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異世界陰陽師  作者: 紫はなな
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土瓶蒸し(二)

前述に戻る。

番兵を統括するアレクは部下を失うことが多い。魔王が世界を牛耳っていた時代、魔物から城を護ることが総てだった。休む暇なく魔物討伐に追われ、戦死者へ祈りを捧げる。そんな日々を送っていた。

しかし平穏を手にした今こそ味わう。失うことの哀しみの、計り知れなさを。

騒然とする部下を尻目にアレクはひとり、山へ入った。


「それは無茶をしたな」


盃の縁を食み、陰陽師が言う。


「無茶なものか。ちゃんと婆さまに訊いたぞ」


アレクは小屋に着くと、乱暴に戸を叩いて婆さまを表へ出させ、自分を見定めさせた。

婆さまは考えるそぶりを見せず、「ひとりか。よし、行け」と言った。

日は傾き始めていたが、アレクは迷わす足を進めた。西日が落ちる川で水を汲めば男の顔が浮かび、「休まず行け」と急かされた。木に吊るされた手拭いに「行け」「走れ」「突き進め」と励まされ、松の大木を前にしたのは、黄昏時であった。


「松の木の下に、女など居やしなかった」


陰陽師から盃を取り返し、アレクは吐き捨てた。


「ではなにものが、男たちを手拭いにしたのだ」


酒を注いで陰陽師が尋ねる。


「蜘蛛だ。私より大きい蜘蛛だった」


魔物の類であろう。

アレクは直ぐ様盃を煽り、身体を温めた。

蜘蛛は森の奥で戦った、アラクネという魔物によく似ていた。

蜘蛛はその体躯に似合わず素早く、八本の足は鎌のように鋭い。しかし剣に長け、場数を踏んできたアレクの敵ではなかった。

ユニコーンを前にして、剣を屈辱に塗り染めたあの日はまぼろしであったか。

アレクは蜘蛛の急所を一撃で貫くと、そのまま剣を倒して腹を裂き、地に沈ませた。


腹からはどろりとした液体にまじり、六つの喉仏のどぼとけが流れ出てきた。


「まさか持ち帰ったのか」

「まさか」


持ち帰った。木に吊るされた三枚と、川底に貼りついた一枚の手拭いも木枝で拾い上げて。

ゆえに遅くなった帰り道、闇に包まれよく確かめはしなかったが、小屋は消えていたように思う。

あの婆さまは何ものであったか。

集めた手拭いばかりに気を取られ、村人に訊くのを忘れてしまった。

盃を煽る。


「これは……!」

「さあ、お前の手柄を舌で味わおうじゃないか」


アレクは腹へ滑り落ちていった香りを引き戻すように、喉を鳴らした。

くちをつけて三度目の盃の中身は酒ではない。出汁だしだ。

唇についた残り香をねぶりたくなるほど、美味い出汁だ。


アレクが手拭いと引き換えにもらった土産は、まつたけであった。


「酒のあとに飲む土瓶蒸しは、たまらんな」

「土瓶蒸しというのか、これは」

「香りを楽しむ一品だ。まつたけ百匁は米一升といってな。江戸では金持ちの家や料亭で食されていたらしい」

「また江戸の話か」


陰陽師が手持ちの料理帖をめくる。

形見に背負ってきたという書物であるが、その大半が料理や菓子の作り方を記したものだから呆れる。


「それより、もう一杯」

「酒か。出汁か」

「出汁だ」


注がれる出汁は淡い飴色。身はないのに香りとうま味だけで、心が満たされる。

陰陽師はふたくち目をじっくりと味わうアレクを、残酷にも次の言葉で裏切った。


「土瓶蒸しは、絡新婦じょろうぐもの捕食と似ているな」


アレクは一瞬で察した。


「くも……、の、捕食、だと?」

「絡新婦は美女に化けては男を誘惑し啖らう、ようだ」

「妖か」


陰陽師の口から、江戸の次によく聞く言葉だ。

なんでも魔王が消えたのちに目立ち始めた、異形のもの。

魔物とは、魔王が「絶望」を調理し、創り上げた完全なる「悪」であることに対し、「妖」は異形ながら、善悪が存在するという。アレクにはまったくもって区別がつかないし、どうでもよいことだった。

悪は、悪。悪しきものに名などいらない。


陰陽師は言う。


「絡新婦は男を騙し、らう。絡新婦のまやかしにかかるのは、男だけだ」

「男だけか」

「ゆえにお前だけ、まやかしにかからなかった」

「私だけ?」


アレクはうろたえ、盃を手から滑らせた。

陰陽師はそれを悟っていたかのように容易に盃を受け止めると、酒を注ぎながら話を続けた。


「絡新婦はくち吸いのために、男を誘う。くち吸いは毒液を流し込むためだ。絡新婦の毒液は身体の内にある肉とはらわたを溶かす。それから骨を砕きながら吸い出すのだよ。土瓶蒸しのようにな」

「残るのは手拭いのような皮と」

「喉仏というわけだ。さて土瓶蒸しにも骨なるものが残っているが、どうする。味わうか」

「もちろんだ」


 遠征に入るとなにより食料の調達に苦しむ。アレクは魔物を倒すとその場でさばき、自らすすんで毒味をしては、よく食べていた。毒蜘蛛の捕食ならば少し悩むところであるが、今目の前にあるのは土瓶とまつたけ。食わないわけがない。


「そうこなくては」


陰陽師は嬉しそうに土瓶の蓋を開けた。蓋を皿にして、なかの具を取り出す。

出汁をとられたまつたけの軸はまさに、骨のように白い。

しかし食べてみると、


「美味いな」

「ああ、この歯ごたえがなんとも」


葉のように薄く切られたまつたけは、その見た目からは想像もできぬほど、歯を愉しませてくれる。


「出汁はまだあるか」

「そうこなくては」


酒と出汁をいったりきたり。そうする間に、アレクの身体は腹の底からあったまった。冬のはじまりに秋を味わう。枯れた紅葉に赤みを取り戻すようだ。なんと贅沢なことか。


「ああ、しあわせだ」

「噛みしめるなら、まつたけにしなさい」


いつの間にやら土瓶は消え、囲炉裏に網がのっている。網の上には一本のまつたけ。

陰陽師はそれを素手で拾い上げると、器用に裂いた。裂け目から、ほくほくと湯気が上がる。湯気を逃さぬように、しょう油をぽとり。


「しょう油だ!」


アレクは目を輝かせた。

陰陽師はこの国にない酒や調味料を屋敷にたんまりと蓄えているが、そのなかでもしょう油は出色といえる。

まあ簡単に言えば、かければなんでも美味くなる、魔法の万能調味料だと思っている。


「はむっ」

「これ、はしたないぞ」


皿に移される前にかぶりつく。

湯気と共に食すそれはもはや、時の贅沢と言える。

仄かに熱を感じながらさくさくと噛みちぎれば、しょう油を交えた出汁が舌に沁み入る。

絶妙な煎り加減だ。


「美味い。これがまつたけか」

「ああ、しかしもうひと声、すだちが欲しくなるな」

「すだち?」

「香り高い果実だ。まつたけに絞ると、もっと美味い」

「よし、探してみよう」


だらしなく弛む唇に出汁が光る。


「果実、か」


陰陽師の顔が近づく。

華やかとは言い難いがアクのない、ひとつひとつが整った雅びな顔立ちだ。烏羽色の髪がしだれると、女のように色香を纏う。男をも惑わすような淫靡な、淫靡な唇がーー。


「ま、待て……!」


出汁が唇から唇へ渡る、一寸前。

アレクが激しく顎を振り、出汁は膝へ落ち消えた。


「おっと、ついつい」

「な、なんだ」

「あまりに美味そうで、おのれを見失うところであった」


陰陽師は懐から懐紙を一枚、抜き取るとアレクの唇に添えた。

唇に残った出汁がかすかに染みる。


「美味そうって、な、なにが」


耳まで真っ紅にしてアレクが尋ねるが、


「案ずるな。私にその趣味はない」


返ってきたのは冷淡な声とこけしのような真顔。


「趣味……」


アレクは思った。その趣味とは、男同士でキスをすることを差しているのだろうか。


さっ御簾みすが下りるように、酒気が抜ける。


「帰る」


アレクは外套を引っ掴むと、凍るような石畳を素足のまま渡り、屋敷を出た。

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