8.沼地の精霊
ちょっと短めです。
主人公、美味しいものは肥え太らせて食べる主義。
未だ日も昇らず、霧烟る湿原を往く異形。
牛頭、亀体に大蜘蛛の脚を持つ奇怪なソレは周囲の草木を薙ぎ倒しながら進む。
その背に乗った少年は隣に座る黒狐、ココ族の少女葛葉の頭を撫でながら周りを固めるアルバ族、猫種の獣人達が駆る馬が微かに怯えつつついてくるのを見やり、隣を並走している聞けば、族長の甥であったらしいザンバに話しかけた。
「国境線までこの速度でどの程度かかる?」
「あー、そうだな…なんの邪魔も入らなければ2日ってところだが、このところの戦続きで魔物や獣が血の匂いでいきりたってるからな…何一つ邪魔が入らないってのは期待しない方がいいんじゃねえか…です。」
つい砕けた話し方をしてしまったのに気づいたザンバは語尾だけ取り繕うが今更遅い。
後ろから追いついてきたベルクが槍の石突きで頭をどついていた。
「2日…か、しかし確かにこのまま何も無いとはいえん、か。」
獣や魔物達はまだいい、よほど獰猛なモノでなければ牛鬼の放つ気配に怯えて避けて通るからだ。
しかし、帝国軍の哨戒部隊などはまた別だろう、発見されたら襲撃を受けるのは間違いない、その上族長、イビトの話ではそろそろ、帝国軍すら避ける厄介な魔獣のテリトリーに入るらしい。
「朱天殿。」
「ああ、わかっている。」
見る限りアルバ族の中で一番腕が立つだろうベルクが馬を急がせてこちらに寄ると、かなり緊張した面持ちで声をかけてきた。
「…どうやら噂の魔獣のお出ましの様だ。」
そう告げた瞬間。
前方の沼地の水が盛り上がり、巨大な影が姿を現す。
「あれが沼地の精霊…。」
葛葉の言葉は畏怖に満ち、それはこの世界において自然の力を宿すモノの力の強さを感じさせる。
タールの様な粘液質の身体に二つの真っ赤な輝きを放つ眼を備えた泥の塊…泥沼の精霊、ボッグエレメンタル。
「アレには剣や矢は通じない、本当に大丈夫ですか朱天殿?」
ベルクの懸念は最もだろう。
何せ彼らが見たのは朱天の圧倒的な膂力と魔剣、血桜の斬れ味だけだ。
「魔法的なものでしか倒せないとは聞いたが…ようはあの泥の体をどうにかできればそれでいいんだろう、なら問題は無い。」
などと言う間にも沼地からは次々と泥が盛り上がり、ボッグエレメンタルの数は増えていく。
「ひっ、ひぇえァ、ふ、増えた、増えたーー!?」
ザンバが取り乱し、左右に首を振り乱しながら叫んでいる。
「…数あればいいと言うものでも無い、むしろ俺としては鴨があちらから葱を背負って来ただけなんだがな。」
ニヤリ、と。
楽しげに笑う顔は嬉々としていた。
「鬼術、鬼陽炎ーー」
両手を左右に広げ、牛鬼の上からボッグエレメンタル達を見下ろす。
深い霧が、さらにその濃さを増し…
葛葉が驚きの声を上げる。
「暑い…?」
周囲の気温が急激に上昇しだす。
やがては霧が水蒸気になり、温風は上空へと吹き上がる上昇気流が発生した。
鬼陽炎。
本来ならば気温を上昇させて周囲に陽炎生み出し、そこに幻影を投影する鬼の妖術である。
「なっ、これは!?」
しかしながらこの場合起こした気温の上昇は陽炎を産む前に霧の水分を水蒸気に、水蒸気を上昇気流に変え、振り始めたのは強烈な豪雨だった。
土砂降りの雨は礫の如くボッグエレメンタルだけでなく獣人達も打ち付ける。
「いっ、いだだだだ!?」
強い雨は痛みすら感じる勢いで降り注ぎ、ボッグエレメンタル達もまた、その体積を増やしていく。
「おっ、おい朱天殿っ、やつら肥大化して無いか!?」
「ふむ、力を増しているようだな。」
「いや、冷静に分析している場合かー!」
「……あの、避けた方が。」
葛葉の言葉に皆が目を向けると泥の弾丸、いや最早泥大砲の弾が3つ飛んできた。
「ふん(ペシッ)」
「ぬおっ(避けっ)」
「あんぎゃあ!?(ビッシャア!)」
朱天が軽く手を振ると泥弾は向きを変え、ベルクが避けた泥弾は木にあたり弾け、最後に逸れたものと同時に二つの泥弾がザンバに直撃した。
「…生きてるかザンバ???」
「ぶふぇっ、し、死ぬわ!?」
「元気ではないか。」
「ヴォオオオ!!」
などとコントのような会話を繰り広げる三人に苛立ったのか複数のボッグエレメンタルが叫びの様な音を立てて迫ってきた。
だが。
「遅い遅い、“灼転ーー渇餓”…!」
肥大化していたボッグエレメンタルの体が突如として硬質化し、動きが止まる。
灼転、渇餓。
周囲の水分を奪い熱へと換えると言う妖術だ。
ピシィーーバガァン!
急激に体内外の水分を奪われた結果、ボッグエレメンタルの身体に亀裂が走り、砕け散る。
あたりには乾いた土埃が立ち込め、その中から飛び出した幾つもの紅い石…魔石。
「ふむ、ガリガリガリガリ…やはり美味いな、この前のヒドラよりはやや薄味か?」
「……朱天様本当に美味しそうに召し上がられますね…美味しいのかしら…。」
「食ってみるか葛葉?」
「え、よろしいのですか?」
「構わんぞ、ほれ。」
そう言うと今齧っていた魔石を手渡す朱天。
「……(これはもしや…関節…)……。」
と、よくわからないことに悩みほんのり桜色に頬を染めた葛葉に朱天は首をかしげる。
「どうした、食わんのか?」
「い、いえ頂きーーあむっ!」
ガリっ。
「どうだ?」
「……痛いれふ…。」
まあ、魔「石」と言うくらいだ。
柔らかいわけがなかった。
「ああ、そうか鬼ほど顎が強くはないか…加工すればいけるか?」
「…いや、普通食べるものじゃありませんよ朱天殿…。」
ベルクが呆れ顔で述べる傍らでは他のアルバ族たちがゲホゴホと咳き込んでいた。
「…先行こうぜ、朱天の旦那。」
「ザンバ、貴様またその様な口の聞き方を…せめて殿と呼ばんか!」
「……賑やかですねぇ…ふふっ。」
ベルクとザンバの掛け合いに笑顔になる葛葉。
「…まあ、笑う方が良かろうよ…俺が笑うのは来年の話をした際らしいがな。」
「……来年の話をするとオーガが笑う、ってやつですか?」
「…ほう、似たようなことわざがあるのだな、興味深い。」
漢字といい、この世界には日本語やその文化が根付いているのだろうか?
朱天同様に来訪した日本人の仕業か、あるいは何か違う理由か。
「……まあ、今考えても仕方ないな。」
「一人で完結しないでくだせえよ、旦那ぁ。」
雑多な思案は他所に置き、朱天は再び牛鬼を進ませるのだった。