凍れる蕾のはなし
とある森の奥深くに、一人の若い男が暮らしていた。彼は毎日毎日硝子細工を作っていた。そして、街で市場が立つ日にそれを持っていき、売っては生活の糧としていた。
その男は、青い、曇り硝子のような眼をしていて、ほとんど表情を変える事が無かった。物を売るときも、人と話すときも、どこか坦々とした声でしか話さなかった。それでも、街の若い娘は彼を見かけると少し胸をときめかせてしまう、と言うほど、どこか儚げで綺麗な顔をしていた。
そんな男が作っていたものは、グラスや花瓶など暮らしに役立つものを除けば硝子の花だった。何故彼が硝子の花を作るようになったのか、誰も知らない。ただ、ここで硝子細工を作るようになった時からずっと、そうしているのだ。
彼を知る人々は「無口で冷淡な男にも情熱を注げるものがある」としか認識せず、誰も何も言わなかった。
ある日、男がいつものように硝子細工を作っていると、一匹の狐が姿を現した。狐は男が硝子細工を作る様子をじぃ、と見ていた。
「なんだ、狐か」
男はそれだけ言うとまた作業に戻り、狐はそれをじぃ、と見ていた。
只管に硝子を溶かし、花を形作り、溶かしては作り、の繰り返し。男はただ黙々と硝子の花を作り続ける。
「何故?」
狐は静かに歩み寄り、男に問う。彼は狐が口を聞いた事に驚く様子も無く、炉を見たまま言う。
「取り戻したいものがある」
「それは何?」
狐の問いかけに、男はようやく狐の方を見る。彼は静かにいった。
「この世で唯一の女性だ」
嘗て、男には愛する人が居た。
男は硝子職人の息子として生まれ、只管硝子と向き合って生きてきた。そんな中で出会った、旅一座の楽師だった。
仕事に行き詰った男はリュートを鳴らし歌う彼女に惹かれた。優しく人々に接し、悩む男を励ましてくれた彼女に惹かれた。
楽師もまた、男の作る硝子細工に惚れ、驕らず腕を磨き続ける姿に惚れ、不器用ながらに優しさを見せる彼に惚れた。
2人は何時しか心を通い合わせ、結婚を約束しあう仲なっていた。彼女が傍にいる。それだけで幸せで、彼女のために腕を磨こうと仕事にも打ち込めた。
だが、男の父親は楽師の娘よりも、同業者の娘を嫁に欲していた。何処の生まれかもわからぬ娘よりも、素性の知れた娘を欲し、楽師の娘を激しく罵って追い立てた。男と無理やり引き離された楽師はその街を去り、盗賊によって殺されてしまった。
大切な存在を失った男は、家を出た。そして、森の奥に小屋と仕事場を作り、黙々と硝子の花を作り出したのである。
楽師の娘は花の蕾が好きだった。今にも咲きそうな蕾のままでいてくれたらいいのに、と冗談を言って笑う彼女の笑顔が、男は何よりも好きだった。
男にとって楽師は世界の中の光だった。彼女が居たからこそ見渡せる物もあった。だが、失った今では、俗世に興味など無く、ただ彼女の面影を求め硝子の花を作り続けるだけだった。
とある日。硝子の花や花瓶を売りに町へ出た男は祭の話を聞く。そこでは硝子細工の品評会が行われるらしく、彼が硝子職人である事を知っていた街の人は硝子の花をだしてみては、と誰もが言った。
男が作る硝子の花は、とても美しく、また、儚く見えた。その繊細な細工は彼の知らぬところで町の流行となっており、旅人にも好まれていたし、人々はきっと優勝するに違いない、と思ったのだ。
初め、男は品評会に出すつもりは無かった。だが、彼の前に、実家の工房に身を寄せる硝子職人が現れて、こんな事を言ったのだ。
「お前の作るモノには心が篭っていない。そんなものが喜ばれるなんておかしいんだ」
そう言って、彼は硝子の花を踏み潰してしまった。それに怒った男は人々の心を揺さ振るものを作ろう、と決意する。
その日から彼はより熱心に硝子細工を作るようになった。だが、思うように作れなくなってしまっていた。
「自分が作る硝子細工に心が篭っていない」
そう言われた事で、彼は悩んでしまった。
細工に心を込める。
でも、どうやって?
私は、彼女を追い求めて花を作り続けているというのに。
それでは『心を込める』事にはならないのだろうか?
男は、一心不乱に硝子の花を作り続けた。作っては溶かし、作っては溶かしを繰り返す。そんな姿を、狐は黙って見つめ続けた。
狐は知っていた。彼が想い人を思って花を作っている事に。狐は知っていた。彼が1つ1つ丁寧に、いつも自分の持っているすべてを駆使して花を作っている事に。
狐が見つめ続ける中、男は1日も休まず硝子の花を作り続けた。
硝子の花は、作り直されるたびに、作り出されるたびに、美しさが増していくようだった。氷のように冷たく、雪のように儚げな花に、狐は魅了されていく。
(あれを毎日見れる私は、幸せ者だ)
狐は嬉しく思い、自分の獲物を男に分け与えようとした。だが、男はそんな狐が自分を哀れんで恵んでいるのだろう、と思っていた。
「お前は変わり者だな。私のような男に情をかけているつもりかい?」
目をそっと細め、男は笑おうとした。けれども、いつの間にか笑えなくなっている事に気付き、僅かにうろたえる。
(私は、いつの間にか笑えなくなっていた。彼女を失い、笑い方を忘れていた)
男は唇をかみ締める。笑えない自分に、心の篭った細工が作れるのだろうか。男は再び迷い、自問しながら硝子と向き合った。
そんな痛々しい姿を、狐はどこか悲しく思った。自分はただ、硝子の花が好きで、男が想い人への思いを込める横顔が好きで、見つめ続けていたのだ。狐はどうにかして、彼の作品に思いが篭っている事を伝えたかったが、その術が無かった。
男は、どうにかして笑おうとしたが、笑えなかった。どうしたら笑えるのか考えて、考えて、考えた挙句想い人の笑顔を思い出そうとした。
(彼女の笑顔を思い出したら、もっといい細工が作れるかもしれない)
彼女の顔を思い出し、笑顔を思い出す。すると、胸の中が暖かくなって何かが解けていくような感覚がした。
(これだ!)
男は天啓を受けたのだろうか。目を見開き、再び硝子と向き合い始めた。頭に思い描くのは、愛した楽師が微笑む姿。愛を告げた日に見せてくれた、柔らかく恥じらいを含んだあの笑顔を。
その日、外は吹雪いていた。隙間風が冷たく、彼の頬を切る。だが、炉のある部屋と彼の心は熱く、硝子は赤く煌々と輝いていた。
鋏を、道具を動かして作るは、今にも開きそうなバラの蕾。氷のように透き通り、艶めいた一輪の花。それに、男は持てる技術の全てと、様々な想いを注ぎ込んだ。
その硝子の花が出来上がると、男は静かに見つめた。満足のいく物が出来たとき、既に吹雪きは止み、夜の帳が下りていた。雲は流れ、欠けた月が窓から見えていた。金色の光を浴びた硝子の花は、実に美しかった。
浮かび上がる硝子の輪郭に、月光を浴びて輝く姿に、男は想い人を重ねていた。背筋を伸ばし、リュートを奏でる彼女が、自分に笑いかける。そんな幻想を見ながら、男はゆっくりと微笑んだ。
「やっと、会えた」
翌日は、品評会だった。様々な作品が並ぶものの、男の作品は並んでいなかった。納得のいく物が出来ず、出さなかったのだろう、と人々は言い合った。けれども、何かおかしいと思った何人かの知人達が、彼の家へと向かった。
雪に埋もれた道を苦労して進んでいると、一匹の狐が現れた。狐は彼らを導くように先導し、彼らを男の工房まで案内すると、扉を引っ掻いて開けるように示した。
確かに、男はそこに居た。だが、彼は凍りついたように動かなくなっていた。彼らは男を揺さ振るも、彼は全く目覚めなかった。それもそのはずで、何時しか、男自身が硝子になっていた。彼の傍には、本物の花がそのまま氷になったような硝子細工があった。
今にも開きそうな花弁から、雫が毀れる。それは、微笑を浮かべた男がこぼした、感涙だったのかもしれない。
(終)
ここまで読んでくださり、有難うございます。
最後については色々憶測していただけると幸いです。