激突(1)
「ジェイク、これからどこに行くんだ?」
アランの問いに、ジェイクは険しい表情で答える。
「アグダー帝国だ。エプシロンは、まだそこにいると思う」
「何でわかるんだよ?」
スノークスが、訝しげな表情で口を挟んだ。
「エドマンド伯爵とスパーク大公が、立て続けに命を落としたらしい。間違いなくエプシロンの仕業だよ。奴は、まだアグダーにいる……そんな気がするんだ」
「本当かよ……」
顔をしかめつつ言ったのはアランだ。彼は、そのふたりのことはよく知っている。
エドマンドもスパーク、どちらもアグダー帝国の大物貴族である。アグダーの中枢部にいた人間、と言っていいだろう。当然ながら、警戒は厳重だ。そこらの小国の国王を殺害するより、遥かに難しいだろう。
そんな人間を、あっさりと殺してしまえるとは。デリシャスの言う通り、エプシロンの強さはもはや悪魔の領域にまで達しているのだ。
そこで、スノークスがまた口を挟む。
「だったら、グノーシスはどうするんだ? とっ捕まえて罪を吐かせなくていいのか?」
言った瞬間、リリスが彼を小突いた。次いで、ある方向を指し示す。
見れば、セリナがうつむいていた。その表情は暗くなっている。まだ、かつての師に対し複雑な思いを抱いているらしい。
「あっ、すまん」
慌てて謝ったスノークスだったが、セリナはかぶりを振る。
「私でしたら、お気遣いは入りません。私にとっても、グノーシスは敵です。ここまで来たら、最後まで見届けさせてください」
「そうか。ありがとう」
ジェイクはセリナに微笑むと、さらに話を続ける。
「俺は、まずエプシロンを止めたい。放っておけば、奴は何人殺すかわからないんだ」
「で、エプシロンに会ってどうするんだい?」
鋭い声を発したのはリリスである。
「えっ?」
戸惑うジェイクだったが、リリスはなおも詰めていく。
「あんたとエプシロンは、かつて親友だった。そのエプシロンを、あんた殺れるのかい?」
「奴は、俺が止める」
そう言ったジェイクだったが、リリスは納得できていないようだった。
「そう。デリシャスと話していた時に気づいたんだけどさ、あんたはエプシロンを止めると言った。でも、殺すとは言わなかった」
その言葉に、ジェイクは下を向く。セリナが何か言いかけたが、リリスが片手で制し話を続ける。
「デリシャスが言ってたろ、あれはもう人間じゃないって。つまり、殺さなけりゃならないんだよ。でないと、奴に殺される人間が増えることになる」
「わかっている」
か細い声で答えたジェイクだったが、リリスの口撃は止まらない。
「いいや、わかってないよ。あんたは、今も心のどっかで信じてる。誰も傷つくことのないハッピーエンドがあるんじゃないか、ってね。でも、そりゃ無理なんだよ。エプシロンは、死ななきゃならないんだ」
言った時だった。何を思ったのか、突然ジェイクが舌打ちしたのだ。
その行動は、当然ながらリリスを怒らせた。
「ちょっと! 何だい今のは! 言いたいことがあるなら──」
そこでジェイクの手が伸び、リリスの口を塞いだ。同時に、彼の口から押し殺したような声が出る。
「静かにしてくれ。奴が来た。近いぞ」
「奴って誰です?」
聞いたセリナに、ジェイクはもう一度舌打ちしつつ答える。
「ピューマだ。はっきりと奴の気を感じる。しかも、今回はひとりじゃない。とんでもない連中を連れて来やがった」
「何だって? あんなイカレ野郎が何人も来るのかい?」
表情を歪め尋ねたリリスに、ジェイクは頷いた。
「そうだ……クソッ! いつもなら、こんなに近づかせなかった。俺のミスだ」
「どうするんだ? 逃げるか?」
スノークスの問いに、ジェイクはかぶりを振った。
「いや、無理だ。奴らの方が早いし、逃げれば狙われる。迎え討つしかない」
答えた直後、茂みの中から姿を現した者がいる。ジェイクの言った通り、ピューマであった。ジェイクの姿を見るなり、子供のようにはしゃぎ出す。嬉しくて楽しくてたまらない、という様子だ。
「ヒャッヒャッヒャ! ジェイクぅ、やっと会えたな! 俺はよ、お前に会えるのが楽しみで楽しみで仕方なかったぜ! ウウウ……イャッホーイ!」
叫んだ後、ピューマは飛び上がった。宙でくるりと一回転し…着地と同時にナイフを抜く。
「お前も、本当にしつこい奴だな。しつこい奴はな、女の子から嫌われるぞ」
ジェイクは静かな口調で答えたが、目は油断なく後ろから来ている者を見ている。額には汗が滲んでいた。
ピューマの後ろからは、四人の男女が歩いてきた。真っ直ぐ、こちらを見ている。どう見ても、友好的とは言えぬ雰囲気だ。
そう、彼らはグノーシスの私兵・ラーヴァナの四人であった。ダークエルフのアインリヒ。大男のゲルニモ。黒いマントに全身を包んだカオス。
そして、エヴァ。
「あ、あんた……エヴァじゃないか!? こんな奴らと、何をやってるんだい!?」
突然、叫びだしたのはリリスだ。普段のクールな態度が嘘のように、泣き出しそうな表情で叫んでいる。
それも仕方ない話だった。エヴァは魔女であり、リリスにとって妹のような存在であった。かつては一緒に寝泊まりし、魔女のいろはを教え込んだものである。
風の噂で、ライブラ教の魔女狩りに捕まった……と聞いた時には、ひそかに涙したのだ。
そのエヴァが、よりによってこんな連中の手下として自分の前に立ちふさがっている──
当然、ジェイクたちはそんな事情を知らない。唖然となり彼女の様子を見ていた。
一方、アインリヒは鼻で笑った。
「なるほど、お前はエヴァの知り合いか。残念ながら、今のエヴァはお前のことなど覚えていないよ」
「エヴァ! あたしだよ! リリスだよ! 忘れたとは言わさないよ! あんたの面倒は、あたしが見てたんだからね!」
なおも叫ぶリリスに向かい、エヴァはすました顔で言葉を返していく。
「リリス? はて、どこのどなたでしょうか? 私は、あなたなど知りませんよ。まあ、これから死ぬことになるあなたのことなど、記憶する気もありませんがね」
その言葉に嘘はなさそうだった。この女は、本当にリリスのことを知らないらしい──
「な、何だって……」
震える声で言ったリリス。
エヴァは、囚われて火あぶりの刑に処されたはずだった。そのエヴァが、敵として目の前に立っている。しかも、リリスのことを完全に忘れてしまっているのだ。
ショックのあまり、その場で崩れ落ちたリリス。彼女のこんな弱々しい姿は、ジェイクでも見たことがなかった。
愕然となっている一行に、ピューマの嘲りの声が飛ぶ。
「ヒャッハッハッハ! バカ魔女がぁ! しょうがねえから、俺さまが教えてやんよ! こいつはな、グノーシスに頭ん中をいじられて何もかもわからなくなってんだよ! お前のことなんざ、覚えてるわけねえだろバカバカバカ!」
「黙れ……」
低い声で返したのはジェイクだ。その顔には、かつて見たことのない表情が浮かんでいる。
ピューマは、ニヤリと笑った。
「おうおうおう! やっと真面目にやる気になったか! 上等じゃねえか! いくぞゴラァ!」
叫んだピューマだったが、次の瞬間に吹っ飛んでいった──
ジェイクは、風のごとき速さで一瞬にして間合いを詰めた。そこから、渾身の力を込めた右の正拳を放つ。
ピューマは、完全に不意を突かれた。鉄板をもひしゃげさせる威力の突きを顔面にくらい、軽々と飛んでいく。
飛んだ先には、大木が生えていた。ピューマは、大木の幹に叩きつけられ、ズルズルと落ちていく。
もっとも、ジェイクはピューマのことなど見ていなかった。彼は怒りに任せ、次の標的へと攻撃を開始する。ゲルニモの腹めがけ、凄まじい突きの連打を放ったのだ。
ユニコーンの突進すら受け止めたゲルニモだったが、ジェイクの突きはレベルが違っていた。精霊の力により強化され、一発一発が巨岩をも砕く威力だ。さしものゲルニモも、苦痛のあまり顔を歪め後退していく。
だが、そこに迫る黒い影があった──




