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いらっしゃいませ、久遠様  作者: 篠原皐月


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9/21

(9)崇拝者

「こんにちは」

 ドアを開けながら郁が店内を覗き込むと、すかさず久美が声をかけてきた。


「あ、新見さん。いらっしゃいませ。そちらのテーブル席をどうぞ」

「いえ、カウンターで大丈夫です」

「分かりました。今、お水とおしぼりをご用意しますね。お待ちください」

 テキパキと応じる久美に会釈してから、郁はカウンター席の一つに収まった。そしてカウンター越しに三好に話しかける。


「開店して二週間が過ぎましたが、それなりにお客が入っているようですね」

「おかげさまで。最初は心配していましたが、徐々にお客様が増えてきました。ありがたいことです」

 そこで久美が水とおしぼりを持ってきたため、郁は礼を言って受け取った。そして久美が再び離れたタイミングで、三好に小声で尋ねる。


「ところで、筑紫さんの働きぶりはどうですか? ずっと看護師として働いていて、定年後も非常勤として再雇用されて六十五歳まで勤務して、これまで接客経験は皆無との話でしたが」

 それに三好は、真顔で首を振った。


「目配り気配りが凄くて、足りなくなってきた備品はすぐに補充されていますし、発注のほうも気を配ってくれています。接客も丁寧で、全く問題ありません」

「そうでしたか……。良く良く考えてみれば、看護師さんは体調が悪い人や何らかの持病を抱えている人を相手にするわけですから、長年そういう仕事に携わっていれば配慮に長けているのは当然かもしれませんね」

「注射は勿論、細かい作業も必要そうですし、機器の操作もしますよね」

「ある意味、究極の接客業でサービス業と言えるのかも……」

「こちらから言わなくても、空き時間に隅々まで掃除してくれていますし、むしろ私の方が不要なんじゃないかと……」

「何を言ってるんですか! ここは三好さんのお店なんですからね?」

 何やら急に三好が顔つきを暗くしたため、郁は焦って言い聞かせた。すると三好は、少々言いにくそうに話題を変える。


「それで……、筑紫さんにはすごく助かっているのですが、問題と言えば問題が一つありまして……」

「どんな事ですか?」

 郁は思わず心配になって問い返したが、ここで久美が近寄ってきたため口を閉ざした。すると久美が笑顔で尋ねてくる。


「新見さん。まだ少し時間がありますか?」

「はい。それは大丈夫ですが、何か?」

 ここで久美は、一人だけ残っていたお客を横目で見ながら、小声で囁いてくる。


「お客さんが誰もいなくなったら、プリンがあるのでお裾分けしますね?」

 その申し出に、郁は首を傾げた。


「プリンですか? ここのメニューには無いと思いますが」

「久遠様のお供え用として、六個買ってきて奥の冷蔵庫に入れてあるんです。よろしかったらどうぞ」

「あの……、そんなものを頂いてしまって良いんでしょうか?」

「はい。久遠様が一つ取っていかれた後ですので、どうぞご遠慮なく」

 ニコニコと人の良い笑みを浮かべる久美に、色々と突っ込みたいことは多々あれど、郁は取りあえずその好意を受けることにした。


「はぁ……、それでは遠慮なくお相伴に与ります」

「それでは後で。……あ、お会計ですね。こちらへどうぞ」

 残っていた客が立ち上がったのを見て、久美はすかさずレジへと向かった。その姿を眺めながら、三好が溜め息を吐く。


「こういうわけです……」

「まさかとは思いますが、筑紫さんは勤務ごとに久遠様用のお供え物を持参しているんですか?」

「そうです。ここでのお給料を、全てそれに注ぎ込みかねない勢いで。お給料どころか、退職金にまで手を付ける事態になったらどうしようかと……」

 そこまで話を聞いた郁は、真剣な面持ちになって確認を入れた。


「それで? 本当に毎回一個無くなっているんですか?」

「はい、いつの間にか一つだけ紛失している状態です」

「一つ無くなっているのに、姿は見せないんですか?」

「いえ、この間二回ほどは姿を見せて、久美さんが嬉しそうに撫でていたかと」

「それでも少ないでしょう! お供えをちゃんと貰ったのなら、その度ごとに撫でさせてあげるべきよね!」

 思わず郁が声を荒らげたところで、ふいに新たな声が割り込んだ。


「相変わらずうるさい女だな。我にも気分というものがあるのだ」

「また湧いて出た……」

「他のお客様が、ちょうどいなくなりましたからね」

 郁はうんざりとした表情になったが、それとは対照的に久美がはち切れんばかりの笑顔でレジから駆け寄ってくる。


「いらっしゃいませ、久遠様! プリンはお気に召していただけたでしょうか?」

「うむ、なかなかの物だった。しかしだな、久美。毎回ここに持参する必要はないぞ? こう頻繁では、懐が寒くなるであろう」

 真面目くさって久遠が口にしたため、郁が思わず口を挟む。


「それなら最初からそう言うか、一つ掠め取らずにそのままにしておきなさいよ! それにしても『久美』だなんて、随分馴れ馴れしいわね」

「筑紫さんが、『最近名前で呼ばれることも少なくなったので、是非名前で呼んでください!』と久遠様にお願いしたんですよ」

 三好がコソコソと、郁に説明する。その目の前で、久美が久遠に向かって力強く宣言した。


「いえいえ、久遠様のためなら、ここのお給料を全部はたいても惜しくはありませんわ!」

「その気持ちだけ、ありがたく受け取っておく。そうだな……、我に供えるのは週に1回で良いぞ?」

「週に1回……」

 その申し出に、久美は如何にも気落ちしたような表情になる。そんな彼女に向かって、久遠は話を続けた。


「その代わり、週に1回はそなたに姿を見せて、撫でさせてやるからな」

「分かりました! それでは週に1回、厳選してお供えいたしますね!」

「うむ、分かればよろしい」

 途端に元気になって嬉しそうな笑顔になった久美を見て、久遠も満足そうに頷いた。そんな二人を見ながら、三好と郁が囁き会う。


「さすがに久遠様も、頻繁にお供えされて気が引けていたんでしょうか?」

「図々しいのか気が弱いのか、良く分からないわね」

「あ、そうだ! 他にお客様がいなくなりましたし、新見さんとマスターにプリンをお出ししますね。冷蔵庫から取ってきますので、ちょっと待っていてください」

 そこで久美は二人にプリンを振る舞うため、奥の冷蔵庫に向かう。彼女の姿が扉の向こうに消えた直後、ドアベルが鳴って初老の男性が入店してきた。







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