豆まき
「今日は節分ということで」と、荻浦さんが取り出したるは、「豆です」
「豆ですか……」
豆が何十粒も入っている袋。それを教室のまんなかで、堂々と開封しやがる。
「食べるの、それ?」
訊くと、荻浦さんはウェーブがかった髪を振り回して、
「まさか」と否定する。「松本さんは知らないの? 節分で、豆を使う、あの楽しい行事っていったらさ」
「え、もしかして投げるの? いま?」
時刻は朝の七時四十五分。まだ教室にはわたしと荻浦さんと、あとひとり、今日の日直が登校しているだけ。
「まぁ時間はあるね」
「でしょ? ちゃんと新聞紙も持ってきたの」
じゃーん、とかばんから引っ張り出した、数部の新聞紙。なるほど、これを床に敷いてしまえば、あとの片づけにも困らないと。
「よし、敷いちゃおう敷いちゃおう」
ということで、ふたりして教室の出入口と廊下に新聞紙の絨毯を敷く。そのあいだにクラスメイトがもうひとり登校してきた。三つ編みに眼鏡という真面目そうな風貌の、うちのクラスの委員長だった。ふしぎそうな目でこちらを見ている。
荻浦さん、
「委員長もやる?」と、一言。
「なにを?」
「豆まき」
「……」一考して、「やる」
「やるんかー」
思わず声に出してしまった。うちのクラスに良識ある生徒はいない。
「豆はたくさん用意してきたよ」
かばんからは豆の入った袋が二、三個出てくる。それらを割り振るのは荻浦さん。だいたい一掴み分くらいの豆を手にして、
「これが松本さんのお豆さん」
「ありがとう」
「ちなみにいまのはダブルミーニングです」
数歩離れて一粒ぶん投げると、荻浦さんはなんと口に入れやがった。
「次世代的な『あーん』だね」と、委員長の評。
「アグレッシブゆえに美味」
「キモすぎる」
で、われわれ三人は廊下に立つ。向かいの棟では理科室の人体模型がこちらを見ている。あれはどうして外向きに設置されているのだろう。ふつうに気味が悪い。
「豆まきって夜にやるものらしいよ」委員長、いまさらいう。
「そっかー。じゃあいまは夜だね」
「朝だが」
「年男がまくものらしいよ」
「今年は何年だっけ、松本さん」
「丑だったかな」
「じゃあわたしたちは丑年だね」
「違うでしょ。寅でしょ」
そもそも性別からまちがえている。
「あ、わたしは卯年」
「委員長は早生まれだっけ」
「卯? 卯ってなに?」
「ウサギだよ、荻浦さん。わたしウサギなの」
「へー、とべる?」
「とべるとべる」
「てきとういうな。いいから早く豆まきするならしようよ」
「はーい」
ということで、豆を構えつつ、
「不肖荻浦、一番豆を投げさせていただきます!」
とのことで、任せてみる。囃し立てる委員長。わたしも応援くらいはしてみる。そして荻浦さん、大きく振りかぶって、投げた。
新聞紙のないところに向かって。
「はい、範囲外」
「これはペナルティだね」
「え、ちょっと」
「なにしてもらおう」委員長、すごく楽しそうに、「一発ギャグ? なにか面白いことしてもらおう」
「そうしよう。では荻浦さん、まず豆を取ってきなさい」
「えー」
わたしの命令に、荻浦さんは渋々歩いていく。いや渋々ってどういうことだ。新聞紙を敷いといてその範囲外に投げるなよ、そもそも。
まぁとにかく荻浦さんは回収に向かった。待っているあいだ、暇なので、豆を一粒口にする。
「あ、これけっこうおいしい」
「え、本当?」
委員長も一粒食べる。
「おいしい」
「おいしいよね」
「うん、おいしい。いい豆持ってきたんだね」
「え、食べてる」
戻ってきた荻浦さん、不服そうにいう。いちど彼女は教室に入って、先ほど投げた豆を捨ててきて、それからまた廊下に。
その間、わたしと委員長はぱくぱく豆を食べている。
「投げない?」
「おいしいし……」と、委員長、何粒目か。
「じゃあわたしだけやろー」
ひとりでもいいらしい。じゃあわたしも投げない。食べる。
「鬼は外、福は内」ということで、一個ずつ投げて、「松本さんはうちの嫁」と、わたしのほうに投げてきてって、
「嫁入りしてないんだけど」
「え、なら籍入れよう……」
「年齢的に無理。まだ十三」
「十六になったらいいの?」
「そういうことだよね、いまの」委員長、ぱくぱく食べながら。
「ちがうちがう。てか付き合ってもないじゃん」
「なら付き合おう」
「うー、なんかやだ」
「ほらー、ねぇ委員長、いつもこうやってかわしてくるんだよ、このひと。なんかってなんだよって感じ。どうしたらいいと思う?」
「大丈夫、松本さんは荻浦さんのこと好きだよ」
「ふぇ」
「そうなの? 松本さん」
「そうに決まってるよ。じゃなきゃこんなに毎日いっしょにいないでしょ」
「うっ……」
うっ、じゃないが、わたし。
わかりやすくやらかしてしまった。荻浦さん、瞳をキラキラさせて近づいてくる。それに合わせて数歩後ずさる。委員長、ケラケラしている。あいつのことは絶対に許さない。
「ま、まぁ待ちたまえ、荻浦さん。その、なんだ……そう、そろそろひと増えてくるから、早めに片付けません、新聞紙?」
「うん」いままで見たことないニコニコ顔。「うん、そうだね。片付けようね」
いうと、荻浦さん、一気に豆を平らげてしまって、満面の笑みのまま片付けに移る。これといった追及はない。逆に怖い。
「あれは照れ隠しだね」と、委員長がぼそりという。
「え、そうなの?」
「たぶんそう。お幸せにね」
「おいこら待て待て」
いうも委員長は教室に消えていく。取り残されてしまった。くだんの荻浦さんはいそいそと片づけをしている。
「うー……」
わたしもさっさと豆を平らげてしまう。で、新聞紙の片づけを。
荻浦さんはなにもいってこない。いつもへらへらしてるのに、急に照れるのはやめてほしい。変な空気になってしまった。
と思っていたら、
「……松本さん」と声。
「うん?」
ぜんぜんこっちを見てないけど。
「今日もいっしょに帰ろうね」
「うん」
今日も、いっしょに、帰ろうね。
いまそれか。いつもどおりでいいけど。いいけど。
「あと……あとね」
「……うん?」
「こんど、どこか遊びにいこうね」
「……」ぜんぜんこっちを見ない、けど。「及第点」
「うわ」やっと振り返る。「なんか偉そうー」
「でしょ。新聞片づいた?」
「片づきましたぁ」
「では教室にもどりましょう」
「はーい」
こんど、こんどっていつだろ。次の土日かな。まぁいつでもいいや。いつでも――うん、たぶん、ちょっぴり、期待している。期待して損はないだろ、なんて思っている。あとは……
荻浦さんは、新聞紙を抱えて教室に入ろうとする。
「荻浦さん」
「ん?」
呼びかけたら、振り返る。わたしのことをじっと見つめてくれる。
そういうのがいじらしくて、だから……
「……呼んだだけー」
「えーなにそれー」
いえないものは、やっぱりいえないものらしい。しかたない、もうちょっと荻浦さんの行動力に甘えるとしよう。来たる「こんど」まではすくなくとも。ちゃんといえるようになるまでは、すくなくとも。
ありがとうございました。