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ティハニア嬢の逃走行  作者: 倉田(改修1A型)
本編:ティハニア嬢の逃走行
3/17

003:社交界にて

第一・五話


 空色のドレスに身を包んだ私をスレイラが誉めそやす。


「ティハニアお嬢様。よくお似合いですよ! 今日の社交界では殿方の目をさぞ惹くでしょうね!」


 帰宅してから一か月が経過した夕暮れ時。私は父の参加する社交界へ共に参加する手はずになっていた。異国ムクルスの大使が催す盛大なパーティーで、大使館内で交遊を深めようとのことだ。お手々繋いで仲良ししましょなんて生易しいパーティーになるはずもなく、ムクルスの国王陛下生誕を祝う場にかこつけて貴族たちのパワーバランスを競う場と言ってしまっていいだろう。


「準備は出来たようね」


濃い紺色のドレスに身を包んだアエセラ母様がひょっこりと顔を覗かせる。その姿は普段よりも格段に美しく整っていて、一瞬目を奪われてしまった。


「奥様! ご覧ください、奥様が若かりし頃を思い出すようでございますね」

「あら、まあ。ティハにはティハの可愛いところがいっぱいあるわよ」


 私に似てるところもいっぱいあるけどねと微笑む母様とそうでしょうと自慢げに頷くスレイラ。


「二人とも準備は整ったようだな。時間が近い。出発しよう」


朗らかな雰囲気の空気が流れる中に、背筋を正したくなる剃刀のような雰囲気を纏った父様が室内へ入って来る。


「それじゃあ、行きましょうか。さあティハもいらっしゃい」

「は、はいっ」


 私とスレイラが雰囲気に呑まれ思わず姿勢を正す中、流石は母様だ。一人笑顔を絶やさずに父様の腕を取り、私を手招いてくる。


 そのまま私たちはヴェリングさんを護衛に付け、ムクルス国大使館まで馬車に揺られていく。招待客は存外多いようで、大使館前の渋滞に時間を取られ大使館の内部に入ったのは一時間が経過してのことだった。


 大使館はムクルスの建築家が腕を振るったと聞かれればなるほどといえるような建物に仕上がっている。草木を模した彫刻の彫られた柱廊に、真っ白な大理石の構造物の数々、地面には彩色豊かな石を細かく敷き詰めてモザイク模様を彩っている。大使館を邸宅か何かと勘違いして建てたのではないか。そう思えてくるほど芸術的価値の高い大使館だ。


「やあ、フェニキア家の。今日はご令嬢も同伴かね」

「タイべルス殿。久しいですな」


 タイべルス・プロープリス・エルギア。父様の所属する派閥の長にしてアーニケイド王国最大の政治権力の中枢に位置する大人物だ。気さくな口調から平民層からの支持まで厚く、貴族の領分を断固として守ることから貴族からの支持も絶大で、あらゆる分野の権益と繋がっているとさえ言われている、政治・経済界のドン。


「お久しぶりでございます、タイべルス様」

「お久しぶりございます、タイべルス様」

「ははあ……奥方に似て美しい娘だね。ワシが云十年若ければ躊躇わず口説いていたよ」

「はは、お戯れを」


 母様に続いて礼を交わした後、父様はタイべルス様と政談に移る。そうするとプロープリス一門が続々と父様とタイべルス様を中心に集まってきた。ふと目をやると、少し向こう側ではプロープリス一門最大のライバルであるクレアティウス一門の面々が同じように群れて談笑に興じていた。


 アーニケイド王国二大勢力であるプロープリス一門とクレアティウス一門が巨大な人の渦をそれぞれ形成し、その外周を第三勢力が動き回る。父様が到着して五分と経たずにアーニケイドの政界の縮図がここに完成してしまった。


 何処か危うい雰囲気が漂う生誕記念パーティーは、双方の首領が在席している間は何事も起こらなかったけれど、お互いの頭が随伴員を抱えて去っていった一瞬の小康状態の中で争いは起きてしまう。


「見ろ、能無しのクレアティウス一門が逃げていくぞ」

「腰抜けのプロープリスが何かほざいているぞ! どれ、聞いてみようじゃないか」


プロープリス一門の一人が呟いたくだらない悪口が思いのほか室内に響き渡ったことで一挙に緊張状態へ場が盛り上がっていく。お互いが厭味ったらしい口調で迂遠に一門を罵倒していき、場の雰囲気が一気に剣呑としてしまう。両者の口論は外面こそ教養ある大人の語彙で修飾されているものの、中身は至って大人げない。口論がヒートアップし、語気を荒げる者が出始めたところで父様が制止にかかる。


「待て! ムクルス国の祝いの場を台無しにしてはならん! ここは穏便に事を収めようではないか」

「そうだ。ミアル殿の言う通りだ」


 お互いに祝いの場を台無しにし、ムクルス国大使の顔を潰す不利益に気が付き両者が場を収めようとしたところに、童顔で中肉中背の男が前に出て異論を唱える。


「しかし事の始まりはそちらのレントーレス殿が原因ではないか」

「デミオリール殿。ここは論争をする場所ではありませんぞ」


デミオリール・クレアティウス・サトリオール。齢は父様と同じく五十代でありながら三十そこそこの見た目と生まれ持った甘いマスクで周囲を魅了し、それでいて弱みに付け込んだ正論で政界を荒らす異端児である。我が父ミアル・プロープリス・フェニキアのライバルと目されている人物であり、チュアニクの父親でもある。


「ミアル殿。謝罪は何も恥ずべき行為ではないですぞ」

「もう、やめようではないか。私が悪かった。これでいいだろう?」


 悪口を言った当人、レントーレス様が痺れを切らし謝罪を述べたことでこの場は収まった。だが大人数で数十秒ほども悪言の応酬をしていたのだ。パーティーの雰囲気が元の和やかな調子に戻るには半時間ほど時間の経過を待たなくてはならなかった。




 パーティーが開催され二時間ほどが経過していた。これだけの時間が経過すると醜い言い争いのあった痕跡も消え失せ、プロープリス一門とクレアティウス一門の穏健派同士がにこやかに談笑する姿も垣間見えるようになっていた。


 そんな折、私はダンスの誘いをいくつも消化するのに疲れ、他の令嬢方の随伴も上手く撒き、トイレと言い訳してだらだらと手洗いで休憩をしていた。


「あらあ、パーティーの花形がこんな場所でお疲れかしら」

「チュアニクさん」


 後ろを振り返ると、真珠色のドレスで着飾ったチュアニクさんが気だるげな表情に疲れを見せ立っていた。彼女もダンスに幾度も誘われていたし、疲労も激しかろう。


「休憩するのにいい場所があるわ。付いてきなさい」


 人目を避けつつチュアニクさんに付いていくと、書類の積まれた机が整然と並ぶ部屋に案内される。照明は外のパーティー会場から届く外灯だけで薄暗く、パーティー会場から届く微かな騒音だけが聞こえてくる。


「ここは?」

「職員の仕事場よ。きっと施錠し忘れたのね」


 チュアニクさんはパーティー会場で見せていた凛とした姿をだらしなく崩し、椅子を何脚も使って座り込んだ。だらしないと私が呟くと、珍しく悪戯っぽい表情を見せいいのよと返してくる。


「ふう」

「だらしない」


 私も真似して椅子を何脚も使って体を横にすると、チュアニクさんが先の私の発言を繰り返してくる。思わず私が笑うと、チュアニクさんも笑っていた。


「疲れましたね」

「本当、何でお父様はいちいちプロープリス一門に突っかかるのかしら。大人げなくて格好が悪いわ」


 私は単純に身体面での疲弊を述べただけなのだが、チュアニクさんは今日の父親の行動に反感を抱いているらしい。疲れた頭で話すせいか、普段は見られないような子供っぽい口調でチュアニクさんは父親への不満をぐだぐだと漏らす。


「きっと今の光景を見たら怒りで度を失うでしょう。あなたのお父様はどうかしら?」

「ふふ、先日チュアニクさんと一緒にいたのに対して苦言を貰いましたからね。もう一度となると流石に声を荒げるかもしれません」

「そう? 意外ね。あなたのお父様は冷静沈着な印象に見えるわ」

「あれで情熱的な面も持ってますよ」


 二人して取り止めのない話をして時間を潰していたが、先に身を隠した私はそろそろ姿を隠したままだと問題が発生しそうだと感じ始めていた。そんな私の事情も予め知っていたようで、チュアニクさんはいってらっしゃいと送り出してくれる。


「私はまだ余裕があるからここでゆっくりしてるわあ、ティハニアさんは頑張りなさいな」

「ティハで、いいですよ」


 私がそう言うと、チュアニクさんは目をぱちくりさせた後だらしないほど頬を緩ませた笑顔になった。


「そう? ではティハ、いってらっしゃいな。私のことはアンと呼んでね?」

「アン、じゃあ私は戻りますね」

「ええ」


 その後特に問題にされるようなことはなく、私たちは帰宅することとなる。


「ミアル殿」

「ヴェリング。妻と娘を先に馬車まで頼む」

「はっ」


 話がある父様を置いて私と母様は一足先に馬車に戻ることとなった。馬車の中に入った途端、母様も疲れたのか瞳を閉じる。


「お疲れですか」

「そうね、ティハも疲れたでしょう?」

「はい、この身には堪えます」


 私ほどではないが、母様も魔力を豊富に有している。常人よりも体が弱く、何ともないような行事でもすぐに疲れてしまう。


 疲労でぐったりしていると眠気が私たちの体に降りかかり、母様は私の肩を借りてすうすうと寝息を立て始めてしまった。こんな時でも誰かが声を掛けに来るかもしれないのに、母様は仕方のない人だ。ヴェリングさんが外で見張りに立ってくれているとはいえ、私だけでも起きていなくては。


気晴らしに窓から外を眺めていると、二階の窓のカーテンの隙間から微かに父様の横顔が映って見えた。その表情は今まで見たことがないほど険しく、かつ殺気に満ちていた。


「遅くなった。何だ、アエセラは寝てしまったか」


 しばらくして馬車まで戻ってきた父様の表情に先程の面影は露ほども見いだせず、母様を見て一瞬口元に笑みを見せるほど和やかだった。


「どうした? ティハ二ア」

「いえ、母様のためにも早く家へ戻りましょう」

「そうだな」


 政治の世界とは意外と野蛮で殺気溢れる血なまぐさい場所なのだろうか。私が先程まで父様がいたであろう部屋に目を向けると、下卑た笑みを私たちの乗る馬車へ向ける肥えた老人の姿が目に入った。


 父様に不審を抱かれないよう一瞬視界に収めただけだったが、あのねっとりとした視線が忘れられず、その日私はしばらく寝付けなかった。



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