3 風呂ですネ
風呂というのは、長く入りすぎると倒れるものである。ここの風呂は割と熱めにしてあるから余計だ。
つまりはほどほどが大切なのだということを、今日、秋良は学んだ。一つかしこくなったような気がするとうめきながら彼は思った。
「馬鹿ですね~」
呆れたような少女の声が聞こえる。
秋良は湯あたりをして風呂屋の二階(なぜか畳の部屋があったのだ)で大の字に倒れていた。リャーナがまだ帰ってきていなかったので、とりあえず、風呂屋に常備してある浴衣のような服を着させられている。
ハウザーが傍らでうちわ(これも風呂屋の備品らしい)であおいでいる。
納得がいかないのは、なぜ秋良が湯あたりをして目を回したというのに、同じ時間隣で湯につかっていたハウザーは何ともないのか。これはもしや人族と悪魔族の違いというやつなのか。今後の研究課題の一つに加えよう。
ともあれ、風呂につかりながらハウザーから聞いた話によると、ここはレナート王国というらしい。かつてこの地にあったウィステニア王国はすでになく、王国の守護竜神もまた王国が滅びるときに運命を共にしたと。今この地にはセレイアと呼ばれる竜神がいるらしい。ウィステニアを守護していた竜神の血筋らしいが、秋良にはまったくなじみのない名前である。
しかしながら、風呂の中で延々と、湯あたりするまで長湯をしたのは、この国の話を聞いていたからではなく、まずは金の使い方だけでも覚えろと、金銭の使い方をひたすらレクチャーされたからだ。どうやら、秋良の常識知らずで世間知らずのところからどこか地方の貴族のお坊ちゃんが家出でもしてきたと思ったようだ。下手に素姓を追及されても困るので特に否定も肯定もしないでおく。
ハウザー曰く、通貨は銅貨と銀貨と金貨があり、銅貨五十枚で銀貨一枚、銀貨二十枚で金貨一枚だという。風呂屋は一回銅貨十枚程度、宿屋も下級の宿なら一泊二十枚ほど、上級の宿屋でも銀貨一枚だ。先ほどのように金貨五百枚も出せば家どころか城だって買える。こんな下町の風呂屋で軽々しく出すなと風呂の片隅でネチネチ、延々説教されたのである。
そして湯あたりして目を回し、あわててハウザーが二階に運び、服を着せうちわであおいでいたところにリャーナが帰ってきてあきれたような目を向けられたというわけだ。
「服を~買ってきました~」
ここに置いときます、と少女がハウザーの横に服を置いて、食事はどうするのかと尋ねる。
「ああ、もう夕食の時間だな。二人分頼むよ」
「わかりました~」
明るくうなずくと、リャーナが階下へおりていく。
「もう大丈夫そうだな?」
「‥…ただの湯あたりだから」
秋良は体をおこすと頭を振って、ため息をつく。
結局のところ、いまいち状況は把握できないが、ひとまずはこの地で暮らしていくしかなさそうだ。ただのシステム異常とも思えないし。そもそもここまで自由で言いたい放題のNPCなんて存在しない。まるで、本当に生きているかのような言動なのだから‥…。
「ああ、ところでハウザー」
もそもそと服を着ながら気になっていたことを聞いてみることにする。
「あん?」
「氷雪の神って知ってるか?」
先ほど牢で聞かされた言葉だ。他にも何か気になることを言っていたような気がするが、忘れたのできっと大したことではないだろう。
「氷雪の神?ってあれか、たしか創造神に反逆して天を追われた神様じゃなかったか。俺は信心深くはねえからなぁ‥‥まあ、詳しいことが知りたきゃ教会へ行くしかないが」
それがどうかしたのか、と聞かれて秋良は首を振る。どうしても知りたいわけではないので、教会へは行かないこととしよう。そういう場所はもともと苦手なのだ。
食事は思ったよりも豪華だった。クラムチャウダーのようなスープに、大盛りの唐揚げ、魚のムニエル、サラダにパンに地酒。
「おお、今日は豪勢だな」
どうやら標準ではないらしい。
「えへへ…・今日は~臨時収入があったから~」
「まさかあの金貨ねこばばか?」
「ねこばばじゃないですよ~。ちゃんと~こうして夕食とかに還元してますよ~」
ぷっくり頬をふくらませ、リャーナが言い返す。
確かにその通りなので、ハウザーも苦笑して、それ以上は特に言及せず、目で秋良に合図してきた。
「服もシンプルだけどいい生地だよね。かえって迷惑ばかりかけて悪かったな」
「そんなことないですよ~困った時はお互い様です~」
行くところがないので、宿を紹介してほしい、と秋良が言うと、ハウザーがそれならここに住めばいいと言い出した。
「は?でもここは風呂屋だよな」
「そうなんですよ~。でもハウザーさんはここに住んでますよ~。うちは~二階には三部屋あって~、うちの家族は一階に住んでいるので~基本二階は空き部屋なんです~」
「仕事してないときはこの風呂屋の用心棒ってとこだな」
部屋代は払ってるがな、と笑う。
「当たり前です~。朝と夜ごはん付きでお風呂も入り放題なんですよ~。それで一カ月銀貨八枚なら格安です~。庶民が~毎日お風呂に入るなんて~どんな贅沢だって感じですよ~」
そういいながらも、ハウザーがいて助かっていると秋良には笑顔で弁護している。彼女からはハウザーに対する信頼がうかがえる。
「ここはいいとこでな。悪魔族ってのは結構嫌われがちなんだがここではみんな差別せずによくしてくれるよ」
悪魔族が嫌われがちなのは、その外見と、高すぎるステータスと、使える魔法や技能が割とえげつないのが多いのと、好戦的な性格のせいである。そもそもハウザーほど人に好意的で朗らかな悪魔族は珍しいのだ。その上、イベントモンスターや、ボス級の魔物に悪魔族を多く配置していたため、余計にイメージが悪いのだろう。どこまでゲームと連動しているのかは分からないが。
「そうなんだ。それで俺もここに住んでもいいのか?」
「構いませんよ~。今は部屋もあまってますし~。お金さえいただければ~」
にこにこと笑いながらもちゃっかりしている。交渉の末、月額銀貨十枚で手を打つことになった。
「じゃあ、金貨一枚渡すからひとまず二カ月で」
「わかりました~。毎度です~」
機嫌良く言うと、リャーナが階下へおりていく。今は両親は田舎の祖父母のもとへいっていて、あと七日ほどはこの風呂屋はリャーナ一人で切り盛りするらしい。それもあってここ数日、ハウザーも冒険者ギルドに顔は出していても仕事は受けていないらしい。しばらくは風呂屋の用心棒に徹するつもりだという。
「もしよければ明日にでも王都を案内しようか?」
今日はもう遅いから、と言われた言葉に、秋良は首をかしげた。願ってもないことだが、しかし。
「用心棒なのに離れていいのか?」
「一日中閉じこもってちゃあカビが生えるだろうが。リャーナには【呼び鈴】を渡してあるから問題ないさ」
道理で、今日もタイミングよく現れたわけである。【呼び鈴】というのは、二つで一つのアイテムで、片方は音が鳴らない。鳴らない【呼び鈴】を振ると、もう一つの【呼び鈴】が鳴る仕組みになっている。つまり今回の場合は、リャーナが秋良を見て【呼び鈴】を鳴らし、ハウザーの持つ【呼び鈴】が呼応して、何があったのかとハウザーがすぐに風呂屋に駆けつけてきたというわけだ。
「それならよろしく」
どちらにしても、一人で見知らぬ街を歩くよりは案内人がいたほうがいいに決まっている。この風呂屋を選んで、彼らに会えたのは幸運だったと言えるだろう。
つぶれるまで酒盛りをして、無駄話に盛り上がった二人は、翌日リャーナにこっぴどく叱られる羽目になったのだった。