シシハリットの名を持つ者 4
そういった事の経緯を壮大な歌劇のように語り、そしてまるで自慢の姉を披露するかのように誇らしげなラダトキィシヤは、
「お姉様には秘密にしておいてくださいね?」
その言葉と共に、悪戯げに微笑む。
何故かと問えば、
「まだ、お姉様に会うのに私は相応しくないですから」
だそうだ。
とまれ、それだけの話でラダトキィシヤは退出し、ヘイリシュもまた予定より早く身を持て余したために、自然とその足は少しばかり暗くなってしまった庭を歩き、離れに向かっていた。
「……もしかして、釘を刺されたのかなぁ?」
私はお前の行動を把握しているぞと。
私はお前よりレレィシフォナを知っているのだと。
そういう感情を、確かに感じ取ったヘイリシュは、改めてシシハリットという名の重さと、その名を連ねる者の重い人間性というものを垣間見たようで、若干の心狭さを抱いてしまう。
(全然気持ちが休まらない……)
そして一つ大きなため息をつき、離れにたどり着くのである。
見るに屋敷の前の、いつも鍛錬をする開けた場所に果たして2人は立っていた。
「調子はどうだ?」
開口一番、メメィディカラが行う魔力循環を眺めていたレレィシフォナがヘイリシュを見かけて言う。
え、優しい……とは言わず、
「えぇ。大分良くなりました」
至って普通の受け答えをする。
しかしその回答を望んだのではないらしく顔を顰めて。
「お前の体調じゃなくて、魔力は馴染んでるかって聞いてるんだよ」
つまりそこはどうでもいいと。
変わらぬ暴虐ぶりに、ヘイリシュは何故この環境に自ら飛び込んだのか若干の後悔と過去の自分への憐憫を抱きつつ。
「……違和感がすごいです。体がいつもより重くて、もがいても前に進まない感じがします」
しかし実際気だるさを抱いている変調を伝えた。
「器だけが大きくなったせいだな。世界に漂う魔をより多く感じられるようになるんだ。だけど魔力路が馴染んでないと、その魔力に体が保たない」
そして視線を目の前の呼吸すら浅くさせているメメィディカラに向け。
「こんな風にな」
その言葉と同時に、ヘイリシュですら目を見張るほどの魔力をその身に纏っていた少女はその身を崩れさせた。
「多分だが、成長しきっていない魂の方が形を崩した時の影響が少ないんだろうな。まさかお前が3日も倒れたままだとは思ってもみなかったよ」
全然、全く、これっぽっちも悪びれずにレレィシフォナはヘイリシュに言う。
意識を失ったメメィディカラを屋敷に運び、さてと前置きしてからの言葉である。
ちなみに彼女は無理やり広げられた魂にヘイリシュと同じく倒れるも、たった半日ほどで元気にご飯を食べる程に回復したらしい。
「よし、とりあえず魔力を体に巡らせてみろ」
言われた通りに、ヘイリシュは魔力を身に纏うが、普段と全く違うそれに慌て、通り過ぎる制御をついグズつかせてしまう。
「こ……、れは」
溢れる魔力に全く対処できず、そしてそのまま魔力は流れるように霧散してしまった。
「分かるか?今のはお前の魔力路が幅だけ広がったのに薄っぺらでゴミクズのように短い物だったせいで、魔力が器に辿り着くまでにほとんど霧散してしまった状態だ」
そしてと続ける。
「元の器が以前の場合、器から流れる量も、そして外から取り込む量も、微々たる物にしかならない。それが循環率1割の根本的な原因だ」
つまり今ほどの魔力の奔流は、
「小さな穴が空いた物凄く大きなグラスを、海に沈めたようなものだな」
だから勝手に溢れて、そのまま外のものと混じってしまう。
「お前が今からやることは、蓋をした状態でその海に飛び込んで動き回れるくらいの水をグラスに詰め込んで、同時に蓋を開けても混じらないようにグラスの中で水を保つようにすることだ」
ところでさっき言った、
「体が気だるくて動きが阻害される、つまり魔力に潰されてるのは、蓋を解放せずに1割しか溜まってない水の入ったグラスを海に沈めようとしても抵抗がすごいのと同じだ」
ではなぜ人族はその海で生きていけるのかと問えば、
「元が小さなグラスに、水以外の詰め物で埋めたからこそ、異質でありながら海の底を歩けるだけだ」
ということらしい。そしてその、魂に詰め込まれた異物(この場合豊富な感情や欲望を指す)が元から少ない魔力の路をより細く隠すために、中々人族が魔力循環という発想に気づけ得ない理由とも言えた。
とまれ、
「あの流れた魔を抑え込んで、自分の魔力に馴染ませて、それをひたすら自分の意思で外に放出しろ」
魔力循環の鍛錬が始まったのである。
「お前と違って魂が柔軟なせいか、メイリは随分馴染むのが早いなぁ」
ウンウンと、頷きながらレレィシフォナがメメィディカラを愛称で呼びつつ褒めそやす。
「実に4割まで循環率が上がっててもまだ維持できるのか。そろそろ限界まで抑え込むようにしようか」
笑顔で今後の予定を組み立てていく。対して既に手足のごとく4割の循環率を維持できることを身をもって見せていたメメィディカラは、無表情のその頬をピクリと引き攣らせ、そして全身から小さく震えてなどいる。
聞くに恐ろしい6割という数字に、喜んでいるようにはまず見えない。
「それに比べてお前は……」
と一転呆れた目と口調で、
「不器用にもほどがあるだろう」
未だ限界で3割、ギリギリ半日維持できるのですら2割の、一度限界を迎えてへたりこんでいるヘイリシュは、既に荒い吐息を漏らしながらも反論する。
「だってこれ……、制御しようとするとすっごい暴れるんですよ!抑えるだけでいっぱいいっぱいなのにそれを外に流すの本当にキツイんです!」
本来であれば、先に魔力路を鍛え、そうして自然と変化していく魂であるが。
何であればやかましいとばかりに結論である器から先に(無理やり)作り上げた弊害で苦戦しているその元凶たるレレィシフォナは、
「子供にできてお前にできないのか?天才のお前が?騎士の代名詞と呼ばれたお前が?天下のヘイリシュが、まさか9つの子供に負けるのか?」
知らぬとばかりに煽りまくる。
そして一旦その魔力を霧散させたメメィディカラでさえ、
「リジーはダメダメ。センスない。ヘタレだし」
完全に舐めきった発言をかます始末である。
「ちくしょう! やってやる! やってやりますよ! ええ! メイリ絶対泣かす!」
騎士にあるまじきことすら口にして、そしてまた倒れるまで鍛錬を続け。
まるで賑やかに、そんな日々が紡がれる。
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1年が過ぎ、ラダトキィシヤの護衛として正式に雇用されたヘイリシュは、その日常に大した変化もなく過ごしていた。
ある程度憧れから落ち着いたラダトキィシヤの迂遠な姉のお伺いをやんわりと避けつつ学びを終えるまでやり過ごし(もちろん仕事としては常に真剣ではあったが)、そしてレレィシフォナの元で鍛錬を続け。
そうして6割という提示をクリアして、既に先に自身の力で実に7割、短ければ8割の循環に魂が耐えられるほどにまで鍛え上げたメメィディカラと同じ時期に、やっとのことで実戦形式に魔力の循環を組み込む段階に進んだ。
「循環を維持しながら剣を振り、自分の動きに反発する魔導を体現させながら、頭の先から足の指先まで魔力のみで動かしてみせろ」
そんな頭のおかしい、(理論上魔導と魔力を別として扱うのならば可能ではある)実現出来るかも分からないことを言われる。
つまり、体に巡らせた、ようは流れる魔力をそのまま維持し、その中から無詠唱かつ明確な想像で常に体を縛り付ける魔導を唱え、その状態で維持している魔力をそこから減らないように(つまり供給と放出を同時に行いながら)魂に馴染んだ手足としての魔力で体を動かす。
ということである。詳しく説明しても相変わらず全く実現できる気がしないそれではあるが、
「まず循環させる、いつも通り器を通して自分の色で放出させる。放出した魔力で手足を無理やり動かす。同時に何でもいいから体を固定するイメージで魔導を発現させる。こんな感じだな」
こともなげに実演してみせて、レレィシフォナは「さぁ」と2人に剣を渡す。
「頭を使え。常に考えろ。常に処理し続けろ。思考を止めるな。動きを止めるな」
横合いからビシバシと(物理的なものを含めて)指導する彼女の姿に、半泣きになりながらも2人はいつも通り倒れるまで体を動かすのであった。
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鍛錬はつらい。痛いし、疲れるし、力が抜けて気持ち悪いし、倒れて寝たいのにレー様は怖い声で無理やり起こす。
それでも、気色の悪い笑顔で叩いたりしてこないし、意味もなく物を投げつけて怒ったりしないし。
上手にできたら凄く喜んで褒めてくれるし、汗と土で汚いのに、綺麗なドレスが汚れるのも気にせず抱きしめてくれるし(ちょっと痛いけど)、一緒にお風呂に入って洗いっことかしてくれるし、夜は寝るまで一緒に文字の本を呼んで聞かせてくれる。あとレー様が作るご飯は美味しい。
たまにある休みに度々呼びつけられ、餌に釣られるがまま本邸にてブララマンにそういう話をせがまれ、メメィディカラはこう語る。
そしていつも通り本邸を出て、貰った(割と少なくない)お小遣いを下町のお肉とかお菓子で無くしてしまおうと企んでいた(既に本邸で夜の食事並の量を食べていたが、彼女の食への執着は拾われる以前より変化はない)メメィディカラだが、
「あら? あらあら? あらあらあら?」
そんな声に、玄関から出ようとした足を止められた。
振り向くに、
「あなた何かしら?野生のテラテみたいなツンツンした魅力を感じるのだけど、こんな可愛らしい子家にいたかしら?」
同じく学びが休みであったらしい(ヘイリシュは朝からレレィシフォナに泣かされている)、ラダトキィシヤその人に見止められる。
「それにこの服、……ふぅん?」
無遠慮に矯めつ眇めつ眺め、1人納得しているかのように頷きをこぼすラダトキィシヤ。
その顔をじ、と見て、何だかモヤモヤするな、と感じたメメィディカラはそれをそのまま口にする。
「なんか、変」
そんな余りにあまりな言葉に、ラダトキィシヤはあんぐりと口を開けて、
「へ、へん?私がかしら?」
そんな問いを漏らす。
「レー様と同じ匂いするし、同じ顔なのに、……なんか、フワフワしてる」
そしてあろうことか(事実何も知らされていないメメィディカラは)秘匿されているレレィシフォナの存在を多分に匂わすことまで口にしてしまう(本人は失言だとさえ思っていない)。
と言うより、レレィシフォナ自身もまた妹に存在を認識されていることをそれとなく感じていたため、別段メメィディカラの行動に制限をかけなかったのも理由に含まれるが。
その言葉に目の前の少女がどういう存在なのかある程度察したラダトキィシャは、しかしそれを明確にすることはせず、
「そうなのね。 私に似ているレー様って、どんな人かしら?」
何とかこの少女を逃してはならぬ、と畳み掛ける。
「あら? 貴女街に出るつもりだったの? 何か欲しい物でもあるのかしら?」
そして何の疑問もなくメメィディカラは、「レー様」と微妙に違うものの似た雰囲気を持つ目の前の少女に警戒心を薄れさせ、
「ん。ご飯いっぱい食べる」
自身の最大の弱点(どんなに鍛錬がキツく不機嫌になっても最後には必ずその手段を取るレレィシフォナによって籠絡されているため、本人は本気でそう思っている)を晒してしまうのであった。
「まぁ! まぁまぁまぁ! それなら私の部屋にいっぱいのお菓子を用意するわよ? 一緒にお話しましょう?」
そしてその、今日のようにたまに口に出来るシシハリットの豊かで甘美で天にも登るようなお菓子を想像したメメィディカラは、
「────ん。ふわふわの、赤いのが乗ってるやつがいい」
その瞬間ラダトキィシヤはレレィシフォナに非常によく似た獰猛な笑みを一瞬、隠しながらも確かに浮かべ、
「ケーキね! 私も好きよ。いっぱい食べましょうね?」
あっという間に、ものの見事に釣り上げられてしまうのであった。
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