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異世界陰陽師  作者: 紫はなな
2/21

酒蒸し(一)


 世界じゅうのものが、魔王を倒した陰陽師をまれびととし、崇めた。


「陰陽師さま、世界をお救いくださった陰陽師さま」


神々と等しく愛し尊み、手を合わせることで、いつしか願いごとを唱えるようになった。


「どうか私の願いを叶えてください」


生きものとは、実に強欲なものだ。

さすがに姿かたちを思い浮かべることは畏れ多いのか、みな揃って陰陽師の屋敷を頭に浮かべた。

無論、誰も見たことがないのだから、それぞれの思い描く屋敷である。ときには尖塔の折り重なる城であったり、湖畔の山小屋であったりする。


たとえばたった今、前足を折った馬は石積みの立派な厩舎を浮かべた。


 馬は美しい白毛の馬で、貴族の乗り物として駆り出されていた。しかしその過去は魔王の膝もとで散った、かつての勇者の愛馬。

 馬はあるじの敵を取った、陰陽師のことをよく知っていた。噂話ではあるが、願えばかならず叶うことを、よく知っていた。


「陰陽師さま、憎き魔王を倒した陰陽師さま、どうか」


 死者が願えばかならず、叶うことを。




「どうか、彼女だけでもお救いください」




 落馬した貴族の断末魔が真昼の海にかき消されていく。馬は目の玉いっぱいにひろがる空を見上げながら、最後に思った。


 ――四本足の馬は死者に、入り得るだろうか。


 生まれ育った廐舎を思い浮かべながら、そう不安に思った。 


 







さて、陰陽師の住まう屋敷の話をしよう。


陰陽師は魔王を倒し、そのまま人に姿を見せていない。

つまるところ、魔王城のある深淵のどこかに屋敷は建てられている。


深淵ーー、その果てしなき広さ、誰もがあずかり知るところではない。


それでも屋敷には稀に生きた客人が、招かれる。


客人によると、それはそれは妖しい屋敷である。では、どのあたりが妖しいのかと問われると、一寸ちょっと困ってしまう。

なんせ日の昇るうちに 屋敷を見たものはいないのだ。

月光すら届かぬ闇のなかを靄に紛れ、寂しそうにただ望まれ、ぽつんと現れる。

それからひとりでにその門が開くと、表座敷に灯がともる。客人はそこでようやく気付く。



ああ、屋敷を見付けたのか、と。



門のなかへ足を進めれば、広いようで狭い。

手入れの行き届いていない、などと呼べる庭もなく、殺伐とした門口をぬけ早々、上がり框に腰をかければ、そこから黒く塗られた廊下が真っ直ぐ続く。やけに長く見えるが、奥に何かあるようで、何もない。

やれやれ座敷に上ると板間には囲炉裏ひとつ。床に落ちくぼんでいる。

掛け軸や花が飾られていることもなく、天井から吊り下げられた茶釜以外に褒めるべきところが見当たらない。

せんじ詰めると、まあつまらない屋敷だ。

言葉に迷う客人に、白い浄衣じょうえを纏った座敷主は手招きしながらこう言う。


「何用か。どれ、手土産をみせなさい」と。


生きた客人の話では、屋敷にもその主人にも救世主らしさの欠けらもなく、座敷主が陰陽師であるかどうかも、「怪しい」のであった。







「あなた様は、本物の陰陽師さまだったのですね」


 この日、座敷主を怪しんでいた客人が、謝罪を表し丸いわらふだの上で手をついていた。 

 

「なに。願いを叶えたまでのこと。いつまでもそうしていないで、足を崩しなさい。羽織も脱いだらどうです」

「はい。では陰陽師さまの仰るとおりに」 


 客人はうやうやしく頭を垂れると、羽織っていた外套をフードごと脱ぎ払い、あぐらをかいた。黒い板間に白い海塩が散る。


「甚だしいですね」

「どこかいけなかったでしょうか」

「いいえ、実に素晴らしいですよ」


闇夜に浮かぶ客人の御髪に見惚れながら、陰陽師は言う。


「それよりその堅苦しい言葉遣い、どうにかなりませぬか」

「世界をお救いくださった英雄に、そのような無礼は致しかねます。それにあなた様こそ」

「そうでしたね。まあ、おいおいということで」


 陰陽師は袂をひろげ、手をのばした。


「土産をこちらに」

「はい」


 じゃらり。という音をたて、客人は網袋を差し出した。

 袋は重く大きく、両者の胸元の高さまである。板間に下ろせば、またもやそこらに塩が散った。

 どうもこの客人、その美貌と所作とは裏腹に無作法である。しかし陰陽師は気にもとめず、じつに嬉しそうに網のなかを覗き込んだ。


「砂抜きは」

「しております」

「では、さっそく」


 陰陽師は網袋を抱えると、奥の座敷へ消えた。

 奥は暗闇に浸されており、その長さ計り知れない。見据えていると自分まで闇に染まってしまいそうになる。いちど踏み込んでしまえばなんてことのない、キッチンでもあるのだろうかと考えているうちに、陰陽師の腰はわらふだの上へ戻っていた。

 客人は不安げに尋ねる。


「その、望まれたものをお持ちしただけなのですが、あれで本当にお気に召されましたでしょうか」

「実に素晴らしいものでしたよ」

「安心しました。それでは、私はこれにて」


 客人はそそくさと腰をあげた。

 役目を果たしたのだ、屋敷に長くとどまる理由はない。


「ろくに話もせずに、出された酒にも口をつけず帰るのですか」


 陰陽師は責めるように客人を引き止めた。

 いつのまにやら膝下に盃がひとつ、置かれている。


「いや、しかし」

「食べていきなさい。それに私には事の顛末を知る権利がありますし、さらなる教示もできましょう」


 そこまで言われて、退ける客人ではない。もっとも、誘いを断り門を出たとしてその先に帰り道があるかもわからない。

 はじめてこの屋敷へ訪れたときのように、粗相がなければよいが。

 客人は世にも艶めく唇で形ばかり盃を食むと、陰陽師の言う事の顛末を語りだした。



 それはとある海岸に建てられた、廐舎で起こった。

 その廐舎は貴族だけでなく、王家の馬を育てる世界有数の名門廐舎でありながら、引退後の名馬をも養っている。

 なかには伝説の魔道士とともに世界じゅうを旅した馬や、オークの群れを蹴散らしながら断崖を駆け下りる豪傑な馬までいた。

 そんな血の気の多い馬が集まっているせいか争いごとは多いが、つながりも強い。朝日の昇る砂浜を牝馬や仔馬を庇いながら駆け走る馬の群れは、海岸廐舎の名景といえた。

 しかしその景色はある日を境にぱたり、と観られなくなった。

 廐舎のなかで、馬の突然死が流行り始めたのだ。

 ある馬は干し草をほおばりながら、ある馬は仔に乳をやりながら、息をとめた。

死はいつなんどき、襲ってくるかわからない。

 乗馬中に昏倒した馬もおり、乗っていた貴族がふたり砂浜に投げ出され、巻き添えとなっている。落馬した貴族は絶命する馬に心の臓を踏み潰されながら、空に見た。


 ルビーのように何色もの光をたくわえ煌めく、ユニコーンの姿を。


見たものは彼だけではない。

馬の怪死のあとには、決まってユニコーンの鳴き声が空に響いた。

 空を見上げれば宝珠のように眩しい馬の影。額からのびる鋭い角。

 陰陽師が言う。


「玉虫色の馬といえば、馬魔きばでありましょう」


客人は聞き慣れぬ言葉に眉をひそめた。

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