スノークスが語った恐ろしい話
「ようジェイク、久しぶりじゃねえか」
笑顔で言ったのは、傭兵のスノークスだ。
傭兵といっても、体はさほど大きくないし、迫力ある風貌でもない。どちらかというと、色街を徘徊している軽薄なチンピラ、といった雰囲気だ。
こんな外見だが、彼はエプシロンの襲撃から生きて帰った者のひとりである。
傷が癒えると、ジェイクはさっそく行動を開始した。エプシロンの言葉の真偽を確かめるためだ。
まず最初に向かったのは、売春宿である『ジュジャクの館』であった。エプシロンは、この売春宿にいきなり現れ、中にいる者たちを皆殺しにしたのだという。
調べてみたところ、その日の門番担当が知り合いの傭兵であるスノークスだったのだ。もっとも、会うのは数年ぶりである。
「わざわざ俺に会いに、クランまで来るとは思わなかったぜ。最近じゃあ、お上品な連中とばかり付き合ってるって聞いたからさ、クランみてえな町には、鼻も引っ掛けないと思ってたぜ」
「何バカなこと言ってんだよ。俺は、この街で生まれたんだぜ。しかし、なんか急に寂しくなってきたな」
言いながら、ジェイクは辺りを見回す。
たった数日の間に、クランの街は変わり果ててしまった。かつては悪徳と退廃の巣窟という雰囲気だったが、今ではゴーストタウンと呼んだ方が相応しい街になっている。
まだ昼間だというのに、人の数も随分と少ない。立ち並んでいた屋台も、ほとんど姿を消していた。
「クランは、もとから治安が悪かった街だよ。けどよ、それでも繁盛はしてたんだ。面白い店も、いろいろあったしな」
「確かにな」
「ところがだ、こないだの事件が起きてから、商人たちが次々と手を引いちまった。しかも、悪党どもですら寄り付かなくなっちまったんだよ。この街が廃墟に変わるのも、時間の問題だな。ま、俺はその前にずらかるけどさ」
「ああ、そうだろうな」
「でよう、俺にいったい何の用だ?」
「お前、昨日『ジュジャクの館』の門番を任されてたらしいな?」
「誰に聞いた?」
「そんなことは、どうでもいいんだよ。確かなことは、あの化け物が館を襲ったのに、お前は生き延びた。その話を聞かせてくれ」
「ちょいちょいちょい、あの話聞きたいって言われてもな……こればっかりは、ちょっと言いづらいんだわ」
「なぜだ?」
「なにせ、俺の再就職がかかってるからな。お前が俺から聞いた話を、別の誰かに話す。で、その誰かはまた別の奴らに話す。回り回って、傭兵ギルドの連中に知られたら……俺はな、仕事をもらえなくなるんだよ」
「誰にも言う気はない。ただ、あそこで何があったか知りたいだけだ。なあ、頼むよ」
言いながら、ジェイクは金貨の入った小袋をそっと手渡す。
途端に、スノークスの表情が変わった。
「えっ、いいのか? 本当に、これもらっていいのか?」
「構わない。しかも、ここで聞いた話は絶対に他言しないよ。しかも、トレビーの店での一日飲み放題に食べ放題コースも付ける。これでどうだ?」
「まあ、お前さんの口の固さは信用できる。普段はゆるゆるでも、締める時はしっかり締める男だからな。その上、食い放題飲み放題とくれば、話さないわけにはいかないよな」
そう言うと、スノークスは地べたに腰掛けた。ジェイクも並んで座り、彼の次の言葉を待った。
一方、スノークスは懐からパイプを取り出す。火をつけると、美味そうに煙を吸い込んだ。
ややあって、そっと語り出す。
「しっかし、世の中にはとんでもない化け物がいるんだな。お前さんでも、あれには勝てないんじゃねえか」
・・・
その日、スノークスは『ジュジャクの館』の門番を担当していた。
ジュジャクの館を経営してるのはニール・ドーガだ。クランの裏稼業に顔が利く男であり、彼が一声かけりゃ、百や二百は簡単に動かせる。誰もが、敵に回したくはない男なのは間違いない。
そんな男がオーナーである『ジュジャクの館』は、クランでも最悪の売春宿といっていい。娼婦たちの体調など、気にも留めず働かせている。
幼女に客を取らせるのは当たり前だし、客の要望とあらば娼婦の両目を潰すこともあるのだ。そう、この店では……普通の娼婦に飽きたような変態が常連客なのである。
そもそも、ニールという男はあっちこっちから行き場のない少女を拾ってきて、娼婦として店に入れているのだ。ロクデナシの多いクランの街でも、かなり嫌われている人間なのは間違いない。
正直に言えば、スノークスはこんな男のために働きたくはなかった。
しかし、悪い奴ほど力を持つのが世の常だ。何より、スノークスも飯を食べていかねばならない。そんなわけで、スノークスは仕方なく、ジュジャクの館の門番をしていたのだ。
もっとも、真面目に仕事してたというわけでもなかった。こういう気の進まない仕事は、徹頭徹尾手抜きでいくのが彼の生き方である。店の者の目を盗んでは、タバコを吸いに行ったり屋台で何が食べたりしていた。そうでもしないと、やりきれなかったのだ。
その日も、スノークスは持ち場を離れタバコを吸いに行っていた。
吸い終わると、パイプを隠し何事もなかったかのように持ち場へと戻る。
だが、戻った途端に唖然となった。店の扉が、綺麗に消え去っていたのだ。とんでもないことが起きたのは明白だった。
このまま逃げるのが、正解だとわかっている。だが、その日に限りスノークスの好奇心がうずいてしまった。
何が起きたのかと、彼は店の中にそっと忍び込む。
中は、惨憺たる有様であった。
娼婦たちは、全員が倒れている。そんな中を、スノークスは足音も立てず進んでいった。
上で話し声が聞こえる。スノークスは階段を昇ると、音の源まで近づいていく。
そこで、ふたりの会話を聞いた。
「ここに、フィオナと名乗る娼婦がいましたね?」
聞いたのは、黒い服を着た道化師のような男である。
「あ、ああ、いたよ。だけど、そいつはもう死んじまった……あ、俺のせいじゃないぞ! 病気で死んだんだ! だいたい、あいつは頭がイカレてた! 自分のことを、聖炎騎士団団長のフィオナだと言い張っていたんだよ!」
ニールは、今にも泣きそうな声で答えた。いかつい顔と大柄な体の悪党ではあるが、今は恐怖に震える哀れな中年男でしかない。
そんなニールに、白面の道化師はなおも尋ねる。
「それは知っています。問題なのは、誰がそのイカレ女をここに入れたか、です。速やかに教えてください」
「お、おかしな男たちだよ。なんか知らねえけどさ、やたら金を弾んでくれて、こいつを働かせてくれって女を連れてきた。けどよ、その女の顔を見たらひでえんだよ。顔に変な瘤みたいなのが大量に付いてて、鼻も豚みたいな形だし、左右の目の大きさも違う。あんな気持ち悪い顔、いくらなんでも無理だ」
途端に、道化師を覆う空気が変わった。しかし、ニールは気づいていないらしい。さらに喋り続ける。
「仕方ねえから、地下牢に閉じ込めたんだ。その翌日だったかな、変な男がイカレ女のことを見に来たんだよ」
「どんな男でした?」
「背が高くて、ごっついガタイしてて、髪は金色で……あと、片目に眼帯してたぞ」
「他に特徴は?」
「いや、黒いマント羽織ってたから、それ以上は……あ、喋り方が変だったよ! 妙に古めかしい口調だった!」
「レオニス・ドルク公爵ですね」
「へっ?」
「あなたには関係ないことです。で、その男は何をしたのです?」
「何をしたって……まず、あのイカレ女のいる檻に行ったんだよ。そしたら、あの女は急に元気になりやがって、父上! 父上! なんて叫び出したんだ。鎖で繋がれてなきゃ、抱きつきそうな勢いだったよ」
「で、その男はなんと言ったんだ?」
「男は、無言で手鏡を取り出したんだ。で、女に向けたんだよ。そしたら、女の表情がみるみるうちに強張っていって……嘘だぁ! なんて喚き出してよお、もう大変だったぜ。けど、男の方は冷静そのものでさ。私は、お前のような顔の女を娘に持った覚えはない……なんて言ったんだよ。お、おい! 落ち着いてくれよ!」
ニールの表情が一変し、後退りする。だが、足がもつれて転んだ。その股間は、ビッショリと濡れていた。恐怖のあまり失禁してしまったのだ。
それも仕方ないだろう。話を聞いた瞬間、道化師はこの世のものとは思えぬ咆哮を発したのだ。と同時に、横の壁を力任せに殴った。
次の瞬間、壁のみならず、その一角が完全に崩れ落ちてしまった──
「なんでもありません。大丈夫ですから、話を続けてください。その後、どうしたのです?」
道化師に促され、ニールは再び語りだした。
「その後で、我が娘のフィオナは、国のために立派に戦い戦死した。お前は、フィオナとは似ても似つかぬただの痴れ者だ。この場で首を刎ねないだけでもありがたいと思え……なんて言って、帰っちまったんだよ」
「なるほど、よくわかりました。あなたにもう用はありません」
「ほ、本当か?」
「はい。あなたは、素直に全て教えてくれましたですので、一瞬で殺してさしあげます」
次の瞬間、道化師はブンと腕を振るう。
ニールの体は、一撃でべチャリと潰れた。まるで、踏まれたトマトのようである。
もはや原型すら留めていない死体を見下ろし、道化師は呟いた。
「レオニスよ、あなたは随分とふざけたまねをしてくれましたね……これを彼が知ったなら、どうなることやら。あなたは、死んだ方がマシと思うような目に遭いますよ」
・・・
「お、おい、大丈夫か? すっげー顔色悪いぞ」
スノークスが心配そうに言うと、ジェイクは無理やり笑顔を作ってみせた。
「大丈夫だ。それよりも、その後はどうなった?」
「えっ、その後か? 道化師みたいな化け物は、ぶっ壊した穴からそのまま消えていったよ。本当に、とんでもない奴だった。俺は、あんなのには二度と会いたくねえよ」
「ひとつ確かめたいことがある。その化け物は、間違いなくレオニスと言ってたんだな?」
「へっ? ああ、あれか。間違いなくレオニスって言ってたぜ」
レオニス・ドルク公爵……フィオナの父であり、イスタル王家の親戚筋にも連なる身分の高い貴族だ。そんな男が、ジュジャクの館のような場所にやってきた。
よほどの理由があった、としか思えない。その理由とは……。
「わかった。本当にありがとう。恩にきるぜ」
どうにか平静な表情を作り、ジェイクは頭を下げた。すると、スノークスは心配そうに彼の顔を覗きこむ。
「なあジェイク……あんた、とんでもなく厄介なことに首つっこむ気のようだな。俺に、何か手伝えることはないか?」
「ありがとう。でも大丈夫だ。こいつは、俺がケリをつけなきゃならない」




