後日談004:団欒
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唐突に息苦しさを覚え目を覚ますと、私の上にアレスタが覆いかぶさっていた。
「ティハ……ティハァ」
私の名を呟きながらアレスタはもぞもぞと私の真上に陣取り、そのまま両手足を絡ませてくる。何かに怯えているような声の調子ではない。悪夢で私に助けを求めている訳ではなさそうだ。この声音で思い当たるのは、アレスタが甘えて寄りかかって来るような時だろうか。
窓から差し込む光の加減からそろそろ起きないと集合時間に間に合わなくなりそうだと気付いた私は、ちょうど口に耳が触れているのでアレスタへ起床するよう促す。
「アレスタ、起きてください。朝ですよ」
「んん……ティハ」
どんな夢を見ているのだろうか知る由もないけれど、抱き付く力を強めると苦しいからやめてほしい。
「アレスタ。痛いです、起きてください」
「んへへ……大丈夫よ。痛くしないわ」
「痛いんですけれど」
起きているんだか寝ているんだか判然としないアレスタとの受け答えも面白いけれど、あんまりベッドでゆっくりしている訳にもいかない。耳元で申し訳ないけれど大声を上げさせてもらおう。
「アレスタ、アレスタ!」
「ティハ!」
「あ、アレスタ?」
一体何の夢を見ればそんな嬌声を上げられるのか。早めに起こさないとアレスタの名誉が危うい。
「ちょっと、アレスタ! いい加減起きましょう! 朝ですよー!」
「んん……ティハ? あれ、どうして抱き付いているの? あ、あ! ごめんなさい! すぐに退くわ!」
慌ててベッドから転がり落ちたアレスタは照れ臭そうに笑ってお手洗いに行ってしまった。
「変なアレスタ」
苦笑しながら私は朝の支度を始めたのだった。
昼食の後、私たちは研究室へと集合していた。フェニキア家が多大な投資で設けた研究室の使用権は学校側よりもフェニキア家の人間が握っていて、校則に反しない限り自由な使用が許可されていた。
「オーブン、コンロ、ケーキ台……いつ見ても立派な道具類だわ」
恍惚としながらフェイアナは魔法で研究道具を脇へと追いやり、研究室をお菓子屋に変貌させる。今まで部屋を占拠していたディスプレイやコンピュータ、計測機器、魔法陣の類は隅に置かれ代わって部屋中央に調理台が主役然として置かれている。
「それにしても材料はないのかしら」
「あら、アン。アレスタがいるじゃない」
弾んだ口調でアレスタを呼ぶフェイアナはスキップ交じりにアレスタの傍までやってきて両手を握る。
「さ、アレスタ。材料の方お願いね」
「任せてフェイアナ。時間による劣化の一切ない新鮮な材料、保存しているから!」
「ああ、アレスタは時空魔法が使えたのねえ」
合点がいったアンが感心しているけれど、もっと驚いたっていいことだと思う。時空魔法の使える人材はアーニケイド王国にはアレヴィア家しかいないのだ。中でもアレスタは特に才能に優れ、無限に広い亜空間をいくつも自分の領域として利用し、二メートル四方の空間の時間の流れを止める力を有している。
私たち凡百の魔術師には、魔法陣によって再現されたキャリーバッグ程度の容量の亜空間しか利用できないのだからその差は絶対的といえる。
元戦闘職としての立場で見ると、空間諸共相手を真っ二つにする防御不能の一撃が羨ましくて仕方ない。相手の硬さも状態も無視しての攻撃ができれば戦いは一瞬で片が付いてしまうだろう。アレスタには戦いの覚悟がないから使うこともないだろうし、使うべきとも思わないけれど。
「ほら、サレルナ。こっちに来て手伝ってちょうだい」
「はいはい、今行くよー」
「私も手伝いますわ」
「アンもお菓子作るの好きなの?」
「ええ、お母様と作ったのはいい思い出ですわ」
お菓子作りはフェイアナ主導の元、経験者のアンといつも手伝っているサレルナの三人が中心となって進んでいった。
「へえ、じゃあアンはフィナンシェが得意なの」
「お母様がフェイリンの出身なのよ。中でもお菓子を作るのが趣味だったわ」
「羨ましいわ、私のお母様は手料理なんてしない人だったから。お祖母様にお菓子作りは習ったの」
「おおい、これ混ぜ終わったよー」
「じゃあ、これもお願い」
「へーい」
料理の得意なフェイアナ、アン、サレルナが精力的に動き回っているのに対して私とルァートリア、それにテイリアーは隅でちょこちょこ手伝う程度しかしていない。アレスタは亜空間を空けるのに魔力を使って疲れているので休んでいる理由がちゃんとある。
しかしルァートリアは身体的に力が特に弱くあまり手伝えることがない。私もルァートリアと同じようなものであまり役に立たない。テイリアーは真面目すぎて計量に一ミリグラム単位で計測可能な私の実験器具を持ち出してしまうので邪魔だ。
「あんな大雑把な軽量で美味しく作るなんて卑怯だわ」
「大雑把、といっても、一ダラーズ単位で軽量してる」
「ああ、何だかムズムズする!」
テイリアーは力任せに使い終わった道具類を洗っていく。洗い終わった道具類は私とルァートリアで拭いていく。アレスタが拭いた道具類を元の場所に片付けていく。後片付けの終わった頃には部屋中が焼き菓子の甘い香りに満ちていた。
「あら、そろそろ出来たかしら?」
「まだよ、テイリアー」
「……もう、いんじゃないかしら?」
「いいえ、まだ」
お菓子の匂いで先程までの不機嫌な表情を一変させ、期待に満ちた顔でそわそわしだすテイリアーにフェイアナはニコニコと待つように何度も告げていく。
「あなた、もうちょっと落ち着いたらどう?」
「何よ、いいじゃない楽しみなんだから!」
「そんなに好きなの?」
「大、大、大好きよ!」
アンの呆れた表情を意に介さず、テイリアーは普段の堅苦しい雰囲気を何処かへ放り出して鼻歌まで歌いだす。それが童謡のお菓子の歌なのだから余計にアンバランスさを際立たせる。
「完成よー」
「待ってました!」
「さ、お皿は用意してあるわ! 早速食べましょう!」
歓声を上げるサレルナと皿を抱えたテイリアーにフェイアナはゆっくりと首を横に振る。
「今、美味しいお茶を入れるからお待ちになって」
ちょっと気取った口調なのはもちろんテイリアーをじらして楽しんでいるのだ。フェイアナ曰く、普段との落差が最高に可愛らしいとのこと。確かに同意見だけれど、お茶をわざとらしくゆっくり入れるフェイアナを前にしてじれったしそうにうずうずしているテイリアーを見ていると我慢なんてさせず、さっさと食べさせてあげたくなってしまう。
やがてお茶が人数分淹れられ、テーブルに全員がつくとフェイアナからさあ頂きましょうとお声がかかる。
「天におわします天帝龍に感謝を」
全員が現存する絶対的な強者たる天帝龍への感謝を述べる。三十年ほど前に世界第二位を誇る軍事力を持つ先進国ジェロニカ継承帝国を易々と崩壊させた天帝龍は今を生きる神であり、世界的に見ても多くの民族が信仰する対象となっている。
「どれにしよう、どれにしよう」
はしゃぎながらテイリアーはスコーンを切り、クリームと各種ジャムと塗りたくり頬張る。
「んんー……」
蕩けたような笑みを浮かべ頬に手を当てるテイリアーは口はしっかり動かし、嚥下すると紅茶を口にする。
「ああ……至福のひと時ってこういうのよねぇ……」
惚けた表情でスコーンを手に取り、クッキーを齧り、フィナンシェを手に取る。
「あら? これは初めて見るわね」
「アンが作ったのよ」
「ふうん」
何気なしにフィナンシェを食べたテイリアーは次の瞬間アンを睨み付ける。
「アン……あなた、絶対に逃がさない」
一言、そう言うとテイリアーは再びお菓子を黙々と食べ始める。普通こういう場では会話が中心でその合間にお菓子を食べるものだけれどお構いなしだ。それでいて、食べる所作は貴族然としているのだから真面目なテイリアーらしい。
「な、何?」
「あらあ、テイリアーがアンを認めたってことじゃないかしら。ねえアレスタ」
「自信を持ってチュア! これすっごく美味しいから!」
ポケポケした笑顔のフェイアナにサムズアップしてフィナンシェを齧るアレスタ。どうしたものかとこちらを見てくるアンに私が笑って頷いて見せると、アンは苦笑を返す。
「ルァートリア。あなただけが癒しね」
「んぇ?」
両手でフィナンシェを持ってちまちま齧っていた隣席のルァートリアの頭をアンは撫で、スコーンにベリージャムを塗る作業に戻った。




