第1話
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どうしてあんな無茶をしたのか。
思い出そうとするけど、記憶にない。ただ、『守らなくては』という直感に従ったことだけは覚えている。
無我夢中で走って、突き飛ばす。突き飛ばされた彼は驚いた表情さえも、美しかった。
一瞬の現実逃避のち、腹部に焼けるような激痛が走る。立っていることもままならなくなり、その場に倒れこんだ。
「――アリゼア!」
悲痛な叫び声が耳に届いた。
大丈夫だと伝えなくては。その一心で、笑みを作ろうとした。しかし、うまくいかない。
周囲が騒がしい。先ほどまで穏やかな時間が流れていたはずの庭園は、たった数秒のうちに事件現場となってしまった。
「どうして、こんな無茶をした!」
問われても、答えられない。
言葉が出ないと言うより、本当に理由がわからないのだ。
(守らなくては――という本能に、従っただけ)
たぶん、それ以上の理由などない。
腹部を押さえる。どろどろとした血がとめどなく流れていて、かなりの大怪我だということは容易に想像がついた。
(これは助からないと思ったほうがいいのかも、しれない)
もしも助かったら。それはこの上ない奇跡で、自分は神さまに心から感謝するだろう。
(けど、この人を守れてよかった。恩人を守って死ぬのなら――本望よ)
瞼を落とす。眠気に抗う気力はなかった。
次に目を開けると、一番に見えたのは見知らぬ木目の天井だった。
(あれ、わたし……)
異様に重たい身体を起こそうと試みるも、無理だった。頭も重たくて、まるで何日も眠ったあとのようだ。
眠る前の記憶を引っ張りだそうとしたとき、部屋の扉が開いた。そちらに視線を向けると、簡素な木の扉の先にはワンピース姿の女性が立っている。記憶にあるよりも少し年齢を重ねている彼女の顔には、濃い疲労の色が見える。
「おく、さま?」
彼女が手に持っていた桶が落ちた。音を立てて床に転がり、壁にぶつかって止まる。
どこか他人事のようにその光景を見ていると、女性は一目散に駆けてくる。
「奥さま! あぁ、本当にようございました……!」
涙を流しながら喜ぶ彼女の姿を見て、眠る前の自身の記憶がよみがえってくる。
腹部からあふれる血。驚愕に染まった彼の顔。周囲の喧騒。すべて思い出した。
(そうだ。私――刺されたんだ)
自身は夫を庇って刺された。すとんと胸に落ちてきた記憶に不快感はなかった。
「ご自身のこと、わかりますか?」
両手で自身の手を包みながら、女性が問いかけてくる。わずかな間をおいてうなずいた。
「私は、アリゼア・オリヴィエ。オリヴィエ侯爵家の当主セオデュールさまの妻、です」
オリヴィエ侯爵家はこのダルシアク王国の中でも名門と名高い高位貴族だ。当主セオデュールは二十六歳という若さだが、周囲の貴族たちが一目置くほど有能な男。さらに輝くような金髪とエメラルド色の瞳。顔立ちはとても整っており、性格も穏やか。だれにでも丁寧に接すると人気の貴公子。
そんなセオデュールと自身――アリゼアが結婚したのは、彼からのある提案がきっかけだった。
「そうです。……しかし、訂正せねばならないところもあります」
彼女の両手は震えていた。うつむいてしまい、伝えるのをためらっているようだ。
「オリヴィエ侯爵家はもう存在しません」
震える声で紡がれたことは信じたくなかった。
「順を追って、説明させていただきます。まず、奥さまが刺されたのは、今から二年前になります」
「二年、前?」
「はい。奥さまは二年間、眠り続けていたのです」
にわかに信じられない話だ。だが、そう考えれば納得のいく部分もある。
目の前の彼女が記憶よりも年齢を重ねて見えるのも、年月が経っているからと考えるとつじつじつまが合う。
「この二年の間に、いろいろなことがありました。本当に、いろいろと――」
遠い目をする彼女を見ていると、これよりも先は聞きたくないと思ってしまう。
でも、聞かないという選択肢はない。どう隠されようと、いずれは知る必要があるのだから。
「それは、私がここにいることにも関係している――のよね」
目覚めたときからずっとこの部屋に見覚えがなかった。こんな部屋は侯爵邸にも、実家の伯爵邸にもない。
「はい。ここは私の父が所有している邸です」
「……確か、商家の当主だったかしら?」
一代で巨大な富を築いたやり手の商人。それが彼女の父親だったはず。
そもそも、彼女が侯爵邸で働いているのも、娘に箔をつけたい彼女の父親が行儀見習いとしたからだ。
いずれはどこかの貴族の妻に――と、彼女の父は考えていたらしい。
「そうです――と言っても、過去形です。今の当主は私の兄で、父は仕入れ業務に専念しております」
生きているのならよかった――と心からほっとする。
「ここに住んでいるのは私と母、そして奥さまの三人です」
眠り続けていたので、自分を住人とカウントしていいのかはわからない。けど、口を挟むこともできずに黙っていた。
「侯爵家が取り潰しになり、使用人たちはバラバラになりました。私も父に言われて、家に戻ろうとしたのですが――」
一度言葉を区切って、彼女はほんの少し思案の表情を見せた。
「ただ、どうしても奥さまを置いていくことはできなくて。ご実家のことも聞いていたので、頼れないとわかっていましたし……」
アリゼアの父は子供に無関心な男だった。彼はアリゼアの母が亡くなったあと、すぐに後妻を迎え入れた。そして異母妹が生まれた。
継母にとってアリゼアは先妻の娘で、邪魔者。暴力を振るわれることこそなかったが、露骨に邪魔者のように扱われた。
そんなアリゼアが実家に頼ろうとしても、彼女は受け入れなかっただろう。適当に捨てておけと言われるのがオチだ。
「母に相談すると、母は自分たちでお世話をしようと言ってくれました。目が覚める保証はなかったけど、どうしても……」
肩を震わせる彼女は泣いていた。
そっと手を伸ばして、彼女の肩を撫でる。本当は背中を撫でたかったが、手が届かなかった。
「――ありがとう」
たった一言告げると、彼女はこくんと首を縦に振った。
彼女にはアリゼアの面倒を見る義務などない。見捨てたところで、責める者はいなかったはずだ。
なのに、彼女は眠り続けるアリゼアの面倒を見てくれた。身体を清潔に保ち、世話をしてくれた。
「うっ……です、けどっ! 私、肝心なところで役に立たなかった……」
それはきっと、侯爵家の取り潰しにかかわるのだろう。直感が告げていた。
「侯爵家が取り潰しになった理由は――どういうものなの?」
できるだけ優しい声で問いかけると、彼女の肩が大きく震えた。顔をあげて、アリゼアの顔を見る。唇は震えていた。
「後悔、なさいませんか?」
「……えぇ」
どうせ今聞かなくても、いずれ耳に入ってしまう。だって、アリゼアは侯爵家の人間なのだから。
「私はオリヴィエ侯爵家の人間だもの。私が聞かないという選択肢は、ないわ」
はっきり言葉にすると、彼女は少しの間視線を泳がせて――アリゼアを見つめる。
「それは、旦那さま――セオデュールさまが、殺人を、犯してしまわれたからです」
耳を疑った。だって、アリゼアの知るセオデュールはだれよりも優しくて――犯罪を嫌う人間だったから。




