アランはかく語りき
その日、ジェイクはトレビーの店で飲んでいた。まだ昼間であり、他に客はいない。
グラスを口に運ぶジェイクの顔つきは、完全に変わっていた。以前の飲んだくれのものではなく、闘士の表情へと変貌していた。
不意に扉が開く。入ってきたのはアランだ。ジェイクは笑みを浮かべた。
「アラン、久しぶりだな」
「ああ。そうだな」
「お前、最近は遊びに来ないじゃねえか。どうしたんだよ?」
「さすがの俺も、今回のは堪えたよ。まさか、団長が死ぬなんてな……」
言ったかと思うと、アランは深々と頭を下げる。
「守れなくて、本当にすまなかった」
「お前を責めても仕方ないだろ。それより、聖炎騎士団はどうなるんだ?」
「さあな。今は、活動停止状態だ。当分は、おとなしくしてろってさ」
言った後、アランはジェイクの隣に座った。と、ジェイクは真顔で切り出す。
「お前に聞きたいんだが……フィオナは、どういった状況で死んだんだ?」
「それな、俺にもわからないんだよ」
「お前もわからないのか?」
意外だった。自分のような人間に情報が入って来ないのはわかる。ジェイクはしょせんは平民なのだ。
しかし、アランはれっきとした貴族である。それに、聖炎騎士団の一員でもあるのだ。そのアランがわからないというのは、明らかにおかしい。
「だいたい、俺たちは何のために戦場に呼ばれたのかね。そこがわからないんだよ。自分で言うのもなんだが、俺たちゃ実戦なれしていない坊ちゃん嬢ちゃん騎士団だぜ。そんなのを、前線に送り込んでどうしようってんだろうな。俺たちを送るくらいなら、まだクランの街のチンピラどもを送った方がマジだと思うぜ」
自虐的に語るアランだったが、彼の言う通りである。
フィオナは言っていた。これで、聖炎騎士団も坊っちゃん孃ちゃん騎士団の汚名を返上できるかも知れない……と。しかし、ジェイクの目から見れば、アランの言葉の方が的を射ている気はする。
「だが、聖炎騎士団に命令が降った……と」
「そうなんだよ。俺もさ、聞いた時は唖然となったね。そりゃ、フィオナ団長の強さは認めるよ。そこらの騎士や傭兵じゃ、相手にならない。でもな、戦争は別だ。一対一の槍試合や剣闘とは、まるで違うそうだ。まあ、俺も実際に戦場で戦った経験なんか無いけどさ」
「そうだな」
ジェイクは頷いた。
そう、戦場は別物なのだ。どこから流れ矢が飛んでくるかわからないし、戦況も刻一刻と変化する。名だたる騎士と一対一の勝負をしていたはずが、いつの間にか敵兵に囲まれ惨殺されることもある。もちろん、その逆もある。
あちこちのダンジョンを制覇し、勇者などといわれていた戦士が、戦場では名もなき雑兵たちの投げた石により死んでしまったケースもある。
「しかもだ、フィオナ団長は着くと同時にユリウス将軍に呼ばれたんだよ。で、将軍たちの野営している場所に行った。仕方なく、俺たちは森の中で待機してたんだ。そこに、敵の奇襲攻撃がきやがった」
「敵がきたのか?」
「ああ。俺は直接見たわけじゃないが、奇襲だぁ! 退却しろ! なんて声が聞こえてきたんだよ。当然、みんな大慌てさ。そしたら、ユリウス将軍配下の騎士たちが現れて、俺たちみんなを上手く誘導して退却したんだ。お陰で、ひとりの死者も出なかった」
「フィオナを除いて、な」
その言葉は、深い悲しみに満ちていた。アランは、慌てて話を続ける。
「あっ、ああ……フィオナ団長は、しんがりとして俺たち全員が逃げるまで奮戦してたって話だよ。だが、それきり団長の姿を見た者はいなかった。戦死したって話を聞いたのは、それから二日後だよ」
「フィオナの死体は見たのか?」
「いいや、俺たちは見てない。でも、ユリウス将軍の配下の騎士が見つけたって言ってたよ」
「そうか」
ジェイクは、そこで口を閉じた。思案げな表情で、じっと地面を見つめる。
ややあって、顔を上げ尋ねる。
「もう一度、確認させてくれ。お前らは、敵の奇襲を受けた。が、敵の姿は見てないんだな?」
「ああ、見てない。でもな、当時はそれどころじゃなかったよ。夜中にいきなり、奇襲だぁ! なんて声を聞かされてさ、みんなおかしくなってたからな。何せ、実戦経験なんて一度もない連中ばかりだろ。中には、馬の上でウンコ漏らしてた奴もいたらしいぜ。かく言う俺も、逃げるのに精一杯だったよ」
「それは仕方ないよ。あと、もうひとつ聞かせてくれ。聖炎騎士団を前線に送ることを意見したのは、いったい誰なんだ?」
「これは、あくまで未確認だがな……ユリウス将軍だって噂だよ」
「となると、ユリウス将軍に直接聞かないと無理だな」
途端に、アランの表情が変わる。ジェイクなら、やりかねないことを知っているのだ。
「いくらお前でも、そりゃ無茶だぞ。まあ、それは置いとくとして……実はな、もうひとつ腑に落ちないことがあるんだよ」
「なんだ?」
「前線に駆り出された傭兵と話したんだが、イスタルで前線にいたのは、みんな傭兵だったんだよ。イスタル共和国の正規軍は、ほとんどいなかったって話だ」
「それはおかしいな」
確かに、おかしな話だ。
山賊やゴブリンの群れの討伐ならともかく、仮にもアグダー帝国との戦争である。正規軍の兵士が、ひとりも前線にいなかった……というのは妙な話だ。
つまり、聖炎騎士団は前線に送られたというのに、他の主だった騎士団は何もしていなかった……ということになる。
「だろ? しかも、アグダー帝国側の兵士も、ほとんどが傭兵か、もしくはチンピラみたいなのしかいなかったらしいんだ。正規兵らしき連中は、ほとんど見なかったってよ」
「向こうもか?」
「そうなんだよ。なんかさ、とりあえず傭兵連中を雇って戦わせて、両国は戦争しましたっていう形だけ整えた……そんな感じなんだよな。考えすぎかもしれないけど」
「それは考えすぎじゃないぞ。アラン、お前の読みは当たってる。こいつは、仕組まれた戦争なのかもしれない」
ジェイクが言った時だった。突然、アランが彼の顔を覗き込む。
「なあジェイク、お前は何を考えてる? 何を調べてるんだ? よかったら、俺にも協力させてくれよ。これでも、由緒正しきアデール家の三男だぜ。それなりに役に立てるぞ」
「いや、いいよ。気持ちだけ受け取っとく」
途端に、アランの顔色が変わった。
「おい、どういうことだよ? 俺じゃ役に立たねえってのか? 確かに、俺は情けねえ奴だよ。お前に比べりゃ弱っちい男さ。でもな、はっきり断られると傷つくぜ」
「んなこと、誰も言ってないだろ。何かあったら、頼らせてもらうよ」
ジェイクの言葉に、アランは再び座り込んだ。大きな溜息を吐く。
「そうかい。だったらよ、ひとつだけ覚えといてくれ。俺にできることがあったら、何でも言ってくれよ」
このアラン・アデールは、貴族の家に生まれたとは思えないほど、気さくな雰囲気の持ち主だ。
ジェイクよりも頭ひとつ分ほど背が低く、細身の体つきは、騎士というより吟遊詩人のようにも見える。
だが、彼はただの軟弱貴族ではない。羽織ったワインレッドの上着は高級品だが、袖口は少し擦れており、靴にはどこかの路地裏の泥が乾いたままついていた。
貧民街でも平気で座り込み、子どもたちと同じ飯を食べるような男だ。その身なりが完璧であるはずがない。
初めのうちは、恐る恐る接する貧民街の子供たちに、アランは微笑む。
「おいおい、そんな目で見るなよ。俺は、一応アデール家の三男坊だぜ。けどよ、お前らと同じ人間なんだよ。天下御免の放蕩息子だ」
そんなことを言って、乱れた前髪をかき上げる。その仕草も、どこかしら計算が入っているようでいて、実際はまるで無防備だった。
ふざけた軽口の裏には、驚くほど義理堅い性格が潜んでいる。ジェイクに頼まれれば、どんなに面倒なことであっても「仕方ねえなあ」と言いながら最後までやり遂げてしまうのだ。
「俺ってさ、なんか放っとけない性分なんだよね」
そう言って笑うアランの目は、ふざけた顔に似合わず、まっすぐで温かかった。
派手な服も遊び慣れた雰囲気も、彼の芯にある「まっすぐな正義感」を隠しきることはできなかった。
ジェイクは、この男を心から信用している。
基本的に、ジェイクは貴族という人種を毛嫌いしていた。だが、アランだけは別だ。一緒に飲むし、頼まれれば大抵のことはやる。
アランは、ジェイクにとって数少ない心許せる友人のひとりであった。
だからこそ、厄介なのだ。
そもそも、この戦争の停戦自体が妙だった。戦争が始まり三ヶ月が過ぎた時だった。突然、ライブラ教のグノーシス枢機卿が両国を訪れ、停戦会議を開くことを申し出る。
ライブラ教は、イスタルとアグダー両国に数多くの信者がおり絶大なる影響力を持っている。その枢機卿の申し出を無視することは、国王といえど出来なかった。その三日後に、両陣営の大臣や将軍たちによる停戦会議が行われた。
先ほど、アランは言っていた。
(とりあえず傭兵連中を雇って戦わせて、両国は戦争しましたっていう形だけ整えた)
ジェイクの勘が正しければ、これはイスタル共和国を揺るがしかねない話だ。
となれば、アランを巻き込むわけにはいかない。ただでさえ、放蕩息子としてアデール家でも睨まれている男なのだ。ジェイクのために、これ以上迷惑をかけられない。




