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ティハニア嬢の逃走行  作者: 倉田(改修1A型)
本編:ティハニア嬢の逃走行
1/17

001:プロローグ

プロローグ


 暗闇の中、熊の形を歪に写しとったような黒い塊が自分目掛けて突っ込んでくる。周囲の闇に紛れていてもそいつは異様な気配を前進から漂わせ、こちらに巨体をゆすって突進を仕掛けてくる。


「雪人! 何としてでもそいつを食い止めろ!」


 佐原と河頭。二人の友は全身に手傷を負いながら一人の殺人鬼と渡り合っている。ライフル銃から放たれた三十口径弾を十発喰らってなお笑いながら日本刀を振り回す狂人相手では、二人ががかりといえどぎりぎり互角と言ったところか。


 あいつらの戦闘に邪魔を入らせてはいけない。スコープ越しに黒塊の化け物を睨み付け、自分は躊躇わず発砲する。肩に鈍い衝撃が走り、眩い閃光と耳をつんざく発砲音が鳴り響き308ウィンチェスター弾が黒塊の化け物の頭部へ突き刺さった。


 やったかどうか確認する前に体は勝手に動いていた。ボルトを引き、第二射の用意を数秒で完了する。準備が完了した頃には、黒塊の化け物は十メートル足らずまで迫っていた。躊躇わず、発砲する。


 月の明かりを木々が遮る森の中でも、こうまで近づけば顔を吹き飛ばされた黒塊の化け物の姿はよく見えた。だが、吹き飛んだ顔が何事もなかったかのように元の姿を形どる様を見せられた瞬間、切り札を切ることを決断せざるをえなかった。


「今から小銃擲弾撃つから注意しとけよ!」


 朱く染まったお札に魔力を込め防御障壁を展開し、黒塊の化け物が頭から障壁にぶつかるのを見計らって横へ跳躍。三メートルほど横移動している間に腰の弾帯ポーチから小銃擲弾を取り出しライフルの先端に突き刺す。


 時速六十キロで走るダンプカーから身を守れるという謳い文句の防御障壁が紙のように引き裂かれるのを横目に見ながら、黒塊の化け物の胴体中心目掛け引き金を引いた。


 ポシュッという気の抜けるような音を立てて飛んでいった小銃擲弾は見事黒塊の化け物の胴体部に命中し、爆発。オレンジの爆炎を上げて黒塊の化け物を真っ二つに引き裂く。そのまま黒塊の化け物は砂のように崩れて消失していった。


「危ない!」


 それは佐原と河頭どちらが叫んだか自分には分からなかった。咄嗟に体だけが動き出し、横に倒れ込むが回避しきれなかったようだ。脇腹に日本刀が突き刺さっている。あの殺人鬼、小銃擲弾の音と光で自分の索敵能力が一瞬失われたのを見逃さず、刀を投げたのだ。


「くそっ! 雪人、今すぐこいつを始末するからな!」

「馬鹿っ! 興奮するな!」


 叫ぶのが一足遅かった。忠告空しく、突貫した河頭の頭が宙を飛ぶ。


「早苗―っ! よくも早苗をっ!」


 ああ、駄目だ。こいつら興奮すると後先を考えないんだ。佐原もまた日本刀を手に殺人鬼へ刺突を繰り出そうと駆けだす。だが殺人鬼は二体一でようやく互角だったのをあいつは怒りで失念してしまっている。


「馬鹿野郎! 頭を冷やせ佐原!」


 腹の痛みに気を取られている余裕はない。ライフルで殺人鬼の肩を撃つ。これで殺人鬼の剣先がぶれ、佐原の日本刀が宙に弾かれる事態は防がれた。今しか加勢する好機はない。


 腹に日本刀を抱えたまま跳躍し、銃剣を装着したライフルで殺人鬼の横っ腹へ突きを放つ。狂った野郎だ。刺さった銃剣を腹の筋力でへし折り噛み付いてきた。咄嗟にライフルを前に差し出すが、鋼鉄の銃身を噛み砕きライフルをバラバラにしてしまう。こんな芸当をしている上で佐原と剣撃を繰り広げているのだからこいつもまた化け物というほかないだろう。


 だが奴の方からインレンジに入り込んできたんだ。ここは格闘戦で相手をしてやるしかない。腰に下げたナイフを取り出しそのまま喉元を切り上げ、後ろへバックステップ。続けて目にナイフを突き刺した。


「なっ!?」


 目からナイフが引き抜けない? 馬鹿な、ここに力を入れるなんて不可能だ! 殺人鬼の口の端が吊り上がり、ナイフを持っていた腕が握りつぶされる。肘から先が引きちぎれ、地面に落ちた。何故か痛みは感じない。


「しまった! 俺の刀がっ!」


 佐原の日本刀がへし折られ、殺人鬼の刀が佐原を上下二つに分断する。ああ、これは完全に自分たちの敗北だ。右腕を失った自分が最後に殴り掛かり、自らの頭に刀が突き刺さったところで目の前が真っ暗になり夢は終了する。


「……またこの夢か」


 全身から冷や汗を垂れ流し、私は目を覚ます。あれは私の前世の記憶なのだろうか。


退魔師として三人で活動し、そして世間を騒がせている殺人鬼の殺害を依頼され受領した、世界すら異なる過去の記憶。三人ともに将来を期待されている退魔師の新星として名を響かせていたが、あの怪物を前に手も足も出ず殺されてしまった。


 もう何十何百とあの最期を見てきてようやく理解したのは、あいつは傀儡だったということだ。気配も何もかも完全に擬態していたが、何度も何度も観察していれば絡繰りも看破する。あれだけの擬態を見破れる退魔師はそう多くはない。果たしてあいつを殺せる奴は現れたのだろうか。


「ティハ、また悪夢?」

「ん? ああ。大丈夫」


 真夜中にうめき声を上げる同室者はさぞ迷惑だろうに、友であるアレスタは私を慮りベッドの脇に小走りで駆け寄って来る。カーテンの隙間から漏れる青い月の輝きがアレスタの白銀の髪を照らし、心配そうに眉を八の字に曲げるアレスタの表情も映し出された。性差を超えた美しい表情が私に迫り、毎度のことだが一瞬見惚れてしまう。


「ティハって結構頻繁に悪夢見てるよね」

「いつも起こしてごめんな」

「いいのよ、別に」


 軽い口調でにんまりと笑いかけるアレスタ。私は申し訳ないと思いながらも、彼女の好意を跳ね除けようとしたことは一度もなかった。週に一回はこうしてアレスタを起こしてしまい、その度にアレスタは私を気にかけベッドに腰掛ける。彼女と同室になってから二年が経つが、この習慣はずっと続いていた。


「汗がすごいね」


 まるで私は赤子か何かのようだ。アレスタは絹のハンカチを私の顔にあてがい、うやうやしく汗を拭っていく。


「いいよ、大丈夫だから」

「気にしないでいいのに」


 不満そうな声を上げるアレスタだが、流石に友に汗を拭かせるほど礼儀知らずではない。ハンカチは取り上げ、私はベッド横のナイトテーブルに常備してあるタオルで汗を拭った。


 幾度も繰り返される今際の痛みは何時になっても慣れるということはなく、悪夢として蘇るたびに全身にひどい悪寒が走り冷や汗がシーツに染みを作る。今更になって手が震え出すのを、他人事のように私は見つめる。


「心配いらない。私が付いてる」

「ありがとう、アレスタ」


 握られた手と手の温もりがゆっくりと震えを抑え込んでいく。五分も経っただろうか。すっかり元の調子を取り戻した私はお礼もそこそこに睡魔に呑まれてしまった。




 私が前世の記憶を思い出したのは三歳のことだ。当時の私は魔法の才能を見出され父方の祖父の家に預けられていた。天才と呼ばれた三男のルクレオ兄様の三倍の魔力を宿していた私は、フェニキア家の歴史でも一、二を争う膨大な魔力の保持者だった。そのため家長であるお爺様の命により父母の家から遠く離れたネウカレド二アにあるフェニキア家の領地に身柄を預けられたのだが、当時の私は未熟な子供でしかなく窓から身を乗り出した私は足を滑らせ地面に落ちてしまった。


 正確には本当に自分の過去の記憶か分からない。ただ別人の記憶が私に混じってしまっているのかもしれない。だが過去の記憶を見る私は確かにそれを自分として見ているのだ。どうにも別人の思い出だとは思えなかった。


 その後、目を覚ました私は見違えるように勉学に励みルクレオ兄様を超える天才として認識されるようになる。性格の変化は私が移り住んで数日と経っていなかったため目立つことはなかったのは幸いだった。しばらくして訪問してきた母様が驚いていたなあ。


 魔法の勉強も苦痛ではなかった。前世で退魔師をやっていたのだ。残念ながら前世では魔法の才には恵まれず主に近接要員として戦っていたが、【身体強化】など全く魔法を使えないという訳ではない。新たな戦闘の幅が広がることに期待が広がった。


 しかし同時に失望を味わることにもなる。この世界では魔力量が多ければ多いほど身体能力が落ちてしまうのだ。魔法で名を上げたフェニキア家随一の魔力を誇る私は同時に人間として屈指の虚弱体質となってもいたのだった。近接戦闘と遠距離戦闘を極めれば退魔師として一層の成長が出来ただろうに、残念だ。


 三歳から魔法の勉強と実践に打ち込み九年が経過した十二歳の私は前世の記憶というズルをしたこともあり、王国屈指の魔術師となっていた。この世界の魔法は地球よりも複雑だ。

というのも、この世界は一度魔法文明が発展後、巡魔力という星の魔力を使いすぎた代償で神として信仰されている天帝龍という巨大な龍が暴走し、一度石器時代まで後退している。

その過程で魔法の多用を防ぐために古代魔法文明の生き残りたちが全世界規模の妨害魔法をかけてしまったのだ。これにより妨害魔法以前には都市を吹き飛ばす大魔法の使用者が、火の玉すら出すのもおぼつかない状況に陥ってしまった。現代において魔法を使うには、妨害魔法を対妨害魔法(魔法を創る空間ということで、創魔球体と呼ばれている)で一度打ち消して使用するという面倒な手順を踏まなくてはならないのだ。


 まずは創魔球体を創れないと話にならない。そして創魔球体は数秒しか維持出来ないので詠唱魔法の実用性はほとんどなく、使用するならば詠唱破棄レベルまで習熟する必要が生まれてしまった。よって発展したのが魔力を込めるだけで発動する魔法陣という技術で、現代ではまともに複製出来ない古代魔法文明の遺産である魔蓄結晶に魔法陣を刻み一秒以下の魔法発動を可能としている。


 そうだ、この世界には魔獣や魔物といった存在がいないのには驚かされた。古代魔法文明がその圧倒的な技術で駆逐しきったというのだから恐ろしいものだ。今実在する超常的生物はただ一体。大陸すら消し飛ばす古代魔法文明の誘導式消滅爆弾(恐らくミサイルだろう)を何十発と喰らっても、ものともしなかったという神話が残る天帝龍しかいない。


 魔法を使える人間(はおろか他生物も妨害魔法の影響を受けて魔法が使用できなくなった。これも超常的生物の大量絶滅をもたらしたとされる)もそう多くはなく、使えたとしてもかつてのような利便性は欠片もない。こうなると人間たくましいもので、代わりの技術を求める。こうして生まれたのが地球でお馴染みの科学文明である。微かに命脈を保つ魔法と今や航空機すら飛ばし万能時代を迎えた科学の混じり合った不可思議な世界がここルーレイダーロスという世界だ。


 十二歳になった私は妨害魔法の無力化技術で大魔導師の称号を得た後に独立混成アルマート寄宿制私立学校に入校することとなった。今までフェニキア家の牙城であるネウカレド二アから出してもらえなかった私が何故今になって外の世界に出してもらったのか。国家研究機関に入るため、公表可能な成果を上げるため(妨害魔法関連は国家機密であり公開は民間技術が追いついてくるまでは無理)など色々理由はあるが一番の理由は母であるアエセラが私を慮った結果だろう。もう十二歳になるのだからと、私に外の世界を経験させようと尽力してくださったのだ。




 カーテンを貫いて強烈な太陽光が私に降りかかり、目が覚める。壁に掛けられた時計を見ると朝の第一時半を指し示していた。


 部屋の正反対に置かれたベッドでは綺麗な顔つきをだらしなく緩ませたアレスタが眠りに就いている。いびきまではかいていないが、男連中の憧れの的があの様では形無しだ。


 私がアホ可愛らしい寝面をしている彼女を笑える資格はない。何しろ、前世の男の記憶を引きずってぐだぐだと女らしさに抵抗を続けている愚か者なのだ。この世に生を受けて十年。未だ男だった時間の方が長く、それだからか現実を完全に受け入れる覚悟を持つには至っていない。


 それでもこいつばかりは抵抗してもいられない。寝間着を脱ぎ、黒を基調とした学校の制服に身を包む。フリルにスカート。どれも着せられた当初は嫌悪感を抱いていた代物だったはずが、慣れとは恐ろしい。いつの間にか抵抗感を抱くことなく身に着けてしまっている。


 念のため、装飾の掘られた木製のキャリーケースを開き中身に目を通していく。うん、忘れ物はないな。


 次に空中にゼリー状に纏めて水を浮かべ、顔をそこへ突っ込む。服に水を飛ばすようなヘマはしない。洗顔を終えれば水を窓から放り捨てる。大気中に発散させてもいいのだが、顔を洗った水が大気中を浮いているのには抵抗があるのだ。


 しばらく身支度で動き回っていると、アレスタが目をこすりながらベッドから起き出した。普段はネボスケなのに、今日は頑張って起き出してくるのは私が今から出かけるのを知っているからだ。


「うーん……おはよ、ティハ」

「おはようアレスタ。起こしちゃった?」

「いいの……ティハとは出来るだけ一緒にいたいから」


 嬉しいことを言ってくれる。ただしアレスタの身支度をするのは私の仕事だ。寝ぼけたアレスタの着替えを手伝い、髪を梳かし、歯を磨き、顔を洗う。ほとんどを完ぺきにこなすアレスタも、寝起きは唯一絶対の弱点なのだ。


「いつもごめんねティハ。迷惑でしょう」

「いいの。こういうの好きだよ」


 実家では兄弟も姉妹も年上で、年下の世話をしたことのなかった私には、子供の頃兄上や姉上からしてもらったお世話を出来るというのが意外にも楽しく感じている。二年前はうだうだと朝を過ごすアレスタに苛立って始めたのを覚えているが、今では同年代で随一の美しさを誇るアレスタを綺麗にすることを誇りに思っていた。


「第五時に来るんだっけ?」

「うん、お父様がお迎えをよこしてくださるって」

「じゃあ、さっさと朝ごはんにしましょうか」


 簡素ながら品の良い二人部屋を出て、私はアレスタと共に食堂へと向かう。もう七時を過ぎていたが、昨日のうちに出て行った人が多かったのだろう。席はまばらで同学年の子を見かけることはなかった。


「そろそろ選挙だけれども、アレスタのお父様は忙しいのかしら?」

「ええ、最近は選挙も近いでしょう。落選されたら困るしお父様には頑張っていただかなくちゃ」


 適当に食事を選び、席に着く。パンに豆のスープなど西欧風の食事にはうんざりさせられる。だが日本食などもう手に入らないのだから、飽き飽きとした思いを隠しながらスプーンを口に運んでいく。


「あらあ? ティハニアさんはお食事が退屈そうね」

「チュアニクさん、おはようございます」


 気だるげな表情に豊満な肉体が特徴的なチュアニクは私の同級生だ。私の父の政敵のご令嬢で、その確執は世間一般にも知れ渡っている。その割に彼女は私に友好的だけれども。


「私もここの食事は好きでないわ。偉大な祖国も食事だけはフェイリンやフォルツァニークの足元に及ばないわね」

「そうですね」


 フェイリンもフォルツァニークも孤立主義を標榜する我が国にとって同盟国とはいいがたく、幾度かの戦争では煮え湯を飲まされてもいる。そういったしこりを抱えていてもなお、過激な愛国主義者でさえ食事に関しては両国の足元には及ばないと認めざるをえなかった。


 ただし、両国にしても日本食とは違う方向性の美食であり、私を満足させることはできないのだ。


「そういえば、チュアニクさんはご実家に帰らないのですか。今日から聖マグナテシウスの休日週間でしょう?」


 聖マグナテシウスは世界を救ったとされる偉人である。異次元を開き攻めかかる悪魔の軍勢が世界を支配しようとした時現れたとされ、七日間に渡る壮絶な戦いで世界に散らばる軍勢を全て撃ち滅ぼした上に単身異界へ侵攻。七日の間に異界で正義の国家を味方に付け主戦派の異界国家群を纏めて滅ぼすか穏健派に政権を譲り渡し、帰ってきたのだという。


 神にも伍する偉業を成し遂げた彼の功績を称え、一週間の休日が設けられているのだ。ついでに言えば、この休日週間を境に学校は夏季休暇へと移行し三か月ほどの夏休みが訪れることになっている。


「……ふん。私はここの空気が好きなのよ」


 あれ、あまり触れてはいけない家族の事情があるようだ。その後、暇を持て余しているチュアニクを私たちの部屋に招き、適当に話などしているとあっという間に時間が過ぎて行ってしまった。


「そろそろ時間よ、ティハ」

「そうね」

「お二人で帰省なんて楽しそうね」


 今年はアレスタを実家に誘い、二週間ほどは共に過ごすことになっている。後の一か月は二人とも色々用事があるので別れ、その後私がアレスタの実家に一週間ほど滞在してから国内を旅行しようと約束している。


「チュアニクが同じ一門だったらよかったのに」

「私もそうだったら嬉しかったわ、ティハニア」


 私とアレスタはプロープリス一門に属し、チュアニクはクレアティウス一門に所属している。一門の違いは平民ならばともかくとして、貴族ならば必ず意識しなければならない。何の考えもなしに友情を築けない堅苦しさというか、息苦しさが貴族の身分には存在した。



「ティハニアさんにアレスタさん。お出迎えの方々がいらっしゃいましたよ」

「ありがとう、ロガメア寮長。入っていらして」


 ノックの音と共に寮長から出発の時間の到来が告げられる。鷹のような鋭い目をしたロガメア寮長がいつものようにピンと背筋を張って扉を開け、スレイラと一緒に室内へ入って来る。


「スレイラ! 久しぶりね!」

「ティハニアお嬢様! お元気そうで何よりでございます!」


 ロガメラ寮長にスレイラのどちらも年の程は同じだろうに、性格はまるで違う。寮長は見惚れるくらいカッコいい老女だけれど、スレイラは包容力のある優しさがある。今も丸みのある顔をニンマリさせて私を抱きしめてきた。


「スレイラも元気みたいでよかった」

「私は元気が取り柄でございますから! お嬢様はどうなんです? 昔は病気がちで私がいつもお世話をしておりました……」

「そうだね、子供の頃はいつも病気だった」


 魔力の多い人間は身体的には脆弱になる。魔力量が我がフェニキア家でも多かった私の幼少期は病気との戦いでもあった。今があるのはお母様の治癒魔法とスレイラの献身的な介抱あってこそだろう。


「スレイラさん! 回想に入っちゃっているわよ!」

「あらあら! アレスタ様! 失礼しました! あら? あなた様はクレアティウス一門の……?」

「お久しぶりです。チュアニク・クレアティウス・サトリオールです」


 チュアニクさんに気が付いたスレイラの笑顔が濁る。スレイラは筋金入りのフェニキア家忠臣だ。プロープリス一門とは競合関係にあるクレアティウス一門、その中でもお父様の敵対者であるサトリオール家の令嬢を眼前にして警戒心を見せるのは無理のないことだった。スレイラの態度を前にして、惚れ惚れするような華麗な挨拶の仕草をするチュアニクからはさっきまで見せていた自然な笑顔は消え去り、表面上の硬い笑顔が張り付いていた。


「ここでは一門の違いをあまり露骨に示さないで頂けますかしら」

「え、ええ」


 寮内の規律を守るロガメラ寮長の刺すような目付き。何か口走る暇もなくスレイラは私の耳元で呟くに留めた。


「……お母様に伝えておきますよ」


 うえ、こういうところはあまり好きじゃない。


「スレイラ、荷物を運んでくれない?」


 申し訳ないけれど荷物を運ぶよう命じ厄介払いし、私はチュアニクさんに謝っておく。


「ごめんなさい。スレイラはフェニキア家に忠誠が過ぎているから」

「気にしていないわ。ああいった身分の者なら、忠誠心は褒められるべき気質よ。あからさまな態度は関心しないけれど」


 スレイラが部屋を出て階段を踏み降りる音を背景に、チュアニクさんはいつもの気だるげな態度を取り戻して嘯いた。


「じゃ、私たちは行きましょう」

「そうね、スレイラさんが戻ってくる前に。チュアニク、どうかお元気でね」

「ありがとうアレスタ。お二人も楽しんでいらっしゃいな」

「節度を忘れず楽しんできなさい」


 普段は厳しい寮長の笑みとチュアニクの少し寂しげな表情に見送られ、私たちは女子寮を発った。





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