肉汁の向こう側
あの蕎麦屋の男のことは、もう忘れたつもりだった。
江戸前の蕎麦について、もっともらしい蘊蓄を語りながら、途中から明らかに自分の人生観を蕎麦に投影していた男。
「そば湯は反省会だ」と言った男。
その一言だけは、なぜか頭に残っていた。
悔しいが、午後の会議前に資料を見直すとき、私は一度だけ「そば湯タイム」と心の中で呼んでしまった。
あれはよくない。
変な思想は、意外と業務に侵入する。
その日、私は外出先からの帰りに、武蔵野うどんの店に入った。
駅から少し歩いた場所にある、木目調の小さな店だった。
看板には「肉汁うどん」とある。
つけ麺方式のうどん。太くて、強くて、噛む前から主張してくるような麺。
私は以前から少し気になっていた。
昼を大きく過ぎていたので、店内は空いている。
私は一人席に座り、肉汁うどんの並を頼んだ。
あの蕎麦屋とは違う。
ここには江戸前も粋もない。
ただ、昼食としての実直な炭水化物がある。
そう思っていた。
そのとき、入口の引き戸が開いた。
「肉汁を。麺は硬めで」
聞き覚えのある声だった。
私は水を飲もうとして、手を止めた。
まさか。
視線を上げると、そこにいた。
紺のジャケット。
白いシャツ。
ネクタイなし。
全体に「自分で自分を老舗に寄せている」感じ。
あの男だった。
なんでいるの。
男は、前回と同じように、向かいの席に若い男性を座らせていた。
あのときの若い男性かはわからない。
ただ、顔の疲れ方はよく似ていた。
人は蘊蓄を聞かされ続けると、同じ顔になるのかもしれない。
男は水を一口飲み、静かに言った。
「いいか。武蔵野うどんというものはね、蕎麦とは思想が違う」
始まった。
「蕎麦は通過するものだ。だが、うどんは対峙するものだ」
また食品を哲学にしている。
「特に武蔵野うどんは、麺が強い。硬い。噛ませる。これはね、土地の記憶なんだ」
土地の記憶。
出た。
前回の「梅雨前の日本橋に似ている」と同じ棚から出てきた言葉だ。
「武蔵野台地は、水田に向かない場所も多かった。だから小麦文化が根づいた。うどんは、そこで生まれた生活の知恵だ」
ここまでは、少しまともに聞こえる。
「つまり、武蔵野うどんは、米に対する静かな異議申し立てなんだ」
急に政治性を帯びた。
若い男性は、慎重にうなずいた。
うなずきに安全確認が入っている。
「肉汁も重要だ」
男は、まだ来ていない肉汁を、卓上の空間に見た。
「肉汁とは、単なるつけ汁ではない。都市と農村の交渉の場だ」
重い。
「豚肉、ねぎ、油の香り。そこに太いうどんをつける。すると、麺の農村性と、汁の都市性がぶつかる」
肉汁うどん、そんな揉めてたんだ。
私は自分の肉汁うどんを待ちながら、心の中で肩をすくめた。
前回の蕎麦では、まだ「江戸前」という言葉があった。
だから、多少変なことを言っても、男の中で何かしらの文化的イメージが暴走しているのだろうと思えた。
しかし、今回は武蔵野うどんである。
より地に足がついた食べ物のはずなのに、男の話だけが空中を歩いている。
「蕎麦は粋。うどんは実直。だが、武蔵野うどんは、ただ実直なだけではない」
男は指を一本立てた。
「無骨を装った知性がある」
うどんにそんな自己演出をさせないでほしい。
店員が私の肉汁うどんを運んできた。
太い麺がざるに盛られ、温かい肉汁から湯気が上がっている。
豚肉とねぎの香りが立ち上がる。
これはもう、思想ではなく、明確に昼食だった。
私は麺を一本取った。
重い。
箸で持ち上げただけで、蕎麦とは違う圧がある。
肉汁につけて、口に運ぶ。
うまい。
噛む。
さらに噛む。
まだ噛む。
飲み込むというより、こちらが納得するまで麺が退場しない。
なるほど。
対峙という言葉だけは、少しわかる。
悔しい。
隣では、男の肉汁うどんも到着していた。
男は箸を取る前に、若い男性へ言った。
「まず、麺を見る」
見るだけなら普通。
「次に、麺の角を見る」
角。
「いい武蔵野うどんには、角がある。これは職人の意思だ。だが同時に、関東平野の輪郭でもある」
だいぶ広げた。
男は麺を一本持ち上げた。
「見なさい。この太さ。このねじれ。この抵抗感」
それはただのうどんです。
「人は、柔らかいものばかり食べていると、組織の中でも柔らかくなる」
何の話。
「だから、たまには硬いうどんを噛まなければいけない。意思決定筋が落ちる」
意思決定筋。
若い男性は、たぶん今後の人生で使わない表情をしていた。
男は麺を肉汁につけた。
かなり深く沈めた。
そして、ゆっくり引き上げた。
「つけすぎてはいけない」
つけたあとに言うな。
「肉汁は、支配してはいけない。麺を受け止めるだけでいい」
さっき交渉の場って言ってたのに、急に心理的安全性みたいになった。
「蕎麦つゆは鋭い。肉汁は厚い。つまり、蕎麦は判断で、武蔵野うどんは合意形成だ」
会議に持ち込めそうな比喩を生産しないでほしい。
男はうどんを食べた。
噛んでいる。
かなり噛んでいる。
話が止まった。
やった。
うどんが勝った。
私は心の中で、武蔵野うどんに拍手した。
太さ。硬さ。咀嚼負荷。
それらすべてが、男の蘊蓄を一時的に封じ込めている。
だが、男は飲み込んだ瞬間に復活した。
「うん。これは、武蔵野だ」
でしょうね。
「蕎麦が江戸の速度なら、武蔵野うどんは郊外の持久力だ」
少しうまいことを言うな。
「急がない。媚びない。だが、確実に腹に残る」
それは本当にそう。
「この腹持ちのよさこそ、地域文化の基盤なんだ」
腹持ちから文化基盤に行くな。
若い男性が、思い切ったように言った。
「お詳しいですね。ご出身は、やっぱり神田とか、日本橋とかなんですか」
私は、ほぼ同時に心の中でうなずいた。
そう。
そこは聞きたい。
前回、あれだけ江戸前の蕎麦について語っていた。
粋だの、江戸だの、通過だの、反省会だの。
当然、神田、日本橋、浅草、深川あたりの出身なのだろう。
少なくとも、本人の中ではそういう背景を背負っているはずだ。
男は、何でもないことのように言った。
「いや、生まれも育ちも大宮だよ」
大宮。
私は、箸で持ち上げていたうどんを落としそうになった。
大宮。
いや神田とか、江戸の下町出身じゃないんかい。
あれだけ江戸を語っておいて。
そば湯に反省会を開催しておいて。
「江戸前の蕎麦は通過するものだ」とか言っておいて。
大宮。
いや、大宮が悪いわけではない。
大宮は便利だ。新幹線も止まる。鉄道の要衝だ。住みやすそうでもある。
でも、あの語り口で大宮。
あなたの江戸、乗り換えで通過しただけでは。
若い男性も、一瞬だけ止まった。
しかし、彼は社会人として優秀だった。
「そうなんですね」
それ以上、踏み込まなかった。
偉い。
私なら無理だ。
心の中ではすでに、武蔵野うどんの麺くらい太いツッコミが何本も立ち上がっている。
男は平然と続けた。
「大宮というのはね、実は非常に重要なんだ」
出た。
今から回収する気だ。
「大宮は、江戸ではない。だが、江戸に近すぎず、遠すぎない。つまり、江戸を相対化できる場所なんだ」
便利な立地解釈。
「内部にいる者は、文化を見誤る。外縁にいる者だけが、本質を見抜くことがある」
後付けが始まった。
「私は大宮で育ったからこそ、江戸前の蕎麦を客観視できる」
いや、前回めちゃくちゃ主観で語ってましたけど。
「そして、武蔵野うどんもまた、大宮から見ることで、その位置づけがわかる」
大宮を観測点にするな。
男は肉汁を少しすすった。
「大宮はね、結節点なんだ」
それはそう。
「結節点に生まれた者は、文化と文化の接続を見る。蕎麦とうどん。江戸と武蔵野。都心と郊外。新幹線と在来線」
最後だけ急に駅。
「だから私は、麺類を線で考える」
鉄道に引っ張られている。
「蕎麦は山手線だ。速く、内側を回る」
そんな蕎麦ある?
「武蔵野うどんは、むしろ川越線だ」
そこは埼京線じゃないんだ。
若い男性が、ついに少しだけ笑った。
私も危なかった。
肉汁を飲んでいたら、たぶんむせていた。
男は真顔だった。
「川越線はね、急がない。しかし、土地を知っている」
もう鉄道評論になっている。
「武蔵野うどんも同じだ。早食いしてはいけない。噛む。待つ。受け入れる。そうして初めて、地域が身体に入る」
地域が身体に入る。
私は再びうどんを噛んだ。
確かに、腹には入っている。
ただし地域かどうかは不明だ。
男は、若い男性の食べ方を見て言った。
「君、少し麺を汁につける時間が短い」
「そうですか」
「それだと、麺が孤立する」
麺の孤立。
「組織でも同じだ。強い個人を活かすには、受け止める汁が必要なんだ」
また組織論に戻った。
「ただし、汁が濃すぎると個人が沈む。薄すぎると個人が乾く」
これは、ちょっと使える。
使えるな、と思ってしまった自分が嫌だった。
男は続けた。
「だから、肉汁うどんはマネジメントなんだ」
やめて。
午後の打ち合わせで言いそうになる。
「蕎麦はプロジェクトマネジメント。短期集中、迅速な判断、余韻の検証。うどんはラインマネジメント。継続的な関係性、咀嚼を伴う育成、腹持ちのよい合意形成」
腹持ちのよい合意形成って何。
でも、語感だけは少し強い。
店員がそば湯ならぬ、割り湯のようなものを持ってきた。
肉汁を薄めて飲むためのものらしい。
男の目が光った。
嫌な予感がした。
「これはね、蕎麦湯とは違う」
知ってる。
「蕎麦湯が反省会なら、肉汁の割り湯は定例会だ」
また会議体を増やした。
「毎週やる。淡々とやる。劇的な結論は出ない。しかし、関係性が維持される」
割り湯にそこまで背負わせないで。
男は肉汁に湯を注いだ。
豚肉の脂が少し広がる。
たしかに、温かくて落ち着く味にはなる。
「うん」
男は目を閉じた。
「これは、大宮だ」
ついに大宮になった。
江戸でも武蔵野でもなく、大宮。
この人の中では、すべての麺類が最終的に大宮へ回帰するらしい。
私は会計伝票を手に取った。
もう十分だった。
うどんはおいしかった。
ただ、情報量が多すぎる。
席を立とうとしたとき、男の声が聞こえた。
「結局、江戸前も武蔵野も、外から見なければわからないんだよ」
外というか、大宮。
「中心にいる者は、中心を説明できない」
それは一理ある。
「周縁にいる者だけが、中心と周縁の両方を見られる」
それも、まあ、社会学的にはわからなくもない。
「つまり、大宮こそ、麺文化のメタ視点なんだ」
急に全部台無しにした。
私は店を出た。
外の空気は、蕎麦屋のときよりも少し乾いていた。
胃には、武蔵野うどんの確かな重みがある。
そして頭には、あの男の言葉が残っていた。
「麺文化のメタ視点」
残らなくていいのに。
会社に戻る途中、私はスマートフォンのメモを開いた。
午後の打ち合わせの論点整理に、こう書きかけた。
「強い個人を活かすには、受け止める汁が必要」
私はすぐに削除した。
危ない。
前回より感染が進んでいる。




