秘密の関係
私には他人に隠していることがある。ずっと言いたいけれど、聞き流されてしまうこと。この話を読んでくれている人も信じてくれないと思うが、見えてしまうのだ。普通の人には見えない、人ならざる存在が。
空を飛ぶ烏に混じる鼻の高い翼姿。古い家の影に隠れる小鬼。悠然と池を泳ぐ魚は瞬きし、道を行き交う人と共に通り過ぎていく足のない人たち。お伽噺だというのだろう。ほら吹きだというのだろう。けれど私にとっては架空の存在ではなく、現実の問題なのだ。
はあ、とため息がこぼれる。見えないものが見えるというのは、薄気味悪がられるものだ。だから誰かに話すこともできない。話すことができさえすれば楽になるのにと考えながら、人混みをかき分けていく。足並みが閑散としたところで、誰かと目が合った。
肩より下に伸びた黒髪を風になびかせ、学校の制服をきっちりと着込んだ少女。前髪を下ろして額を隠したその顔は、優しげに微笑んでいた。私のクラスメート、狐塚桜子だ。
「どうかしたの、浮かない顔して?」
彼女は心配そうに私の顔をのぞき込んでくる。私は何でもないと曖昧に言葉を濁した。言ったところで、彼女だって信じないだろう。でも桜子は引き下がらなかった。
「何でもないようには見えないよ? 相談に乗るから、話してみて」
「だ、大丈夫だよ」
私は断った。それでも彼女はじっと私を見つめてくる。とうとう根負けして、私は彼女を公園のベンチへと連れて行った。ゆっくり話すなら立ち話では都合が悪いと思ったからだ。
黄昏の中、彼女と二人きりになって座る。私は深呼吸をして、口を開いた。
「私、変な物が見えるの」
どう切り出していいか悩んだあげく、それだけがぽつりとこぼれる。先を促され、私は全てを話した。妖や幽霊などが見えてしまうこと。そのせいで気味悪がられてしまうこと。信じてもらえないこと――今までの悩みは堰を切ったようにあふれ、愚痴になっていないかと心配になる。ちらりと桜子を見ると、彼女はただ静かに話を聞いてくれていた。
「ほら、あそこ。時計台にもたれかかってる人がいる。それに、あっちの木には猿みたいなのが見えるでしょ」
私は人外の存在を指さした。どちらも普通の人には見えていないだろう。桜子は、恐がりもしなければ気味悪がりもしなかった。そっか、と小さく呟いただけである。私にはその発言の意味がすぐにはわからなかった。喋り終わったからか、不意に不安の波が押し寄せてくる。
「ねえ、今の話は他の人には内緒にして。お願い」
「うん、いいよ」
私が懇願すると、彼女はあっさりと承諾してくれた。あまりにも即答だったから、私はみっともなく口を開けたままにしてしまった。そんな私を見て、彼女はいたずらっぽく笑う。
「信用できない?」
私は首を縦にも横にも振れなかった。なんと答えていいかわからなかったのだ。桜子は可笑しそうにくすくすと笑っている。
「舞衣だけに内緒の話をさせたらずるいものね。代わりに私の秘密も教えてあげる」
交換条件なのだと、彼女は言った。お互いに秘密を握っていれば、確かに口を割ろうとは考えないかもしれない。私は彼女の話を聞くことにした。彼女は私の耳元に寄った。
「耳、貸して」
「え――?」
彼女は自分の秘密を、私だけにこっそりと耳打ちした。
そんなことがあってから、私の生活は一変した。学校にはきちんと通っているし、相変わらず見えざるものも見えてしまう。けれどたった一つ、しかし大きな事柄が付け加わったのだ。
仲のいい人と挨拶を交わして下駄箱を覗く。上履きの上に、折りたたまれた紙が乗っていた。小さな手紙には「話したいことがあるから昼休みに来て欲しい」という旨のメッセージが書かれていた。私はそれをしまい、上履きを履いて上がり込む。教室に入って彼女の姿を探した。カバンを開けて準備する桜子を見つけ、そばに寄る。
「今日の昼休み、購買横だって」
できるだけ小さな声でそう伝えた。それだけで、何のことなのか彼女はだいたいわかっている。桜子は微笑んで頷いた。
そうして昼休み、私と桜子は購買の近くにやってきた。昼ご飯を買い求める人混みから外れたところに、ぽつんと立っている女子生徒の姿を見つける。眼鏡をかけた大人しそうな少女だ。私が礼の手紙を見せると、その女子生徒は私達を外にあるベンチへと連れて行った。
「それで、話したいことって?」
弁当を広げながら、私は尋ねた。用件にだいたいの見当はつくが、聞いた方が話もしやすい。森岡と名乗るその女子生徒は、私の問いに恥ずかしそうに頷いた。
「はい。できれば、他の人に言わないで欲しいんですけど――」
そう言ってから、森岡さんはぼそぼそと話し始めた。
「何者かに追われているような気がするんです。でも警察に言っても誰もいないって言われて――私、自意識過剰になっているんでしょうか」
消え入りそうな声で彼女は説明した。誰もいないはずなのに視線に追われているようで、不気味なのだそうだ。よほど熟達したストーカーなのか、それとも人知を越えた何かなのかは聞いているだけではわからない。けれど、調べてみる価値はありそうだ。
「わかりました。例えば一緒に帰ってみて、調べましょう」
こうして、謎のストーカー(?)の調査は始まった。
その日の放課後、私は帰宅する森岡さんと並んで歩いた。時々後ろを振り返り、ついてくる者がいないか確かめる。交差点にさしかかったとき、思い出したように森岡さんが顔を上げた。
「すみません、逸見さん。こんなことに付き合わせてしまって……」
「気にしないでください」
私は穏やかに彼女をなだめた。実際、手間だとは思っていない。むしろ、誰かの役に立てるのなら嬉しいくらいだ。桜子もにこにこと笑っている。彼女の場合どう思っているのかはよくわからないけれど。
やがて森岡さんの家に着いた。何事も起こらないまま、終わると思ったかもしれない。けれど私は気付いていた。ちらりと桜子を見れば、彼女も強い眼差しで頷く。そして、そんな私達の傍を、一人の男が通り過ぎようとした。
「待ちなさい」
桜子はギロリと睨み付ける。男はびくりと肩を震わせて硬直した。
「あなたね? 彼女にずっとつきまとっていたのは」
声を張って男に問いかける。相手はゆっくりと振り向いた。ひょろりとした若い男性。髭は剃られておらず、いくらか老けて見える。男は私達を見た。
「俺が見えるのか?」
相手の問いに、私はええ、と頷いた。相手は若い男の幽霊だ。警察が捜しても見えるはずがない。
「どうしてあの子を追いかけてるの? 怖がってるじゃない」
「森岡さんは俺の天使なんだ。今までは遠巻きに見つめるだけだったが、今はこの姿でいつでも見られる――」
うっとりとした表情で男は語り出す。そして、キッとこちらを睨んだ。
「俺と彼女との邪魔はさせない!」
男は勢いよく飛びかかってきた。半身にして躱し、桜子と目を合わせる。
「桜子」
「はいはい」
彼女は明るく笑い、前に進み出た。私は彼女を――彼女の真名を呼ぶ。唱えると、桜子の姿は変容した。耳は尖って上を向き、口元はちょんと尖って髭が伸びる。四肢はすらりと細長く、ふさふさの尻尾が現れる。夕闇の中に、黄金色の狐が現れた。
「我命ずる。彼の者あるべき冥土へ送れ!」
桜子、もとい黄金色の妖狐はしゃんと立った。その周りに青白い炎が灯る。炎は驚く男を包み込み、跡形もなく燃やしてしまった。
これが、私達の秘密。妖怪や幽霊が見える少女と、妖狐。二人で今日も人助けをしている。
黒猫さんのリクエストで、「『内緒話』をテーマにした作品」でした。
しかしこれ、テーマにしていると言えるのか…?
相変わらずどうしてこうなった状態です。とはいえ、書いていて楽しかったですねw
リクエストありがとうございました!