり、歓談の時間が設けられたしばらくした頃、私は会場の一角の様子にふと気が付きます。
「……オリヴァー様、少しよろしいですか?」
「ん? 構わないが……どうしたんだい?」
怪訝そうな主人に一言告げて、私は彼女の元へと歩み寄りました。
「……失礼いたします」
「……ッ、あ、り、リリノア様……ッ!?」
彼女は確か、男爵令嬢のセイラ様です。彼女も当然、私の噂や渾名をご存じですので、私に声をかけられ、元々悪かった顔色がますます青ざめてしまいます。あからさまに怯えられていらっしゃいました。
「おや、リリノア様。貴方が人にお声をかけるとは珍しい。いかがされましたかな?」
対して、セイラ様の腰を抱くヒョロリと背の高いこの男性は飄々と目を細めるのみでした。
「少し距離が近すぎるのではないですか? あなた方二人、婚約や婚姻をされている関係ではなかったかと思いますが」
「セイラ様のご気分が悪そうでしたので、無礼を承知でおそばに伺い、お身体をお支えしていたところです。これからお身体を休められるところにお連れしようとしていたのですよ」
「……」
セイラ様は真っ白なお顔で口を噤みます。
「そうなのですか。それでは、私がお連れいたします。女性同士の方が何かと安心できるでしょう」
「……そうですか? 僕にはその方が心配だなあ……あなたが自分より格下の相手を虐めていたなんて話も聞いたことがあるし……」
「あ、あ、あの……」
「私が信頼できないというのであれば、そうですね、会場にはこの邸の使用人が多く控えていますから。彼らを呼んできます」
男はチッと小さく舌打ちをしました。
「……ああ、そうですか。じゃあ、お願いしようかな。僕は顔が広いから、夜会では本当は忙しいんですよ」
そう吐き捨て、男は人混みの中にスッと姿を消していきました。細身で背が高く、気障な見た目をした彼はランチェイス伯爵。噂によると、好色家として有名な方です。噂は噂、真実と必ずしも一致するわけではないということ私もわかっておりますが……。
セイラ様の怯え切って青褪めたご様子を見れば、窺い知れるというものでした。
「……ご気分は? どうでしょう、だいぶお顔色が悪いようですから本当に休憩室でお休みになられても」
「あっ、い、いえっ、だ、大丈夫です! あ、あの、私、彼に……ずっと付き纏われていて……体調は、大丈夫です……」
「そうですか。先ほどのことは使用人には伝えて、今日の夜会の間は彼の動きに注意していただけるようにお願いして参ります。……お一人で大丈夫ですか?」
「は、はい……」
改めて声をかけると、セイラ様はビクッと大きく肩を震わせたものの、私の問いかけに応じてくださいました。
「……あ、あの。……ありがとうございました……」
小さな、小さなお声でした。賑やかな会場の中においてはかき消えてしまってもおかしくはないほど小さな声量。だけれど、私の耳にはしっかりと聞こえ、そして大きく胸に響きました。
邸の使用人に事のあらましと彼を警戒してほしい旨を伝え、私はオリヴァー様の元へ戻ります。
……彼は私の行動の一部始終を、見守っていてくださいました。
長い夜会は終わりを告げ、オリヴァー様と二人、馬車に乗り込みます。そして、御者の手によって馬車の扉が閉められ、馬の嘶きと共に車輪が回り始めると、私の頬に涙がはらりと伝っていきました。
「……リリノア」
「わ、私……」
情けないことに私は泣き出してしまったのです。自分自身でもなぜだかわからず、困惑します。
「わ、私、が、頑張ったのです。本当に、小さな一つのことですけど、たったひと匙の勇気だったのですけれど、私」
「ああ、あなたはよく頑張った。あなたのおかげで救われた令嬢が一人いた」
「こ、こんな、これっぽっちのことで、こんなふうになるのは、情けないのですけど、でも、私、」
オリヴァー様は相変わらず支離滅裂な私の話す言葉を静かに聞いていてくださいました。嗚咽とひきつけを起こしながら、拙く話す私の言葉を、海のような深い青の瞳で見つめて。
「わ、私、嬉しかったです。わ、私のしたことがご迷惑ではなくて、安心、しました、わたし、怖くて、ずっと、でも……」
「……君の優しさをわたしは知っている。君が無理をする必要もないと思っている、だが、君の優しさを発揮できる人たちが増えたら、それはとても喜ばしいことだ」
自分がしたことを振り返り、私の小さな心では許容を超えてしまって、真っ白にぐちゃぐちゃになった頭に、オリヴァー様の低い声が心地よく響きます。
彼の声が、言葉が耳に入るたび、私の心は穏やかに鎮められていくようでした。
「わたしの善き妻であろうとしてくれているんだろう?」
「……はい」
「ありがとう。わたしの愛しい人。今日の君の勇気は尊いものだった。……頑張ったな」
「……ッ」
言葉にならず、私はその代わりに彼の胸元にしがみつき、頬をすり寄せて子どものように泣きじゃくりました。
オリヴァー様の大きな手のひらは、男らしい逞しさとは裏腹にとても優しく私の頭を撫でてくださるのでした。
なんて情けのない妻なのでしょうか。もっと、彼にふさわしい人になりたい。あんな噂を彼に聞かせてしまうようなままではいたくない。悔しい、どうして私はこんなに小心者で、小狡い女なのでしょうか。人に少しの善意を発揮しようとして、それだけのことでこんなふうに泣いてしまう女が他にどれほどいるでしょう。
ですけれど、今日のことは私にとっては間違いなく大きな一歩でした。
情けなくて、苦しくて、恥ずかしくてしょうがなくてそれだけでいっぱいになってしまっている私の胸。ですが、私の胸には小さな小さなものだけど、確かな誇りと自信が刻まれたのでした。
◆
「……」
コンコン、と部屋をノックする音がして、私はその当時の日記をパタンと閉じました。その時のことは忘れもしません、そんなこともありました。今は昔、されど、私の根はずっとあの時の小心者で臆病な自分を晒す勇気もない臆病者で卑怯者な女。脆い『氷の薔薇姫』。
十数年も経った今でも、家の外の人間とお話をする時にビクビクしてしまう自分がいるのですから。
あれから私は主人と共に数々の夜会や社交の場に赴き、そしていつしか『氷の薔薇姫』と呼ばれることは無くなっていきました。
冷たく張り詰めた顔でフロアーに立ち尽くしていた女ではなくなりました。一番最初の勇気を出す時は本当に怖かったけれど、少しずつ勇気を出すことにも慣れていきました。本当は今でも何でもない顔をしながら、いつも勇気を振り絞ってはいるのですが……。
「……お母様、私、不安だわ……」
私室の扉を開けると、愛娘ステファニーがそこにいました。十五歳になったとはいえ、母から見ればまだまだ幼げな顔をした彼女を部屋の中に招き入れ、ソファに座らせます。
ステファニーはこの辺境領が隣接している国の公爵家と婚約の話が挙がっているのです。これは我が国と彼の国との親睦の証となることが期待された縁談でした。それだけに彼女の感じるプレッシャーも大きいのでしょう。
私との婚約を破棄したかつての王太子殿下はその後、「自分の娘もご気分を損ねたら婚約破棄されるのでは。そしてかの『氷の薔薇姫』のように粗末な扱いをされるようになるのでは」と危惧した高位貴族諸侯から避けられ、良縁に恵まれることがなく、第二王子殿下がかわりに台頭していき、今この国は第二王子殿下が戴冠し、治められています。この縁談も、これからは近隣諸国が手を取り合い助け合う世にしていきたいという彼の願いによるものでした。
「大丈夫よ、あなたはとても素直でかわいらしい子だから、きっと大事にしていただけるわ」
「一度顔合わせをして、とっても素敵でお優しい方だったのはわかったわ。でも、他のみんなみたいに頻繁に二人でお会いしたりはできないから……不安なの。会えないし、たまに会えてもその時の一回でもしも失言をして嫌われたりとか、会えない間に他に素敵なご令嬢と恋に落ちるんじゃないかって」
よほど不安なのでしょう、早口で捲し立てるように言う我が子の頭を撫でながら、私は言いました。
「……ねえステファニー。お手紙を書いてみたら?」
「お手紙?」
「ええ。国際便になるから、やりとりに時間はかかってしまうけど、これなら毎月お話ができるはずよ」
ステファニーはあまりよい顔をしませんでした。手紙では……と思っているのでしょう。
「大丈夫、お手紙でもちゃんと気持ちは伝わるわ。あなたのことも、お相手のこともお互いにお互いのことをもっとよく知れて、好きになっていけるはずよ」
「本当に?」
「ええ、だって、私とあなたのお父様が恋に落ちたきっかけはお手紙だったんですもの」
娘は父親に似たブルーの大きな瞳を目いっぱいに開き、長いまつ毛を瞬かせました。
机の上に私が持っているたくさんのインクとペンと便箋を並べ、ステファニーに好きなものをいくつか選んでもらうことにしました。この色が好き、この便箋の模様はあの方に似合う、でもこれも……と悩みながらも目をキラキラと輝かせる娘の姿に、私はつい目元が緩んでしまいます。
私は祈るのでした。どうか私の愛しい娘にも、暖かな春の訪れがありますようにと。
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また、5/26完結の連載作『不貞の子は父に売られた嫁ぎ先の成り上がり男爵に真価を見いだされる 〜天才魔道具士は黒髪の令嬢を溺愛する〜』(約六万字の不遇っ子溺愛実家ざまぁモノ)もよろしければお読みいただけると嬉しいです!(ページ下にリンク有)