回想・フィオナの想い(2)
「あの男と話させてくれ!」
いきなり言われたアランは、きょとんとしていた。
「えっ、ジェイクと話したいんですか?」
「そうだ。どこに行けばいい?」
「あいつは、だいたいトレビーの店にいますけど……ただ、あいつは偏屈者ですよ。貴族のことも嫌ってますし」
「でも、お前は友人なのだろう?」
「ええ、まあ一応は」
「ならば、紹介してくれ!」
当時の私は必死だった。
ジェイクの技は、紛れもなく本物だった。もし、私があの技を習得できれば……女騎士は戦えない、などとは誰にも言わせない。
是非とも、あの技を教えてもらいたい──
やがて、控室の扉が開いた。
観客の熱気がまだ通路にこもる中、ジェイクがゆったりと姿を現す。肩を揺らし、誰とも視線を合わせず歩き出すその背中を見た瞬間、私の心臓が高鳴った。
気づけば、私は駆け出していた。群衆の間をかき分け、走っていく。胸の鼓動がうるさいほど響くいていた。
気づけば、アランはすでに女に腕を取られていた。どうやら娼婦らしい。しかも顔なじみらしく、彼はあっという間に通路の隅へと引きずり込まれていく。助けを求める視線を向けてきたが、構っている暇はなかった。
ジェイクはというと、人気のない路地裏に入っていった。このまま入り組んだ道に入られてしまっては、彼を見失ってしまう。私は、咄嗟に声を出していた。
「ジェイクさん、ちょっと待ってください!」
すると、ジェイクは振り返った。
「ん? 何だい?」
言いながら、その場に立ち止まった。
私はというと、マントを羽織りフードを目深に被った姿だ。これは、走りにくいことこの上ない。立ち止まってくれて助かった。
彼の前で荒い息を吐きながら、どうにか言葉を絞り出す。
「闘技場で、闘いを拝見させていただきました。あの技は、どういうものなのですか?」
「どういうもの、って言われてもなあ。説明が難しいんだ。教えて出来るものでもない」
「私には修得できないものですか?」
なおも尋ねる私に、ジェイクは目を細めた。
「出来る出来ない以前にだ、素顔も晒さない奴相手には話せないな」
「わ、わかりました。では、素顔を晒します」
言いながら、私はフードをあげた。彼の前で、素顔を晒す。
「これで、いいですか?」
途端に、ジェイクの表情が変わった。
「やっぱりな……いやぁ、あんたいい女だな。顔を隠すなんて、実にもったいない。体の方も最高だね、デヘヘへ」
そんなことを言いながら、近づいてきたのだ。
私は、思わず後ろに飛び退いた。同時に、腰の剣に手をかける。
「そ、それ以上近づくな!」
怒鳴った途端、ジェイクは動きを止めた。ニヤニヤしながら口を開く。
「冗談だよ。見たところ……あんた、貴族さまの御息女だろ。そんな貴族さまが、なんだってこんな場所にきたんだ?」
「あ、あなたの技が素晴らしいと聞いたからです。実際に見て、本当に凄いと感じました。あんな見事な技は、見たことがありません。ぜひ──」
その時、ジェイクは手のひらを前に突き出してきた。
「ちょっと待った。まず、敬語はやめてくれ。普段通りの喋り方にしてくれよ。堅苦しいのは嫌いでね。それと、あなたなんて呼ぶのも無しだ。ジェイクでいいよ」
「わかりま……いや、わかった。ジェイク、あなたは……いや、お前の技はどういう原理なのだ?」
「簡単に言うとだ、精霊の力を吸収し、体内で気の力に変える。そうすると、人間の肉体を強化できるんだ」
精霊の力だと……困惑する私に向かい、ジェイクは語り続ける。
「人間の肉体には、限界がある。どんなに強い男でも、オーガーやミノタウロスやヒグマと戦えば勝ち目はない。だから、人間は道具を使う。道具を使い、強い生き物を殺す。そうやって、人間は生きてきた」
そこで、ジェイクは地面を指差した。
「ところが、俺たちは違うんだ。この世界は、四つの精霊で成り立っている。たとえば、この土だ。それに風や水や火、これらを総称して、四大精霊と呼ぶ。この四大精霊と交信し、その力を借りる。そうすれば、人間の肉体は限界を超えられるんだ。土の精霊と交信して、拳を岩のように硬くしたりできるんだよ」
「それは、魔法とは違うのか?」
「似てはいるが、ちょい違うんだ。魔法は、己の内にある力を消費し、異界から力を借りて使う。俺たち霊拳術士は、精霊と交信しその力を借りるんだ。ただし、精霊は身ひとつで戦う者にのみ力を貸す。したがって、俺たち霊拳術士は素手で戦うんだ。この霊拳術こそ、人間の限界を打ち破る唯一の拳術なんだよ」
聞いていて、私はもう我慢できなくなっていた。人間の限界を打ち破れる……すなわち、女の限界をも打ち破れるということではないか。
それこそ、私の求めていたものだ──
「その術は、私にも使えるのか?」
勢いこんで聞いた私だったが、ジェイクの答えは無情なものだった。
「悪いが無理だ」
「な、なぜだ!? やってみなくてはわからんだろう! それとも、女だから無理だとでもいうのか!?」
「いや、女だからとか、そういうの関係ないんだよ。はっきり言うと、これはもう生まれつきの資質なんだよ。あんたじゃ無理なんだ」
その言葉に、私は打ちのめされたような気分になった。
だが、ジェイクはさらに語り続ける。
「もうひとつある。俺は五歳の時から、師匠に拾われずっと修行を重ねてきた。で、十五年経ってようやく術を使えるようになった。資質のある人間が、幼い頃から十五年修行して、やっと使えるようになるんだぜ。あんたは、ちょいと歳をとりすぎた」
「そ、そうか……」
打ちのめされたような気分だった。私にも、あの力が使えれば……そう思った。しかし、しょせんは水の泡だった。
そんな私の気持ちなど知らないジェイクは、気楽な調子で聞いてきた。
「俺もひとつ聞きたい。あんた、こんなもん習ってどうしようってんだ? あんた貴族のお嬢さまなんだろ? だったら、戦いなんかとは無縁の生活を過ごせるだろうが」
その問いは、私の裡にあるものを刺激した。
「私は、聖炎騎士団団長だ」
「えっ? あんた、騎士だったのか」
とぼけた表情で返してきたジェイク。その顔が、私をさらに苛つかせた。
「そうだ。私のような女が騎士ではおかしいか? 笑えるか?」
「いや、別にそんなことは……」
「貴族が、民衆のために戦うのはおかしいか? お嬢さまの私が、騎士として戦いたいというのは笑えるか?」
私の声に、ただならぬものを感じたらしい。ジェイクは狼狽していた。
「べ、別にそういうわけじゃ……気に障ったなら、謝る」
「女は男より弱い、これは考えるまでもない常識だ。しかし、私はそんな常識に負けたくない。だから、お前の技を身につけたいと思った。お前の技は、本当に凄かったからな。だが、お前もしょせんは、私を貴族のお嬢さまとしか見ていないのだな。お嬢さまの道楽で、声をかけたとしか思っていないのだな。なら、もういい。私は帰るよ」
そう言うと、私は背中を向け歩き出す。ところが、今度はジェイクが私の行く手に立ちはだかった。
「ま、待てよ。霊拳術は教えられないが、あんたを今より強くすることはできる」
「どういうことだ?」
聞いた私だったが、直後に唖然とさせられた。
なんとジェイクは、私の目の前でゴロンと寝っ転がったのだ。仰向けの姿勢で、私に手招きする。
「さあ、好きなようにかかってきな」
「えっ?」
何を言っているのかわからない。こんな体勢から、何をしようというのか?
だが、ジェイクはさらに手招きする。
「仮に、敵がこうやって倒れた。その時、あんたはどうする?」
考えるまでもない。一対一の戦闘では、倒れた相手は槍で突くか、馬乗りになり短剣で首をかき切るだろう。
だが、乱戦となるとそうはいかない。トドメを刺すなら、顔面を蹴飛ばすか喉を踏みつけるのがもっとも手っ取り早い。
「蹴飛ばすか、踏みつけるな」
「だったら、そうしろ。蹴飛ばすなり、踏みつけるなり、好きにかかってこい。本気でいいぜ」
私は、その時に思った。こいつは、私をバカにしているのか?
ならば、本気でやってやる。私は、顔面を蹴飛ばそうと足を振った──
続いて起きたことは、私が想像もしていなかった展開だった。
顔面に蹴りを入れようとした瞬間、私の体は転倒していたのだ。何をされたのかはわからない。ただ、ジェイクが何かをしたのは確かだ。
気がつくと、私は倒されていた。ジェイクはというと、私の右足首を脇に抱えている。さらに、彼の両足は私の右太ももに巻き付いていた。
「さて、ちょっと痛いぜ」
ジェイクが言った瞬間、私の右足首に激痛が走る──
情けないことに、私は悲鳴をあげていた。と、ジェイクは慌てて足を離す。
「痛かったか? 加減はしたんだが……すまねえ」
「謝らなくていい。それよりも、今のはなんだ?」
「関節技だ。相手の関節を破壊する技だよ。肘関節や膝関節、肩の関節や足首の関節……いろいろある。今、あんたは俺を蹴飛ばそうとした。で、足一本で体を支えている状態になった。そこを、俺は転ばせたわけだ」
そう言うと、ジェイクは立ち上がりニヤリと笑った。
「本気でかければ、あんたの右足首はへし折れてた。だがな、これは逆のことも言える。あんたの腕力でも、熊みたいな大男の足首をへし折ることが可能になるんだ」
「本当か?」
「本当だ。関節技、それに絞め技には必要以上の腕力はいらない。さすがに熊そのものは無理だが、熊なみのデカい男の腕をへし折ることも可能になる。こんなんで良ければ、教えられるぜ。どうする?」
その時、私は思わず叫んでいた。
「頼む! 私に教えてくれ!」
それから、私はジェイクに様々な技を教わるようになった。
今にして思えば、あの時既に私は……いや、これ以上は言うまい。
続きは、戦争から帰った時にゆっくり話してやろう。
ジェイクは、どんな顔をするだろうな……。




