(6)信心とは
「三好とやら、その誠意と心意気を受け取った。この礼に、ここを綺麗に掃除してやろう。ちょっとだけ待っておれ」
「ありがとうございます!」
三好が満面の笑みで深々と頭を下げると、その頭を上げる前に久遠の声が店内に響いた。
「よし、終わったぞ」
「え?」
「何も変わらないみたいだけど。こう、シャラララ――と、ありがたそうに光ったりしないわけ?」
「お前は本当に俗世間にまみれておるな。目に見えるものが、世の中の全てではないと心得よ」
あまりのあっけなさに三好は当惑しただけだったが、店内を眺めながら郁が不満を漏らす。しかしそれを、久遠はあっさりとあしらった。ここで三好が、改めて頭を下げる。
「久遠様、ありがとうございました。これからここで頑張っていきます」
「うむ。それでは励めよ? 気が向いたら、また寄らせて貰おう」
「お待ちしております。あの久遠様、最後に一つだけお伺いしても良いでしょうか?」
「何だ?」
「久遠様は、私と新見さんには信心があるから久遠様の姿が見えるとおっしゃいました。ですが自分では、それほど信心があるとも思えないのですが。それがこの前から不思議に思っていまして」
「確かに私も、そこは気になっていたわね。無神論者ではないけど、自分が特に信心深いとは思えないし」
三好と郁が揃えて首を傾げているのを見て、久遠は冷静に問い返した。
「そうか? お前達、例えば家に神棚とかはないか?」
「神棚ですか……。田舎の古い家なので、実家にはありますが。今住んでいる部屋にはないですね。実家にいるときは拝んでいましたが。あとは初詣に行く位でしょうか?」
「私は実家にもありませんね。確かに初詣には行くし、あと神社のお祭りには子供の頃から行ってましたけど」
「その他にも、日々の暮らしで感謝の祈りを捧げておるだろう?」
「感謝の祈りと言われても……。もしかして、『いただきます』とか『ごちそうさま』とかも入りますか?」
「もちろん含まれるな。万物に神が宿ることは、お前達も存じておるだろう?」
「そういうことであれば、まぁ色々あるかもしれませんが……」
「確かに、そういう話は聞いているけど……。えぇ? そんなにゆるくて曖昧なことでいいの? それだったら、誰にでも信心があると言わない?」
ますます疑念が深まったような顔つきになった二人に、久遠が笑いながら告げる。
「昨今では、あらゆる物事に対して感謝の気持ちを持つ者が、意外に少ないのだ。お前達は良き方のヒトということだな」
そこで郁が疑わしそうに確認を入れた。
「それ……、一応褒めてくれているんでしょうね?」
「褒め言葉以外に聞こえたか? 人の世で話し言葉は、目まぐるしく変わるものだな」
「褒めているのならそれで良いのよ……」
「それではな」
「はい! ありがとうございました! 気が向いたら、またお立ち寄りください!」
三好が笑顔で勢いよく頭を下げた瞬間、久遠の姿がかき消すように消えた。それを認めた郁が、深い溜め息を吐く。
「取りあえず満足したみたいね。……今度、この店で何か起こったら、あの祠に塩をぶちまけて真っ白にしてやるわ」
「新見さん、落ち着いてください。久遠様は悪霊ではありませんから。寧ろ、悪いものを消してくれましたし」
「私達には見えていませんから、何とも言えませんけどね。それで三好さん、契約はどうしましょうか?」
「勿論、ここをお借りします。契約させてください」
「分かりました。それではこれから支店に行きましょう」
そこで事務的に話を進めた二人は、空の紙袋を手に提げて興仁不動産みゆき通り支店へと向かった。
※※※
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
諸々の説明を済ませ、三好から所定の位置に署名捺印をしてもらった郁は、最終確認をして深々と頭を下げた。頭を下げ合った三好が店舗から出て行くと、この間黙って様子を見ていた水戸が声をかけてくる。
「無事に契約が成立して何よりだ。今度は長く借りてくれると良いな」
郁が配属になる前から、あの店舗は何かと問題が起きて短期間で借り手が変わるのを知っていた彼は、しみじみとした口調で告げた。しかし郁は、あまり心配していない口調で応じる。
「大丈夫じゃないでしょうか? ……あいつが大ぼら吹きとか、はったりだけの無能でなければ」
後半の悪態は囁き声程度の声量だったため、水戸は不思議そうに尋ねた。
「新見。今、何か言ったか?」
「独り言です。どうも今回はすっきりしなくて」
「何がだ? 三好さんとはきちんと全条件を確認したし、特に問題は無いよな?」
「誤解の無いように言っておきますが、三好さんにも契約にも全く問題はありません。強いて言えば……、試合に勝って勝負に負けた。そんな気分です」
「なんだそれは……」
「取りあえず、今日から少し食事制限です。ちょうど晩ご飯のおかずも無くなりましたし」
「だからお前は、さっきから何を言っているんだ?」
水戸の困惑が深まったが、郁はそんな先輩を放置したまま他の仕事に取りかかった。




