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彼は天才である 3

「ヘイリシュ殿、少しばかりその……、鍛錬の様子を見せて頂くことは可能か?」


 案内も終わり、後は今後の話をおいおい、他の貴族との内々のやり取りを待つばかりな所で、また一家に囲まれながらの団欒の中、ブララマンは遠慮げに声をかける。

 やはり先の内容が気がかりなのだろう、とヘイリシュは予想するが


「あぁいや、魔導に関してはこちらでも調べてからにしたい。なので今回は剣技の姿を見せて頂ければと思うのだが」


 どちらかというと愛娘にその艶姿を堪能して貰おうという親心だったようで、その様子に


「えぇ、構いませんよ。少し開けた所を案内頂ければすぐにでも」


 これは断れないな、とヘイリシュも期待に鼻を膨らませるラダトキィシヤを目にして微笑んだ。


 ────────────



「……っ、これは……凄まじいな……」


 その様子を見るに、ブララマンは噂や評価が誇張されたものでない事を実感した。

 いや噂以上、下手をしたらこれはもはや人の器に成し得るのかと瞠目してしまうほどのそれ。


 空を斬り、その場を支配し、歩を進める度に切り込まれたかの様な圧力を感じる。

 それはまるで現実的でなく、いっそ英雄譚に語られる魔王との一幕を幻視するほどの、流れるような型であった。


 他の者など声もなくその姿に目を奪われ、まるで呼吸も、瞬きすらも忘れたかのように魅入っているではないか。

 ともすれば今まさに剣を振るう先に、まるでヘイリシュに切りかかろうとする相手すら見えてくる。

 それらを躱し、いなし、合わせ、流し、払い、一刀の元に伏せる。


 ラダトキィシヤなど、その舞の姿に感極まり、足腰から震えが走っているほどであった。


 しかしながらそのいたく感情の込められた視線に晒されながらもヘイリシュは、


(んー、すっごい見られてるな)


 普段通りに型を取り、仮想敵を打ち払いながらも、集中を切らすことなく動き続けるのだが、


(どこからだろう? ちょっと当てられるなぁ……これはキツい)


 見られている。

 憧れでもなく、感興でもなく、思慕でもなく

 見られている、と確かに感じるほどの強烈な視線。


 見られている。

 明らかにヘイリシュの動きを捉え、何の感情もなく次を想定し、観察し、肥にせんとする、強すぎる視線。


(あっちか。一箇所だけ案内が途切れた……あの茂みの向こう側)


 遠い。広すぎる屋敷内の、更に広い敷地の外縁の、綺麗に内部で区切られた茂みの「向こう側」。

 そこからずっと、それこそ型をとる前、剣を構えたその時から。

 変わらずヘイリシュを捉え続け、今なお追い続け、もしかするとヘイリシュよりも先を目にしているその視線。


 見られている。

 何の感情もなく、しかしながら明確にヘイリシュを倒す熱意。

 見られている。

 機械的に、舞った先の喉元に刃を突き立てんと動き続ける敵意。


「……っ、はぁっ」


 これ以上は無理だ。とヘイリシュは判断し、そこで型を崩し、流れるように数歩の制動の中、残心を伴って剣をおろす。


 誰もがその姿に息をのみ、声も、手も出せずにいた。


「…………ふぅ。以上となります」


 型を崩した瞬間途切れた視線に、高まっていた緊張を抜き、ほんの少しだけ上がった息を整えたヘイリシュが見学者達に声をかける。


「……っ、素晴らしい! いっそ美麗な言葉こそその姿の格を下げてしまうほどだ! 素晴らしいぞヘイリシュ殿!」


 ここでようやっと再起動した者達は、真っ先に声にしたブララマンに続き口々にヘイリシュを褒めたたえ、その手を叩き喝采する。


 興奮のあまり貴族の言葉遣いが完全に山を越えてしまったラダトキィシヤの歓声混じりの褒め言葉が畳み掛けられるが、


「これ以上は無理でした。まだまだ鍛錬が足りません」


 やんわりと、ヘイリシュは言うのであった。




 そう、これ以上は無理だった。

 これ以上「あの視線」に晒されたら、間違いなくヘイリシュはその剣を視線の先に向けようと動かされた。


 意思に関係なく、体が危機を感じていた。それも、今まで感じた中でもとびっきりの危機を。


 ────────────



 貴族とは迂遠なもので、その日その場で何かが決まる、というものではなく、大抵は数日から数ヶ月に渡る何かしらの話し合いやら打ち合わせやら、もしくは既に決まっているものを「温める」機会を要するらしく。


 それではまた後日ご招待を、と口にし、ブララマンはこの日の出会いをしめやかに終わらせた。


 のであるが、


「失礼ながら、帰りの際に少々庭を散策させて頂いても宜しいでしょうか?」


 過去のお誘いでは毎度まっすぐに門を出ていた(心情的に表現するならば逃げ出していた)ヘイリシュが、そのようなことを口にする。


「庭が気に入ったのかな?それでは案内を───」


 と、少々の手応えを感じたブララマンが娘に任せようとするものの、


「いえ、気の向くままにシシハリットの歴史を感じたいと思いまして。騎士として礼儀は弁えておりますが、油断してどのような姿をお見せするか心配でなりません。どうか一人で、シシハリットの歩んできた大地を堪能させて頂ければと」



 そうしてヘイリシュは、上手いこと目的の場へ足を踏み出すことができたのであった。


 ────────────



「いやこれは気づかないでしょ」


 視線を感じた茂みの向こう側、とやらはどこかとばかりにヘイリシュは足を進めるが、先にあるのはちょっとした林であった。

 それでも最低限の形を整えられた林をまるで散歩するかのような自然体で抜け、さらにその先にある小さな池を超え、そうしてある意味立派な(言い換えるなら堅牢な)衝立の、その向こう側に、それはあった。


(完全に不法侵入になったかなぁ)


 衝立をものの一歩の踏み込みで飛び越え、足が地面に着いた瞬間目に飛び込んだ景色を見て、ヘイリシュが真っ先に感じたのはこれである。


 明らかに、敷地内であるにもかかわらず、もはや別の土地と言えるような開けた空間。

 木々も手入れされず、鬱蒼と茂ってはしずかに風の声を鳴らす。

 地を見ればこれもまた手は加えられておらず、街道の脇にあるごく自然的な大地の様な荒れ具合を見せている。


 そんな、ポツリとそこだけ別の空間になったかのような場所の、真ん中に、その建物はあった。


(恐らく過去に作られた離れか何か、かなぁ)


 その屋敷らしき建物すら、物や形こそ立派と表現できるものの、長らく人の手が加わっていないであろう、くすみが激しく、窓も汚れ、大きな柱をつと目にすれば下から草の根が纏わっているではないか。


(これじゃ完全にお化け屋敷だよ。さっきの視線は人じゃないとか?)


 自分ながらに、その考えに苦笑を浮かべながら、ヘイリシュはあくまで自然な形でその屋敷に向かう。

 ともすれば、人であるなら尋常ではない視線から本当に魔の類やもしれぬと思い浮かべながら。


 と、屋敷の全容が目の端から写りきらなくなるほど進んだ先で、「それ」は起こった。


 ヘイリシュの真後ろ、数歩の先に、間違いなく感じられるそれに、彼は足を止めた。


(すっごい殺気なんだけど……いやでも動きは無いし……)


 どうすべきか、少なくとも足を進めるべきではないことだけは分かる。

 しかしながらヘイリシュはこのまままんじりともせずに固まる訳にもいかず、最大限の警戒をもって振り返った。


「…………は?」


 そうしてそこにあったのは、木であった。


「…………は?」


 いや、うん、木だ。

 木だよなこれ、うん。

 なんか木が人間みたいな形して、剣みたいに木を持ってるけど、


 木だよね?



 正しくその表現通り、大人が一抱えするような少し大きめの、折れた先でそのまま枯れるばかりだったであろうボロボロの木が浮かび、何故か枝やら切れ端やらを人間の体のように配置させ、そして腕(のような少し大きい枝)の先にまるで剣のようにこれまた木の枝を構えていたのである。


 唖然である。

 一騎当千、万夫不当、そして百鬼魔人と評されるほどのヘイリシュですら、目の前の、バリバリの殺意を持った相手?に対して、戦闘を予感させるほどの緊張感が持てない。


 いや木だし……


(めっちゃ殺気すごいんだけど、これ何? 精霊? 聞いた事ないけど)


 いやしかし、と全くもって冷静にはなれないものの、彼にしてみれば凄まじく遅い反応であるが、剣を抜く。


 いざと構えようとした瞬間、


(って早っ! 間に合わない!)


 抜いた所で、待ってましたとばかりに目の前の敵(ただし木だ)は切りかかる。


 ヘイリシュはなんとか構えの途中から体ごと沈め、その一振りをやり過ごす、が


(ちょ、ま、すっごい怒涛の攻撃なんだけど!?)


 敵は容赦しない。

 そんな教訓を体現するかの如く、切り返し、体(浮いた木ではあるが)を潜り込ませ、そしてまた切り払う。


 段々と手数を潰され、打ち合う度に押し込まれ、そうしてとうとうヘイリシュは膝をつく。


「────まっ」

 ピタリ、と


 振り下ろされた剣(枝だが)がヘイリシュの眼前に止まる。


 いや木の枝がなんで真剣と打ち合えるのかとかちょっといきなり容赦なさすぎじゃないかとかそりゃ不法侵入した僕が悪いかもしれないけどせめて構えるまで待って欲しかったとか


 色々と言いたいことがあるものの、その剣が止まったことにヘイリシュは思わず喉から空気が漏れる。




 背筋が粟立つ。

 安堵の吐息を漏らした瞬間、先の鍛錬で感じた視線を、背中に受ける。


 今ほどのような気の抜けたものから遥かに超えた反応速度で、打ち合った敵など存在しないとばかりに、かざされた枝を右手で打ち払いながらヘイリシュは体を翻し、剣を腰だめに構える。


 じとり、と汗が襟足に染みる。


 天使が微笑んだような普段の顔つきを鋭く尖らせ、戦士の目を持ち上げ、視線の主を探す。

 そして屋敷に目を向け、玄関、柱の影、2階の窓、と続けた先に



「それ」はいた。




 初めに、目を奪われた。

 薄らと、しかし微笑みとは呼べないほど酷薄に、されど妖艶に口角を上げた、薄く、それが映える小さな唇。

 三日月のように形を歪め、星空のように輝く瞳を炎のように酷く染め上げ、むしろ闇のように深く濃い目付き。

 顔かたちはと見ると、これがラダトキィシヤとそっくりで愛嬌に溢れているように見えるのだが、何故か感じるのは愛嬌ではなく色香に強く。


 窓に遮られ、聞こえるはずの無いそれであるのに、その喉が震え、鈴の鳴るような声色で小さく笑っているのが見て取れる。


 そうして次に、心を奪われた(これはヘイリシュの尊厳のために言うのであれば、見下されたような眼差しに興奮した訳ではない)。


 美しい、と。

 ただ悪戯っ子のように歪めさせたその仕草と表情が。

 くすんだ窓から映るその姿が。


 しばらく呆然と、鼻を垂らした学びの無い子供のように口を開けたまま、ヘイリシュはその姿に動けずにいた。


 が、(全体の2割ほど)正気を取り戻したヘイリシュは、とにかく何かを、と言葉を口にしようとする





 ────その後ろで、今度こそ止まることの無い剣(枝)が振り下ろされた。





 これが、ヘイリシュ・トゥラオド・リリン・アグラットと、レレィシフォナとの出会いであった。


 そしてこの出会いが、ヘイリシュの人生の、間違いなく転機であった。

お読み頂きましてありがとうございます

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