第15話
初めて出会った日、黒猫はまだ少女の両手にすっぽりと納まってしまうほどの大きさだった。
自分と同じ、真っ黒の瞳で見つめられた時はきらきらと輝いて美しいと見とれてしまった。
「私はルーチェよ。今日から一緒に暮らすのよ。私がお母さんになってあげる」
真っ黒な髪と瞳は私と同じだ。うん、お母さんに違いない。
黒猫は嬉しくて「みゃぁ~」と鳴いた。
「ミーア! あなたの名前は今日からミーアよ!」
やっぱりルーチェのネーミングセンスはそんなものだった。
それでも動物好きなルーチェはせっせと世話をした。
慣れない手つきで哺乳瓶でミルクを飲ませてくれた。
カサスを小さく潰してスプーンで食べさせてくれた。
寝るときはいつも一緒で、ルーチェのぬくもりに包まれて眠った。
ミーアは幸せだった。
半年も経つとしっかり大人の大きさになったミーアは使い魔の存在を知った。
ルシア先生の使い魔で学園の番犬をしている白犬のバスターから聞いたのだった。
使い魔になると生涯、その主の命が尽きるその時まで一緒にいられる事
主と話が出来る事。主の役に立てる事。
でも10歳の誕生日を過ぎないと使い魔の契約は出来ない事。
すべてがミーアの一番望んでいる事だった。
ルーチェと話が出来るとはなんて素晴らしいんだろう。
言いたい事はいっぱいある。
名前をつけてくれてありがとう。
遊んでくれるルーチェ。 この漆黒の体をなでてくれるルーチェ。
そうだ。ルーチェが大好きだと一番に伝えよう。
ルーチェの役に立つ事なら私はどんな事でも出来るわ。
私はルーチェの使い魔としてずっと一緒にいられるのね。
半年後の誕生日がなんて待ち遠しいのかしら。
ミーアはその日を待ち続けた。
そうしてやっとその待ち焦がれた日がやってきた。
ルーチェはミーアを連れて学園の裏の森に入っていった。
使い魔の契約は人に見られてはいけないのだ。
そしてルーチェは闇の魔女だ。
闇の魔女はその闇の力が一番強い月の光の下で行われる。
月の光が届くのはこの世界では3時間ほどしかない。
急がなければならないというのにルーチェは誘われる様にどんどん森の奥に入っていく。
いよいよその時がきたんだ。
ミーアは期待に胸をいっぱいにしてその後を付いて行った。
森はどの木もその枝を自慢げに伸ばし、その葉で月の光を遮った。
ようやく開けた場所に出るのに、少女の足では時間がかかった。
なるほど、ここは倒木の為に開けて月の光が届くようだ。
ルーチェが何か光るものを見つけて立ち止まった。
そろそろと近づいていく。
ミーアは何か危険なものが飛び出してルーチェを傷つけはしないかと警戒して見守っていた。
しゃがみこんだルーチェがなにか囁いたがミーアには聞こえなかった。
立ち上がったルーチェの手の平に乗っていたのは死に掛けた子猫だった。
ルーチェは手の平に載せた子猫を大きく掲げると月の光をいっぱいに浴びせた。
そして、あろうことか契約の呪文を唱えはじめたのだった。
『え?』
ミーアはあせった。そして走った。
どうして? 私のはずなのに!
その手の平にいるのは私のはずよ!
おどき、お前じゃない。 私なのよ!
そうして大きくジャンプした。
ミーアはせいいっぱい、己の筋肉のすべてを使ってのジャンプだった。
なのに濡れた落ち葉がじゃまをした。
「ミーア ごめんね・・・}
ルーチェの言葉がむなしく響いた。
これは夢だ。 悪い夢にちがいない。
月の光を浴びて光るあめ色の毛をいつまでも睨み続けた。
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その後、どういう経緯かはわからないがケイトが私を引き取ってくれた。
ケイトのことは、ルーチェと仲良しでいつも一緒にいるので知ってはいた。
でもその時の私は、拗ねていじけてやせ細っていた。
すっかり人を信じられなくなっていたのだ。
いつまで経っても、なつかない私をケイトは悲しそうな顔でみつめる。
そうして丁寧にブラシをかける。
そのきれいな手を噛み付き、ひっかきもした。
それでも怒らず、毎日毎日丁寧にブラシをかけ最後に赤いリボンを付ける。
せっかく付けてもらったリボンも、一瞬のうちににはずしてしまうというのに。
それでもケイトはやめない。
或る日気づいた事がある。
ケイトはブラッシングしながら毎日、反応もしない私に話しかけていたのだった。
「ねえミーア、私は初めてあなたを見たとき一目ぼれだったのよ。
ルーチェのものと判ってはいたけれど、それでも私はあなたに惹かれてしまっていたの」
今日もケイトは独り言のように語る。
「お父様にいろんな動物を薦められたけれど、私はどうしてもあなたの事が心の中にあって・・・
いいお返事が出来なかったの。」
ミーアの耳がピクリと動く。そしてケイトの傷だらけの手を見る。
赤く血が滲み、腫れ上がって最初の頃の美しさはみじんもない。
「あなたにとってルーチェが一番だって知っているわ。どうか私を二番目に好きになってくれないかしら?
あなたの二番目であってもかまわないの。だって私にとってはミーア、あなたが一番だから。
そうして私の側にずっと一緒にいて欲しいの。」
この時、初めてミーアは泣いた。
あの日から泣くことさえも忘れていたと言うのに。
必要とされた事が嬉しかった。求められたことが嬉しかった。
今まで心の中にうずまいていた憤懣が一気に溢れたようだった。
その日からミーアの首には毎日、日替わりのリボンが付いている。
そうしてミーアはケイトの使い魔になったのだった。
平和な時間の経過は徐々にミーアの傷を癒していく。
それでもルーチェのことは気にかかる。
あの日を思い出させるべっこう柄の毛並みも目障りだった。
ケイトはそんな私を黙って暖かく見守ってくれていた。
私は過去に囚われて大切な事を忘れていたわ。
またひとつ気づいた事があるの。
炎の中でケイトが死ぬかもしれないと思ったあの日。
私はなんの躊躇もなく咄嗟にケイトの上に重なった。
炎なんてまったく怖くはなかったわ。
私の中の一番はケイト、もうとっくにあなたに代わっていたの。
今度こそ、目が覚めたら一番に伝えよう。
『ケイトあなたが一番大好きよ』




