第9話 変身
膨大な魔力の放出量。椎名雪の紋様は確かな赤い光を放っていた。そしてどこからともなく吹いた風が彼女を取り囲んだ。白い光が体を包み込み、足下の小石が風に吹き乱れて舞い上がる。目に入っても眩くないこの光は、魔力の光だ。彼女からは確かに魔力が生じていた。
やはり、リロット・アーブルの予想は合っていた。椎名雪は常識離れした精神力を持っている。それがこの滞りない魔力の放出と、魔法少女としての才能に現れている。
彼女は魔法少女になれる。リリィが偶然会った椎名雪という少女は――魔法少女になる素質を完璧なまでに備えている。
雪を包んでいた白い光が、ガラスが砕け散るように消え去った。花開いたかのように、その光の残像の中に彼女はいた。
変身した雪の服装は白を基調とした装備に変貌していた。下には白いショートパンツ。細い脚が露わになり、履いているのはブーツと黒いハイソックスに変わっていた。肩の部分だけが出たジャケットの裾はロングコートのように長く、風にはためいていた。
白の、魔法少女。
魔法少女の姿は、当人の精神力とイメージ、その能力に見合った形で構築される。変身した魔法少女のその恰好こそが、その人が戦闘をするのに最も適したコスチュームということになるのだ。
この純白の装備が、雪の魔法少女としての姿。
綺麗だ、とリリィは思った。綺麗な魔法少女だ。
風がやんだ後雪は瞼を開けて、自分の姿を見回した。ちょっと目を開いたけど、あまり驚いた様子は見受けられない。相変わらず感情の起伏が薄いというか、わかりにくい人だ。
くるっと雪はリリィの方を向いた。
「これが魔法少女の恰好?」
「はい。そうです」
「へえ」
雪は袖や、ブーツや、裾などを興味深げに眺めた。それからリリィに向かって両手を広げてみせた。
「どう?」
「え、いや、その……素敵です。綺麗で」
「そっか、ありがとう」
雪は首をねじって背中を見ようとした。
リリィははっとした。そんな変身した恰好をどうのこうの言っている場合じゃない。いや、大事なことではあるんだけど、それはまた今度にして、今は今やってもらわなければならないことがある。
雪が服を指でつまんで言った。
「これ、というか今私自身、他の人には見えてないんだよね?」
「はい。不可視の状態になっています」
と、説明してる場合ではない。
「雪さん、叛逆者の所に行きましょう」
「あ、うん。そうだ」
正面玄関から屋内に入って、上階へ上がるのが順当な方法だろう。だがエレベーターが稼働してるかはわからない。階段を使うとなると、少々時間を要することになるが、それしかない。
「リリィ」
雪に呼ばれ、リリィは彼女の方を見た。リリィが視線を向けていたのは玄関だったが、雪は依然、割れた窓を見上げていた。
「なんですか、雪さん」
「リリィもさ、今の私みたいに他の人から見られないようにしたりとかできないの?魔法、とかで」
何の意図を持った質問だろう。とりあえずリリィは頷いた。
「はい、できます。今の雪さんが纏っているものと同じ魔法が使えますが……」
「そう、じゃあとりあえず自分にそれかけてよ」
言うや否や、雪はリリィに歩み寄って腰に手を回した。
「わわっ。え、どうしてですか?」
「ここからあそこまで飛んで行く」
雪は十数メートル上の割れた窓を顎で指した。
「どうせこれ、やたらと脚力上がってたりするんでしょ? 日曜朝のアニメみたいに」
「にちようあさ……? 魔法少女になると確かに身体能力は上がりますけど……ジャンプするんですか?」
「もち」
魔法少女の強化した運動能力なら十分可能なことだ。が、それにしても何という順応力だろう。既に自分の能力を予測までして有効活用しよとしている。一度も実践していないというのに、何という自信だろう。それだけの自信を抱けるだけ、恐ろしいほどに肝が据わっているのがわかる。
「リリィ連れてあそこまで行くからさ、人に見られたらアウトでしょ? 魔法少女初めてだから、上で色々レクチャーして欲しいんだよね」
「はい。もちろんそのつもりです……」
一階から入って上にあがっていくよりはずっと効率的な侵入方法だ。リリィは了承した。
「わかりました。そうしましょう」
認識を不可にする魔法をリリィは自分にかけた。リリィが目で頷くと、雪もこくりとした。
「じゃ、行くよ」
リリィの体をぎゅっと抱きかかえ、ほとんど助走なしに雪はアスファルトを蹴った。雪はリリィを抱えて静かに跳び上がり、瞬く間に地上から十メートル離れた。ふわっと体が浮くのをリリィは感じた。空を跳んだその刹那、リリィは雪の平静な顔を目にした。動揺も恐れもしていない無表情。この状況でも尚眉一つ動かさないこの人は――本当にただの女子高生なのだろうか?
雪はぴったり割れた六階の窓に飛び込んだ。砕かれて尖ったガラスがリリィに刺さらないように頭を抱えてくれて、屋内の床に着地した。立ち上がりがけにリリィを床に立たせてくれた。
今しがた通り抜けた窓を振り返って雪は感心した声を出した。
「すごい、やればいけるもんだね」
「はい。本当に凄いです。力加減までぴったり……雪さん驚いてたんですか?」
「? うん」
真顔のくせして何を言っているのか。驚いているならそれなりの表情をして欲しいものだ。
「さて、と。行くか」
荒らされた室内に、雪は目を向けた。入ってきた場所はどうやら入院患者用の病室のようだ。ベッドが四つ並び、それを取り囲むカーテンが破けてレールから外れている。手前のベッドはひっくり返され、担当医の名前が書かれたプレートには今朝の住宅街の民家の壁を彷彿とさせる穴が空いていた。嵐が通った後のように室内は荒れ果てていた。叛逆者なるがリリィを探して目につく物全てをひっくり返した跡だった。床の一部は重機でも通ったかのように凹んでいる。ドア枠がひん曲がり、叛逆者がそこを通過して廊下へ出て行ったことを物語っていた。
あまりにも酷い惨状だ。叛逆者が狙ったのはリリィ一人だけだ。奴一体が現れただけで、これだけの被害が出てしまう。言いようの無い罪悪感がリリィを襲った。
早く、早く叛逆者を倒さなければならない。ぼやぼやしていると更に被害が広まるのは必至だ。
慎重な足取りで、雪が病室の出口に歩き出した。後を追おうとしたリリィを手で制して、そっと病室から顔を出して廊下を確認する。叛逆者の姿は無かったのか、掌でリリィに付いて来いと合図を寄越した。
職員と患者はみんな避難したのか、病室や廊下には人気がなくがらんと静まり返っていた。無用な音を立てないよう忍び足でリリィと雪は廊下を進んで行く。
「雪さん」
リリィは雪の斜め後ろから声をかけた。リリィが後方を、雪が前方を警戒して歩いていた。
「なに?」
「今のうちに要点だけを説明しておきます」
肩越しに雪はリリィを見た。
「叛逆者と遭遇したら、私は足手まといになるので距離を置きます。戦闘は雪さん一人に任せることになってしまいますが、すいません」
「いいよ。その足なら仕方ない」
「後方支援もできません。ですができるだけの指示はします」
長い廊下を進んで行く。叛逆者が漁った病室がドアを壊された状態で連なっていた。中のベッドはほとんど壊されている。血痕がある病室もあった。
「こちらに気づいたら、叛逆者は間違いなく襲いかかってきます。雪さんは攻撃を躱しながら叛逆者の懐に接近してください」
「あいつと私の筋力なら、どっちの方が上?」
「単純な力ならあちらの方が高いですが、防御力に関してはこちらは圧倒的に有利です。魔法少女の装甲は破られることはほぼありません」
「なるほど、じゃあ遠慮なく突っ込んで行っていいわけだ」
「無理はしないでください。捕まって袋叩きにでもされたらどうなるかわかりません」
前方の廊下の先で大きな物音がした。壁が強く叩かれたかのような爆音だった。常人にあんな大きな音は鳴らせない――間違いなく叛逆者が立てた音だ。この先に奴はいる。
「どこに攻撃したらいいとかあるの?」
雪が訊いた。リリィは声をひそめて雪に耳打ちした。
「叛逆者には核があります。そこが弱点です」
「核?」
「はい。彼らは理に反した存在なので、この世にある物質にすがらなければ形を成すことができません。すがっている物が球体の中にしまわれています、それが核です」
「すがる物……」
「核を叩けば叛逆者は倒せます。逆に核を壊さないと、弱ることはあっても倒すことはできません」
なるほど、と雪は頷いた。今のところもまだ落ち着いている。だが、叛逆者と実際に対峙した時、この冷静さを保てるかどうかだ。
その考えに及んだ時、あることが頭を過ぎった。
でも、もしかしたら――……。
T字路を右へ曲がった所で、雪が足を止めた。手を伸ばしてリリィの歩行を止めさせる。リリィは雪の肩越しに前方の景色を見た。
「……いた」
と、雪が呟いた。
病室が並ぶ廊下の、リリィたちから十メートル程離れた所に、叛逆者はいた。ここから叛逆者の手前までの病室のドアは全て破壊されている。叛逆者は触手を一本伸ばしてまだ手つかずのドアを開けようとしていた。
叛逆者の巨大な頭についた眼球の片方がぐるん、とこちらを向いた。瞳にリリィと、その前に立ちはだかるようにして片腕を広げている雪を映すと、瞳孔が一気に広がった。
首が回って勢いよく顔がこちらに向いた。眼球を上下左右に動かしてまじまじとリリィたちを見つめ、うぞうぞと木の根の足を蠢かせて全身をこちら側に向けた。
病室のドアから離された触手が床を叩いた。叩かれた床の一部がべっこりと凹みをつくった。
「リリィ、さがって」
叛逆者を見据えつつ雪が言った。半歩リリィは下がった。叛逆者が、十本以上に及ぶ両腕の触手を翼のように広げ、甲高い奇声を上げた。
「魔法少女ォォ……ヤット見ツケタゾオォォォォォッ!」
叛逆者の叫び声は廊下の壁と天井、床に反響し六階全体に響き渡った。空気が振動するのを肌で感じる。
叛逆者の左目はリリィを、右目は雪を捉えていた。大きな頭をぐねっと傾げた。
「魔法少女ガ二人ィ? オ前モ魔法少女ダッタノカアァァ?」
木の根の足で床を踏みつけて、叛逆者は少しずつ近づいてくる。雪が後ろ手にそっとリリィを後ろに押した。
「リリィは下がってて。核はどこにあるの?」
「核は胴体の、人間でいう心臓にあたる部分にあります。なのであの触手をくぐり抜けて、懐に飛び込まなければなりません」
雪は叛逆者の木の色の人型をした胴体を睨んだ。
「雪さん……」
脇目に、雪はリリィを見た。
「大丈夫だよ。よくわかんなし、自信も別にないけど。負けない方がいいってのはわかってるから。なるべく善処するさ」
ふと自分の掌を見下ろして、雪は言った。
「これ、魔法少女に武器とかないの?」
「あ、あります」
じわじわと接近する叛逆者を警戒しながら雪は顔をこちらに向けた。
「武器は出すことができます。雪さん、掌に意識を集中してください。魔力を注いで形を作るんです。まだ雪さんは魔力の使用法がわからないので、まずは意識を集中することです」
「イメージすればいいの?」
「イメージするというよりは……それぞれに見合った武装が発現します。何が出るかは雪さんの精神に何が適合するか次第です」
「ふうん……」
途端に雪の右手から白い閃光が放たれた。きらめいた光が収縮されるにしたがって何かを形作り始める。光が治まった時、雪の手に握られていたのは白い柄だった。刀身の無い柄だけが手の中に現れた。
――すごい。
ただただリリィは感服した。意識を集中してものの数秒で武器を発現させるとは。雪は初心者で、魔力の扱いもまだ何も知らない素人の筈だった。それがこうも簡単に武器を形作るとは。
才能――その一言で片づくものなのだろうか?
柄を見回して雪は言った。
「これ、刀身無いけど大丈夫?」
「あ、多分、意識を集中することで更に刀身が伸びるのだと思います」
「へえ、そういうこと」
ぐっと柄を握りしめ、雪は斜め下に振り下ろした。振り下ろされた瞬間、柄から白い片刃の細い刃が生えた。刃先が床を掠めた。
「おお……」
刀を顔の上に掲げて雪が声を漏らす。そのわりには何も感じていなさそうな無表情だが、彼女なりの気分の起伏はあるらしい。心なしか目が興味深そうに輝いている。
「これで戦えばいいわけか」
叛逆者を見据えて、雪は一歩前に踏み出した。刀を両手で構える。武術の心得の感じられない構えだったが、魔法少女である今の彼女にはそんなことは大した問題ではない。それをカバーできる身体能力が備わっている筈なのだ。刃が通れさえすれば叛逆者を倒すことができる。
「今度コソ、オ前ヲ殺ォォスッ!」
叛逆者が叫び、蜘蛛のような脚で歩く速度を上げた。雪は片足を引いて走り出す姿勢を整えた。
「お願いします、雪さん」
リリィは胸の前で両手を握った。
「とりあえずやってみる、よ!」
語尾を口にしたタイミングで雪は走り出した。助走無しの一歩目とは思えない凄まじい速度だった。しかしその素早さに劣らず、叛逆者は反応する。触手を一本振りかぶり、雪目掛けて殴り掛かった。
「雪さん――っ」
リリィの悲鳴がこだまする刹那、雪が急激に姿勢を低くして叛逆者の一撃を躱した。
雪の頭の上すれすれを通過し、叛逆者の触手は壁を貫いた。膝が床につくまで身を屈めた雪は、次の動作で全身のバネを使い、前方に跳び上がった。
床に着地した雪に、すぐ様叛逆者の攻撃が向かってくる。真正面から迫り来た触手を雪は刀で振り払った。触手の先端が切断され軌道が変わり、雪の脇を通り抜ける。
続いて斜め上から来た触手を横にステップして回避し、後ろから斬りつける。
足元に飛び込んできた触手をジャンプで躱して、足下の床に突き刺さった触手の上を駆け抜け始めた。
何という反応と脚力だ。
リリィは驚嘆のあまり絶句して雪の攻防を見守っていた。
魔法少女の身体能力は通常の人間に比べて飛躍的に上昇する。だが、現在の雪の身体能力はリリィの予想を遥かに上回っていた。
初めて魔法少女となったとは思えない身のこなしだった。脚力は魔力次第でいくらでも強くなる。反射神経、動体視力も同様に、魔力の循環次第で飛躍的に向上する。
が、雪のそれの高さは常軌を逸していた。脚力、反射神経ともに魔法少女としてかなりハイレベルな力を発揮していた。
通常なら考えられないことだった――ついさっき紋様を授かったばかりの代理魔法少女としては、到底初戦から出力できる筈のない能力値だった。
それを何故あんなにも、高い能力を発揮することができる――?
叛逆者の触手の上を走り抜けた雪は触手から跳び、空中で迫り来た新たな触手を二本斬り払って着地した。正面から凄まじい速さで突っ込んできた触手の槍を紙一重で躱し、刀で竹を割るように上下に斬り裂いた。
はっと、リリィはあることに気がついた。いや、改めて理解したと言うべきか。
そんな猛スピードの激しい攻防を繰り返しているにも関わらず――雪は一切表情を変えていなかったのだった。
凛とした無表情から一瞬たりともその表情は変化しない。顔のすれすれを敵の攻撃が通過しようとも、触手に力で押し負けそうになろうとも、激しい運動で汗こそかけどその表情はぴくりとも動かない。
凄まじい集中力――そして精神力だった。
彼女からは焦りや恐怖が、微塵も感じられない。高揚も興奮も、緊張すら感じられない。
わかった。何故あれほどにも高等なアクションを彼女が起こすことができるのか。
それは――彼女の精神力があまりにも膨大なことにより、全ての動きに分け隔てなく全力の魔力を注ぐことができるからだった。
魔力は精神力により作られる。強い精神力を持つ魔法少女はそれだけ強く大量の魔力を生成することができる。
雪の精神力は常識外れに強く、膨大だ。少なくとも目の前を化け物の凶刃が通り過ぎても全く動じないくらいには、平静さを保てる強さがある。その彼女が生成できる魔力の量は、無尽蔵に近く膨大だ。
これはおそらく雪自身意識せずに行っていることだが、魔力量が非常に膨大であることによって、足の動きから五感の反応精度まで、魔力の消費を気にせずに躊躇なく全動作に精神力を費やせる余裕がある。
これは正規の魔法少女ですら、そう易々とはできない芸当だ。常識外れに強い精神力が必要になる。リリィもそこまで無鉄砲な魔力の使い方はできない。ろくに訓練を積んでもいない魔法少女がしようものなら、あまりにも無謀だ。
叛逆者との一進一退の攻防で、雪は一切その動きを鈍らせることなく、並外れた運動神経を維持している。
夢の中でずっと聞こえていた、全く乱れない一定のリズムの心音。あれがもし夢でないとしたら――あの鼓動が、彼女のものだとしたら。
あの時、彼女には叛逆者の禍々しい姿が見えていた。にもかかわらず、彼女は怯えも慌てもせず冷静にリリィをあの場から助け出した。表面上だけで平静を装っていたのではなく、彼女の心音は完璧なまでに穏やかだった。精神そのものがあの非現実的な状況下であっても、一切の動揺を感じていなかったのだ。
もし、本当にそうだとしたら、あの動きを可能にしていることに説明がつく。
桁外れの精神力。常人離れした強靭なメンタル。
一般人にして魔法少女を上回る精神力を持つ少女――椎名雪。
一体、何者なの、彼女は。
頭上に振り下ろされた触手を雪は刀で薙ぎ払った。と、その隙に叛逆者が伸ばした二本の触手が、雪の両足に絡みついた。
叛逆者がそのまま触手を振り上げ、雪が逆さまに持ち上げられた。足を触手で縛ったまま雪を天井すれすれまで振り上げると、叛逆者は雪を強烈な勢いで床に叩きつけた。
院内全域を揺るがすような巨大な破壊音が響き、床が砕かれた。粉塵を舞い上がらせて床に空いた大穴から、雪は下の階に落とされた。
「雪さん―――っ!」




