SSSメトロ
「ほら見てごらん、曲がった」
親子連れの父親が娘に囁くのを耳にした。つられて、車両の後部に目をやると、左側にずれた客席が見えた。
トンネルの中のカーブにさしかかっているらしい。
進行方向に目を向ければ、右側にずれている。私のいる車両はちょうどクロワッサンの、中央に位置していた。
「きょろきょろすんでない。おのぼりさんってわかっちまうで。ちゃあんとお行儀よく、じぃっとしてれ」
婆ちゃんが言うから、私は両のこぶしを膝に置いてじっとしていた。正面に映る私の左側には婆ちゃんがいる。その姿はタヌキみたいだ。
「山さ追われても皮剥がれても、こないな地下深くを走る乗り物に乗れるなんて思わんかったわ」
タヌキがぴこぴこ、鼻を動かしながら言うから、私の右隣に座ったウサギが言う。
「火事になっちゃえ」
真っ赤でまん丸な目をぱちくりさせた、そのあまりにも可愛らしさに、キツネがきしし、と笑いながら通りすぎた。
「全部燃えちゃえ」
ウサギはぼそぼそ可愛いことを言う。 いつの間にかタヌキがつり革に捕まってぷらぷら揺れている。
私はポケットを探って、あめ玉を一個、ウサギにあげた。ウサギは長い耳をあめ玉に寄せて、美味しそうな音がする、と言った。
ぷらぷら揺れているタヌキがうらやましげに見ていたので、タヌキにもあめ玉を差し出したら、戻ってきたキツネがひょいと、掴んで立ち去った。
あ、と思っているうちにつり革にぶら下がったタヌキが大きく振れる。金属音がして、カタン、と速度が落ちる。
「ほら、真っ直ぐだ」
親子連れの父親が娘の頭を撫でながら囁くのを耳にした。正面に映る私の両隣は空席で、網棚の上に置き忘れた新聞があるだけだ。
降車駅が近づき、私は席を立つ。ポケットにあめ玉はなかったけどキャラメルを見つけたので、親子連れにあげようかと顔を上げた。
けれども私の車両は空っぽで、どこにも親子連れの姿はなかった。
(そうか、メトロだから)
死んだ婆ちゃんはよく地下鉄には気をつけろと言っていた。
地下は空間が歪みやすい。
ホームに降り、ドアが閉まるのを見送る。ぴるるるる、と発車音が響き、車両は先の見えないトンネルに吸い込まれた。