回想・戦争前のふたり
灰色のロープを着た女が、森を歩いていく。
女性としてはかなり背が高い。すらりとした長身でありながらも、引き締まった体つきは鍛錬を積んだ者であることを窺わせる。
肩まで伸びた金色の髪は艶があり、白い肌は雪のようであった。その顔立ちは美しく整っており、切れ長の蒼い瞳は強い意志を宿している。
森を進んでいくと、音が聞こえてきた。馬の蹄の音だ。女は、笑みを浮かべる。
やがて、音の主が現れる。全身を純白の毛で覆われた馬であるが、その額には真っ直ぐ伸びた角がある。
そう、現れたのはユニコーンであった──
「フィオナ、私の背中に乗るか?」
ユニコーンは、人間の言葉で聞いてきた。低く、落ち着いたものである。
「いいのか?」
「構わん」
「では、遠慮なく乗せてもらう。ありがとう」
そう言うと、フィオナはユニコーンにまたがった。
ユニコーンは、ゆっくりと進んでいく。乗っているフィオナが落ちないよう、気を遣っているのだ。
「お前も、行くのか?」
不意に、ユニコーンが聞いてきた。
「行く、とは何のことだ?」
「戦争だ」
「知っていたのか?」
「ああ。鳥たちが話しているのを聞いた。私は、人間たちの戦争など興味はない。だが、お前が参加するとなると話は別だ」
「私にも、いろいろ事情がある。行かねばならんのだ」
やがて、ユニコーンは開けた草原へとやってきた。そこでは、ふたりの男が立ち話をしていた。
片方は、黒い肌の青年だ。クセの強い黒髪はモジャモジャで、鳥の巣のようである。人の良さそうな顔つきで、唇は厚い。とても背が低いが、身は軽そうである。素肌に毛皮のベストを着ており、毛皮の腰巻きを付けている。
彼こそは、この森に住む青年・エプシロンである、動物と会話できる不思議な力を持っており、このソードットの森に棲むものたちのリーダー格なのである。同時に、ジェイクとフィオナの親友でもあった。
そんな男と話しているのは、筋肉質の大柄な男だ。髪は短く、逞しい体つきだ。布のシャツとズボン姿だが、それでも筋肉の発達した肉体の持ち主であることは一目でわかる。
こちらは、霊拳術士のジェイクである。数々の武勲を立て、最強の戦士なのでは……と噂されているほどの男だ。にもかかわらず、面倒くさいことを嫌っていた。そのため、最下層の者たちが住むクランの街を根城にしている偏屈者である。
ジェイクは、ユニコーンに乗って現れたフィオナを見るなり笑顔になった。だが、次の瞬間に首を傾げる。
「それにしても、不思議だなあ」
「何がだ?」
聞いてきたフィオナに、ジェイクは不思議そうな顔で答える。
「確か、ユニコーンて清らかな乙女しか乗せないんだよな? じゃあ、フィオナが乗れるのはおかしいぞ」
途端に、フィオナはユニコーンから飛び降りた。ジェイクのそばに、つかつかと歩いていく。
直後、ポカリと頭を殴ったのだ──
「いて!」
叫んだジェイク。一方、フィオナは低い声で凄む。
「それはどういう意味だ? 私が清らかな乙女では、おかしいというのか?」
そんなふたりを見て、クスクス笑うのはエプシロンだ。一方、ユニコーンはフンと鼻を鳴らす。
「本当に、貴様ら人間は何もわかっていない。清らかな乙女などという概念は、お前ら人間が勝手に決めたものだろうが。私は、乗せるに相応しいと思った人間のみを乗せる。そう、真の友と認めた者だけだ」
「じゃあ、何で俺は乗せてくれないんだよ?」
口を尖らせ尋ねるジェイクたったが、ユニコーンの態度はにべもない。
「お前は真の友ではない。だから乗せない、それだけだ」
「ったく、ワガママな奴だなぁ」
そう言うと、ジェイクはフィオナの方を向いた。
「フィオナ、ちょっと話がある。来てくれないか?」
「な、何だ改まって……お前らしくもない」
ふたりは、森の中を歩いていく。
ジェイクは、何も言おうとしなかった。普段は、放っておいても一方的にベラベラ喋りまくるのだが……今日は珍しく無口だ。
苛立ったフィオナが、不意に立ち止まった。ジェイクの腕を掴み、強引に歩みを止めさせる。
「おい、用事とは何だ? 早く言え。こんなところまで来てしまった──」
「なあ、結婚しない? 君の目の前にいる奴とさ」
そんなことを言われ、フィオナは口ごもる。
「な……」
「そいつさ、金はないけど、けっこう強いし君に尽くすタイプだよ」
「ちょ、ちょっと待て……どど、どうせ、いつもの冗談だろうが! くだらん冗談を言うな!」
頬を赤く染め怒鳴りつけるフィオナだったが、ジェイクの顔つきは真剣そのものだった。
「冗談じゃない。俺は本気だよ。戦争なんか行くのやめようや。どっか地方の村で、俺と一緒に暮らそうぜ」
その言葉に、フィオナはうつむいた。
少しの間を置き、口を開く。
「その返事は、戦争から帰ってきた時まで待ってくれないか」
途端に、ジェイクの表情が変わった。
「なんでだよ? そこまでして、イスタルに尽くす義理があるのか? 俺はな、アグダーなんざ滅びちまっても構わないと思ってる」
そう、ジェイクはアグダー帝国の国民である。そして、フィオナはイスタル共和国の人間なのだ。
両国は、今や敵同士なのである──
「やめてくれ。それ以上、言わないでくれ……」
「確かに、俺はアグダー帝国の人間だよ。けどな、あんな国より君の方が大切だ。たとえアグダーが滅亡しようが、君さえ生きていてくれればいい。なあ、戦争なんか行くなよ。俺と一緒に逃げよう」
その時、フィオナは顔を上げた。
「私だって、そうしたいんだよ。でも、できないんだ」
「なぜだ!? なぜできない!?」
強い口調で迫ったジェイクに、フィオナは切なげな顔で訴える。
「私は……私は聖炎騎士団の団長だ。これまで、お嬢さま騎士団などとバカにされてきた私たちが、やっと戦争に参加できる。ここで、団長の私が逃げてしまったら、後輩たちの道が閉ざされるんだ」
「後輩たち?」
「そうだ。女でありながら騎士になりたいと願う娘たちは、まだ他にもいる。ここで私が逃げたら、彼女らの道が閉ざされるんだよ」
その時、ジェイクはフィオナの肩をつかんだ。
「じゃあ、せめて俺を召使いとして連れて行ってくれ! いや、奴隷でも構わん! 俺に君を守らせてくれ!」
「それも無理だ」
「なんでだよ! 君は騎士団長だ! 俺ひとりくらい連れて行くことは簡単だろうが!」
「騎士団長だからこそ、無理なんだよ! 私が団に関係ない者を勝手に連れ込んだら、聖炎騎士団の名折れだ。それに、霊拳術士は国家間の争いに干渉してはならないのだろう!?」
「んなこたぁどうでもいい! 君を守るためなら、霊拳術士なんざ今すぐ辞めてやる! 君も、騎士団長なんか──」
怒鳴るジェイクだったが、フィオナの顔を見て黙りこむ。
フィオナの目には、涙が溢れていた……。
「聞いてくれ。お前は、アグダー帝国の人間なんだよ。敵国の人間を、団長である私がそばに置いていた……そんなことが知られたら、私は終わりだ。いや、私だけでない。私に続こうとしている娘たちの希望も終わるんだ」
そう言うと、フィオナは深々と頭を下げる。
「頼む。この戦争が終わったら、私は団長の座を下の者に譲る。その時、今の返事をさせてくれ」
「わかったよ。ったく、君は言い出したらテコでも動かないからな」
そう言うと、ジェイクは溜息を吐いた。
少しの間を置き、再び口を開く。
「デリシャスって預言者の爺さんが言ってたせ。もうじき、時代が大きく変わるような事件が起きる……つてな。それが何なのかはわからないけどさ、新しい時代には君のような人が絶対に必要だ」
そこで、ジェイクはフィオナの手を握った。
「たからさ、どんな卑怯な手を使ってもいいから生き延びてくれ。頼む」
「お前に結婚の返事をするまでは、死なないよ」
そんなふたりを、大木の陰からじっと見つめている者がいた。エプシロンと、ユニコーンだ。
「エプシロン……」
「な、なんだよ」
「つらいところだな」
「へっ、仕方ねえよ。フィオナは、ジェイクのことが好きだ。心から愛してるのは、見ててわかる。それにさ、彼女に相応しいのは俺じゃないよ。ジェイクだ」
そう言って、エプシロンは無理に笑ってみせた。




