1 バグですネ
薄暗い、小さな部屋。
室内には、吐瀉物のような、生ごみが腐ったような何とも云い難い臭いが充満している。
厚い石壁に三方が囲まれており、前方は鉄格子がはめられている。
室内にははっきりいって何もない。ちなみに石の床はじめじめしている。なぜなのかはあまり考えたくない。
「……どうなってんだ?」
状況がまったく理解できなくて彼は頭を抱える。
「いや、とにかく落ち着け、そうだ、落ち着くんだ。・…俺は何をしてたんだっけ‥…?」
無理やりに落ち着きを取り戻し、彼は数時間前のことを思い返したのだった。
《オルテリア物語》
それは三年前に作られ、爆発的人気を誇るオンラインゲームだ。
ゲーム自体は単純だ。いわゆるRPGというやつで、敵を倒してレベルアップしたり、ダンジョンを攻略したり、店を開いたり、畑を作ったり、街を作ったり、国を作ったり・…まあ、何でもアリではある。
キャラメイキングは結構自由度が高く、二十三種族の中から好きな種族を選び、髪や目、ボイスなどを好きにいじれる。
《オルテリア》という大陸を舞台に、現実では到底できないことも、ゲームの中では好きにできるのだ。
が、そんなゲームは世の中山のようにある。
《オルテリア物語》がブレイクしたのは、そのシステムの特殊性にある。
【ドライブ・システム】それが《オルテリア物語》に使われている特殊なシステムで、別売りの【サークレット】と呼ばれる機械を購入し、頭に設置して端末につなぐと、ゲームの中に入ることができるのだ。……とはいえ、もちろん現実ではない。が、現実に最も近い仮想現実ではある。
ゲームの中だというのに、疲れるし、お腹はすくし、食べ物の味までわかる。
ただし、ゲームの中に入り込みすぎ、現実の体が死んでしまった、なんてことになったら目も当てられないので(所詮は仮想現実なので、ゲーム中に食料を摂取しても実際に栄養を取れるわけではない)生命維持のための安全装置も付いていて、身体に危機が迫ると、強制終了させられる。もちろん精神の危機も同様で(リミッターが付いていて痛みはほとんど感じないように設計してあるが)精神的に死を迎えることもないようにと、そちらも危険と判断されればやはり強制終了となる。
いろいろと、細かい配慮がしてあるこのゲームは、彼の最高傑作といえるだろう。
そう、このゲームを作ったのは、当時十八歳だった彼、志筑秋良という青年なのである。
数時間前、秋良はいつものように、《オルテリア物語》をバージョンアップし、仕上がりを確かめるためにダイブ(ゲームをすることをこう呼ぶ)していた。
しばらくいつものようにゲーム中を散策していたが、いきなり真っ暗な闇に包まれて、何かバグが起きたのかとあわててログアウトをしたのだが・…
「そうだ、俺はログアウトをして、それで・…」
気が付いたら会議室のようなところに出て、そこにいた二十数人の視線を一身に集め、状況を把握できないうちに、問答無用でこの牢屋に放り込まれたのだ。
「ん?ということは、ここはまだ《オルテリア》か?」
バグのせいでログアウトができなかったということだろうか。
首をかしげつついつものようにウインドウを開くと・…開いた。
「何だ、やっぱりゲーム中か・・…?」
安堵して、ウインドウの表示を見る。
ステータス画面はいつも通り。ゲームの限界レベルは1000(特殊ダンジョンクリアで最終1080)だが、彼のステータスは2500となっている。これは開発者たる彼だけの特権で、ゲーム中1000レベルプレイヤー同士でトラブルがあった時のためにかなり多めにレベルを設定してあるのだ。
種族、年齢、性別、出身地は?。職業欄は神。すべてのステータスはレベルに合わせて限界値以上。魔法や技能なんかもすべて持っているし、お金も上限まで、アイテムも、すべての種類を上限まで持っている。これは一緒にシステムを開発した友人が面白がって設定したものだ。「最強最悪のキャラを創るのだ」が友人の言で、それって神というより悪魔では?と思ったものだが。
ちなみに外見は、普通にヒューマンタイプで、黒髪黒目の十六歳の少年である。これもまた友人の趣味で、彼の高校生の頃の写真をもとに作ったらしい。「かわいかった頃のお前を永遠に残したいんだ!!」とかわけのわからないことを言っていたが。
ともかくも、ウインドウに表示される値はそのままだ。が、なぜかログアウトの表示だけがない。つまりはバグのせいかわからないが、現実世界で強制終了システムが作動しないとログアウトできないというわけだ。
「とにかくこの状況をどうにかしないとな」
強制終了システムがいつごろ作動するかは分からないが、身体状況はばっちりだったため、それなりに長くかかるだろう。となればいつまでもこんな不快なところにはいられない。とりあえずここから出て快適な場所に移動しなくては。
改めて体を確認すると、特別具合が悪ところはないようだ。しかし、先ほどまで身に着けていた装備品などはいつのまにか解除されており、今身につけているのはゲーム初期に支給される布の服と布のズボンのみ。装備していたものはすべてアイテムボックスに入っていた。もっとも秋良に装備品などたいして必要もないのだが。
秋良はまずワールドマップを開いた。
「えーと‥…ここはウィステニア王国か…」
オルテリア大陸に存在する国の中でも、初期からある国で竜神の守護があり、そのため魔法技術が発達し、それにより世界に名だたる魔法学院を抱えている、という設定だ。ほかに何か特殊設定とかあったかな、とこの周辺の情報を思い出していると、ウインドウの端におかしな表示を見つけた。
「ん?月神歴1800年?」
秋良が首をかしげたのも無理はない。オルテリア物語は、割と設定もきっちり作ったが、ゲームは陽神歴500年からスタートしている。月神歴は陽神歴の前に存在した暦で5000年続いたが、天変地異により世界の人口が激減し、それから300年ほど空白期間があって後、ようやく人々が安定した生活を送れるようになったときに新しく定められた暦が陽神歴である。出没する魔物たちも、月神歴より若干弱くなっているという設定で、古代ダンジョンや、特殊クエスト、すべてのクエストクリア後のボーナスダンジョンなどで、古代の魔物復活設定で、強い敵と戦えるようにしてあったのだ。
とりあえず、ほかにもいろいろ裏設定とかあるのだが、今はどうでもいい。問題は、なぜ、今ウインドウに表示されているのが、ゲーム中では決して使われることのない月神歴なのか・…。
「これもバグのせいかな・…?」
現実に帰ったら問題点を総ざらいしようと心に決める。
ウインドウを眺めてあれこれ考えていると、鉄格子の前にだれかが現れた。
燃える様な赤毛の、豪奢な服を着たヒューマンタイプの青年だ。青年の横には、長い白銀の髪の、頭に白く鋭い二本の角を持つ青年がいる。おそらくこの国の守護竜神ライアだろう。【竜神】は全部で六体作ったが、この国の守護竜神ライアは最も強く美しい竜神の頂点に立つ者だ。レベルとしては、NPCキャラでは最高の九百に設定してある。彼らの後ろには、騎士が六人ほど並んでいた。
秋良が何も言わず、彼らを眺めていると、竜神が口を開いた。
「お前は何者だ。なぜ、何のためにあの場に現れた?」
いきなりの詰問口調である。
「そんなこと聞かれてもな」
本人にもわからないため、答えようがない。秋良は肩をすくめて苦笑した。
「お前は氷雪の神の使いか?」
「…‥氷雪の神?」
どこかで聞いたフレーズだ。
「とぼけるな!あの場がどういう場かわかってきたのだろう。だが我らは氷雪の神に屈する気はない!」
赤毛の青年が鋭い目を向け言い放つ。そもそもこんな設定あったっけ?と首をかしげる。もちろん開発者としてクエストはすべて把握しているつもりだが。ウィステニア王国を舞台にしたクエストは多いが、こんなクエストはなかったような‥‥。
そこまで考えて、秋良ははっと気付いた。
氷雪の神とは八人のラスボスの一人だったはずだ。すべてのクエストクリア後に出てくるボーナスダンジョンのうちの一つ、 雪原の古代ダンジョンで、最下層まで到達すると氷雪の神と戦い、勝てば限界レベル十UPと最強武器【氷雪の槍】が手に入る。
思い出したはいいが、なぜそのボスの名前がここで出てくるのかがわからない。氷雪の神クエストのイベントはそもそもここが舞台ではないはずだ。
「落ち着け、ロートリック。この者は本当に何も知らないようだ」
首をかしげて困惑もあらわな秋良を見て、竜神が赤毛の青年をなだめる。
「‥…だが!」
「そう、目的は知らなければならないな。お前はなぜあの場にいたのだ、ヒトの子よ」
「なぜって言われてもな、そもそも《あの場》っていうのがどういう場なのか分からないんだけど」
それでもなんだか面倒くさいことには変わりないようだ。秋良がシステムバージョンアップしている間に友人がクエストの追加でもしたのだろうか。ときどきそういうことがあるため、クエストやイベントがどんどん増えてプレイヤー側からは苦情が出ているのだが。
とりあえず、どういうイベントかわからないし、ここにとどまっているのも耐えられなくなってきたので(おもに臭いと床のじめじめ感が)秋良は【転移】の魔法を使いその場から姿を消した。その後の騒ぎなど、もちろん彼が知るはずもない。
「なっ・…!」
突然、牢に入れられていた青年の足元に白い魔法陣が浮き上がり、一瞬後にその姿がかき消えた。
「何だ、今のは。奴はどこに行った」
「あれは失われた古代魔法、【転移】だな」
初めてみた、と竜神の青年セレイアが肩をすくめる。
「古代魔法、だと・…」
「そうだ。ただのヒトが使えるものではないハズだがね」
いったい何者だったのか。だが、今はあの少年の正体を考えるよりも、今後の対策を考えるべきだろう。
「ロートリック」
いつまでも少年の消えた場を睨んでいる赤毛の青年を呼ぶ。
「‥…わかっている。行こう、セレイア」
かつて世界には陽神歴という暦があった。
三千年続いたその暦は、しかし【天のお告げ】と言い張る教会により、千八百年前にはるか古代に使われていたという月神歴が再び使われることとなったのだが、もちろん、秋良が知る由もないことなのだった。