ふたりの過去
「ジェイクさん、ケガはありませんか?」
駆け寄り声をかけたセリナに、ジェイクは頷いた。
「ああ、大丈夫だよ。しかし、あいつは厄介だな」
ジェイクは、荒い息を整えながら答えた。その瞳は鋭く、ピューマの去った方角を睨んでいる。戦いの余韻は、まだ肌に残っていた。
奴は、確かに強い。並の兵士では、十人たばになっても敵わないだろう。ジェイクの蹴りをまともにくらいながらも、起き上がり戦いを続行しようとしていたのだ。おそらくは、何らかの魔法もしくは薬物で、肉体を極限まで強化している。
無論、ジェイクとて正面きっての戦いならば負ける気はしない。だが、奴は普通ではない。頭がイカレている。なぜか知らないが、ジェイクに異常なまでの執念を燃やしていた。
その狂気が、いつかアランやセリナに向くのではないだろうか……ジェイクが恐れているのは、事態がそうなることだ。
「あれは、また来るよ。あんたって男は、面倒なのに好かれるねえ」
ジェイクの思いを知ってか知らずか、茶化すように言ったリリスに、ジェイクは思わず苦笑する。
「そういう運命のようだな。まあ、俺だけに来てくれる分にはいいんだけどよ」
そう返したジェイクに向かい、リリスは彼の肩をつつく。
「あんた、このお嬢ちゃんに感謝しな。あんたが危ないって真っ先に言い出したの、セリナちゃんなんだからね」
言いながら、彼女が指さしたのはセリナだ。
「そうなのか?」
不思議そうに尋ねたジェイクに向かい、セリナは恥ずかしそうな表情で答える。
「えっ、ええ……まあ」
ジェイクは、その反応に柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。お陰で助かったよ」
言った後、アランへと視線を移す。
「ところでアラン、悪いが付き合ってくれるか?」
「へっ? なんで俺?」
キョトンとなっているアランに、ジェイクはニヤリと笑う。悪巧みをしているかのような表情だ。
「ちょいとな、ここのアーセナル地区に用があるんだ。しかし、アーセナル地区には一般人がおいそれと入れる場所じゃねえ。通行証が必要になる」
そう言うと、ジェイクはアランの肩を叩く。
「そこで、お前の出番だ。お前がアデール家の名前を出せば、通行証なんざ簡単に手に入る。てなわけでだ、手続きを頼むよ。お前じゃなきゃできない仕事なんだ」
途端に、アランの態度が変わった。胸を張り、ふんぞり返る。
「任せとけ。ふふふ、俺を仲間にしといて良かっただろ?」
「ああ、その通りだ。アランさまさまだよ」
ジェイクは、アランに向かい拝むような仕草をした。直後、女性ふたりの方を向く。
「てなわけでだ、ちょいと手続きしてくるよ。悪いが、宿屋で待っててくれ」
室内には、セリナとリリスのふたりだけが残された。
壁に掛けられた古いランタンの炎が、赤い光を揺らめかせている。静けさの中に、遠く外から聞こえる靴の音や子供たちのざわめきや犬の吠える声などが、ぼんやりと響いていた。
ややあって、セリナが口を開く。
「あのう……リリスさんとジェイクさんは、昔つきあってたんですよね?」
「そうだよ」
リリスは椅子の背にもたれ、表情ひとつ変えずに答えた。煙草でも吸うかのように肩を落ち着けているが、その眼差しはどこか遠くを見ているようだった。
「昔のジェイクさんは、どんな人でした?」
「昔も今も変わりなし。本質は脳筋バカのくせにさ、妙に人に気ぃ使うんだよ。うっとおしいったら、ありゃしない」
言った後、リリスはクスッと笑った。つられて、セリナも笑う。
呪われし黒魔女と、ライブラ教の聖女……本来ならば、共に天を戴くことすら許されない間柄のはずだった。しかし今、同じ部屋で笑い合っていたのだ。
少しの間を置き、セリナは再び口を開く。
「あの、その……」
「もしかして、あたしたちが別れた理由を聞きたいの?」
「えっ!? いや、その……」
セリナは、慌てて両手を振った。だが、目の奥には好奇心と、もうひとつ別の何かが感じられた。リリスはそんな彼女を見て、唇の端をゆっくりと持ち上げる。
「誰にも言わないって約束するなら、教えてあげる。聞きたい?」
「は、はい!」
勢いよく返事をしてしまったセリナは、自分の声に恥ずかしくなり、思わず目を逸らせる。一方、リリスはくすくす笑いながら、遠い記憶を辿るように目を細めた。
「あれは、今から五年前の話だよ……当時は、魔女狩りがひどくてね。あんたも知ってるだろ?」
「はあ、知識としてだけですが……」
「本当に? あんたも、加わって火炙りの刑とかやってたんじゃないの?」
「やってません! 私は当時、見習い信徒でした!」
セリナは慌てて否定する。同時に胸の奥がざわめき、自分の両手を見た。
当時、聖堂で祈りを捧げていた頃の記憶が蘇る。仲間たちの中には「魔女狩り」に喜び勇んで参加していた者が少なからずいた。さらには、魔女を拷問して自白させた逸話を自慢げに語っていた司祭もいた。普段は、優しく微笑みながら説教をする男だった。
一歩間違えたら、自分もその中にいたのかもしれない。そう思うと、背筋に寒気が走る。忌まわしい記憶だ……。
一方、リリスは飄々とした態度で話を続ける。
「へえ、そうだったんだ。ま、今さらどっちでもいいよ。で話を戻すと、あたしもいずれ取っ捕まって火炙りに遭いそうな感じだったんだよ。それで、別れることにしたのさ」
「それで、ジェイクさんは納得したんですか?」
「するわけないじゃないか。あのバカ、絶対に命を捨ててでもあたしを守ろうとしていただろうよ。だから、黙って姿を消したのさ」
「そのことを、ジェイクさんは知ってるんですか?」
「知るわけないだろ。いいかい、このことは内緒だからね。言ったら許さないよ」
「それで、ふたりは……」
「まあ、そのまま自然消滅ってとこかな。でもさ、今から考えると、ちょうど良かったのかもしれない。当時のあたしとジェイクじゃ、うまくいかなかっただろうしね」
「どういう意味ですか? ジェイクさんのこと、嫌いになったのですか?」
「あのねえ、これは好き嫌いとか、そういう単純な問題じゃないのさ。あたしは、ジェイクを嫌いになったわけじゃない。ただ、あいつにはついて行けないものを感じていたのも確かだよ」
そこで、リリスはセリナを見つめる。
「ジェイクにはさ、お嬢ちゃんみたいな娘の方がいいのかもしれないね」
「そ、そんなんじゃありません!」
セリナは慌てて否定する。声が裏返り、両手を胸の前でぶんぶん振る。だが、頬の赤みはますます濃くなっていた。
リリスはその様子を見て、ふっと笑った。からかうようであり、同時にどこか優しい響きが混じっている。
「どうだかね……あたしは別に、お嬢ちゃんにジェイクを押しつける気もないよ。ただ、もし本気なら、覚悟しておきな。あの男と一緒にいるってことは、平穏な日々なんてまず望めないからね」
セリナは何も言えなかった。リリスも、それ以上は何も言わなかった。
しばらくの間、沈黙が室内を支配する。しかし、セリナがそれを破った。
「あ、あの、すみませんでした」
言ったかと思うと、深々と頭を下げたのだ。さすがのリリスも、この行動には唖然となっていた。
「へっ? 何を謝ってんだい? 何かしたのかい?」
「私の同胞が、あなたたちにしたことです。私は話でしか聞いていませんが、本当にひどいことをしました……」
言っているうちに、セリナの目から涙が溢れてきた。
同時に、かつての記憶も溢れてきて止まらない。黒魔女の火炙りに参加したことを、武勇伝のように語っていた信徒たち。セリナは、本能的に嫌悪感を覚えていたが、表面上は楽しそうに話を聞いていた。
あの時の自分を、本当に許せない──
その時、リリスの手が触れる。セリナの顔を、優しく包み込んだ。
「あんたに謝られても困るよ。それに、あんたは聖女なんだろ? あたしに謝ってる暇があるなら、ひとりでも困ってる人を救ってあげな。あたしゃ、そんなこと御免だけどね」




