スノークスの企み
黒魔女リリスと、聖女セリナが語り合っていた頃──
ジェイクとアランは、ソッド地区を歩いていた。人相の悪い連中が、あちこち動き回っている。通りには得体のしれない物を売る露天商がいるかと思うと、昼間から春を売る女が立っていたりもする。一応、衛兵がうろついてはいるものの、彼らに風紀を取り締まる気はないのだ。
そんな中、ジェイクはある男の気配を感じ取っていた。殺気に満ちた目で、こちらをじっと見ている。間違いない、あのピューマという男だ。
そう、あの男は未だに尾行しているのだ。リリスの言う通り、引き下がるつもりはないらしい。
できることなら、路地裏に誘いこんでトドメを刺したいところである。だが、今はそんな場合ではない。まずは、アーセナル地区への通行証を手に入れなくてはならないのだ。奴のことは、放っておくしかない。
とはいえ、いつ襲ってくるかわからない怖さがあるのも確かだ。ジェイクは、神経を張り詰めさせた状態で歩いていた。
そのため、状況をかき乱す男の接近に、全く気づけなかった。
人混みの中を進んでいた時だった。突然、声が聞こえてきた。
「おいおい、誰かと思えばジェイクじゃねえか。それに、お隣はアランかよ……こりゃ、どういう風の吹き回しだ?」
その声には聞き覚えがある。スノークスだ。
振り返れば、スノークスはとぼけた顔にパイプをくわえ、美味そうに煙を吸っていた。ジェイクを見る目には、何やら企んでいるかのごとき光を帯びていた。
ジェイクは、思わず口元を歪めた。まさか、この男とこんな場所で会うとは……。
実のところ、バーレンのゾッド地区は様々な娯楽がある。普通の都市では、見ることのできない見世物や御禁制の品などがあったりする。金さえあれば、たいていの物が手に入る……ゾッド地区には、そうした魅力もあるのだ。
アグダー帝国のクランもまた、同じように悪趣味な者たちの集まる街であった。しかし、先日エプシロンの襲撃を受けてからは、客が寄り付かなくなってしまったのだ。何といっても、巨大な売春宿『ジュジャクの館』を潰されたことが大きい。
スノークスは、そのジュジャクの館の門番をしていた男である。しかし、生来のサボり癖が幸いし生き延びた男だ。
「なんでもない。お前には関係ないことだ。酒飲んで飯食って酒飲んで風呂入ってタバコ吸って寝ろ」
ジェイクは、そんな軽口を叩いてごまかそうとした。しかし、スノークスには通用しない。
「バカ野郎、その酒買う金がねえんだよ」
言った後、ふたりの顔を交互に見る。
少しの間を置き、ニタッと笑った。
「それにしても、霊拳術士とアデール家の放蕩息子が、おてて繋いでゾッド地区を旅行ってか……こいつは匂うぜ。プンプン匂う。お金ザックザックの匂いだな」
そんなことを言い出したのだ。
このスノークス、ジェイクの知り合いである。同時に、アランの知り合いでもある。その悪友ふたりが揃っている事実に、何かを感じとったらしい。
しかし、ジェイクらとしては迷惑この上ない話である。これからやることは、金になどならない。それどころか、命を失いかねないのだ。
「何言ってんだよ。そんなんじゃねえ。俺たちは、今から大仕事をしなきゃならないんだ。お前は、おとなしく博打場の用心棒でもやってろ」
アランがそんなことを言って追い返そうとしたが、逆にスノークスの射幸心を煽ってしまったらしい。
「ほほう、大仕事か。となると、さぞかし儲かるんだろうな?」
「違う、儲からねえよ。だから帰れ。シッシッ!」
アランは犬でも追い払うかのような仕草をするが、スノークスに引く気はないらしい。
「アラン、俺にそんな態度を取るのか。そうかそうか、だったら仕方ない。今からアデール家に行って、アランくんがまた良からぬことしてますよ、ってチクってやるぞ」
言われた途端、アランの表情が一変した。
「い。いや、そりゃなしだよ……それだけはやめてくださいスノークスさま、おねげえですだ」
惨めな様子で、ペコペコしだすアラン。とても貴族の息子には見えない卑屈さだ。
一方、スノークスはジェイクへと視線を移す。
「なあジェイク、なんだか知らんが、こいつは大仕事なんだろ? なら、俺も一枚噛ませてくれよ。頼むよ。ここんとこ仕事にあぶれててなあ、暇なんだよ」
真顔でこんなことを言われ、ジェイクは眉間に皺を寄せ考える。
スノークスは傭兵だが、抜群に腕が立つというわけではない。アランよりは強いだろうが、並の兵士と比べたらどうだろう。一対一なら、一般兵士に勝てる。だが、二対一なら負ける可能性が高い……その程度のレベルだ。
ましてや、あのピューマと一対一で殺り合えば、確実に殺されるだろう。
断るのが、賢明な選択なのだろう。普段なら、そう判断していたはずだった。殴り倒してでも、スノークスを止めていただろう。
しかし、今は違う。
(この出会いは偶然ではない。間違いなく必然じゃ。これは、お前の運命……ジェイク、心を決めるのじゃ)
デリシャスの言葉が脳裏に浮かぶ。
考えてみれば、スノークスはエプシロンの顔を間近で見ているのだ。それに、あのジュジャクの館の生き残りでもある。ニールの死の間際の言葉も聞いている。
これも、運命なのかもしれない──
「いいだろう。ちょいと手伝ってくれ」
「そうこなくちゃ。で、俺の分け前はいくらだ?」
「それは、お前次第だ」
「何じゃそりゃあ。俺にタダ働きさせる気かよ?」
「はっきり言うとな、こいつは国家間の陰謀が絡んでいる。そこで得られる情報はな、価千金なんだよ。その情報を、どう使うか……そいつは、お前の頭の使い方だな」
「そ、そうか……わかった」
スノークスは釈然としない様子だったが、それでも一応は納得してくれたらしい。
その後、アーセナル地区への通行証を手に入れた三人は宿屋へと戻った。
「セリナ、それにリリス……訳あって、このスノークスにも加わってもらうことになった。傭兵だが、悪い奴じゃないよ」
ジェイクは、そう紹介した。
セリナは、困惑しつつも軽く会釈する。だが、リリスは違う反応をした。スノークスを見るなり、大きな溜息を吐く。
一方、スノークスは唖然とした表情でリリスを見ていた。ややあって、ジェイクの方を向く。
「ジェイク……お前ら、より戻したのか?」
唖然とした表情で、そんなことを言ったのだ。そう、このふたりは顔見知りなのである。
「違う。今回の仕事に必要だから来てもらったんだ」
答えたのはジェイクだ。一方、リリスは呆れた表情だ。
「あのさ、確かに戦える奴は欲しいよ。この坊やだけじゃ、心もとないのもわかる」
言いながら、アランの胸をチョンチョンとつついた。アランは、なぜかヒッと声をあげて飛び上がった。
リリスはその反応を無視し、スノークスへと視線を移す。
「けどさあ、スノークスはないんじゃない? もっと腕の立つ奴を雇えなかったの?」
「そう言うなよ。確かに、俺には腕はないよ。でも、代わりにいろいろやるからさ」
そう言いながら、スノークスは揉み手でペコペコ頭を下げる。一応は傭兵であり戦争の経験者でもあるのだが、今の情けない姿からは想像もつかないだろう。
さすがに気の毒になったのか、セリナが口を挟む。
「ま、まあまあ……傭兵さんでしたら、戦いのプロですよね。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。だが、リリスは首を横に振った。
「セリナちゃん、あんたは何もわかってない。このスノークスはね、仕事は要領が命で、手抜きが基本の男だよ。とにかく、当てにならない奴だから」
「んなことないから。俺だって当てになるよ。なあ、アラン」
言いながら、スノークスはアランの肩を叩く。しかし、アランも渋い表情だ。
「いや、お前が活躍した話なんて、聞いたことないしな……」




