(17)予想外の展開
「こんにちは、マスター。また来たよ」
午後の少し遅めの時間帯。郁が外回りの帰りに店に寄ってカウンターで珈琲を飲んでいると、鳥羽が来店した。入ってきた彼を、三好は笑顔で出迎える。
「いらっしゃいませ。今日は何にしましょうか?」
「カフェオレにしてくれるかな」
「かしこまりました」
「鳥羽さん、何か良いことがあったんですか? なんだか嬉しそうですけど」
窓際のテーブル席に座った鳥羽に水とおしぼりを出しながら、久美が不思議そうに声をかけた。すると鳥羽は、笑みを深めながら口を開く。
「大したことじゃないんだが、あの子、覚えているかな? 俺がジュース代を立て替えた子」
「勿論ですよ。先週の話ですし」
「休みの日に親があの子を連れて、店に礼を言いに来てくれてね。手土産も持って来たんだが、それは丁重にお断りして立て替えた金額だけ貰ったんだ。『すぐにお詫びとお礼に出向かなければいけないところ、開店中に出向けずに大変失礼いたしました』と深々と頭を下げられて、却って恐縮したよ」
それを聞いた久美は、感心したように述べた。
「そうだったんですね。でも、きちんとした親御さんですね。あの子が年の割に言動がしっかりしていたのも頷けます」
「全くだな。それに、それだけじゃなくてさ。その時にあの子が言ったんだよ。『店の表側に何も警告する物がないので、万引きを叱るポスターとか貼りませんか?』って」
そこまで話を聞いた三人は、暁書店の店構えを脳裏に思い浮かべながら、当惑気味の声を漏らす。
「あら? その手の物はありませんでしたか?」
「あそこの表側……、商店街に面したガラス面と言うことですよね?」
「その前にラックが置いてあって……、時々雑誌のポスターとかが貼ってあるとは思いましたが……」
「そうなんですよ。監視カメラは上部に設置してありますが、そういう警告文みたいな物は確かに一枚も貼ってなかったなと思い至りまして」
鳥羽の話を聞いた三好は、そこで控え目に異論を唱える。
「ですが……、万引き行為を咎めるような警告文を貼ったとしても、それで躊躇するような人はそもそも盗んだりしないと思いますが……」
それに深く頷きながらも、鳥羽は笑顔で話を続けた。
「ああ。俺もそう思うんだが、あの時、俺の話を黙って聞いていたあの子が自分なりに一生懸命考えてくれたと思ったら、それだけで嬉しくてな。『そう言えばそうだな。気が付かなかった。やってみるよ』と言ったんだ。そうしたら凄く嬉しそうに笑って帰って行ったよ」
本当に嬉しそうな笑顔で語った鳥羽を見て、三人も穏やかな気持ちになった。
「本当に良い子ですね」
「今回鳥羽さんは、良いことをしましたね」
「きっと神様の御加護がありますよ?」
「うん。まあ、もうちょっと頑張ってみるかって気にはなったかな?」
「それは何よりですね」
そこで店内の空気がほっこりと和んだが、ここで鳥羽が久美に視線を向けながら話題を変えた。
「それで、思い出したんだよ。俺の店がまだだってことに。だから筑紫さんに、今夜にでも電話で頼もうかと思ってるんだが」
「はい? 私が何か?」
言われた意味が分からなかった久美は、困惑しながら尋ね返した。すると鳥羽が、笑って手を振りながら話を続ける。
「いやいや、奥さんじゃなくて、旦那さんの努さんの方。この際うちの店用に、幸吉くんと彩華ちゃんのイラストを描いて貰おうと思って。『お値段以上の読みごたえ。レジ直行一択だよ』とか『あなたを見てるよ? 持って行ったら泣いちゃうぞ?』とかのキャッチコピーをつければ、万引き抑止にも一役買ってくれるかと」
「ちょっと待ってください! なんですか、それはっ!」
全く意味不明な話を聞かされた久美は、顔色を変えて鳥羽の話を遮った。対する鳥羽は、話が通じていない状況に当惑しながら説明を加える。
「何ですかって……、今まで色々な店に合わせた二人のイラストを、筑紫さんに描いて貰っていましたから。他店の分は散々頼んでいたのに、うちの分はすっかり忘れていたなぁと……」
「その『二人のイラスト』って、まさか幸彩神社の狛犬をモチーフにした、みゆき通り商店街のイメージキャラクターの幸吉くんと彩華ちゃんの事ですか!?」
「そうですけど……」
驚愕の面持ちで声を上ずらせた久美の剣幕にたじろぎながら、鳥羽は静かに頷く。
「クリーニング屋さんで泡に塗れながら『アライグマより上手で綺麗』とか、中華料理屋さんでお皿とお玉を手にしながら『机と椅子以外の四つ足OK』とか、かまぼこ屋さんのおでんだねが刺さった串を手に『専門店の味をご自宅で』とか、お寿司やさんでねじり鉢巻きで寿司桶を差し出しながら『へい、らっしゃい!』とか言ってるあれですか!?」
「そうですね……。他にも、色々と描いて貰っていますが」
「それら全部! あの! 堅物の! 夫が描いているんですか!?」
「ええと……、本当にご存じなかったんですか? それぞれの店主とも勿論顔馴染みで、商店街とかで顔を合わせる度に挨拶していましたが……」
ここで鳥羽が、少々疑わしそうに問いを発した。しかし久美が猛然と反論してくる。
「普段、滅多に一緒に買い物しませんし! 一緒の時に顔を合わせる方もいましたけど、夫の銀行から融資を受けているのかと思っていて! 幾ら夫の勤め先から融資を受けているとは言っても、プライベートの時にそこまで畏まることはないのにと思っていたのですが!」
「そうでしたか……」
「もしかして! 商店街で買い物する時、『いつもお世話になっているからサービスしますね』って言ってくれておまけしてくれたり、値引きしてくれる事があったのは、私をお得意様と認識しているわけではなくて、夫がその店のイラストを描いていたからですか!」
「おそらくそうではないかと……。奥さんは町内会の婦人会に昔から参加してくれていたから、名前と住所から筑紫さんの奥さんなのは商店街の皆が知っていた筈ですし」
「それなのに、どうして妻の私が知らないんですか!?」
「あの……、それはできれば私も知りたいです……」
「…………」
なんとも言いがたい表情になってしまった鳥羽を見て、久美は思わず無言になった。そこでここまで二人の話の推移を見守っていた郁が、軽く右手を挙げながら声をかけた。




