第2話 フライパンと六本足とビックリ箱
姫舞花亭に所属する冒険者となって、数日が経った。
少しずつこの港町の空気にも慣れてきて、ようやく「日常」と呼べるものが生まれはじめた気がする。
そんな折、ギルドのマスター、ギルさんがこう言ってくれた。
「空き家が一軒ある。好きに使え。元はギルド所有の家だ。冒険者には休める場所も必要だろう?」
なんてありがたいお話!
というわけで、お言葉に甘えて、今日からそこに住まわせていただくことになった。
立派な二階建ての一軒家で、なんと庭付き。
……なのに、誰も住みたがらないんだってさ。
なにそれ。まさか幽霊でも出るの?
(っていうか、ギルドに家まであるのすごいなこの世界)
さて、今日はその新居で使う食料と日用品を買い出しに、近くの市場まで行ってきた。
家具はもともと一通り揃っているものの、僕の持ち物といえば今着ている服だけ。
食べ物だって何もない。
ありがたいことに、ギルドの仲間たちが少しずつカンパをしてくれた。
財布の中身はまだ心許ないけれど、心はもう満たされている。
ありがたやありがたや。
大きな紙袋をいくつも抱えて帰ってきたのは、ちょうどお昼過ぎ。
そろそろお腹も減ってきたし、今日はパンケーキを焼こうかな。
買ってきた卵にミルク、それに小麦粉と……あれ?
砂糖が、ない。
おかしいな。ちゃんと買ったはずなのに。
……袋から落とした? いやまさか、魔物に食われたってオチじゃないよね?
(そんなわけない)
とはいえ、このまま甘くないパンケーキを食べるのも虚しい。
今から市場へ戻るのも面倒だ。
というわけで、人生で初めてのお隣訪問。
隣家に住んでいるのはリアさんという女性錬金術師で、何とギルドの仲間でもあるそうだ。
ノックをすると、すぐに応答があった。
「砂糖? ああ、ちょうど切らして……あ、待ってて。似たのがあるかも」
そして数分後、瓶に入った白い粉を貸してくれた。
「これ、ちょっと癖があるけど、甘さは甘さだから」
……ちょっと不安だけど、お礼を言って受け取る。
リアさん、笑顔がやさしいし、なんだか独特の雰囲気がある人だった。
さて、さっそくパンケーキ作り。
ボウルに粉、卵、ミルク、そしてリアさんからもらった“砂糖”らしきものを投入。
ぐるぐる混ぜて、フライパンに生地を流し込んで、フタを閉める。
じゅうじゅう。いい音。いい匂い。
お腹もペコペコ。
そろそろ頃合いかな、とフタに手を伸ばした——その時。
「……グルル……」
え?
今、唸り声が聞こえた気がした。
「キシャァァァァァッ!!」
次の瞬間、パンケーキが跳ねた。
いや、跳ねたどころじゃない。跳び出した。
しかも六本足で!!
それは叫び声を上げながらフライパンから飛び出し、テーブルを跳ね、壁を蹴り、天井を走り、最後には窓ガラスを突き破って外へ逃げていった。
……一瞬、何が起きたか理解できなかった。
僕はただ、割れた窓と空のフライパンを見つめていた。
数分後、リアさんがひょっこり顔を出してこう言った。
「……あの、さっき渡したやつ、砂糖じゃなくて魔法薬だったかも。見た目そっくりなんだよね〜。ごめんごめん」
もう遅いです。
後から聞いた話によると、リアさんにはギルド内で“ビックリ箱”というあだ名がついているらしい。
確かに、納得だ。
もしかして……この家に誰も住みたがらなかった理由、
幽霊とかじゃなくて、隣人がリアさんだからなんじゃ……?
……冗談だよね?
……いや、冗談であってほしいなあ。