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ティハニア嬢の逃走行  作者: 倉田(改修1A型)
本編:ティハニア嬢の逃走行
2/17

002:帰省

第一話



 馬車の窓に映る、八つの尖塔が特徴的な校舎が徐々に遠ざかっていく。


「名残惜しいのティハ?」

「少しね」


 私たちは馬車で一番近い駅へ行き、汽車に乗る手はずとなっている。それから一時間半かけて首都インヴィオラテス郊外にある私の父の邸宅まで向かう予定だ。


「お母様は元気にしているかしら」

「お元気ですよ、ティハニアお嬢様のお待ちをそれはもう楽しみにはしゃいでおりました」

「お母様らしい」


 再開を前に思わず口が緩む。私のこの世界の母親であるアエセラ・プロープリス・フェニキアにとって、私は六番目の子供である。それも年の離れた末っ子で、一番年の近いハゴニア姉さまと六歳も歳が離れている。そのせいか兄も姉もお母様も私を大層可愛がってくださった。魔法の才を認められたため親元から引き離され、あまり会う機会がなかったことが私を溺愛する理由になっているのかもしれない。


「嬉しそうね、ティハニア」

「久しぶりの再会だからね」




 汽車は一時間半をかけて首都のアイーラ中央駅に到着する。鉄道の発達から数十年が経過し、王国の民にとって移動の足としてすっかり一般化した鉄道駅の中心地たるアイーラ中央駅は人で溢れかえっていた。鉄道創成期に建築された駅舎は既に手狭で、ホームは一本汽車が到着するとあっという間に足の踏み場がなくなってしまう。既に新駅が建築中と聞くが、いくつもの駅舎を統合した大規模建築として構想されたためまだ完成にはほど遠かった。


「すっごい人の数ねえ。私たち大丈夫かしら」


アレスタが若干怯えた声を上げるのも無理はない。魔力量の多い私たちは一般人と比べて非常に力が弱い。同年代の女性と比較しアレスタは半分程度の力しかなく、私は半分すら下回っている。肩のぶつかり合う人ごみの中に入り込んだら最後、力に押し流されてしまうのだ。


「安心してください。私とスレイラさんが盾になります」


 護衛役としてやってきたヴェリングさんが前に出る。整えられた口ひげを蓄えた壮年の紳士で、私の物心付いた頃より彼はお父様の下で働いている。スーツとステッキの良く似合うヴェリングさんは汽車と汽車の到着の合間を見計らい、私たちを安全に駅から連れ出してくれた。


「ティハ!」


 駅を出た私たちに金の刺繍が施された将校の制服を纏う、若々しい青年が手を振って近づいてきた。


「アルマス兄様! 軍のお仕事はどうされたのです?」

「軍だって祭りには休暇くらいあるんだよ。不幸な一部のお留守番を除けばね」


 アルマス兄様はフェニキア家の次男で、陸軍の将校をしている。第二ストレフェーン擲弾兵連隊の歩兵中隊長職に今は就いていて、一年前に家族で昇進を祝い祝福したのを覚えている。


「お久しぶりですアルマス様。軍隊のお仕事は大変ではありませんか」

「やあ、アレスタちゃん! 確かに大変だよ。でも遣り甲斐のある仕事さ」


 最近は国際情勢も平穏で、戦争なんて三十年以上発生していない。三十年前は数年おきに国家間の戦争が頻発していたのだが、ジェロニカ継承帝国が天帝龍による神罰(一部の観測者によると天帝龍は何をするでもなく、ただ飛び回りその衝撃波だけで軍事大国ジェロニカを滅ぼした)を受け滅亡したことによってエル二ア大陸の軍事競争は終わりを迎えたのだった。継承帝国の後継国家であるジクロニカ共和国は神罰により国土の過半が焦土と化したものの、復興も一段落しかつての先進国としての地位を取り戻しつつある。


「それにしてもアルマス様がどうしてここに? 妹君の出迎えですかな?」

「可愛い妹だからね。付いておいでティハ、いいものを見せてやろう」


 ヴェリングさんへの返事もそこそこに楽しそうに駆け足になる兄様へ付いていく。そこには朱色の四輪自動車が停車していた。自転車のものかと見紛う細いタイヤに、四角い車体。天井のない搭乗部分には調度品のソファが取り付けられていて、何というか、すごく古めかしいという印象を持ってしまった。


「自動車?」

「ああ、そうさ! ティハはよく知っているな。こいつに乗って家に帰ろう!」

「でも、これ二人しか乗れそうにありませんわ」


 私が後ろから歩いて付いてきているアレスタ、スレイラ、ヴェリングに視線を向けるとアルマス兄様は私を抱き上げて座席に座らせる。


「ははは! アレスタちゃん程度なら便乗出来るだろう。スレイラとヴェリングは悪いけど馬車で帰って来てもらおう」


 一応、座席が足りないって認識はあったのだろう。自動車から少し離れた位置に我がフェニキア家の紋章が塗装された馬車が停車していた。だが私とアレスタが自動車に乗る機会はないだろう。険しい顔をしたヴェリングさんを見れば一目瞭然で、シートベルトすらない自動車に身体的に脆弱な私とアレスタを乗せるなんて許可が下りるはずがない。


「あの、兄様」


 どうするのだろうと思っているとアルマス兄様は操縦席に座り込んで計器を見回し始める。ああ、これは……。いたずらっ子の顔つきをしている兄様と私も同じ表情になった。


「うん、仕方ないな。エンジンを予め動かしておいてよかった」

「あっ! アルマス様! いけませんぞ!」

「さあ、出発だ!」


 こんな骨董品のような自動車がどう動くのかと心配だったが思ったよりもしっかりとした動き出しを見せ、駆けてくるヴェリングさんを引き離し道路を進んでいく。道路は石で舗装されているのでがたがたと揺れ、ろくに話も出来やしない。それでも私は久方ぶりのアルマス兄様との共同作戦いたずらに笑いが浮かんで仕方がなかった。




 自動車に乗り、市街地を走り続けること三十分。フェニキア家が八十年ほど前に首都インヴィオラテスに購入した邸宅が見えてくる。通りを圧迫するかのように左右に建てられた灰褐色の細長い邸宅群の一つが、首都にあるフェニキア家の邸宅だ。遠目には狭そうに見えるが、そこらの五階建て雑居ビルが丸々実家と考えれば日本では考えられないほど広い家なのだろう。アルマス兄様は裏手に回って車を停車させる。


「さあ、我が家に帰ってきたぞ。早く母様にティハの顔を見せてやろう」


 アルマス兄様に手を取られ、私は裏口から邸宅の中へ入る。裏口を見張る昔なじみの警備の者と挨拶を交わして、リビングルームへ通される。リビングルームは依然訪れたときと変わらない。臙脂色の四人掛けのソファが一脚に一人用ソファが二脚、白亜のテーブルと、石造りの暖炉。それぞれが草木花々で彩られたシックな色合いの壁紙と合わさり室内を悠然とした雰囲気に作り上げている。そういった雰囲気に映える人が我が母親である、アエセラ母様だ。


「まあ、ティハニア! やっと帰ってきたのね!」


 座っていたソファから立ち上がり、喜色満面といった表情で私を抱いて頬にキスを交わす。艶のある黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばした落ち着いた雰囲気の美しい人で、四十を過ぎてなお年相応に美しさを保ち続けている。私は母によく似ていると言われるが、こうも綺麗で居続けられるものだろうか。


「道中疲れたでしょう? さ、アルマスも一緒に座りなさいな」

「ありがとう母様。でも俺は車の様子を見てくるから」


 アルマス兄様が鼻歌交じりに部屋から出ていき、私は母様と二人きりとなる。


「お久しぶりです母様。元気でやっていましたか」

「ま、堅苦しいこと。いいのよ、そんなに改まらなくたって。ほら、このお茶入れてあげるわ」

「ありがとうございます」


 にこやかにほほ笑む母様はそれから学校生活のことについて話をしたがった。私にとっては何でもないようなことでも母様は一々感心したりお喜びになる。話を続けて二十分ほどが経過し、裏庭に馬車の停まる音が聞こえだした頃合いに母様は今までの朗らかな笑みから寂しさの伺える表情に変わる。


「よかったわ。ティハが楽しそうで」

「楽しい、ですよ」


 昔の学問に励み、郷土連隊付きの魔術師として演習に参加していた頃も充実した毎日を送っていた。あの頃も私は十分満足して生活していた。


 だがそれと同じかそれ以上に学校生活を私は楽しんでいた。目上の人々ばかりと暮らす背筋のピンと張った生活も悪くなかったが、同じ目線の者と暮らす日々に変わり、気楽で気の置けない友人とくだらないことをする楽しみを思い出させてくれた。


「あと二年。しっかり学校生活を楽しみなさい。きっとかけがえのないものが手に入ると思うわ」

「ありがとうございます、母様」


 隣に寄り添い、母様が私の頭を優しく撫でる。私と母様は他の家族よりもずっと短い時間しか共に過ごしていない。それでも十分私たちは家族として上手くやっているだろう。


 部屋にドタバタと慌ただしい足音が迫って来る。扉を乱暴に開けたのは私の予想通りアレスタだった。乱れた息をそのままに眉を吊り上げたアレスタは私を見てホッとため息を吐く。


「もう。いきなり行っちゃってみんな心配したんだよ」

「ごめんなさい。でも、アルマス兄様が悪いのよ?」


 少し怒気のこもった声に私は思わず兄様を生贄に差し出してしまっていた。でも、あながち間違いでもないのだから、仕方ないね。


「あらあら。あの子はまた悪戯したのかしら?」

「お久しぶりですアエセラ様。アルマス様なら車の横でスレイラさんとヴェリングさんに叱られています」


 楽しそうにほほ笑む母様を前にアレスタの表情も丸くなっていた。



 その後みんなで少し遅めの昼食を取り、母様手ずから入れたお茶でのんびり過ごしていたらあっという間に夕方になってしまっていた。リビングに集合していた私たちの前に、フェニキア家の三男であるルクレオ兄様が帰宅の挨拶に訪れる。


「おや、みなさん楽しくやっておられるようですね」


 活発な印象を受けるアルマス兄様とは対照的にルクレオ兄様は母様に似た静穏とした雰囲気の似合う人だ。眼鏡のせいか理知的に見えるのは気のせいだろうか。


「お久しぶりです、ルクレオ兄様」

「ティハ、よく帰ってきたね。アレスタさん、ティハは学校でどんな調子です。上手くやっていけていますか」

「ええ、ティハは学校で友人も沢山出来て楽しくやっています、ね?」

「はい」

「そうですか、それはよかった」

「ルクレオこそどうなんだ? 魔法と医学の融合なんて訳の分からん研究は実を結んでいるのか?」


 真顔で何度も頷くルクレオ兄様にアルマス兄様が絡みつく。何とも淡泊な性格をしたルクレオ兄様は合理性・論理性に重きを置いて判断されるので感情によって動く人との付き合いは苦手で、幼少よりアルマス兄様やエフティア姉さま、ハゴニア姉さまがフォローしていたのを覚えている。


「もちろんですとも。アルマス兄様には分からないでしょうが、説明しましょうか?」

「いや、やめとくよ。ルクレオに頭で挑んでも敵わんからな」


 ルクレオ兄様は前世の記憶で下駄を履いた私と違って本物の天才だ。条件は厳しいが死者すら蘇らせる治癒魔法を使いこなし、医学博士の称号も持っている。現在は陸軍魔法技術研究所で私には及びもつかない難しい研究をしている。


「あれ、何だか今日は賑やかね。ティハは……あ、もう帰ってるのね! ティハ!」

「ハゴニア姉様!」


 私に飛びついてきたのは王室付医官を務めているハゴニア姉様。父に似た鮮やかな金髪を長く伸ばし、凛とした顔つきが母様とは違った意味で美しい。


「あぁ~、やっぱティハは可愛いわぁ。私も母様みたいになりたかったな~」


 ないものねだりというか、隣の芝生は青く見えるというか。ハゴニア姉様はフェニキア家三姉妹で唯一父親似であるせいか穏やかな顔つきの母様そっくりな私やエフティア姉様が羨ましいらしい。


「姉様は十分素晴らしいのに贅沢ですね」

「んもう、可愛いこと言ってくれるわね!」


 頬ずりしてくるハゴニア姉様の方が愛らしいと思う。




 夕食を取り、夜も更けてきたので私はアレスタを自室に招きくつろいでいた。自室と言っても、この部屋で一か月以上生活したことはないのだからあまり自分の部屋という感じはしないが。


「ティハは家族に恵まれてるよ。私も家族の一員になりたいって思っちゃった」

「それって褒め言葉?」

「んー、多分」


 二人してベッドに横になりながら、眠いのに眠くない、もっと話していたいと口を動かし続ける。その時、扉を誰かが叩く。


「やあ、ティハニア。ちょっといいかな?」

「プロニス兄様?」


 ベッドから飛び降りて扉を開けると、皺ひとつないスーツに身を包み、爽やかな笑みを顔に張り付けた好青年が立っていた。父譲りの金髪が眩しい彼こそフェニキア家の長男にして後継者と目されているプロニス兄様だ。普段は政治家の父様の秘書をしながら政界の勉強をしているそうだ。


「元気そうで何よりだよティハニア」

「プロニス兄様こそ」

「アレスタ嬢も相変わらずお美しい」

「ありがとうございます、プロニス様。でも寝る前の令嬢を尋ねるのはいかがかしら」

「はは、そこはティハに免じて見逃しておくれよ。それよりティハニア、父が会いたいそうだ。来てくれ」

「父様が?」


 颯爽と歩き出すプロニス兄様の後を慌てて付いていき、二階にある父様の書斎まで階段を下りる。


「プロニスです。ティハニアを連れてきました」

「入りなさい」


 プロニス兄様が扉を開けた先には彫りが深い壮年の男性が机を挟んで座っていて、鷹の目をしてこちらを見据えてきた。


「ご無沙汰しております。ティハニア、本日帰ってまいりました」

「ご苦労だったな。それで本題だがティハニア、お前は交友すべきでない人間と仲を深めているようだな」

「と、言いますと?」

「とぼけるな、チュアニク・クレアティウス・サトリオールのことだ。付き合うべき人間を選ぶことだな」


 スレイラの奴、父様に告げ口したのか? 厄介な真似をしてくれるなあ。チュアニクの父であるデミオリールは父様と敵対関係にあるから、その娘同士が仲良くすることに抵抗を覚えるのも無理はないけれども。


「今後、チュアニク・クレアティウス・サトリオールとは関わらないように」

「学校生活に支障をきたさない範囲で守りましょう」

「私はお前のためを思い発言していることを忘れるな」


 それきりで、父様は私を部屋から出るよう申し付けた。私は無言でアレスタの待つ自室に戻ろうとするが、それをプロニス兄様が止める。


「ティハニア。父の発言を高圧的に感じているだろうが、あればかりは守りなさい。ティハ自身の身を守ることにつながるんだ」

「あいにく、私はプロニス兄様よりも自衛に長けておりますよ」

「はは、まあそうだね。でもそういうことを言ってるんじゃない。とにかく、分かったね」


 おやすみのキスを残して、プロニス兄様は父様の書斎へ入って行ってしまった。父様もプロニス兄様も、鬼気迫る雰囲気を醸し出しているのを元退魔師としての経験が嗅ぎ取っていた。何かきな臭いものが動き回っている? 娘が恐怖で憔悴してしまうほどの何かに、あえて曖昧な口ぶりにならざるを得なかった? 元退魔師の勘はそう囁くが、今世の私は同時に一門間の確執の匂いを嗅ぎ取っていた。古臭い家の間の対立を子供に押し付けているに過ぎないのではないのか。


 どちらの感情も譲らず引かない。結局注意でもしておこうという玉虫色の結論を出して私はこの話題を打ち切り、親友の待つ自室へともどっていったのだった。



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