後日談001:朝食にて
1
深夜の一室にうめき声が聞こえてくる。月明りだけが差し込む真っ暗な室内にうめき声だけが艶めかしく響く。
「アレスタ、大丈夫。私がいる」
ベッドから跳ね起きてアレスタの枕元に立ち、玉のような汗が滲んでいる額をタオルで拭ってやる。寝る前に結った銀色の髪の毛は乱れ、中性的で美しい顔立ちは苦悶に歪み、息も荒い。
「ティハ」
掠れた声で私に呼びかけるアレスタは何も言わずに私に抱き付いてくる。何分経過しただろう。体の震えが収まった頃にようやくアレスタは口を開いて、弱弱しくほほ笑んだ。
「立場が逆になっちゃったね」
「そうだね」
以前は私が悪夢に悩まされてはアレスタを夜中に起こしてしまっていた。今では反対にアレスタが悪夢を見る側になっている。夏季休暇に起きた拉致事件がトラウマとして刻み込まれてしまったのだろう。記憶が風化し恐怖を忘れるまでは私がアレスタを助けなくてはいけない。何しろ、私目的の拉致事件にアレスタは巻き込まれた被害者なのだ。私と交友を深めていなければ怖い思いをせず済んだ。
アレスタが再び眠りに就くのを待ってから私はベッドに戻る。拉致事件以来、私は前世の死の間際に見た記憶を夢で見る頻度が減ったように思う。退魔師として傀儡使いと戦い、無惨な敗北を喫した最期の思い出……今の私、ティハニアとして命を懸けた戦いを経験したことで吹っ切れたのだろうか。
寝る前の纏まらない思考で考え込んでいる間に私はいつの間にか眠ってしまっていた。
翌朝、私は朝の弱いアレスタの髪を櫛で整えてやった後に食堂へ顔を出す。寄宿制の学校のため大半の学生が集まっているけれど、女学生は四学年全体で百人に満たない。設計段階のミスで男子寮と同じ規模で建造された食堂の広さは不釣り合いで、いつも三分の二ほどの席が空いてしまっていた。
「おはようサレルナにフェイアナ。いつも早いわね」
「だってお腹がペコペコなんだもん!」
欠伸交じりのアレスタへ元気いっぱいに返答するサレルナはボーイッシュな栗毛も相まって可愛い顔立ちなのに、アレスタよりも中性的な印象を受ける。
「サレルナったら、いつもこんな調子なんですから」
「えへへ、悪いねえ」
二人に混じって私たちも食事を始めていると、恐る恐るといった風情でチュアニク・クレアティウス・サトリオールが近寄ってきた。
「あらあ、皆さんお早いのね」
「おはようアン! さ、こっちに座ってよ!」
サレルナが無邪気な笑顔で席をぺシぺシ叩き、アンは誘いに乗って席へと座った。
「何だか視線が気になりますわね」
「仕方ありませんわ。アンは裏切者ですもの」
「ちょ! フェイアナ言葉を選ぼうよー」
慌ててフォローするサレルナにどこ吹く風のフェイアナ。アンもどう対応したものか迷ったのか気だるげな表情に困惑が浮かんでいる。
裏切者。実際アンの属するサトリオール家は私とアレスタを誘拐した事件の首謀者を出し、クレアティウス一門の面汚しとして爪はじきに合っていた。そこを対抗勢力のプロープリス一門に属する私が拾ったのだからオブラートに包まず言ってしまえばそうなるだろう。
だけどフェイアナにはもうちょっと言葉を選んでほしいものだ。
「一々気にしたら駄目よチュア。フェイアナの毒舌はいつものことなんですから。ね、ティハ」
「ええ、友人って認めているから本音を見せてくれるの」
「ななな、何を言ってるんですティハ!」
「人前だとフェイアナは大人しいのよ」
「もう!」
お淑やかな見た目のフェイアナが人目を気にする余裕をなくして狼狽えている姿に安心したのか、アンの口にも笑顔が浮かんだ。アレスタの巧みなフォローもあって私たちは穏やかに食事を終えた。
「お待ちになってティハニアさん。あなたと話したい事がありますの」
「おはようございます、ルートリア様」
だけど何事もなく食堂から去ることは不可能なようだ。上級生であり、プロープリス一門で最大派閥であるエルギア家のルートリア様が直々に私の目の前に現れてしまった。波打つプラチナブロンドの髪に神々しい碧の瞳を持つルートリア様はお淑やかな女性らしさで周囲から憧憬を抱かれる素敵な人物である。
「ここでは何ですし、私の部屋まで付いていらっしゃい」
ルートリア様の傍らにはエルギア家の右腕とも呼ばれているウルトリクシア家のレイアリア様が人を射抜くような目を私を見ていた。ルートリア様はクレアティウス一門の同輩にも穏やかな姿勢を貫いていたはずだけれど、レイアリア様がクレアティウス一門の者と打ち解けた態度で話すことはなかったはずだ。
案内されたのは私とアレスタの部屋と同じ大きさの二人部屋である。ベッドに書き物机、クローゼットがある程度の簡素な部屋だけれど細々としたインテリアを持参することは許されている。ルートリア様が可愛らしく自分のスペースを装飾している中で、レイアリア様が何も手を加えない木目の床と無地のカーテンを置いているだけなのがよく性格を現している。
「狭くて座れないでしょう? 少しの間だけ我慢して頂戴ね」
申し訳なさげに苦笑してみせたルートリア様は早速本題に入る。
「チュアニク・サトリオール・クレアティウス。どうして彼女を友人に迎え入れたのかしら」
「仲良くしたいからではいけませんか」
「当たり前だ。庶民と違って我々には責務がある。友人を作るには資格がなければいけない」
「レイアリア。あなたは黙っててね」
責め立てるような口調のレイアリア様を一瞬睨んだルートリア様は朗らかに顔を緩めて話を続ける。
「何も私はあなたを責めてはいないわティハ二ア。お父様が仰っていたの。これからの時代、血と名前だけで敵味方を識別していては真に有能な人材が手に入らない。志で仲間を揃えていくべきだって。だから私はクレアティウスの名を持っていることが友人になる障害とは考えないわ」
「ありがとうございます、ルートリア様」
「でもねティハニア。サトリオール家の現状はご存知? あなたを攫った当の本人なのよ。それでもいいのかしら」
朗らかな表情で唯一目だけが冷たくこちらを睨む。ルートリア様の凍り付いた目付きに背後から小さく悲鳴が上がるけれど、命を取るか取られるかの殺し合いに比べればまだまだ甘っちょろい。私は臆することなく断言する。
「アンは友人です。私を攫った犯罪の首謀者はジグノール・クレアティウス・サトリオール個人であり、それ以外のサトリオール家は関係ありません」
「頑なね」
「当然です、友人ですから」
しばらくルートリア様の睨み付ける瞳をじっと眺め続けていると、目をそらし罰の悪そうな表情でルートリア様は微笑んだ。
「いいわ。そうまで言うなら私も見守ってあげる。何か困ったら頼りなさい」
「ありがとうございます」
「さあ、講義の時間が迫っているわ。支度をして来なさい」
退室の挨拶を済まして帰途に就く途中、サレルナが大きくため息を吐いた。
「はあ……怖かった」
「本当。いつも優しそうなルートリア様があんな表情をされるなんて」
サレルナに同調するフェイアナ。
「私、迷惑じゃないかしら」
ぽつりとアンが呟くけれどその発言を見逃す訳にはいかない。
「アン、そういうことはいわないでちょうだい。私は自分の道を自分で選ぶわ。あなたは私の友人よ」
「そうよ! ルートリア様なんて怖くないわ。ね、ティハ?」
「ええ、アレスタ」
私と同様威圧に呑まれることのなかったアレスタが力強くアンの背中に抱き付いて私の手を引く。
「アンは私とティハの大事な友達。サレルナとフェイアナもそうでしょう?」
「おお、そうだ。アレスタの言う通りだね」
「私、ルートリア様といえど譲れないものがありますわ。アンも負けちゃ駄目よ」
私たちの言葉とついでに全員で抱き付いたので体温が伝わって、アンは尊大に見えがちな顔を少しの涙と大輪のような笑顔に染める。
「ありがとう」
私たちは上級生に咳払いで注意されるまでアンに抱き付いていた。




