決戦(5)
ジェイクは、今にも壊れてしまいそうな顔つきでエプシロンを見つめた。
心中に、様々な思いが去来する。エプシロンと楽しく語り合った日々や、一緒に飯を食べ酒を飲んだ日のこと。そして三人で笑い合った、煤け野原での思い出。
彼を親友だと思っていた。だが、それら全てはジェイクの幻想だったというのか……。
エプシロンの口から出た「お前のそういうところが気に入らなかった」という言葉は、彼の心の奥底に潜んでいた深い闇をまざまざと見せつけてくれた。
その闇は、今や悪魔の力によって増幅され、純粋な殺意へと姿を変えている──
「ほら、どうした! 来いよオラァ! でないと、ここにいる全員を俺が殺してやるぞ! どうしたジェイク! かかって来い!」
さらに挑発するエプシロン。その瞳は、いつしか赤く染まっている。口元には下種な笑みが浮かび、両手で手招きしている。かつて、フィオナを交えて語り合い、笑い合った時の面影はどこにもない。
ジェイクは唇を噛み締めた。鋭い目でエプシロンを睨みつけ、改めて拳を握り念を込める。
やはり無理だった。この男は、身も心も怪物と化しているのだ。ならば、自分の手で引導を渡すしかない。
でないと、ここにいる皆が殺られる──
「お前が来ないなら、こっちから行くぜ! まずは、その聖女さまの内臓を食らってやる! さぞかし美味いだろうなぁ!」
言った直後、エプシロンは動いた。恐ろしい速さで、セリナへと接近していく──
「エプシロン!」
吠えると同時に、ジェイクも動く。エプシロンの前に立ちふさがり、凄まじい形相で構える。
すると、エプシロンは笑い出した。
「やっとやる気になったか! さあ、来い!」
叫びながら、拳を振り上げるエプシロン、だが、その前にジェイクの掌底打ちが放たれた。
ジェイクの手のひらが、エプシロンの胸に打ち込まれる。同時に、ジェイクは叫んだ。
「水の精霊よ! 我に力を!」
直後、手のひらから強烈な冷気が放射される。水の精霊の力により、触れたものを全て凍らせてしまう霊拳術士の技だ。
だが、エプシロンは平気な顔をしている。拳を振り上げた姿勢のまま、ニヤリと笑った。
「おいおい、全然効いてねえぞ。まさか、こんなんで倒すつもりだったのか?」
だが、ジェイクは彼に構わず次の攻撃を放つ。
「火の精霊よ! 我に力を!」
祈りの言葉と共に、ジェイクの手がエプシロンの胸に触れる。同時に、手のひらから凄まじい熱が放射された。あらゆるものを瞬時に焼きつくす温度の熱が、エプシロンを襲う──
「な、なんだこれは!」
エプシロンの顔に、驚愕の表情が浮かぶ。悪魔の力で守られた己の肉体に、崩壊が生じているのだ。
バイコーンが消えたとはいえ、エプシロンの体は今も悪魔の力により守られている。並の攻撃では、傷ひとつつけられない。さらに、炎系や氷結系の魔法も防いでしまう。
しかし今、ジェイクは氷結系と炎系を立て続けに食らわせたのだ。温度の急激な変化が、悪魔の守護力に乱れを生じさせ、ほんの僅かな時間ではあるが完全に無防備となったのである。
これこそが、預言者デリシャスの授けてくれた秘策であった──
ジェイクは、秘策により生じた隙を逃さなかった。
「エプシロン! お前を人間として死なせてやる!」
叫んだ直後、ジェイクの掌底打ちが飛ぶ。エプシロンの胸を打った。
ジェイクは目をつぶり、そっと唱える。
「水の精霊よ、力を……」
途端に、ジェイクの手から衝撃波が放たれる。波は水のように体内に浸透していき、エプシロンの体にあるものを包み込む。
それは、悪魔の核だった。
「エプシロン、お前を人に戻してやる。人として死んでくれ」
目を閉じたまま、ジェイクは囁いた。直後…核を握りつぶす──
エプシロンの口から、奇妙な声が漏れる。手を仰ぎ、苦悶の表情を浮かべて叫んだ。
直後、ジェイクを突き飛ばす。恐ろしいパワーだ。ジェイクは、軽々と吹っ飛んでいった。
しかし、ジェイクもすぐさま体勢を立て直す。が、そこで信じられないものを見た。
エプシロンが、人の姿に戻っているのだ。かつての姿のまま、じっと立っている。
さらに、上空から何かが降りてきたのだ。女性としては背が高く、引き締まった体つきの持ち主だ。肩まで伸びた金色の髪と白い肌、そして美しい顔立ち。ジェイクは、その姿をもう一度見たいと何度願ったことだろう。
そう、空から舞い降りたのは……白い衣をまとったフィオナだったのだ。
「フィオナ……」
エプシロンの口から、か細い声が発せられた。手を伸ばし、彼女に触れようとする。
その時だった。突然、地面に黒い穴が出現する。エプシロンのいる場所に、ぽっかりと穴が空いたのだ。
そこから、黒い手が何本も伸び出てくる。手はエプシロンをつかみ、あっという間に地の底へと引きずり込んでいった。
地獄に引きずりこまれる寸前まで、エプシロンはフィオナを見つめていた。
地中へと消えていったエプシロンを、フィオナは悲しげな瞳で見つめていた。
そんなフィオナに、ジェイクは近づいていく。
「フィオナ……本当に君なのか?」
呟き、そっと手を伸ばす。すると、フィオナは彼の方を向いた。笑みを浮かべ、ジェイクに手を振る。
直後、彼女は消えてしまった──
「おい! 待ってくれ! フィオナ! 君はどこにいるんだ!」
叫んだジェイクだったが、フィオナの姿はどこにもない。
今のは何だったんだろうか。夢だったのか、それとも幻か。どちらにしても、もう彼女に会うことはできないのだ。
悪魔と化したエプシロンを止める……今までは、そのためだけに必死で動き続けてきた。
だが、それが終わってしまった。生きる理由がなくなってしまったのだ。
ジェイクは、その場に崩れ落ちた。
そんなジェイクを、セリナたちは遠くから見ていることしかできなかった。
「俺、思うんだけど……ひょっとしたら、エプシロンはジェイクにトドメを刺して欲しかったんじゃないかな」
アランが、誰にともなく呟いた。すると、リリスが頷いた。
「そうかもしれないね。でも、さっきの言葉の中にあいつの本音があったのも確かだよ。人間の感情ってさ、単純な好き嫌いだけで分けられるもんじゃないからさ」
その横で、セリナは涙を浮かべている。
「ジェイクさん、あなたはまだフィオナさんを……」
そこで、動き出したのはスノークスだ。ジェイクのそばに行き、彼の腕をつかみ立たせる。
「戦いは終わったぜ。俺たちの勝ちだ。お前は、どえらいことをやってのけたんだ。そうだろ、ジェイク?」
だが、ジェイクは答えなかった。ただ、虚ろな目でフィオナのいた場所を見つめているだけだった。
それから、ジェイクの生活はさらにひどくなった。
もう、トレビーの店で飲んだくれることすらしない。家の中にこもり、ひたすらぼんやりしているだけだ。外にはほとんど出ず、ひたすら寝ているか窓から外を見ているか、そのどちらかだ。
そんなジェイクを心配し、セリナやアランは毎日のように彼の家を訪れた。食べ物や飲み物などを持ってきて、あれやこれやの話をする。しかし、ジェイクはほとんど言葉を返さない。たまに、「ああ」や「うん」と生返事をするだけだ。
一度、リリスが現れたことがあった。彼女も気を遣い、いろいろと話をしたのだが……あまりに反応の薄いジェイクに業を煮やし、最後には散々に罵って帰っていった。以来、一度も訪れていない。
今のジェイクは、完全に抜け殻となっていた。
ある日、ジェイクの家を訪れた者がいた。スノークスだ。彼は思いつめた表情で入って来て、ジェイクの手をつかんだ。
握手しながら、口を開く。
「ジェイク、今日でお別れだ。俺は、命を捨てる」
真顔でそんなことを言ったスノークスを、ジェイクは虚ろな目で見つめる。全くの無反応だ。
しかし、スノークスは構わず続ける。
「いいよ。お前は、大勢の人の命を救ったんだ。あとは、好きなように生きろ。お前に文句を言える奴なんかいない。俺が、それを証明する」




