第2話
大きく目を見開いたアリゼアに対し、彼女は手を離す。そして、笑みを浮かべた。
「ここから先は、聞くのに覚悟が必要でしょう。心を落ち着けるためにも、まずはお茶を用意しますね」
確かに喉はカラカラで、飲み物を求めている。
それに、彼女も話をまとめる時間が必要だろう。
彼女の気遣いをありがたく受けることにして、アリゼアは静かにうなずいた。
しばらくして戻ってきた彼女は二人分のカップを持っていた。
それらを寝台の横にある小テーブルに置いて、側の丸椅子を引き寄せる。
「あまり質の良い茶葉ではありませんが……」
差し出されたカップを受け取って、口に運ぶ。
口の中に広がるのは苦みだ。けど、喉が渇いている今はどんなものでもありがたい。
アリゼアが一気に飲み干すと、彼女は笑った。
「――オーレリー」
目の前の彼女の名前を口にすると、女性――オーレリーが目を瞬かせた。優しそうな形の瞳が驚愕に染まり、アリゼアをじっと見る。
「どうなさいました?」
「……ううん、呼んでみたくなっただけ」
首を横に振る。本当に大した意味などない。
ただ、変わっていないものもあるのだと知りたかっただけだ。
「さようで、ございますか」
室内を沈黙が支配する。
二人とも少しの間うつむいて、どちらともなく顔をあげた。まるでシンクロしたように同じタイミングだったこともあり、つい噴き出してしまう。
「――全部、教えて」
静かな空間にアリゼアの言葉が響いた。
オーレリーは一度だけ目を伏せて、もう一度アリゼアを見つめる。彼女の瞳には、強い決意が宿っている。
「奥さまが刺されてから、旦那さまは日夜犯人探しに奔走していらっしゃいました。それこそ眠る時間さえも削って……」
記憶の中の夫セオデュールはとても真面目な人だった。
だからきっと、責任を感じたのだ。悪いのはセオデュールではなく、襲ってきた犯人であり、アリゼアの行動もただの自己満足だったというのに。
「旦那さまは日に日にやつれていかれました。使用人総出でなんとか休ませようとしたのですが、聞く耳も持っていただけず」
当時のことを思い出したのか、オーレリーの眉間にしわが寄った。
彼女たちも彼女たちで、苦しんでいたのだろう。女主人は意識不明となり、当主はやつれていく。これでは、使用人たちの気も休まらないというものだ。
「それからしばらくして、第一王子のレオン殿下が亡くなりました」
「――え?」
黙っていることができなかった。
アリゼアはセオデュールから第一王子の話はよく聞いていた。セオデュールは元々第一王子の側近であり、幼いころの話し相手。しかし、生まれつき病弱で公務さえままならない彼は、成人を機に王位継承権を放棄。現在は離宮にて静かに暮らしていると聞いている。側近を辞めてもなお、セオデュールはレオンを良き友人とし、交流は続いていた。
「表向きには病で――と発表されましたが、実際は毒殺です」
「そんな……」
そのときのセオデュールの心情は、想像を絶するほど悲惨なものだっただろう。
妻であるアリゼアは自身を庇い意識不明。友人は毒殺なんて、これ以上の絶望はなかったはずだ。
アリゼアの胸が激しく痛むのは、きっと彼の気持ちを想像したから。
「以来、旦那さまは本当に倒れそうになるくらい、捜査を続けていました。そして、なにかに気づいたらしく――」
オーレリーが一度言葉を区切る。ここからが、たぶん。先ほど聞いた殺人のことになるのだ。
「今から一年ほど前、侯爵邸にある知らせが入ってきました。旦那さまが――王城で人を殺したと」
両手で顔を覆ったオーレリーは、嗚咽を漏らしていた。
アリゼアは恐る恐る手を伸ばして、オーレリーの背中に触れる。優しくなでると、彼女はぐすんと鼻をすすった。
「レオン殿下の件で、王城は荒れていました。警護も手薄なところがあり、旦那さまはそれに気づいていたそうです」
「……えぇ」
「それとも、ご自分の立場を利用されたのでしょうか。まさか――第二王子殿下と、王妃殿下を殺してしまわれるなんて」
言葉は一つも出なかった。信じられない。いや、信じたくない。
王族殺しは、重罪だ。貴族として生まれ育った彼がそれを知らないわけがない。
もしくは、重罪人となってもいいほど、彼らを恨んでいたのか。
「信じられませんでした。でも、あまりにも証拠が多すぎて、目撃者もいて。旦那さま自身も罪を認めているとなると、私たちではどうすることもできなくて……」
「……うん」
「侯爵家は取り潰しになり、旦那さまは捕まりました。それが、奥さまが眠っている間に起きた出来事でございます」
正直、すべてを理解したとは言い難い。
アリゼアの知るセオデュールと、彼女の話すセオデュールの姿があまりにもかけ離れていたからだ。
(セオデュールさまは、こんな私に手を差し伸べてくれた。それくらい、お優しい人だった)
アリゼアが虐げられている光景をたまたま見ただけなのに、アリゼアを助けようとしてくれた。
『――大丈夫。キミは幸せになれる』
はっきり告げられた言葉は今も覚えている。
ずっと孤独で苦しかったアリゼアにとって、彼のさりげない言葉がどれだけ救いになったか。セオデュールには想像できないだろう。
彼に恩があるからこそ、アリゼアは彼の役に立とうとした。あのとき庇ったのも――そのうちの一つだ。
「セオデュールさまに、お会いしたい」
自然とあふれた言葉は、本心だった。
アリゼアはオーレリーの肩をつかんで、目を合わせる。
「セオデュールさまに、お会いしたいわ。まだ、会える?」
もしかしたら、すでに処刑されてこの世にはいないかもしれない。
でも、信じたい。まだ生きていると思いたい。一目でいいから――彼に会いたい。
「……会えるかどうかは、わかりません。明日、処刑されると聞いておりますから……」
なら、間一髪間に合うかもしれない。
アリゼアは重い身体を引きずって、寝台から下りる。
「奥さま!」
「お会いできるかもしれないのなら、行くしかないじゃない! こんなところで、じっとしていられないわ……!」
伯爵家にいたころのアリゼアなら、なにもしなかった。でも、今の自分はあのころとは違う。
(行動力も、自分の意見を口にすることも。全部全部、セオデュールさまが教えてくださった)
実家では意見一つ言えなかったのに、ここにきて彼と暮らすうちに自分の気持ちを言葉にできるようになった。
今のアリゼアが存在するのは、セオデュールのおかげなのだ。
「か、かしこまりました! とにかく、お着替えをしましょう――!」
アリゼアの気持ちを汲んでくれたのか、オーレリーも動き出す。
彼女に余計な世話をかけるのははばかられるが、今は甘えるしかない。
(絶対に、会うんだから――)
アリゼアは自分の身体と心を奮い立たせた。




