009:終焉
第七話
食糧・飲料を買い込んで船に便乗して二日が経過した。船員たちから本土が見えたぞの声が聞こえだしたので、私はアレスタを抱えて空へと飛んだ。
「あ……見てティハ!」
「ええ!」
群青色に染まりつつある空からは煌々と輝く首都インヴィオラテスの光が見える。帰ってきたのだ。巨大都市インヴィオラテスが発する眩い輝きが思わず私の涙腺を緩ませる。
「本当に帰ってきたんだね」
「そうね。あと少し……あと少しで帰れるわ」
気象も私たちを祝福してくれているのだろうか。風が私の滑空を後押しし、普段の倍近い飛翔距離を稼ぐことが出来た。この分なら一時間も経たずにインヴィオラテスにある家の玄関の前に立てるだろう。
最初の着地で人気のない町はずれに降下する。だがそれでも看板にはアーニケイドの文字が記されている。文字は連なり、生まれてから使い続けたアーニケイド語が形成されている。紛れもなくここはアーニケイドの土地なのだ。
「ティハ!」
「アレスタ!」
体が震え出すほどの喜びが全身に広がり、アレスタと二人手を取り合い涙を流しあいその場を何度も跳ねる。
「本当に戻れたんだ!」
「そうよアレスタ。私たちは戻ってきた!」
「ティハ……ティハのおかげだよ」
「そんなことない! アレスタがいなければ今頃海の底だったもの」
私がいなければアレスタはおらず、アレスタがいなければ私は生きてはいなかった。お互いがいたからこそこうして祖国の地を踏むことが出来た。抱き合って生還の喜びに浸っているとあっという間に魔力は回復していた。
「さ、風が機嫌のいいうちに行こう。この分ならこの飛翔で帰れる」
「うん、帰ろうティハ!」
「ティハ。最初は護衛がたくさんいる私の家に戻るけど、いい?」
「それくらい気にしないわ! 早く帰りましょう?」
これまでになくはしゃぐアレスタを抱え、私は再び強風に乗ってインヴィオラテスまで飛ぶ。不安になるほどの強風に乗って私たちは首都インヴィオラテス、それもフェニキア家の邸宅から一ブロック離れた通りに降りる。
「ああ凄いわティハ! ティハは魔法の天才ね!」
「ありがとうアレスタ。もうここからなら数分で帰れるわ」
「じゃあ急ぎましょう! アエセラ様やミアル様だって大層心配しているに違いないわ! 早く安心させてあげましょう!」
希望に満ちたアレスタに手を引かれ私は見覚えのある通りを歩いていく。見覚えのある街灯、カフェ、バー、公園、家々の数々。再びこれらが見れたことにまた涙が出そうになる。だが、おかしい。遠方から微かに響いてくるサイレン音に、ラジオに群がる人々の数。ラジオに耳をそばだてる人々の顔には興奮と不安が色濃く見えている。一体、何が起きたというんだろう。
疑問を抱えながらも、私自身今は帰りたいという思いが強く半ば意識から帰ること以外の選択肢を捨て去った。私とアレスタは飛行艇で拉致されてさらにクヴェストで殺されそうになるなんて壮絶な体験をしたのだ。首都で何が起きようとこれ以上の事件がある訳がないじゃないか。
『容疑者はフラック・テルトリス。二十代前半の男で射撃の名手。トレンチコートを羽織り、拳銃を手に逃走中です! 髪は黒色で短く刈っており、俳優のデライアースに似た顔との事です』
何か引っかかる特徴の容疑者……いや、知るものか。気が付けば笑うアレスタに釣られ私の口にも笑みが浮かんでいた。アレスタの今に至ってもなお色あせない……いや、色あせないどころではない、生涯何度も体験する機会のない喜びを全身でアレスタは表現しているのだ。見とれない方がおかしいというものだろう。
道行く人々を惚けさせながらアレスタはステップまでして道を往く。
「見えたわティハ! あっ! ヴェリングさん!」
「あ……お、お嬢様!」
はは、普段は裏庭には馬車が停めてある程度なのに今は数人の黒服の男たちが目を光らせている。警備も強化されているようだ。私たちの背後をサイレンを鳴らして警察の馬車が通り過ぎていく。
頭の痛くなるほどの大音響。その音が疲れで麻痺しかけていた私の理性を呼び起こした。
「アレスタ。私はこの事件を起こした人に落とし前を付けさせないといけない。悪いが、これはプロープリス一門の安寧のためやらなくてはいけないんだ。ごめん」
この事件を起こした者どもに二度と舐めた真似が出来ないよう痛めつけなくてはならない。その手がかりが今この首都にいるというのにフェニキア家の人間として黙っていられるか。手短にアレスタへ謝罪を済ませるとついでヴェリングさんに指示をし、私は跳び出した。
「ヴェリングさん! アレスタの保護をお願いします。それと今首都を逃走中の容疑者、あれが私たちの件に関わっています。何としてでも殺さず捕らえて下さい。プロープリス一門内部にも敵がいるかもしれません。絶対信頼できる人間だけで事を運んでくださいね」
「ティハ二アお嬢様?」
「私は先行します。どうか追いついてくださいよ」
「ティハ!」
アレスタの絶叫じみた声に幾分かの後悔が滲んでくるが、父様。私は自分の復讐のためだけではありません。家のために動かせていただきます。
家々を軽く飛び越えた私は上空から警察の動きを辿っていく。すると……見えた! 家々の天井を人外染みた跳躍で跳び高速で移動する男の姿。空から滑空しどんどん近づいてみれば間違いない。あいつは間違いなく、私を死の寸前まで追い込んだ男フラック・テルトリスだ。
「何故あなたがここにいるんです!」
「君は……帰ってこれたのか」
驚いた。以前は表情を何処かに置いてきたかのような機械然とした男だったのに、今は人並みに表情を変えている。
「答えなさい! あなたは私を攫った首謀者を知っているのではないですか!?」
「そいつは俺が殺す。君は帰って両親を安心させるんだ」
「あなたに心配される義理はありませんよ! 私を殺そうとしたくせに!」
私の言葉が余程心に刺さったのか、一瞬目を伏せる。
「すまなかった」
「はい?」
「すまなかった」
な……。
「人を殺しかけて一言の謝罪で許されると思いますか!」
「分かっている。だから、首謀者を殺したら俺も死ぬ。それまでは復讐を待ってくれないか」
駄目だこいつ。自責の念と確固たる信念の混ざり合った狂人だ。魔力が尽き、速力を失った私を引き離していくフラック・テルトリスの背中に向けて私は叫んだ。
「その首謀者はフェニキア家の物です! 謝罪の意思があるのならば脳みそが動いている状態で引き渡しなさい!」
私は生まれてからフェニキア家の繁栄のために生きてきた。繁栄のため魔法を幼少より学び、軍の育成課程に入り、体を鍛えてきた。そのフェニキア家を貶めようとした首謀者を情報も取らずに殺されてたまるか。
「フラック・テルトリス! どうせ死ぬ命ならば私に寄越しなさい! 命を奪いかけた罪です! 私の頼みを聞いてくれてもいいでしょう!」
敏捷だった動きが固まり、少し考えた後にテルトリスは戻ってきた。
「分かった。事件の首謀者の元に案内しよう」
「魔力が尽きました。十分だけ体を貸しなさい……笑う場面ではありませんよ」
「いや、すまない。では行こうか」
背中に私を背負いながらテルトリスは走り出す。その勢いは先程までとそう変わらず、警察の追尾を振り切るには十分な速さだ。
「何故心変わりしたんですか」
魔力の回復待ちでなにするでもない私はテルトリスの変節へ疑問を投げかける。あの冷徹な殺人機械が少し目を離した間に殺人を懺悔するなんて何があったというのだろう。
「俺は今まで悪人を殺してきた。悪人だからこそ殺せた。だが今回の仕事はそうじゃなかった。俺は今まで悪人と聞かされて、だからこそ殺してきたというのに、そこが崩れてしまった」
さらにテルトリスは続ける。
「一度疑問を抱いてしまったらもう元には戻れなくなった。本当に悪人を殺してきたのかさえ分からなくなってしまった。アレスタと言ったか……あの子の何の殺意もない怯えた表情で気付かされた」
アレスタは殺人者の心まで変えたか。流石。
「君は何の躊躇いもなく俺を殺しに来たね。だから俺も躊躇わずに済んだ……そろそろ到着だ。魔力はもう回復したかい?」
「ええ、準備は出来ていますよ」
「あそこだ」
テルトリスが目指すのはインヴィオラテス郊外に位置する寂れた邸宅。壁には蔦が延び、庭は整備されず雑草が自由に生えている。窓には明かりは見えるが、豆電球でも点けているのか大した光量ではない。
「突入するぞ」
「え」
私に何の合図もなしにテルトリスは邸宅二階の窓を破り、侵入する。瞬間、挨拶代わりに私たちに浴びせられる銃弾の雨と魔法の炎。
「無茶苦茶だ!」
私が妨害魔法を二重展開で魔法を無力化している間に、テルトリスはオートマチック拳銃の三連射で三人の敵を一度に殺傷する。倒れ伏した敵から短機関銃を拝借したテルトリスは道を知っているのか、私を振り返ることなく突き進み始める。
「こっちだ」
明かりのほとんどない邸宅の中を正確に進んでいくテルトリスは出合い頭の敵を一瞬の迷いすら見せずに射殺していく。正確無比な急所への一撃は畏敬の念すら抱かせる腕前だ。私は私で魔力源を索敵し、探知源目掛け階層や壁を無視し氷の礫を混ぜた突風を吹き付けていく。大地を抉り、岩をも穿つ一撃は家の構造材を容易く破砕し、一人また一人と敵魔術師を漸減していく。
「ここだ」
何人この邸宅で死んだのだろうか。少なくとも十人は死体を跨いで進んだ先にあった部屋は寝室で、そこには太った老人が一人短機関銃をこちらに向け座っていた。テルトリスが扉を開いた瞬間、短機関銃が銃口を光らせる。だが短機関銃の弾丸は私が風の壁を形成し天井へ叩きつけられテルトリスに当たることはない。やがて短機関銃は弾を撃ち尽くして沈黙する。
「裏切ったか! このワシを!」
「違う! 先に裏切ったのはお前だ!」
激高しお互いが叫びあう。老人もテルトリスも憎しみの籠った目で互いを射抜く。
「貴様! ワシがどれほどの金をかけて貴様を作り上げたと思っとるんだ! 露頭に迷っていた貴様を助けた恩を忘れたか!」
「俺に嘘を吹き込んで殺しをやらせていたんだぞ! 悪人じゃなかった! ただの善良な少女じゃないか!」
「善悪を判断するのは貴様ではない! ワシだ! 貴様を作ったワシが正しいのだ!」
「黙れ!」
「ふん! 撃てばいい! 貴様らも道連れじゃあ!」
スーツのポケットに手を入れた老人。よく見れば、ポケットから導線が延び……まずい!
私を抱えて部屋を飛び出すテルトリスの判断は素早いが、その程度で済むとは思えない。残存全魔力を使い切り、私が高度百メートルまでテルトリスごと上昇に成功した時には眼下からの爆風に姿勢を乱されていた。
「最後にあれだけの爆薬を隠し持っていたとは、予想外だった。助かったよ」
さて、これからどうしよう。魔力は使い切り、もう安全に着地することは出来ない。おまけに着地点はばらばらに吹き飛んだ邸宅の残骸だ。
「テルトリス。後は頼みました」
こうなれば運に頼るほかない。私は目をつぶり、着地の衝撃に備え縮こまる事しかできなかった。
目を覚ますと、インヴィオラテスにある邸宅の自室だった。窓から日が差し込み、喧騒などまるで関係なく澄んだ青空が広がっている。
「ティハ! 目を覚ましたのね!」
「ティハ。よく無事でしたね」
「ティハ! よかった、目が覚めたか」
「おお、起きたか……」
「クヴェスト王国とかいう辺境まで行ってよく生きて帰ってこられたものです」
自室にはアレスタにアエセラ母様に、兄様に姉様方。部屋の外からはアレスタの両親に親族が顔を覗かせている。
「皆さん、おはようございます」
「おはようティハ! 元気そうじゃないか!」
「私はいつも元気ですよ。アルマス兄様の方は目にゴミでも入りましたか?」
「馬鹿だな。ティハが元気そうで泣けてきたんだよ。よく生きて帰ってきたな」
「あ……はい。ご迷惑をおかけしましたね」
常ならば冗談の応酬で応じるアルマス兄様が素直に泣く。これだけで私たちの失踪がどれだけ重大事として扱われていたのかが分かってしまう。
それからはいつになく表情を緩めた父様に抱きしめられたり、何処の所属か分からない危なそう人たちと話をしたり、シャレイド少佐が見舞いの品を持って現れたり、サトリオール家が新聞で矢面に晒されたりと色々なことが起きた。
いくつか公務があったはずだけどそれらは全てキャンセルされ、私とアレスタは厳重な監視下で療養に当たることになる。
あまりにも平穏が長く続き、何だか全てが本当にあったのか疑わしくなってきて数週間。私たちは再びアルマート学校へ登校することとなった。
徐々に近づいてくる八つの尖塔が、アルマート学校へもうじき着くと知らさせてくれる。
「ティハ、何だか本当に久しぶりな気がしない?」
「本当に……またあの塔が見られるなんて思わなかったわ」
学校へ戻ってきた人々、そして馬車の列を抜け私たちの馬車にも寮の前に停車する機会がやってきた。とはいえ他の人たちほど長く停車する必要はない。何しろアレスタがいるからね。
「お嬢様……」
「心配しないでスレイラ。警備も格段に強化されると学校も仰っていたじゃない」
「ですが、もう二度とあんな目に遭ってほしくはありません。私は心配で心配で……」
「大丈夫よ。犯人を追いかけるなんて無茶はしないから」
フラック・テルトリスの追尾は後日あらゆる方面の人から軽率だとお怒りを頂く羽目になった。てっきり賛同してくれると思っていた父様も教育を間違えたとくどくどと説教を受けてしまった。当主様だけは女傑だ、快事であるとお褒め下さったけれど。
「今度こそ信じますよ」
「信じてください」
あんまり信じてなさそうにスレイラはため息を吐いてアレスタの両肩に手を置く。
「アレスタ様。どうかティハニアお嬢様の無茶を止めて下さいまし。アレスタ様しかきっと出来ません」
「任せてください!」
「それではよろしくお願いいたします」
アレスタに何度も頭を下げてスレイラは馬車に乗って去って行ってしまった。
「何だか心外。私が考えなしに動いていたとでも思っているのかしら」
「あ、まだ反省してないのティハったら!」
私としてはお家のために最善を尽くしたつもりなのに。私を両親よりも見守ってくださった当主様はお褒めになっていたし、きっと間違いではないと思うのだ。確かに私がフラック・テルトリスを追わなくてもあの男なら最低でもジグノールと相打ちくらいにはなっていたとだろう。それでも一人、フラック・テルトリスの命を救うくらいは出来たのだから成果無しではない。
あれは気絶した私を家まで送り届けた後、何処かへ消えてしまった。全てを終えたテルトリスは既に自殺してしまったのだろうか……あれだけの腕が自壊するのはもったいない気がする。
「おーい、ティハ? 何だかぼうっとしているよ」
「え? ごめんなさい、事件の事をどうしても思い出してしまうの」
「……そうだね、私も気が付けば思い出しちゃう」
あの事件以降、アレスタの両親は私を見る目が少し変わったように思える。何しろ私狙いの拉致事件に愛娘がおまけで巻き込まれてしまったのだ。私が無事に連れ帰っていたからよかったけれど、傷でもこさえていたらアレスタとはもうこうして話せなかったかもしれない。
「へーいティハにアレスタ! またいちゃついてるのかい!」
「サレルナにフェイアナ! 見舞い以来ですね!」
この時代には先進的なボーイッシュな髪型をしている元気娘と傍らにはお淑やかな令嬢。前者はプロープリス一門の裕福な商家の出で、もう一人は商家のある地域を収めていた貴族の娘だ。
「お二人は事件以来より親密になった気がしますわ」
「えへへ、そうかしら。どう思うティハ?」
「当たり前! ね、アレスタ?」
寮の手前で四人、六人、八人と徐々にプロープリス一門仲間が集まって来る。プロープリスの名を背負っていない子も親プロープリス派閥の一員で、みな悪い子ではないけれど派閥の力を改めて感じてしまった。
二日後、始業式を終えて最初の講義の部屋にアレスタと連れ立って入るとクレアティウス一門の面々の陣容がおかしい。以前は中心に位置したチュアニクさんもといアンが遠くに追いやられ、二番手だった子が中心で談笑している。心なしかアンの気だるげな表情から寂しさが伺える。
「チュアニクも可哀想ね。ジグノールの仕打ちは絶対に許せないけれど」
アレスタが同情的に呟いたように、アンの家系は今逆境の最中にある。一門に泥を塗り、いざという時のためのスリーパーを勝手に運用して使い潰し、挙句下手人をプロープリス一門に暴かれ警察の厄介にあってしまった。ジグノールが傍系だったのは不幸中の幸いではあるけれど、それでもサトリオール家の大失態というほかなかった。
父様のライバルと目されていたアンの父親デミオリール・クレアティウス・サトリオールも失脚し、ゴシップ紙によれば酒に溺れているのだとか。スレイラがしてやったりと自慢げに私の目の前で朗読してくれた。
「ねえアレスタ。これってアンを友達にする好機とも取れないかしら」
「え? そうね……クレアティウス一門がいらないなら貰っちゃいましょうか?」
「ちょっと? ティハ二アさんにアレスタさん?」
プロープリス一門の同輩が困惑する声を背中に、私とアレスタはニコニコとアンの左右に立つ。
「おはようアン。どうもクレアティウス一門はあなたを必要としていないみたいね」
「ティハニア……あなた、どういうつもり?」
「チュアニクのこと私たちは好きよ。だから頂いちゃおうって思っているの」
「あなたたち、何を言っているのかしら?」
今は失脚しているアンの父親はあのままはいつくばっているような男ではない。いずれまた力を付け高みに上りあがるだろう。そうなればクレアティウス一門の面々も再びアンを仲間に迎えなおす。
だから今しか好機はないのだ。クレアティウス一門からあぶれたアンをプロープリス一門に属する私が手を差し伸べる。これが広まれば私はアンと一門の違いを乗り越えても友好を築き続けるのに体の良い言い訳に成り得る。
私は落ちたライバルに手を差し伸べた器の広さでアンとの交友を許され、アンは窮地に手を差し伸べた恩を言い訳に公然と私と話が出来る。実像とは全く違うけれども、アンと話すのに一々人目を気にするのがいい加減我慢しかねていたのでいい機会だ。
「はあ……あなたたちったら、そんなに私が欲しいの?」
薄々感づいてくれたアンがいつもの調子を取り戻して尊大に切り返してくる。
「だってチュアってクレアティウス一門にもったいないほど魅力的だわ! ね、ティハ」
「アレスタの言うことはもっともね。さ、連れて帰りましょう」
私とアレスタで両腕を掴んでアンを私たちの座っていた席に連行する。
「みなさん紹介するわ。今日から私の無二の親友になったチュアニク・クレアティウス・サトリオールよ」
「ちょっと! ティハの無二の親友は私じゃないの!?」
「あ、じゃあアンは特別な大親友あたりで許してくれるかしら」
「あのね……まあいいわ。みなさん紹介に預かったチュアニク・クレアティウス・サトリオールですわ。以降、よろしくお願い致します」
ちょっと展開が唐突に過ぎたかもしれない。クレアティウス一門勢もプロープリス一門勢も何が何やらと言った表情でこちらを呆然と見つめている。
「はあーっ、ティハってばやることが大胆だねえ! 私はサレルナ・プロープリス・トロットリニアス! 顔くらい今まで見てたろ? これからよろしく!」
「私はフェイアナ・プロープリス・トロットンですわ。どうぞお見知りおきを」
「あ、あ、私はルァートリアだよ。よろしくお願いしまっ……いてて噛んじゃった……」
「ティハったら信用出来るの? ま、それは私がきちんと見定めさせていただくから覚悟なさい。テイリア―・プロープリス・ダンケヌスよ」
何だかんだ私の友人は私と馬が合うから付き合っているのだ。唐突に過ぎたアン強奪も受け入れて今日の講義の終わりには割と仲良くなってしまっていた。アンを中心に笑いあう友人たちを見ながら私とアレスタは少し後方を歩く。こうして友人たちと夕暮れに寮までの道をのんびり歩くのも凄く久しぶりに思える。
「上手くいってよかったねティハ」
「うん、でもエルギア家には睨まれたし、クレアティウス一門も凄い形相で私たちを見てたわ」
「そんなの織り込み済みじゃないの?」
「まあね。それにもっと怖い事も体験しているし何とかなる。そう思わない? アレスタ」
「んー、そうね。ティハ」
「あーまたアレスタがティハに抱き付いてるー! 何だかアレスタってば段々大胆になってない?」
「ちょっと、あなたたちったら近すぎない? 毎度思うけれど恋人同士みたいよ。ティハも拒むことを覚えなさいな」
「そう、かな? 仲いいのはいいことだよ」
「ティハにアレスタ」
神妙に畏まったアンが私たちの前に立ち、みながアンに注目する。
「正直言って今朝のことは一門の一人としてはいい迷惑でしたわ。これで私には裏切者と見られるかもしれませんもの」
「ちょっとー、ティハとアレスタはあんたのためにやったんだぞ!」
「ええ、そうですわね。だから、いい迷惑だけど、とても嬉しいって思ってしまいましたの」
アンの目に涙が溜まっていき、頬に零れ落ちるのを見せる前に私とアレスタを纏めて抱きしめる。
「あんなことをされたのは初めてでしたわ。その……し、親友? として恥ずかしくないよう振舞って見せますわ」
上ずった声は普段の尊大な調子と相まって何だか非常に愛らしく聞こえる。大人びた豊満な体つきと冷たい顔つきでも年相応の少女に過ぎなかったのだ。
「こちらこそよろしくねアン」
「チュア!」
「その……チュアってのはやめてくれません? 幼子の愛称じゃない」
「えーっ可愛いからいいじゃない? ねえ、ティハ」
「可愛いのは嫌いなの、アン?」
「……んーっ! からかわないでくださいましっ!」
顔を赤くして悶えるアンを見て、一層友人たちはアンに対する隔意を和らげていく。
アルマート学校三年目の秋学期が始まろうとしている。新たにアンを友人に加えいれ、きっともっと楽しい学園生活が送れるだろうと私は期待している。休暇の間に起きた痛ましい事件はまだ生々しく記憶から蘇るけれど、それもきっと近い将来癒える。
何故か私のベッドに潜り込んでいるアレスタの髪を撫でながら私は期待に少々の不安を織り交ぜつつ眠りに就いた。
~おしまい~