第33話
ルドルフは思い出していた。
どうして、こんなにもこの少女に翻弄されているのか。
何がこれほど気にかかるのか・・・・
ルーチェがいきなり自分に抱きついて来た時、なつかしい香りがした。
首に絡みついた腕、鼻を掠った黒い髪、そのすべてから薫るほのかな甘い香り。
忘れもしない母に最後に抱かれた時の香りだ。
あれは何の香の匂いかとルドルフとて過去に調べようとした。
だが分からなかったのだ。
ルドルフに近寄ってくる女達、又は周りに居る女達のすべてが、強い香りを匂わせていた。
いろいろと種類は違ってはいても母のそれとは大きく違っていた。
そうして成長するうちにそんな事すらすっかり忘れてしまっていたのだった。
ルーチェを抱いた時、はっきりと思い出し、そして分かったのだった。
そうか・・・・あの時、母上は何も香を付けてはいなかったのか。
ほのかに甘く香ったのは母そのもの。いくら探しても見つからなかったはずだ。
そして今、この少女はルドルフの大好きなその香りをまとっているのであった。
だからなのか?
いや。初めて会った日にその大きな黒い瞳で見つめられた時からかもしれない。
今までルドルフに擦り寄ってくる女達はその瞳には欲望の色を滲ませていた。
そして男達までも同じく、欲や妬み等の負の色を濃くしていたのだ。
周りに集まる者すべてが、羨望、企て、または不敬でも犯しはしないかと恐怖に怯える目でルドルフを見ていたのだ。
ルドルフは大衆の目に晒されてはいたがそのほとんどは歪んで濁ったものだった。
なのにその瞳はあまりにも無垢でなんの疑いもなく、なんの計算もなくただ真っ直ぐにルドルフを見つめていた。
だから突然許可もなく握られた手を振り払う事すら出来なかったのだ。
どうしようもなく、もう一度その瞳が見たいと二度目に訪ねた時。
あれは勘違いではなかったか? 今度見た時にはその瞳は濁ってはいないだろうか・・・・
確かめるのが怖くて顔を逸らしてしまったのだった。
だがそんな事はルドルフの杞憂でしかなかった。
その日も少女の瞳はきらきらとこれ以上ないほど輝いていたのだった。
とんでもなく非常識であるのに、なぜかその少女は不思議に癒しと安らぎを与えてくれた。
ルドルフは初めて与えられた玩具のように、それに執着し離せなかったのである。
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「あなたがケイトさんですね。お会いしとうございました。」
椅子から立とうとしたケイトだったが、隣に立てかけてあった松葉杖にいち早く気づいたアルクがそれを制した。
そうしてケイトの前に跪き、その手をとって優雅にその甲に唇を寄せた。
居間で椅子に腰掛けていたケイトは入り口での騒ぎは知らなかったものの、ルーチェを抱き上げて入ってきた皇太子殿下にはいささか驚いてその目を見開いたままであった。
「初めてお目にかかります。ケイトでございます。」
気持ちはそっちに向いたままだったが、アルクの丁寧な礼になんとか返事を返したのだった。
それでもアルクは感無量であった。
長い間捜し求めていた人が今、目の前に現れたのだ。
どれほどこの日を待ちわびたことだろう。
残された時間がどれほとあるのかもわからないまま、焦った日もあった。
絶望して諦めた事もあったのだ。
今、目の前にいる聡明そうな、それでいて美しく可憐な少女はアルクを十分に満足させるものであった。
「ああ・・・やはり私が想像していたとおり、いやそれ以上のお方です。
その美しさ、優雅な姿・・・・なんて素晴らしい。まさに女神の再来と言っていい。
貴方が現れるのをどんなに待ちわびていたことでしょう。」
アルクの過剰なまでの褒め言葉にケイトは耳まで真っ赤にしていた。
「そ・・そんな私などが、それほど言って頂ける様なものでは・・けっして」
「またそんなご謙遜を・・なんておくゆかしい人なんだ。
女神の再来だなんて・・・いやいや。私としたことが、貴方こそが女神そのものだと言うのに・・・」
アルバートさんが、皇太子殿下のいつもの様子と違う事に気をとられてる間にこちらも変な展開になっている様だった。
今にもプロポーズでもするかの様な言動となってる事にもアルクは気づいてないのであった。
アルバートさんとセーラさんが、あっちもこっちもと気にしながらキョロキョロとして途方にくれていた。
「お茶にしましょう!」
セーラさんが大きな声でそう言った。
その場にいた全員が、皆我を取り戻した様にしーんとなった。
さすがはセーラさん。 オロオロするばかりのアルバートさんとは雲泥の違いである。
やはりイザという時は女の力は偉大であった。




