後日談003:事件の爪痕
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数日が経過したある日、講義が終わった教室の教壇に私が立った。
「みなさんご存じでしょうけれど、近々町の創立祭があります」
アルマート学校の所在するウェイルアドミナは毎年壮大な創立祭を催していて、学校も催し物を出して町に貢献している。私たちの所属する魔術科は一般人には物珍しい魔法をショーとして見せるのが恒例行事になっていた。
「今年は女子がクレアティウス一門の担当で、男子がプロープリス一門の担当となっていますけれど他の方々も忘れず朝食後ここに集合をお願いします……と学年主任のトライメイディア先生からの伝言です」
男子と女子で交互に一門を交代することで祭りには必ず両方の一門が表舞台に出る。両方の一門の勢力が強いからこその妥協策だった。
私は伝言を終えてみんなの元に戻り、アンに尋ねる。
「そういえば、演技の方は大丈夫なのかしら?」
「私は降ろされてクラリアがやることになっているわ。私が以前から町の方々と調整役を任されていたから橋渡しは依然担当しているけれどね」
ここにも事件の影響は及んでくる。遠縁とはいえサトリオール家の一員がプロープリス一門の有力政治家の娘である私を誘拐したのだ。クレアティウス一門としても、サトリオール家としても当面は自粛ムードになるのも仕方ないのだろう。
「アンが出てるとこ見たかったなー」
「まあ、無理でしょうね。ティハたちの事件は規模が大きすぎたわ」
サレルナの無邪気な発言をテイリアーが切って捨てたけれど、発言はもっともである。この情勢でアンが表舞台で注目を集めようものならただでさえ厳しい世間の目が実力行使すらしてくるかもしれない。
「町といえば明日は外出日よね、ティハ」
「そうね、アレスタ」
アルマート学校では週に一度町に出る許可が下りる。ある一定のエリアを警備員が見張りに立つため、自由に何処へでも行ける訳ではないけれど学校外の空気を吸える貴重な機会となる。
「楽しみだねー! 何をしようかなー?」
「サレルナははしゃぎ過ぎて警備の方に迷惑かけるんじゃないわよ?」
「分かってるよー」
「ティハは外出許可が下りるのかな」
「下りる、とは思います」
アレスタが不安げに呟いた言葉を私は強く否定は出来なかった。
アルマート学校は拉致事件の後とあって過去類を見ない警備体制となっている。出入り口には自動小銃で武装した警備員が配置され、狙撃手が高所に身を隠し、歩哨が五分おきにあちこちを歩いているのだ。死角からの攻撃に弱い魔術師は狙撃手が対処し、武装工作員には自動小銃の火力で対処する。ウェイルアドミナの傍には第四十三旅団司令部が駐屯しているためいざとなれば司令部付機械化捜索中隊(装甲化歩兵小隊*1、装甲化偵察小隊*1)が駆けつけてくれる。
しかし市中に出てしまえばその警備体制の恩恵を得られなくなってしまう。今のところ発表はないけれど、外出自体の中止……そこまでは行かなくても私の外出が許されない可能性は十分にあった。
「私は外出禁止でも構わないわ。そうしたらまたみんなで一緒にお菓子を作りましょう」
「またー? フェイアナはインドアが過ぎるんだよ! あ、でも大勢で作れば色んな種類のお菓子をいっぺんに食べられるね、いいかも」
フェイアナはお菓子を作ったり裁縫をしたりと女の子らしい趣味をいくつも持っている。それに毎回つき合わされるサレルナにとってはいつものことなのだろう。
「チュアは食べたことないでしょう? フェイアナの作るお菓子は美味しいのよ」
「へえ、それは是非食べてみたいわあ。でも何処で作るの?」
アンの疑問ももっともだ。寮の部屋には調理器具は置いていない。
「あら、私たちは魔術師ですわ。魔法があるじゃない」
フェイアナの得意とするのは家事をする魔法だ。魔法の才ある者が貴族層に集中し、家事を使用人に任せるようになって何百年も経過してしまっている中で家事を魔法でこなせる人間は数少ない。料理、洗濯、裁縫……これらを全世界規模の妨害魔法が発動している中でこなすのだ。見事というほかない。
「冗談。研究室を使うの」
ただしフェイアナは普通にお菓子を作るのも得意だ。フェイアナ曰く実際に作れない人が魔法で作っても美味しいお菓子が出来ないのだとか。加えて徐々にお菓子が出来ていく過程が好きなのだそうで、材料を用意して数秒内で作る魔法は滅多に使って見せたことがなくほとんど手ずから作成している。
「研究室? そういえば、コンロがどうしてあるのかと思っていましたわあ」
あそこは私とアレスタのほかに四十三旅団の魔術師たちが立ち寄っては実験を行っている。その過程で電子レンジやガスコンロなど間食を取るスペースや冷蔵庫や冷凍庫など食糧保存庫、音楽を聴くためのレコード置き場、午睡を取るためのハンモックなどすっかり優雅な休憩を取るための施設が増設されてしまった。私とアレスタも一緒に研究室を使っているときなどはサンドイッチやスコーンをごちそうになったものだ。
「あの設備は使ってもいいってレイナルド大佐も仰っていたから使わせていただいているの。ね、ティハ」
「そう、あれは四十三旅団の備品なのよアン」
こんな浪費をしていいはずがないのだけれど、もう置いてあるのだから使わないのももったいない。それにあれらの備品はお偉方が旅団にやって来る時には引き払われている。決して無駄ではない……と思う。
「本当はいけないのよ」
「あー、テイリアーまた言ってるー。フェイアナのお菓子で買収されたくせにー」
「うるさいわね! だって、あんなに美味しいんですもの仕方がないじゃない!」
元来杓子定規なテイリアーだけれど甘いものには目がない。課題を写してとサレルナが張り付いて何十分と頼み込んでも断るけれど、フェイアナがマドレーヌ一つ掴ませれば満面の笑みで承諾してしまうポンコツである。作るフェイアナに食べるテイリアー。フェイアナのおかげで甘いものが好きなだけ食べられて嬉しい反面、時折寮のシャワールームでお腹を摘まんで頭を抱えている。
そういえば、それくらいの方が健康的だから心配しなくてもいいと言ったら、恨めし気にティハはいいわねとお腹を抓られた。あれはどうしてなのだろうか。
「テイリアーは私に賛成? お菓子をたくさん作るわ」
「う、うーん……でも今学期は初めてだし、いいかも?」
「これで二人! アンもいいでしょう、ね?」
「そうねえ、私も一度食べてみたいわあ」
普段よりいきいきとしだすフェイアナを落胆させるのも悪い。みんなはフェイアナに賛同し、明日はお菓子作りをしようと決まった。
前世の記憶を思い出す。二人の仲間と共に戦い無惨に惨殺された退魔師時代の悪夢。暗闇の中、ああまた殺されるんだと片腕を切り飛ばされていると喉元に強烈な痛みを感じ、気が付くと拉致事件で暗殺者フラック・テルトリスと戦った場面に変わっていた。青い空が眩しい木々がまばらに立つ渓谷で、アレスタを目前にしながら私は意識が朦朧としていく。このままではアレスタが危ない。どんなに焦っても自分の体は言うことを聞かず、最後にはすべての感覚が失われてしまう。死の直前に見えたのは自らの鼻先から突き出る日本刀の刀身。
「ティハ、ティハ! 大丈夫?」
息を乱し、汗に濡れる私の上に跨ったアレスタはそのままシーツを跳ね除け私を抱きしめる。
「アレスタ? 私、今汗でびしょ濡れだから」
「そんなの気にしないわ」
アレスタの体も小刻みに揺れていた。そうか、アレスタもまた悪夢を見ていたのか。
「ティハが呻くから、怖い場面が始まる前に悪夢が終わっちゃった」
「そっか」
一度アレスタに悪夢の内容を聞いた事がある。震えながらアレスタは、飛行艇で私と別れた時や海で漁船に救助されるまでの間、馬車が爆発した時などが脚色されてアレスタ自身や私が死んでいくのだと教えてくれた。
二人で何も物言わず数分間抱き合っているとお互い体の震えが収まり、落ち着いてくる。
「ティハは凄いね。殺される悪夢なんて、私だったら耐えられないな」
「前世なんてあったかも分からない記憶よ」
アレスタには前世のことを伝えている。治安を維持する仕事に就いていたけれど殺人鬼に殺されてしまったのだ、と。性別の変化には話していない……言って忌避されるのを恐れたのだ。
「あのね、今日はこのまま寝てもいいかしら」
「え、このままって、このまま?」
「そう、駄目? あ、上にいたら苦しい?」
アレスタは私を抱きしめたまま九十度転がって私の横に位置をずらした。鼻が触れそうなほどの距離で、アレスタは囁く。
「あのね、今日の悪夢は本当なら飛行艇に乗っていた私を助けに来たティハが殺されてその後に私も殺されて終わるの。だけど今日はティハが助けに来る前に終わっちゃった。私はまだ飛行艇で一人なの。また寝たらって、思うとね。怖いの」
確かにそれじゃあ寝付けない。私はアレスタとこのまま寝ることにした。
「私が助けたのが事実なのはアレスタ自身が覚えているでしょう? だから大丈夫よ。安心してこのまま眠りなさい」
「ありがとうティハ。大好きよ」




